第4話 漂流

これは年貢の納め時か、と思った時だった。視野にグリーンのゲージが戻ってきた。加速磁場だ。復旧したのか。


「・・34便、聞こえるか。なんとか磁場を復旧させた。あとはこっちで軌道に乗せてやる」

「こちら34便、ありがたい。こっちは燃料切れだ」


ふぅ、ぎりぎりだ。運命の女神は我々を見捨てなかったようだ。とりあえず軌道に乗ってしまえば、少し時間が稼げる。


「34便、トランスファー軌道投入を確認。やったな」

「ステーションCコントロール。支援を感謝する。おかげで助かった」

「34便、まだ静止軌道入りが残っているが、幸運を祈る。そちらの誘導は、セクター5Mから6Hに順次引き継ぐので、コンタクトしてくれ。まだ、磁気嵐の影響が残っているので、セーフモードに落としたほうがいいだろう。こちらも、これで一旦システムをシャットダウンする」

「ステーションC、こちら34便。ありがとう」


危機一髪なんてもんじゃないな。命からがらってところだ。しかし、よくこんな荒技の連続が成功したものだ。


「お疲れ。一旦DIを切って、セーフモードに移行しよう。乗客にアナウンスを」

「わかった。じゃ、BDIを切るわね」


美月がそういった直後に、サラウンドビューが解除され、アウトバンドモードの視界にかわった。システムが順次シャットダウンされ、セーフモードに切り替わる。体の重さが急になくなって、ふわっと浮く感じだ。美月と手をつないで宙に浮いた感じである。


「あんた、いつまで手を握ってるのよ」


おっと、忘れてた。BDIが切れたら手を握ってなくてもいいんだったか。幸い、今度は変態呼ばわりは、なしのようだが。


「ありがとう。美月のおかげだ」


俺は、もう一度、手を握りなおすと、それからそっと手を離した。なんとなく、手を離すときに、寂しい感じがしたが、それは敢えて言わないことにしよう。同じ事を考えているのは美月の表情を見ればわかるから。


「な、なによ、そんな顔で見ないでよね。この変態っ!」


なんだ、やっぱり変態呼ばわりかよ。でもまぁ、これは美月にとっては挨拶みたいなものかもしれないな。さて、それはそうと、これからどうしたものか。ガス欠だしな。


「管制に連絡を入れよう。このあとどうするか・・。タグボートを出してもらえればいいんだが。それも磁気嵐次第か」


「そうね。トランスファー軌道で最初のタイミングを逃すと、あと十数時間は静止軌道に入れない。負傷者が危ないわね」


そうだ。今、この宇宙機は静止軌道の高さに向かってどんどん昇っている。あまり時間がない。静止軌道に移行できなければ、もう一度降りて地球を一周してくる事になるからだ。低軌道にくらべると一周する時間はかなり長くなるから、美月の言うとおり時間が足りなくなる可能性がある。


「セクター5Mコントロール、こちらシャトル34便、支援を請う」

「シャトル34便、こちらセクター5Mコントロール。連絡は受けている。状況を説明してくれ」


「こちら34便、当機は現在トランスファー軌道にあるが、軌道投入の際に燃料を使い切った状態だ。自力での静止軌道移行はできない。タグボートの出動を要請したい。なお、機内には負傷者がいる。医師の話では、できるだけ早く治療を行いたいとのことだ。およそ20時間を過ぎると後遺症が残る可能性がある。つまり、最初のチャンスで静止軌道に移行するか、もしくは負傷者だけでもレスキューしてもらう必要がある。状況は以上だ」


「34便、セクター5Mコントロール、了解した。管轄のセクター6Hに連絡して、手配を要請してみよう。磁気嵐の影響次第になるとは思うが、出来るだけの事はする。こちらの追尾では、軌道周期は約11時間、最初のアポジー到達は、約5時間後の予定だ。そういう意味ではあと1回チャンスはあるが、その後のステーションまでの移動時間を考えるとリスクが大きい。できるだけ、最初のタイミングで救援できるように調整する。なお、追ってこちらが計測した軌道パラメータを送る。以上だ」


