第3話 アクロバット

さて、そんな感じで、しばし、まったりと時間が流れていったのだが、その平穏は、地上管制からの通信で破られた。


「シャトル34便、聞こえるか。こちらはセクター8Lコントロールだ」

「セクター8L、こちら34便、聞こえている」


ケンジがすかさず応答する。


「いい知らせと悪い知らせだ。現在のところ復旧が最も早そうな加速ステーションは、極軌道ステーションCで、あと30分もあれば稼働できる見込みだ。そちらの軌道だと、ランデブーは2時間後になる。もうひとつは悪い知らせだ。L1の観測衛星が、太陽嵐が強まる兆候を検出している。現在解析中だが、大きいのがくると磁気嵐が発生して、また全部、最初からやりなおしになる可能性が高い。以上だ」

「こちら34便、状況は了解した。たぶん、もう一度きたらこちらはアウトだ。来ない事を祈るしかないが」

「34便、詳細な状況がわかり次第連絡する。こちらも幸運を祈っている」


一難去ってまた一難か。加速ステーションにランデブーして軌道変更できるまえに磁気嵐を食らったらこんどこそおしまいだ。機長たちの手当どころか、軌道を維持するための燃料だって持つかどうか。運を天にまかせるしかなさそうだ。


「厳しいわね。L1で太陽嵐が検知されてから、それが地球の磁気圏にぶつかるまでに、およそ1時間しかないのよ。だから、これから1時間が勝負ね。その間に大きなのが来たら、アウトだわ。ランデブーまでには2時間。それまでに磁気嵐が来れば、加速ステーションはまた再起動しなきゃいけない。次のランデブーだって、いつになるかわからないから」


「そうだな。幸運を祈るしかなさそうだ。」


重苦しい時間が流れる。とりあえず加速ステーションを使ってトランスファー軌道に入ってしまえば、とりあえずシステムをセーフモードにして、磁気嵐をやりすごせる。近地点が低軌道上部、遠地点が静止軌道という長楕円軌道であるトランスファー軌道なら、軌道維持のための燃料も不要だ。だが、もしそれができないと、軌道維持のために使う燃料が底をついて、今度こそ大気圏で燃え尽きる羽目になる。視野内の計器パネルに表示されるランデブーまでの残り時間のカウントダウンがなんとなくゆっくりに感じるのは、そんな気持ちの焦りからなのだろう。もちろん、焦ってもどうしようもないのだが。


「時計の進みが遅く感じない?」

「ああ、そうだな。どんどん遅くなっていくような気がする」


やはり美月も同じ事を感じていたようだ。まぁ、こいつは鉄砲玉みたいだから、こんなまな板の上の鯉みたいな状態は好きじゃないだろうな。俺だって得意じゃないが、下手に焦っても状況がかわるわけじゃない。それどころか、ミスでも犯せば命取りだ。ここは腹をくくるしかなかろう。俺は、目を閉じて深呼吸する。


「あんた、余裕じゃない。ケンジのくせに生意気!」

「はぁ? この期に及んで腹くくるしかないだろうが。それに、なんだよケンジのくせに、ってのは」

「だから、ケンジのくせに、なに余裕かましてるわけ。人生悟っちゃったって感じよね。私は違う、まだやりたい事がいっぱい。こんな所で最後になんか、なりたくない」

「そりゃ、俺だって同じだ。でも、ここで焦ってひとつでもミスったら、それこそ命取りだ。お前も深呼吸でもしろって」

「まったく、生意気だわ。ケンジのくせに・・・」


美月はうつむき加減で言い放つと目を閉じて深呼吸する。


「そうそう。素直でよろしい!」

「バカっ!」


俺のほっぺたに美月のパンチが飛んできた。でも、今は無重力下だ。シートベルトをしているとはいえ、体が不安定な状態で急激な動きをすれば、その反動がくる。俺も美月もバランスを崩しかける。


