第5話 ヘラクレス3
ずっと・・・、その言葉が何を意味するのかを感じつつ、俺は美月の手をとって握りしめた。おそらく助けは来ない。やがて電力が尽き、機内の温度が制御できなくなる、そして空気もなくなる。不安に押しつぶされそうだ。でも、こうして美月の柔らかい手を握りしめていると、どこか不安がやわらいでくる。こいつと、ここで会ったのは、もしかしたら運命かもしれないな。まぁ、人生の最後に、こいつと出会えたのは、何かの縁だろう。だから最後まで一緒にいたい、そう思えてくるのだ。
「あんたと出会えて、よかった」
「俺もだ」
美月の目には涙が浮かんでいる。そして目を閉じた美月を俺は抱き寄せる。ファーストキス、それも人生最後の・・・。 ・・・・と思った瞬間だった。
◇
「おい、迷子のシャトル、聞こえるか。助けに来てやったぞ。」
いきなり通信が飛び込んできたのだ。しかも、恐ろしく強力な通信だ。甘酸っぱいシーンは、無粋な声によって消しとんだ。
「こちらシャトル34便、そちらは?」
「おお、生きてたな。こちらは貨物船ヘラクレス3。そっちが迷子になったという情報を聞いて、わざわざ助けに来てやったんだ。有り難く思えよ」
なんと、いきなり助け船だ。貨物船だというけど、どうやって救助するつもりだろう。しかも、まだ磁気嵐の影響が強い中で。
「こちら34便、救援感謝する。だが、まだ磁気嵐の影響が残っている。無理はしないでほしい」
「おいおい、助けて欲しくないのか? まぁ、心配するな。今、そちらの軌道に向かっている。ランデブーしてびっくりするなよ」
なんとなく、品のない笑いを残して通信が切れた直後だ、何かが後部モニターに見えた。と思うと、機体に軽い衝撃があって、ぐいっと引っ張られた。
「よし、捕まえた。これから収容するぞ。」
収容? この船をか? そんなデカい船なのか、ヘラクレスって。確かに、まだ相当な距離があるのに、かなり大きく見える。しかも、この距離で牽引ビームを使えるってことは、惑星間航路、いやもしかしたら恒星間航路の貨物船かもしれない。それなら、太陽嵐どころか、超新星爆発の宇宙嵐でもびくともしないだろう。
「私たち、助かったの?」
「ああ、そうみたいだな」
俺と美月は顔を見合わせた。そして、互いに赤面する。もう少しのファーストキスはお預けになってしまったが、どうやらその代わりに人生を延長できたようだ。
「と、とにかく。助かったわけよね。よ、よかったじゃない」
美月が急にもじもじしはじめる。そりゃ、俺だってバツがわるいのだが。この数分の出来事は一度なかったことにしたい気分だったりする。今でも思い出すと赤面してしまうわけで。
「そ、そうだな。よかった。助かって」
二人ともしどろもどろだ。九死に一生を得たのもさることながら、覚悟を迫られた状況とはいえ、あまりに柄でもない事をしてしまった自己嫌悪が、どんどん押し寄せてくる。
「あ、俺ちょっとキャビンに知らせてくるな」
そそくさと席を立とうとした俺は、中に浮かんで操縦席の天井に、しこたま頭をぶつけた。そう、まだ無重力の中だった。おまけに牽引中だ。
「あはは、何やってんのよ。バカケンジ。ほら、手を出しなさいよ」
美月は俺の手を引っ張る。俺はどうにか席に戻って身体を固定した。おでこにたんこぶが出来たようだが、ちょっと緊張がとけた感じがする。
「やっぱりケンジよね。このへんが」
「ほっとけよな」
「さっさと乗客に教えてあげなさいよね。助かったって」
「あ、ああ」
俺は、キャビンに向かって音声放送を入れる。
「乗客とクルーの皆さん。操縦室です。現在、当機は貨物船ヘラクレス3とのランデブー中です。救助作業が進行中ですが、牽引による衝撃等も予想されますので、収容が終わるまで席を立たないようにお願いします」