「こちら34便、了解した。よろしくたのむ」


通常、高度数百Km以下の低軌道から静止軌道、つまり赤道上空約3万6千Kmで、周期が24時間、軌道傾斜角0度の円軌道に入るには、遠地点がおよそ3万6千Kmの楕円軌道であるトランスファー軌道に一旦入り、遠地点、これを専門用語でアポジーと呼ぶのだが、つまり最も高度が高い位置でエンジンを使って、さらに円軌道に近いドリフト軌道と呼ばれる軌道に入る。この軌道は静止軌道に対して上下のいずれかに少しずれた軌道で、静止軌道に対して僅かに速度差を持つため、それを利用して目的地の静止軌道ステーションに、ゆっくりと接近する。最後に、微調整で静止軌道に入り、ステーション到着となるわけだ。しかし、今の状態では、このドリフト軌道への移行がまずできない。そこで、牽引ビームを装備したタグボートを使って、ドリフト軌道に乗せてもらい、ステーションまで曳航してもらう事になる。そのためには、きっちり遠地点でランデブーする必要がある。近くのステーションからランデブー地点まで、タグボートが時間までに移動できるかどうかが勝負だ。加速ステーションなどと同様に牽引ビームも一種の指向性磁場であり、磁気嵐の影響を受けてしまう。ランデブーができても磁気嵐がおさまっていなければ使えない。今の状況でこの条件をすべて揃えるには、かなりの幸運が必要だろう。


「ぎりぎりね。5時間後にランデブーするなら、すぐにタグボートを出さないと間に合わないわ」

「そうだな、この軌道だと第6ステーションからは少し遠い。それに軌道傾斜角も少し大きいから、ドリフト軌道への軌道変更には少し時間がかかるだろう。まぁ、この軌道に入れただけでも奇跡的だから、贅沢は言えないけどな」


つまり、ここは磁気嵐がおさまってくれることを、お天道様に祈るしかないってわけだ。俺はコクピットのスクリーンに映った地球に目をやった。さっきまで、スクリーンを埋め尽くしていた地球の端が少し見え始めている。高度がどんどん上がっているのだ。静止軌道の高さになれば、丸い地球の全域が見えるようになる。気象衛星でもおなじみのあの絵だ。


「シャトル34便、聞こえるか。第6ステーションから、救援用のタグボートが出発した。なんとか間に合いそうだ」

「こちら34便、了解だ。あとは、磁気嵐だが、状況を教えてくれ」

「34便、L1での観測では、太陽風は多少収まりつつあるが、内部惑星軌道面からのデータでは、あと2回ほど、大きいのが来そうだ。地球磁気圏への到達予想時間は、約2時間半後と約6時間後、ただ太陽風の測定精度の問題から、最大でプラスマイナス40分程度の誤差が予想される。かなりきわどいな。L1でのデータがまもなく得られると思うから、逐次、状況は知らせる。以上だ」

「こちら34便、了解だ。引き続き支援をたのむ。以上だ」


さて、まだまだ山場はありそうだ。これから5時間、気が抜けないな。タグボートとのランデブー後、軌道変更には少なくとも10分程度は必要だ。その途中に磁気嵐にやられたら、それこそ、めちゃくちゃな軌道に放り込まれて宇宙の迷子になりかねない。もう、自力で軌道修正するための燃料もないのだから。軌道変更開始の判断はかなりきわどいものになりそうだ。


「まだまだ楽はさせてもらえないわね。あんた、日頃の行いを悔い改めた方がいいわよ」

「いや、それはお前もだろ」

「うるさいわね。あんたに言われたくないわ」


ま、どちらでもいい。結果、こうなっているわけだし、一蓮托生になっているという事は、どちらも今のところ神様うけはあまりよくないに違いない。


「さて、ランデブーに備えて、システムチェックをしておこう。こちらが受け身とはいえ、データリンクがきちんとできないと、むこうも作業が難しくなる」

「そうね。まだ少し時間がありそうだから、フライトコンピュータを再起動して自己診断モードにする。必要な機能をひととおりチェックしておくわ」

「たのむよ。俺はまたちょっとキャビンを覗いてくる。最悪のケースを考えて負傷者のレスキュー方法をクルーやドクターと相談してみるから」

「わかった、お願い」


俺は操縦室を出て、キャビンへと向かった。クルーや乗客に現状を簡単に説明し、とりあえずの危機は脱した事と、最後のステップがまだ残っており、かなり難易度の高い作業になるであろう事、それから最悪、軌道変更中止の判断をした場合に、負傷者のレスキューを優先する事などを伝えた。