「いてっ、何すんだよ。危ないだろ」

「うるさいうるさいうるさい!バカ、バカ!!」


まったく凶暴な奴だ。あんまりこいつを刺激しないほうがいいかもしれんな。


「あんた、怖くないの?」

「そりゃ、俺だって怖いさ。この状況で怖くない奴なんていないだろ。でも、それに負けちゃおしまいだ。だから・・・」

「そうね・・ごめん。あんたがいなきゃ、私・・・・」


そう言いかけて、美月は不意に黙り込んでうつむく。


「晴れの入学式を前に、こんな事になるなんてな。ついてないよな、俺たちも。でも、美月がいるおかげで、俺もなんとかなりそうな気がしてる」


美月は俺を見て、ちょっと赤面して小声で言った。


「バカ・・・ケンジのくせに」


どうやら、こいつは、このフレーズを気にいってしまったらしい。困ったものだ。まったく意味不明なんだが。


「シャトル34便、聞こえるか。こちらセクター2Lコントロール」

「セクター2L、こちら34便。聞こえている」

「極軌道ステーションCの準備が完了した。ランデブーまであと1時間20分だ」

「こちら34便、了解した」


あと20分だけ、何も起きないでいてくれれば、なんとかなる。俺は祈るような気持ちだった。


「あと20分の我慢ね。20分だけL1で太陽嵐が検知されなければ・・・」

「そうだな。ここは美月の日ごろの行いにかけるか」

「だったら、大丈夫よ。歩く品行方正の私にまかせなさい!」


いいのか、そんな事を言って・・・・。俺が口に出す前に通信が入る。


「シャトル34便、こちらセクター2Lコントロール。ちょっと悪い知らせだ」


ほら、言わんこっちゃない・・・。おまえが品行方正だったら、世の中の女子はみんな聖女だって。


「こちら34便。どうした、教えてくれ」

「L1の観測衛星が荷電粒子のサージを検出した。かなり大きな太陽嵐だ。約1時間で磁気嵐がくる。極軌道ステーションCとのランデブーは中止せざるをえないが、どうする?」


どうする、と聞かれても困る。つまりは望みを捨てろという事じゃないか。


「こちら34便、ぎりぎり、ステーションを稼働させたとして、あとどれくらい持つ?」

「ステーションをセーフモードにするのに10分はかかるから、あと50分が限界だ。ランデブーまでにはまだ1時間10分かかるから、間に合わない。気の毒だが」


そんな事はわかっている。こっちは、ほかに手がないか考え中だ。考えろ、ケンジ、なにか手があるはずだ。


「ねぇ、ショートカットできないかな?」


美月が言う。しかし、ショートカットっても・・・・、ん、まてよ。そうか。


「やってみるしかなさそうだな」

「セクター2Lコントロール、こちら34便。50分でいい、ステーションを待機させてくれ、それでだめなら仕方がない」

「34便、どうするつもりだ・・・、いや、了解した。幸運を」


そう、向こうだって分かってるさ。たぶんもう駄目だろうって。でも、まだ諦めきれんのだよ、俺たちは。


「美月、セーフモード解除だ。乗客とアテンダントにシートに戻るように言ってくれ」

「わかったわ。セーフモード解除。システム再起動!」


さて、ショートカット、つまりは文字通り近道をしようというわけだ。俺は、フライトコンピュータにいくつかのパラメータを叩き込んだ。結果はすぐ出た。視野上にガイドマップが表示される。軌道変更開始まで30秒、ステーション到達まで40分、加速時間をいれてぎりぎりだ。躊躇している時間はない。


「美月、いくぞ!」

「わかった。ほら、ケンジ」


美月が左手を出す。俺は、それをしっかりと握った。視野がサラウンドビューに切り替わる。


「10秒前、9、8・・・・・、美月、ゼロカウントでエンジン噴射だ!」

「了解、2,1、噴射!」


衝撃があって、ぐっと機体が加速する。さて、俺たちがやろうとしている事、それは文字通りのショートカットである。軌道上で単に加速しても、それは機体を地球から遠ざける事になり、時間は短縮できない。時間を短縮するには一旦軌道を下げないといけないわけだ。しかし、この低軌道でそれは、また大気圏に突っ込む事を意味する。つまり、さっきやった事と同じ、大気上層で飛び石のように跳ねて、また軌道にもどるという離れ業だ。しかも、今度は地上からの指向性磁場の助けはない。なので、ここから加速して勢いよく大気上層ではねてからエンジンをもうひと吹きして軌道にもどる事になる。