キャビンのほうから歓声と拍手が聞こえてくる。みんな、覚悟を決めていたに違いない。でも、最後まで気は抜かないようにしよう。何が起きるかわからないから。
「もう何も起きないで、お願いだから・・・」
「そうだな、最後まで気は抜けない。美月も頼むから・・」
「わかってる、今度は余計な事は言わないわ」
そう、これ以上神様を不機嫌にさせちゃいけない。俺も、これまでの悪行は悔い改めるとしよう。ここはひとつ無事に収容されて一件落着といきたいものだ。
「こ、これ、すごいわね」
「ああ、こんな船、間近で見たのは初めてだ」
接近してくるにつれ、ヘラクレス3は、視界のほとんどを覆い隠すほど大きくなっている。まさに、巨人と蟻くらいの差だ。少々、くすんだ色をした外見は、この船がかなりの年月、役目を果たしてきた事を示している。
「やっぱりインターステラ級の貨物船だな。あの突き出ているのはワープフィールドジェネレーターのナセルか」
「到着したばかりなのかしら。どこから来たんだろう」
俺たちがそんな会話をしている間に、ヘラクレス3は真上に停止した。押しつぶされそうな圧迫感。宇宙に天井ができたみたいだ。そして、その天井の一部がゆっくりと開いた。貨物格納庫の扉らしい。そして我々の船は、そこに引き寄せられていく。
「すっかり荷物扱いね」
「まぁ、助けてもらって文句はいえないけどな」
惑星軌道上で荷物の積み降ろしをする貨物船は、こんな感じで牽引ビームを使ってコンテナを積み込むわけだ。荷下ろしは途中まで降ろしたら、あとはタグボートやステーションの牽引ビームに任せる事になる。この船なら、小さな宇宙機を一機積み込むなど簡単な話だろう。
「おい、ぼんやりしてないで、足を出さんか」
いきなり通信だ。そういえば、ランディングギアを出すのを忘れていた。
「シャトル34便、ギアダウン。システムをニュートラルに。収容準備完了」
「よしよし、いい子だ。大人しくしてろよ。もうすぐだから」
なんともはや豪快そうな相手だ。何が起きるかわからない恒星間航路貨物船の乗組員は荒くれ者も多いと聞くが、少なくとも人は良さそうだ。
「品のない奴ね。これだから貨物船の船乗りは・・・」
「まぁ、そう言うな。俺たちにとっては、有難い助け舟なんだから」
そうしている間にも、シャトルは貨物船の格納庫に収容されていく。やがて、軽い衝撃があって、ランディングギアが格納庫の床に接触する。同時に、やんわりと体に重さが戻ってきた。
「よし、一丁上がり。おっと、まだ出てくるなよ。風船みたいに膨れたくなかったらな」
格納庫の扉がゆっくりと閉じ、機体がエアシールドに包まれて空気が満たされるまでには少し時間がかかった。俺と美月はその間にシャトルのエンジンをシャットダウンし、駐機モードに切り替える。
「よし、気圧正常だ。これからタラップをかける。もう少し待ってくれ」
さて、まずは具合の悪そうな乗客から先に下ろさないといけない。この船なら病院並みの設備が整っているはずだから、すぐに治療ができるだろう。
「よし、今開けてやる。ドクターが最初に乗り込むから、まず負傷者から下ろしてくれ。いいな。通信は以上だ。あとは直接やろう」
「了解、準備はできている」
タラップ、というよりはコンテナ用の梯子に近いものが横付けされた。ドクターらしき人物ともうひとり船員らしき大柄の男が上がってくる。こちらはアテンダントが対応してくれるだろう。我々は、最後にシステムチェックをやってから、乗客の下船を確認してパワーを落とさなければならない。
「美月、パワーダウンまえのチェックを始めよう」
「了解よ。チェックシーケンス開始」
コンピュータがチェックを行っている間、窓の外を見ていると、乗客が一人ずつ下船していく。医療チームらしいグループが、負傷者をよりわけて、移動用のカートに乗せていく。この大きさの船だ。端から端まで歩いたらいったいどれくらいかかるのだろう。そう思っていると、いきなり背後のドアが開いた。さっきの大柄な男が入ってきた。