この宇宙機には非常脱出カプセルが備えられている。ただ、これは乗客全員が避難できるようなものではなく、今回のような負傷者や急病人発生の際の救助用だ。負傷者やドクターを含めて5名ほどしか乗れない上、生命維持に必要な環境調整もそれほど長時間できるわけではない。今回は、症状の重さを考えたドクターたちの意見で、機長と副操縦士、それから倒れたアテンダントを優先することにした。最悪のケースに備え、3名の負傷者とドクター1名が、ランデブー1時間前に脱出カプセルに移動して待機する。軌道変更中止判断の場合は、速やかにカプセルを放出し、タグボートに回収してもらう手はずだ。磁気嵐の中でも、脱出カプセル程度の大きさならば、物理的な手段で回収は可能だ。


「どう?、そっちは」


操縦室に戻った俺に美月が聞く。


「とりあえず、レスキューの準備だけはしておくことにした。その事を連絡しておこう。そっちはどうだ」

「今やってる。使える電力が限られているから、全システムのチェックにはあと1時間ちょっとかかるわ。最初の磁気嵐が来るまでには終わると思う」

「そうか、大きな異常がないといいんだが」


俺は、管制と連絡を取り、軌道変更開始ができない場合は、負傷者救出を優先することを伝えた。それから、美月と情報共有モードにしてフライトコンピュータの自己診断の状況を見守ることにする。


「とりあえず、順調ね。いまのところ大きな問題は見つかってないわ」

「そうだな、このまま終わって欲しいもんだが。」

「シャトル34便、聞こえるか、こちらセクター5Mコントロール」

「こちら34便、聞こえている」

「34便、L1観測衛星からのデータが入った。最初の一波が既に到達しつつある。詳細はまだ解析中だが、少し太陽風の速度が速い。第一波の地球磁気圏への到達予想は、約50分後、誤差はプラスマイナス15分だ。準備は早めにすませておけ」

「34便、了解した」

「なんとか終わりそうか、美月」

「たぶん、もうあと30分もあれば・・。ちょっとぎりぎりだけど」

「無理はするな。まだ時間はある。磁気嵐をやり過ごしたあとでもう一度やってもいいから」

「わかってるわ」


                   ◇


さて、非情なるお天道様は、まだ俺たちをじわじわと追い詰めるつもりらしい。第一波はいいとして、そのあとの第二波の状況次第では、軌道変更中止に追い込まれる可能性もある。その場合は、負傷者を送り出してから、地球をもうひと周りする事になる。さらに11時間ほど宇宙をただようわけだ。燃料を失った現在、機内の電力には限りがある。空気も心配だ。そういう意味でもあと一周が限度だろう。どうにか、ここでなんとかしたいところだが。


時間が刻々と過ぎていく。フライトコンピュータ自己診断プログラムの進行ゲージの進み方が遅く感じてしまうのは、気持ちの焦りのせいだろうか。あと僅かなのだが。


「もう少しよ。最終チェックシーケンスに入った。まだ時間は大丈夫よね」

「ああ、予想に誤差を入れてもあと5分以上はある」


予想が正しければ、なのだが。それにしても、あまり余裕はない。なんとなく、時間が凍りついてしまったようだ。


「やった、終わった。特に問題はないわ」

「よかった、じゃ、すぐに・・・」

「?」


その時、操縦室の照明がまたたいた。次の瞬間、美月が短い悲鳴を上げる。そして、俺も目の前が一瞬、真っ白になった。正気に戻った時にはもう、操縦室の中は薄暗くなっていて、最低限の計器表示だけが赤く点滅している。何が起きたかは明らかだ。またしても、磁気嵐をまともに食らったわけだ。


「美月、大丈夫か! 美月、返事をしろ」


美月はDIを使っていたはずだ。間接的に俺が受けた衝撃から見て、かなり大きなショックを受けたに違いない。なんてこった、あと少しだったのに。


「う、・・・痛ったぁ~」

「よかった、大丈夫か美月」

「大丈夫なわけないじゃない。死ぬかと思ったわよ。安全装置がなきゃ、いまごろあの世行きだったわ。でも、このDIユニットはもう使えない。安全装置が壊れちゃった」

「いずれにせよ、お前が無事でよかったよ」


俺のアウトバンドは生きてるようだが、それを介して見た状況はといえば、かなりの重症だ。


「フライトコンピュータのメモリバンクがやられてるな。データが全部吹っ飛んでる」

「そうね、シャットダウンしようとした矢先だったから。本体はどう?」

「本体はかろうじて生きてるみたいだ。でも、制御用のプログラムがいくつか壊れている。リロードはできそうだが、もう少し磁気嵐がおさまるまでは起動できないな」


「他のシステムはどう?」

「他は大丈夫そうだ。ほとんどスタンバイ状態だったからな」


美月もアウトバンド用グラスを取ってリンクしてきた。リンクが多少不安定なのは、まだショックが残っているからだろう。


「おい、無理すんなよ。ちょっと休め、ここは俺がやるから」

「大丈夫よ。それにあんたに任せたんじゃ不安だわ」


まったく、気の強いお嬢さんだ。さておき、とりあえずフライトコンピュータがないと、ランデブー時にタグボートとのデータリンクが出来ない。こちらのパラメータを直接読めないとタグボート側の制御がうまく出来ない可能性がある。できれば、こちらのスラスターも連動させたい。あと2時間ほどでなんとか最低限のデータをやりとり出来るところまで復旧させないといけないのだが、磁気嵐がもう少しおさまらないと、危なくて作業ができない。まずは、現状をもう少し確認しよう。


「軌道パラメータ送出系は大丈夫だな。でも、操縦制御系がかなりやられてる」

「少なくとも磁気シンクロ制御はないと辛いわね」

「スラスター制御系もできれば復旧したいな」

「プログラムのバックアップはあるから、一旦全部クリアしてから、最小限のプログラムをリロードするしかないわね」

「データはどうする。軌道パラメータの補正データなんかも全部消えてるぞ」

「誤差が出るかもしれないけど、地上管制でモニターしてる軌道情報を使って補正できないかな?」

「そうだな。もうしばらくだけ様子を見て、磁気嵐が下火になりそうだったらすぐに始めよう。ちょっとキャビンに状況を説明してくるから、美月は準備をたのむ」

「わかったわ」


さて、あまり時間はない。俺はキャビンに行き、今起きている問題を説明し、それから操縦室に戻って、通信をチェックする。


「セクター5Mコントロール、こちら34便、聞こえるか」


しかし、応答はない。通信機も故障したのか。だとしたら、ランデブーも難しくなる。もう一度・・・。


「セクター5Mコントロール、こちら34便、応答してくれ」


だが、通信機は沈黙している。やはり故障だろうか、そう思った時に、通信が飛び込んできた。


「シャトル34便、こちらはセクター6Hコントロール。聞こえるか」

「セクター6H、こちらは34便、聞こえている」

「34便、そちらは、既にこちらの領域に入っている。今後の通信はこちらが引き継ぐ。5Mから通信途絶と聞いていたから心配したぞ。状況はどうだ?」


「こちら34便、状況はよくない。磁気嵐のため、フライトコンピュータのメモリバンクがやられた。現在、最小限のプログラムを復旧させる準備中だ。軌道パラメータの補正データが失われたので、復旧後、そちらのデータで補正したい」


「34便了解した。磁気嵐の影響は一旦収まりつつあるが、もうひとつ大きなのが来る。現在、こちらでも精密な予測を行っているところだ。早めに準備をすませておいたほうがいいだろう。座標補正の準備が出来たら教えてくれ。なお、このチャンネルは状態があまりよくない。チャンネル593Cに切り替えてくれ。こちらは惑星間航路用の非常チャンネルだが、状態がいいのでランデブーの連絡用に開けてある。以上だ」