「こら、お前ら、ここは子供の遊び場じゃねぇぞ。さっさと降りろ。パイロットはどこへいった。」
いきなりのご挨拶だ。でもまぁ、俺たちがこのシャトルを飛ばしてたなんて、言っても信じないかもしれないが。
「あんた、誰よ。いきなり入ってきて失礼な言い草よね」
美月がつっかかる。まぁ、こいつに他人からこの状況を見たらどう見えるかなんて考えろと言うのは無理な話なのだが。
「こりゃこりゃ、お嬢ちゃん、失礼したな。でも、おいたはよくないぞ」
暴れそうになる美月を押さえて、俺が事情を説明する。
「あなたが、通信の相手をしてくれた方ですよね。このシャトルは、いろいろあって俺たちが操縦してたんですよ」
大男は、驚いたような顔をして言う。
「なんだって、冗談だろ。こんなひよっこ二人で飛ばしてたってのか? にわかには信じられんが、たしかにお前の声は、さっき聞いた声だ」
とりあえず、俺は手短に磁気嵐との遭遇あたりからの話を男にしたのだが、男はなかなか信じられないというような顔をしている。
「それじゃ、おまえら小型機も飛ばした事がない新入生だってのか。それが、こいつを、そんなアクロバットみたいな飛ばし方をしただと? 世も末だな」
「じゃ、誰か他にできたっての? あんたが代わりにできた?」
「おい、美月、落ち着けって」
俺は暴れる美月を押さえながら、男の顔を見て苦笑いする。
「でもまぁ・・・、結果はオーライだ。通信をモニターしてたが、おまえらの判断は正しかった。タグボートの牽引を断ったのは正解だ。いくらこの船でも2隻を一緒に救援はできんからな。そう言えば、まだ名前を聞いていなかったな」
「俺は中井ケンジ、こいつは・・」
「星野美月・ガブリエル、ちゃんと名前はあるんだから、覚えときなさいよね」
美月が噛み付きそうな顔をして割り込んだ。
「星野、ガブリエル・・・? え、あの星野の、星野美空の娘なのか?」
「え、ママを知ってるの?」
男は驚いた顔をして、しばらく黙り込んだ。
「いや、知ってるもなにも、アカデミーの基礎課程じゃ同級だったからな。俺はナビゲーション、あいつはメディカルに行っちまって、それっきりだったが、元気なのか、美空は」
「元気よ。元気すぎて困ってるわ」
「そうか、元気なんだな。よかった。アンリは、おまえの親父はどうしてる?」
「あいかわらずよ。研究の虫。おかげで私もとばっちりだわ。で、パパも知ってるの?」
「ああ、あいつは・・・、いや、奴も同級だったんだよ。美空と3人でよく遊んだもんだ」
男はちょっと遠い目になっている。たぶん、あれこれあったんだろう。もしかしたら三角関係・・・とか。いやいや、妙な勘ぐりはやめとこう。
「ふーん、ママに振られたんだ」
「お、おい美月・・・・」
男は一瞬、真顔になったが、すぐに大笑いして言った。
「こりゃ、やられたな。美空の娘ってのは、嘘じゃなさそうだ。あいつもそうだったよ、言いにくい事を、あっさり言いやがってな。、まぁ、なんだ・・俺はそこに惚れてたんだが・・・。おっと、これは、あいつには内緒だぞ」
あっさりと言ってのけたな、この男も・・。俺はこの男の豪快さに完全に毒気を抜かれてしまっていた。しかし、もしこいつが美月の父親になってたら、美月の破滅的な性格は、さらにひどくなっていたかもしれんな。いや、でも、それならそもそも美月は生まれていないということか。
「それはそうと、人に名乗らせておいて、あんたは何者なのよ」
「おお、そうだった。こりゃ失礼。俺は、デービッド・ムラカミ、この船のナビゲーターを、もう10年ほどやってる。ここじゃ、デイブで通ってるがな」
「デイブ・・・・、デブ・・・あはは、デブかぁ・・」