「こちら34便、了解した。チャンネル593Cに切り替えて、準備ができ次第連絡する。以上」


さて、そろそろいいだろう。作業を開始するとしよう。


「美月、準備はどうだ?」

「OKよ、いつでもいいわ」

「よし、それじゃフライトコンピュータをメンテナンスモードで再起動しよう。それからプログラムの再ロードだ」

「わかったわ。再起動開始・・・・。メンテナンスモードで起動確認、破損プログラムの削除を開始・・・」


美月はなかなか手際がいい。複雑な復旧手順を流れるように進めていく。プログラムの再ロードには少し時間がかかるので、必要なプログラムのロードを指示したら、しばらくは待つしかない。


「とりあえず、これでいいわ。あとは待つだけ」

「お疲れさん。再ロードが完了したら、管制とリンクさせて座標補正をやろう」

「ねぇ、ケンジ」

「なんだ?」

「あたしね、正直言うと、ちょっと親を恨んでたのよ」

「どうしてだよ。他の奴らが持ってないコンポーネントをいっぱいくれた親だろ?」

「それが困りものだって言ったじゃない。あんな感じで情報の洪水。私の処理能力を完全に超えてるわ。うっかり情報共有しようものなら、相手までパニックにしちゃうから、これまでずっと一人でなんでもやってきた。今はもう慣れちゃったけど、子供のころは寂しかった。他の子とつながって遊ぶ事もできないんだから」

「でも、今はこうやって使いこなしてるじゃないか。上出来だろ」

「今はね。それが不思議なのよ。あんたが情報を整理してくれたおかげで、状況をものすごくよく見渡せるようになってる。それに、やろうとすること全部を、何度もやっているような感じがする。実際は初めてなのにね」

「それは、いや、俺も実は同じ感じだった。不思議だけど、なんかこう、答えを求めると自然に答えが浮かんでくるみたいな」

「そう、それよ。あんたも感じてたんだ。なんだろう、これって」

「そういえば、俺は試験の時も同じだった。」

「え、試験って附属高の入試の事?」

「そう。でもまぁ、俺は本試験の時に、風邪薬のせいでインターフェイスがおかしくなって、再試で補欠合格・・・・だけどな」

「え、あんたも再試組なの?」

「あんたも、って美月もなのか?」

「そうよ。入試の時って、試験についての情報は受験生全員で共有するじゃない。私がいると、受験生の中には影響を受けて混乱する子がいるらしいのよ。だから、最初から再試組」

「そっか。でも、再試だって同じじゃないのか?」

「そうよ。でも、再試は少人数だし、私と特に相性が悪い子のパターンはだいたいわかってるらしいから、組み合わせを調整したらしいわ」

「そういえば、試験官の教師が、しきりと異常がないか気にしてたな」

「そう、パターンがわかってるとはいえ、何か起きたら困るからね。だから、ここでも、私は疫病神扱い確定ってわけ」


美月は、ちょっと寂しそうに首を振って見せた。確かに、そういうのは辛いわな。でも、まてよ・・・。


「なぁ、美月。お前、試験の時はどうだった」

「どうって、普通よ。まぁ、あの程度の問題、私にとっては軽いものだから。それに、試験システムによって、情報の流量が制限されてたみたいだったから、情報の洪水にもならなくてすんだしね。で、あんたはどうだったの?」

「俺は・・、そう不思議と今みたいな感じで、なんか火事場の馬鹿力みたいなのがあって、普段ならうまく解けないような問題が、スラスラと・・・」

「えー、あんた、あんな問題に、普段は苦労してるわけ」


おっと、ここで突っ込んでくるのかよ。こいつは。


「まぁな。俺はお前みたいな優等生じゃないし」

「はぁ、やっぱバカよね、あんたは。あの程度の問題で苦労してたら、これから先が大変よ。一気に難易度が上がるんだから」


おいおい、ほっといてくれないか。たしかに不安がないわけじゃないが、それを人に言われると、少々気分が悪い。しかし、やっぱり俺の思いすごしか。こいつには、もともとどうってことない試験だったわけだしな。