「おい、美月・・・・」
さすがに、これはふざけ過ぎだ。いくらなんでも、デイブだって怒るぞ・・・。
「おまえ、美月とか言ったか、やっぱり母親似だな。美空も初対面で同じ事を言ったぞ。懐かしいな」
「そうなんだ。ママもやるね」
「お前も苦労は覚悟しとけよ。中井だったな。こういう奴に惚れるとロクな事がないからな」
デイブがいきなり俺に向かって言う。
「え、惚れる・・・って俺はそんな・・・」
ちょっとしどろもどろになりかけた俺に、美月が割って入る。
「冗談でしょ。こいつは私の・・・げ、下僕なんだから」
とうとう本音が出たな、美月。俺は大きくため息をつく。
「下僕・・・ですか?」
「そうよ、この美月さんの下僕なんだからね、感謝なさい」
まったく、毎度、よくわからん事を言う女だ。まぁ、もののはずみで、守ってやるなんて言ってしまった俺も馬鹿なんだが。
「下僕、そうだったのか。そりゃ、一生ものだぞ、覚悟しとけ」
デイブはまた大笑いする。人ごとだと思って、デイブも好き勝手をいうものだ。一生こいつの下僕なんて、俺の人生は終わってるじゃないか。
「そうだ、あれは基礎課程の2年の終わりだったな。休暇を使って3人でコペルニクスに遊びに行った時だ」
「コペルニクスって、月面のコロニーですか?」
「そうだ。そこで、ちょっといろいろあってな、俺たちはピンチに陥った。その時に、アンリが言ったんだ。俺が一生、美空を守るってな」
これは、もしかして何かのデジャブじゃないのか。俺は、ほんの1時間ほど前の事を思い出して、かなり赤面した。
「その結果、このお嬢ちゃんがいるわけだが・・・。まぁ、それからアンリはすっかり下僕、というよりは奴隷だな、あれば・・・にされてしまったというわけだ。お前、もしかして、もう言っちまったのか」
そうだ、俺は言ってしまった。でも、あれは、そういうシチュだったからであって、普通は・・・・普通は・・・言わないのか、俺は・・・。あーもうこんがらかってきたぞ。
「ま、美空にとってはそれが一種の愛情表現だったってわけだがな」
いや、それはあまり考えたくないのだが・・・。
「あ、愛情!? そ、そんなんじゃないわよ。こいつはケンジなのよ、ケンジ!!」
美月は真っ赤になって否定しているが、そのケンジだから、ってのは、またしても意味不明だろう。
「わはは、頑張れよ若者。青春は案外短いものだ。さて、無駄話もこれくらいにしておこう。そろそろシステムを駐機モードにして、降りてきてくれ。船長が会いたいそうだ。 」
「わかりました。 」
「け、ケンジ、さっさとモードを切り替えなさいよね。チェックは終わってんだから。 」
美月がちょっとうつむき加減に言うので、俺はシステムを駐機モードに切り替える。こうすると、宇宙機のフライトコンピュータは、この船のコンピュータと接続され、その制御下に入って常時モニターされる。このモードの解除は船長の許可がないとできないから、誰かが勝手に宇宙機を動かす事もできなくなるわけだ。
「切り替え完了だ。行こうか」
美月は、なにやらまだ、もじもじしている。
「け、ケンジ、言っとくけど、そ、そんなんじゃないからね」
また、唐突だが・・・、まぁ、あれは一度、無かった事にしてもいい。一生奴隷なんて願い下げだからな。
「ああ、行くぞ」
俺は、操縦席から立ち上がって出口へ向かう。
「ま、待ちなさいよ、私も行くんだから」
美月が慌てて追いかけてくる。よくわからん奴だ。
◇
俺たちは宇宙機を降りると、待っていたデイブと一緒に、カートに乗り込んだ。しかし、こうして改めて見ると、本当にデカい船だ。通路の両脇には、いっぱいにコンテナが積み上げられている。たぶん、いくつかの恒星系をまわって、積み荷を集めてきたのだろう。何ヶ月も航行を続けてきたにちがいない。
「どうだ、なかなかの船だろう」