「どうせ俺はバカだよ」

「やっぱりケンジよね。死ぬほど努力しなさい。少しくらいは助けてあげるから」


いやいや、有り難いお言葉である。しかし、要するにそれは、今後、俺を下僕化する、という事に等しいと思うのは気のせいだろうか。



「ロード完了よ」

「よし、データ初期化を確認。プログラム動作チェック・・・・。いいみたいだな。それじゃ、軌道データの補正をたのもう」


俺は、管制に連絡を入れた。管制が追跡している軌道データとコンピュータをリンクさせ、こちら側の軌道データを補正するわけだ。測位衛星と慣性航法を使った軌道計測では多少の誤差が出る。しかも、その誤差は一様ではなく、宇宙機の軌道上の位置や速度、測位衛星との関係によって変化する。そのため、計算には補正関数が組み込まれているが、そのパラメータを決めるためには、一定時間、計測値と正しい値の差分を読み込ませる必要がある。


「5,6分ってとこかしらね。ぎりぎりだけど」

「そうだな。それくらいあればいけるだろう」


その時、いきなり通信が入ってきた。


「シャトル34便、こちら、イーグル・フォー、第6ステーションのタグボートだ。聞こえるか」

「イーグル・フォー、こちら34便。受信状態は良好だ」

「34便、ランデブーまであと10分だが、準備はどうだ」

「こちら34便、現在、フライトコンピュータを再起動してデータの補正作業中だ。ぎりぎりになるが、ランデブーの3、4分前までには終了するだろう」

「34便、こちらイーグル・フォー、こちらはデータリンクの準備ができている。補正が終わり次第、リンクしてくれ。あまり時間がない。磁気嵐が迫っているからな」

「イーグル・フォー、こちら34便、了解した」


ナビゲーションマップの端に、タグボートの位置を示すマークが現れた。少しずつ、それは接近してくる。横に表示されている数字は距離とランデブーまでの時間だ。既に9分台になっている。ランデブーから牽引開始、軌道変更完了までには、うまくいって、さらに10分程度必要だ。その間にまた磁気嵐を食らったら、今度こそ終わりになるかもしれない。


「美月、脱出カプセルの準備は?」

「大丈夫、全員搭乗して待機中よ」

「最悪、中止もしくは失敗なら、その時点でカプセルを切り離そう」

「わかったわ。それじゃランデブー1分前にセーフティロックを解除する」

「たのむ」


                   ◇


刻々とランデブー時刻が迫ってくる。データ補正はまだ進行中だ。おそらくは、磁気嵐の影響で管制の追跡データにも揺らぎが出ているのだろう。もう少しかかるかもしれない。どこかで見切るしかないかもしれないな。


「最悪、1分前で補正が終わらなければ、そこまでの状態で中断してデータリンクを開始しよう」

「そうね。あとは引っ張るほうで補正してもらうしかないか」


軌道パラメータが狂っている場合、それによる誤差を補正しながら牽引をかければ、牽引時間はかなり延びるだろう。誤差の影響を抑えるために、あまり加速度を大きくできないからだ。そうなると、もう一つのリスク、つまり磁気嵐で牽引が失敗するというリスクが大きくなる。できれば、なんとか補正が終わって欲しいのだが・・・・。


「ケンジ、1分30秒前よ。どうする?」

「1分前で、補正中断。データリンクを開始して牽引準備に入ろう」

「了解よ。・・・あと15秒」

「10秒、9,8・・・・2、1、1分前」

「補正中止、データリンク開始」

「脱出カプセル、セーフティロック解除」

「イーグル・フォー、こちら34便。データリンク開始。軌道パラメータ補正がまだ終了していない。パラメータには誤差が含まれている可能性があるので、そちらで補正できるか?」

「こちらイーグル・フォー、難しい注文だが、なんとかやってみる。牽引時間はあまり延ばしたくないが、いたしかたない。ステーションからの連絡では、磁気嵐到達はこれから15分プラスマイナス2分とのことだ。最悪のケースは覚悟してくれ」

「こちら34便、よろしくたのむ。最悪の場合、こちらは負傷者を乗せた脱出カプセルを切り離す。そちらで回収をたのむ。以上だ」

「こちらイーグル・フォー、了解した」


さて、またしてもショータイム、だが今回は、こちらが出来る事はあまりない。運を天に任せるだけだ。


「データリンク完了。フライトコンピュータ、イーグル・フォーとシンクロ。牽引シーケンス自動カウントダウン開始」

「美月、もし失敗した時は、カプセルを切り離してから、すぐにセーフティモードに落とすぞ」

「縁起でも無い事言わないでよね、バカケンジ。でも・・・、準備はできてるわ」


スクリーンにタグボートの姿が、だんだん大きくなってくる。牽引ビーム放射用の2本のアームが翼のように見えるのが、船の名前の由来なのだろう。それほど大きな船ではないが、短時間なら巨大な恒星間宇宙船でも牽引するパワーを持つ船だ。