デイブが言う。
「すごいですよ。宇宙に出て最初に、こんな船に乗れるなんて。乗組員は何人くらいいるんですか?」
「何人だと思う?」
「4,500人くらいですか?」
「あはは、そう思うだろう。でもな、実は20人ほどしかいないんだよ。ほとんどの仕事は自動化されてるからな。ほら、そこらにいるドロイドが全部やってくれるから」
周囲を見ると、様々な形をしたドロイドが動き回っている。たしかに人の姿はまったく見えない。
「ケンジ、あんたそんな事も知らなかったの? 貨物船に何百人も乗ってたら、その生命維持だけで、とんでもないコストがかかるじゃない。常識でしょ」
「あははは、お嬢ちゃんの言うとおりだ。客船ならまだしも、貨物船ってのは、競争が激しいからな。こんなボロ船でも、おっと、これは船長には内緒だ、使い続けなきゃならん。就航してからそろそろ20年近い船なんだが」
「どのあたりまで行ってきたんですか?」
「そうだな、ざっと30光年以内の恒星系をいくつか半年くらいかけて一回りしてきたんだ。まぁ、この船じゃ、ワープも巡航だとレベル8が関の山だし。」
「なんだ、レベル8しか出ないんじゃ、亀並みじゃない」
「おい、美月・・・」
「いや、そのとおりだ。せめて10まで出れば、もう少しマシな荷物も運べるんだがな。ここに積んであるのは、鉱石とか、いろんな原材料がほとんどだ。多少時間がかかっても、大量に運搬できるのがこの船のいいところだからな。でも、船長の前でそれを言うなよ。なんせ、就航以来ずっと乗ってる船だ。愛着も強いからな」
たしかに、新造船ならレベル12くらいまでは出る。ちなみに、ワープ速度は光速に対しての倍数を2の対数で表したものだ。レベル8だと2の8乗で光速の256倍、レベル12は4096倍になる。その差は歴然だ。
「まぁ、亀は亀でも、こいつはゾウガメだ。図体もでかいし力もある。あんな蚊みたいな宇宙機一匹拾い上げるなんざ造作もない」
たしかにそうだ。この船が近くにいなかったら。俺たちはどうなっていたことか。そうこうしている間に、巨大な貨物エリアの端まできて、カートは停止した。
「そこのシャフトだ。ブリッジに上がろう」
壁の脇に薄い青みがかった光のシャフトが天井に伸びている。シャフトと言っても物理的な構造物じゃない。これも重力制御による昇降装置だ。重力と慣性の制御で、デッキの間を自由に行き来できる。
「先に行きなさいよ」
いつもは真っ先に飛んで行きそうな美月が珍しい。
「いいよ、お前が先に行けよ」
「バカ!、先に行って、早く」
美月が顔を赤くして言う。不思議に思っているとデイブがリフトに入りながら笑っていう。
「お嬢さんの格好を考えてやれよ。それとも、見たいのかお前」
そうだった、附属高女子の制服は、ひらひらのミニだった、と思った瞬間、美月のパンチが飛んできた。
「この、変態っ!」
いや、これは俺が悪かった。しかし、そもそもこの船じゃ、こんな格好は想定外だろう。美月はしきりと周囲を気にしている。
「大丈夫だ。この辺りにはドロイドしかいないからな」
デイブが言う。俺たちがリフトに入ってから、しばらくして、ようやく美月もしぶしぶ上がってきた。お尻のあたりを気にしながら。
貨物エリアの高い天井を抜けると、居住デッキ、そしてブリッジに出る。リフトを降りたところで、デイブが言った。
「そういや、言い忘れていたけど、人はいないが監視用のカメラはあるんだよな」
「し、信じらんない!」
美月が叫ぶ。でも、既に後の祭りだ。監視してる奴は、さぞかしいい眺めだっただろう。何ヶ月も男ばかり20人で過ごしてきたのだから、それくらいのご褒美はあってもいいかもしれないが。
「なんとか言いなさいよ、バカケンジ。気が付きなさいよね、そんな事くらい」
おっと、こっちかい? 文句を言う先が違わないか?
「あっはっは、そりゃ、もっともだ。下僕なんだからな」
デイブが笑って言う。しかし、気づいたとしてどうすりゃいい。抱っこでもして乗れってのかい。
「まぁ、監視はコンピュータがやってるから、メモリバンクの画像でも見ないとわからないけどな。見るか、後で?」
完全にからかわれているな、俺たち。
「わかってるわよね、バカケンジ。そんな事したら、絶対に許さないんだからね」
美月が俺を睨みつけていう。何で俺?という理不尽さを感じながらも、ここは穏便にいこう。
「わかってるよ。見たってしかたないしな、そんなもん」
「バカ!」
「いてっ!」
またパンチかよ。結局のところ、俺が何を言っても気に入らないわけか。
「さて、痴話喧嘩はそれくらいにして、船長に会いにいくぞ」
痴話喧嘩ですか。まぁ、ハタからみりゃそうかもしれんが、こっちはそんなつもりは、毛頭ないんだけど。
ブリッジに続くドアが開く。意外とそこは狭い部屋で、教科書で見た大昔の船の操舵室のような雰囲気だ。大きな操舵輪や古めかしい計器が並んでいる。もちろん、これは全部単なる飾りだ。実際の操船は全部、インターフェイス経由なのだから。これは船長の趣味なんだろう。
「船長、連れて来ました」
「ご苦労。さて、客人はどんな方々かな」
この船の船長と聞いて、なんとなく昔話に出てくる海賊船の船長みたいな雰囲気を想像していたのだが、現れた人物は、意外にも小柄な白髪の紳士っぽい男だった。
「なんと、君たちがあれを飛ばしていたのかね。驚いたな」
「二人とも、附属高の新入りらしいですよ」
「そうか、附属高のな」
船長は俺たちに近づくと、興味深そうに眺めまわした。
「ふむ、二人ともいい目をしとる。いい船乗りになれるかもしれんな」
「いやぁ、どうですかねぇ。さっきから二人で痴話喧嘩とかしてるから、ちょっと期待はずれかもしれませんよ。まったく、最近の若いもんは色気づくのだけは早いから」
おいおい、好き勝手言ってくれる。そろそろ美月が暴れそうだが大丈夫か。おそるおそる見ると、今にもキレそうな顔だ。ここはちょっとフォローしないとまずいか。
「あの、ちょっと誤解されてるんじゃ、・・・」
「誤解も六階もないわよ、そもそも、あんたのせいでこんな事を言われてんのよ。バカケンジ、ちょっとは反省したらどう」
あれ、また俺か? だから違うって。
「ふむ、なかなか元気のいいお嬢さんだ。そうそう、君のアカデミー時代の同級生、なんと言ったかな、彼女そっくりじゃないか」
「船長、実はこのお嬢さん、彼女の娘さんだそうで」
「本当かね、それはそれは、宇宙も案外狭いものだ。しかし、何か因縁めいたものを感じるな、デイブ」
「それは、言いっこなしですよ、船長」
「そうだったな。さて、この船は今、第6ステーションに向かっている。多分あと6時間ほどで到着できるだろう。いかに、恒星間航路の船でも、ここでは、決まった航路と速度制限があるからな。その間、くつろいでいくといい。ステーションに着いたら宇宙局の連中が手ぐすねを引いて待ち構えているだろう。しばらくは質問攻めを食らう事になるだろうから」
そうだった。考えてみれば、これは大事故である。今頃は事故調査委員会ができて、俺たちの到着を待ち構えているに違いない。いくら緊急事態とはいえ、ライセンスもない俺たちが、あんな操縦をしたわけだ。結果オーライとはいえ、簡単には済まないだろう。そう思うと、なんとなく現実に引き戻された気がする。
「ねぇ、私たち、附属高の入学取り消されたりしないわよね」
美月も、どうやら現実に引き戻されたようだ。たしかに、その可能性はないわけじゃない。普通に考えれば、違反した規則を数えたら片手じゃ足りないだろうからな。
「それは無いだろう。君らのおかげで多くの人たちが助かったんだ。少々荒っぽかったが、他に手段があったわけでもないから、誰も文句は言えんだろう。ただ、」
と、デイブ。
「ただ、何ですか?」
「そうだな、入学前にこれだけハデな事をやらかしたんだ。入ってからの方が大変かもしれんぞ。あれこれ言う奴がいてもおかしくない。それに教師たちにも一目置かれてしまうだろうから」
「うむ、無免許運転でつけた癖はきちんと直さないといかんからな」
と船長。
「船長は、俺たちがアカデミー時代の先生だったんだ。俺たちもさんざん絞られたからな。お前らも覚悟しとけよ。死ぬほど基本を叩き込まれるからな」