「こちらイーグル・フォー、牽引を開始する」

「イーグル・フォー、こちら34便、牽引ビーム確認、自動シンクロ開始」


視野の中に、イーグル・フォーから送られてくるガイドマップ情報が表示されている。目標軌道への偏差が黄色表示で小刻みに増減しているのは、おそらく誤差のためだ。この誤差が大きくならないように補正しながら牽引しているから、完了予想時間の表示は10分台から、11分台へと少し増えた。これが速く減少に向かってくれないと、困った事になる。


「てこずってるみたいね」

「そうだな、予想時間があと1分延びると危険範囲にかかってしまう。なんとか、頑張ってくれ。たのむから」


どうやらイーグル・フォーのパイロットはかなりの腕らしい。やがて、偏差表示がグリーンに変わり、完了予想時間が減少に転じた。宇宙機のスラスターも同期して小刻みに軌道を調整しはじめた。


「34便、こちらイーグル・フォー。てこずったが、どうにか補正完了した。なんとか間に合いそうだ。軌道変更が完了したら、磁気嵐に備えて、すぐに一旦データリンクを切る。そちらもセーフティモードに移行してくれ」

「イーグル・フォー、こちら34便。了解した。感謝する」


よかった。ぎりぎり間に合ったようだ。まだ、安心はできないが、最悪の状況は回避できそうだ。


「とりあえず、一安心ね」

「ああ、でも、まだ油断はするなよ。最悪の事態は常に頭においておかないとな」

「そうよね。あんたは日頃の行い悪いからね」

「ああ、お互い様だがな」

「あら、私は品行方正。あんたの悪行も打ち消すくらいにね。感謝なさい」


おいおい、またそんな事を。だいたい、これまでも、お前がそういう事を言うと、ロクなことが・・・。


「まだ、あんまり、そういう事は言わない方が・・・」


と、俺がいいかけた時だった。一瞬、ぐらっと機体が揺れた。そのあと、これまでグリーンだったいくつかの表示が黄色や赤に点滅し始める。だから言わんこっちゃないが、残念ながら神様は俺よりも反応が速いようだ。


「34便、聞こえるか、磁気嵐の前兆が出てきた。地磁気の変動が予想より大きい。もう一度補正をやり直す必要がありそうだ」

「イーグル・フォー、了解した。状況はあまりよくなさそうだが、そちらにお願いするしかない。よろしくたのむ」


さておき、もう一度、最悪の事態は想定しておいたほうが良さそうだ。


「美月、たぶん時間があまりない。脱出カプセルの準備はしておいてくれ」

「わかったわ」

「脱出カプセル、聞こえるか。かなり微妙な状況になっている。射出の衝撃に備えておいてくれ」

「こちら、脱出カプセルだ。了解した。幸運を祈るよ」


今度ばかりは、さすがの腕利きも苦労しているようだ。タグボートの牽引ビームは、指向性磁場の一種だが、パワーに余裕がある加速ステーションやスペースポートのそれとは違って、かなり細く絞ってエネルギーを集中させる必要がある。だから、周囲の環境の影響も受けやすい。磁気嵐の本体が来る前の比較的小さな変動が、悪影響をもたらす可能性も高い。これは、不運、というよりも、これまでが幸運すぎたのかもしれないが。