なんとなく気が重くなるような話だ。たしかに、いきなり、こんな新入生が入ってきたら、大騒ぎになるだろう。まして、美月はこの性格だし、派手に波風たてるにちがいない。どうせ俺も巻き込まれるわけで・・・。いっそ、入学拒否された方が人生は楽かもしれない。
「ケンジ、なに暗くなってんのよ。とりあえず入ってしまえば、こっちのもんじゃない。ごちゃごちゃ言う奴なんか無視すればいいのよ」
ほらな、この調子だし、先が思いやられるわけで・・・・。
「まぁ、お嬢さんの言うとおりだ。それに、お前たち、スジはよさそうだ。プレッシャーにさえ負けなきゃ、いいパイロットになれるだろうよ」
と、デイブ。
「うむ、気持ちの切り替えが大切だ。今度の事はそれとして、入学したら一度忘れて、最初から勉強するといい。それでも、今回の経験はいつか絶対に役に立つ。君たちが一人前のクルーになった時にな」
船長の言葉で俺は、ちょっとだけほっとした。考えて見れば、今回の事は夢みたいな話だ。だいたい俺たちみたいな、ひよっこがいったい何をした。あり得ない事ばかりだ。もし、俺たちが正式なライセンスを持ったパイロットだったら、あんな事をやろうという気になれたかどうか、いや、たぶん無理だろう。船長が言うように、一度忘れて・・・・
「やっぱり大物は、最初から違うのよ。でも、能ある鷹は爪を隠すって言うじゃない。とりあえず、スタートラインはあわせてあげるのよね」
「美月・・さん? たのむから附属高に行ってから、そういう事は言わないでくれよ。波風がたつから」
「波風が怖くて、宇宙になんか出られるかっ・・てのよ。ケンジ、ビビりすぎよ、あんた。そもそも、宇宙に波風なんてないし」
そういう意味で言ってるんじゃないんだがな。いや、こいつには言っても無駄か。たぶん、周囲よりも俺にとっては、こいつのほうが厄介に違いない。
船長とデイブも顔を見合わせて苦笑いしている。
「まぁ、それくらいの勢いの方がいいかもしれんな。これだけ大それた事をやらかした奴らが、猫をかぶっていても、逆に変だろうし」
デイブも他人事だと思って好き勝手言うな。まぁ、今からあれこれ考えてもしかたがない事だが。いや、少なくとも美月が何かやらかすだろう事は間違いないだろうから、下手に巻き込まれないようにしなくちゃな。
「やっぱり、そうよね。ケンジ、私たちのデビュー戦は、派手にいくわよ」
って、おい、一緒にしないで欲しいのだが・・・、私たちって何だよ、それ。
「ふむ、附属高もまた賑やかになりそうじゃないか、デイブ。君らの時みたいに」
「あっはっは、そうですね、いや俺たちの時以上かもしれませんよ、こいつらは」
「ともあれ、ステーション到着まではゆっくりすることだ。疲れただろう。デイブ、この二人に船室を割り当ててあげなさい」
「わかりました、船長。空き部屋はひとつしかないが、一緒でいいな、お前ら」
「い、一緒ぉ?」
俺と美月は思わず顔を見合わせて絶句する。そして赤面する。
「冗談だよ、部屋なんざ山ほど余ってるから心配するな。それとも本当に一緒がいいのか?」
完全に遊ばれてるな、俺たち。しかし、一緒の部屋と聞いて、反射的に、あんな事や、こんな事を考えてしまった俺って・・・、相手は美月なのに。ちょっと自己嫌悪に陥ってしまう。
「そそそ、そりゃね、どうしてもって言うなら、い、一緒の部屋になってあげても、い、いいのよ」
おい、美月、お前完全に意味不明・・・。
「って、何言わせるのよ!」
で、いきなりパンチが飛んでくる訳で・・・。こんな奴と相部屋なんかになった日には、ステーションに着くまでにスクラップにされちまう。
「いてーな、お前と相部屋なんて、命がいくつあっても足りないぜ、願い下げだ」
美月は、またしてもふくれっ面だ。わけがわからん。
「ほらほら、痴話喧嘩はそこまでだ。行くぞ」
だから、痴話喧嘩じゃないって。たのむから、これ以上美月をあおらないでくれ。とばっちりは全部俺のところに来るんだから。
俺たちは、船長に一礼してから、デイブについてブリッジを出た。美月は、ふくれっ面で黙ったままだ。こいつが何も喋らないとかえって気持ちが悪いのだが。
「部屋はひとつ下のレベルだ。リフトで降りるぞ」
デイブがそう言うなり、美月が何も言わずにリフトに先に入る。何か怒ってるっぽいのだが、俺にはわけがわからん。次にデイブ、そして俺がリフトに入り、下のフロアに降下する。