「どうしてよ、あと少しなのに。いつもこうだわ。期待だけ持たされて、最後に打ち砕かれる。もう、こんな・・・・」

「落ちつけ、美月」

「どうしたら落ち着いていられるっての? だって、だって・・・・」


美月は、もう半泣きになっている。ここでパニックになっちゃまずい。俺は美月の腕をつかんだ、そしてもう一方の手で、彼女の手を握りしめる。


「美月、ここが正念場なんだ。俺たちはあきらめない。何があってもな。お前は俺が守ってやる、だから、信じろ」


今から思い出すと、赤面するような台詞だが、このときは素直に口から出たような気がする。美月は、はっとして、俺の目を見る。少し赤面し、しばらく沈黙があって・・。


「ごめん、悔しくて・・・。でも、そうだよね。今は・・・。ありがとう」


美月は、深呼吸すると、真顔になって言う。


「まずは、祈るだけね」

「そうだな、最悪のケースで何ができるかも考えておこう」


しかし、どう考えても状況はまずそうだ。軌道はまだぜんぜん安定しない。それどころか、偏差がどんどん大きくなっていく。このままでは、タグボートも巻き添えにしてしまいかねない。


「美月、そろそろ覚悟を決めた方が良さそうだな」

「そうね。もう時間がないわ。このままじゃ、タグボートも軌道を外れてしまう」

「いいか、美月」

「いいわケンジ。そうするしかないもの」


つまり、これ以上の犠牲を出さないために、軌道変更作業を中止するということだ。タグボートはまだ自力で軌道に戻れるが、これ以上エネルギーを使い続け、さらに磁気嵐の本体を食らったら、道連れにしてしまう可能性が高い。


「イーグル・フォー、こちら34便だ。これ以上はそちらが危ない。牽引を中止しろ」

「34便、しかし、それじゃどこへ飛んで行くかわからんぞ」

「イーグル・フォー、いや、こちらの状況は、そういう意味ではこれまでと変わらない。これ以上、犠牲は増やしたくない。脱出カプセルを射出するから、回収をたのむ」

「34便、こちらイーグル・フォー、無念だが・・・、了解した。そちらの判断に敬意を表する。カプセルはまかせろ」

「美月、カプセル射出だ」

「了解。ロック解除、コース設定完了、射出」


モニターに、細長い脱出カプセルの姿が映る。それは、次第に、タグボートに近づいていき、やがて回収された。


「34便、こちらイーグル・フォー。カプセルは無事に回収した。こちらは帰投する。捜索の手配は通信が回復したらすぐにかける。待っていてくれ」

「イーグル・フォー、そちらの努力に感謝する。無事の帰還を」

「34便、こちらイーグル・フォー、幸運を。以上だ」


苦渋の決断、というやつだ。だが、こうするしかない事は明らかだ。あとは、本当に運を天に任せるしかないのだが。


「美月、システムをセーフモードに。救難信号を出そう」

「了解。システムをシャットダウン。セーフモードに移行」


表示が一つずつ消えていき、最小限のパラメータ表示だけになる。モニターに映っているタグボートの姿がだんだん遠ざかっていき、やがて見えなくなった。とうとう、我々は宇宙の迷子となってしまったようだ。そして、またザッ、とノイズが襲う。磁気嵐の本体が来たらしい。これで、管制もこちらの軌道を見失ってしまうだろう。捜索がはじまったとして、見つけられるまで、こっちが持つかどうかはかなり微妙だ。エネルギーと酸素消費を出来る限り抑えないといけない。俺は、キャビンに行き、静まりかえった乗客たちに向かって、状況を説明した。こんな生殺しみたいな状況を伝えるのは辛かったが、どうしようもない。皆で祈るしかないのだから。乗客のケアをアテンダントに任せ、俺は操縦室に戻り、操縦席に座ると大きくため息をついた。


「ケンジ、今の軌道がだいたいわかったわ。一周が22時間、軌道傾斜角は赤道に対して18度ほどある」

「そうか、それじゃ、静止軌道からはかなり離れるな。機内の電力と酸素もあと一周くらいが限界かもしれない」

「私たち、どうなるのかな」

「わからない。運良く見つかる事を期待するしかないけど、残念ながら祈るしかなさそうだ」

「ねぇ、ケンジ。あんた、私を守る、って言ってくれたよね」

「ああ、でも、悪い。守れないかもしれないな、これじゃ」

「いいの、それでも。嬉しかったのよ。あれを聞いたときは。だから、最後まで、一緒にいて欲しい」

「いるよ。ここに。お前と一緒にな。ずっと」

「ずっと」

「ずっとだ」


これでもう終わりかもしれない。俺たちはそう思っていた。



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