ちなみに、このリフトもインターフェイス経由で行き先が指定できる。視覚アウトバンドを使って投射された行き先表示を手でなぞるジェスチャーをリフトが読み取っているのだ。アウトバンドインターフェイスによる操作は、このようにジェスチャーを使って行う事が多い。一種の仮想現実なのだが、必要に応じて触感や操作感がフィードバックされてくるから本当にそこに操作パネルがあるように感じる。リフトのような単純な操作では、まったく問題ないのだが、宇宙機の操縦のように情報量が多い用途では、アウトバンドとジェスチャーによる入力には限界があるから、通常はDIが使われるわけだ。
「それじゃ、この部屋と隣を使ってくれ。ステーション到着前には起こしてやるから、しばらく眠るといい」
「ありがとうございます。そうしてもらえると助かります」
俺がそう言っている間に、美月は黙って部屋に入ってしまう。
「おいおい、お嬢さん、なにやらご機嫌斜めじゃないか。あとでちゃんと謝っておいたほうがいいぞ。じゃ、また後でな」
デイブはそう言うと、さっさと歩いて行ってしまった。謝るって、俺は何か悪い事をしたのか。そもそも、あいつが意味不明な事を言い出すから、おかしな事になったんだろう。あー、もうわけわからん。とりあえず寝よう。
◇
俺は隣の部屋に入ると、ベッドに体を投げ出した。見回すと、かなり広い部屋だ。バスルームもある。しかし、なんとなく、がらんとした感じで、あまり生活感がない。たぶん、船乗りたちは、あれこれ家具を持ち込んだりして、自分の空間を作っているのだろうが、ここは空き部屋だ。誰かが使っていた事はあるのだろうか、それともこの船が就航してから、ずっと空いたままだったのだろうか。そう考えると、自分の周りの空間が、なにやら寒々とした感じになる。実際にちょっと寒気もするが、たぶん疲れているんだろう、寝よう。
部屋の明かりを暗くすると、体がふわっと軽くなる。それと同時に、柔らかく抱きかかえられたような感覚がして、体がベッドに軽く固定される。これも重力制御と空間粘性制御の組み合わせだ。もともと宇宙空間には重力がない。人工重力を通常の半分程度に弱めて、少し体の動きに抵抗を加える事で、リラックスして眠れる環境を作るわけだ。
しかし、なんて一日だ。たかだか十数時間の間に、他の奴なら一生に一度あるかどうかわからないような事が、いったい何回起きたんだ。人生初の宇宙フライトでの遭難にはじまり、宇宙機の操縦、しかも、アクロバット飛行を何度もやって、死ぬ覚悟も決めて、今は、巨大な恒星間貨物船に乗っている。いや、それよりも、あの美月と出会った事だ。昨日まで会った事もなかった女子に、守ってやるとか言って、キスしかけて・・・。そう思うと、なんとなく甘酸っぱい記憶がよみがえってきた。美月は今何を考えているんだろう。俺と同じように、今日の出来事を思い出しているんだろうか。あいつは今どんな気持ちでいるんだろう。俺と同じように・・・、同じように?・・俺はいつしか眠りに落ちていった。
◇
そのころ美月はと言えば、部屋でシャワーを浴びていた。華奢な白い体の線が湯気にかすんでいる。髪留めをほどいた金色の髪が背中の中程まで降りて、シャワーの滴がそれを伝って落ちる。やがてシャワーを終わって、白いバスローブに着替えた美月は、部屋の明かりを消すと、壁のモニターをオンにした。壁一面に大きく地球が映し出される。これは外の景色だ。もう夜側に回り込んだこの船から見えるのは、地上の都会が放つ光の模様である。美月は、そのまま部屋の人工重力をオフにした。ゆっくりと体が中に浮かんでいく。まるで宇宙遊泳をしているような錯覚に陥る景色だ。まるで白い衣をまとった天使が星空に浮かんでいるような光景。そして、これは宇宙で最も贅沢な眠り方のひとつである。適度に気温がコントロールされた部屋。コンピュータは美月の位置をモニターしながら、周囲の物にぶつからないように、やんわりと制御してくれる。目を閉じると自分が何もない空間に浮かんでいる感じがする。美月はこの感覚が好きだった。そして、この一日の事を思い出している。いろんな事がありすぎて、その細部までは思い出せない。でも、そのすべての記憶の中で、ケンジが大きな場所を占めていた。そんな感情を抱いたのは美月にとっては初めて。彼女は明らかにとまどっていた。本当は死ぬほど眠いのだけれど、なかなか寝付けない。そんな、もどかしい夜を彼女は過ごしていたのである。
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