「加速完了、エンジン、アイドリング」

「よし、コースに乗った。あとは、大気突入角度を調整して・・・よし!」


これで、大気圏を一瞬通過するまで、運にまかせるしかない。もし、何か不測の事態が起きたらそれで終わりだ。


「ケンジ、ありがとね」


美月が俺をみて言う。だが、礼はうまくいってから言ってくれ。俺は、黙って美月の手を握り返す。機体が小刻みに揺れはじめ、うっすらとしたプラズマに包まれる。大気上層に突入したのだ。あとは、上手く浮き上がってくれれば・・・。


「美月、エンジンスタンバイ」

「了解。スタンバイ。いつでもいいわよ」


どうやらコースは正常、大気圏に沈むでもなく上層をかすめて飛んでいる。そして、ふっと振動が消える。


「よし、出たぞ、カウント10でエンジン噴射を1分だ。カウントダウン開。」

「了解、カウントゼロでエンジン1分ね。 ・・・3,2,1、噴射!」


また加速感があって、軌道が上がっていく、これならなんとかなりそうだが・・・、実は気がかりがひとつ。


「噴射終了まであと10秒・・・3、2、1、停止。エンジン、アイドリング」


ここまでは上出来だ。でも、この先、もうひとつ難関が残っている。


「ケンジ、速度超過じゃないの?」


美月が言う。そうだ、この速度は通常のランデブー速度よりもかなり速い。それだけ、加速ステーションの加速磁場とのシンクロが難しいって事だ。


「そうだ、織り込み済みだけど、この先、もうひと頑張りしないとな」

「そうね。これしか手がないんだから」


加速磁場に乗り損ねたら、何処へ飛んでいくかわからない。だが結果はわかっている。一旦上がってから今度はまた大気圏にまっさかさまだ。


「セクター4Lコントロール、こちら34便、戻ってきた。聞こえるか?」

「34便、こちらセクター4Lコントロール、なんて奴だ。無茶しやがる。機体は無事か?」

「こちら34便、ちょっと揺れたが無事だ。これからがまた大仕事だが。極軌道ステーションCの状況はどうだ?」

「34便、首を長くして待っている。あと5分ほどで通信可能になるはずだ。ぎりぎりだぞ。それに、かなり速度超過だ。大丈夫か? いや、それは愚問だな。幸運を祈る!」


そうさ、愚問中の愚問だ。こっちはやるしかないんだからな。


「了解。なんとかやってみる」


アタカマの指向性磁場もそうだったが、今度はさらに難易度が高い。幸いにも、フライトコンピュータの助けがあるが、そもそも、こんな軌道は設計の想定外だから、何が起きるかわからないってのが、正直なところだ。


「大丈夫、できるわ。きっと」

「そうだな。できるさ。俺たちなら」


もう何年も組んでる相方、そんな気がしてきた。本当にこいつとだったらできそうだ。さて、そろそろショータイムだが。


「ステーションCアプローチ、こちら34便。聞こえるか」

「こちら極軌道加速ステーションC、待ってたぞ、34便」

「こちら34便、わかっていると思うが、こちらの速度はかなり速い。そちらのアシストが必要だ」

「34便、了解している。できるだけの事はするが、後はそっちの腕任せだ。磁場の調整は30%が限界だ。しかも、今の軌道からトランスファー軌道への遷移は、かなり余裕が少ない。そちらのエンジンを併用する必要がある」

「了解、燃料が心もとないが、やってみる」


さて、そうは言ったが、実際のところ、静止軌道への遷移を考えると、使える燃料はもうほとんどない。いちかばちかだが。


「燃料、厳しいわね」

「でも、まずはこの軌道から抜けないことにはな。先の事はそれから考えよう」

「そういうとこがケンジなのよね。まぁ、今回は私も同意せざるを得ないけど」


おいおい、今度のケンジはどういう意味だ。そんなに活用形が多いのか、俺の名前は。と、そんな事を言っている場合じゃないが。


「34便、こちらの準備は完了した。ガイドマップを送る」

「34便、了解した。ガイドマップ受信した」


視野に、ガイドマップの軌道が表示される。見ただけで難しそうな軌道だ。


「美月、フライトコンピュータをセットしよう」

「了解、ガイドマップ情報に同調」

「もしかしたら、コンピュータの安全設計限界を超えるかもしれない。そのときはマニュアルオーバライドが必要だ。注意していてくれ。俺はコースを見るから、そっちはエンジン出力の調整をたのむ」

「わかったわ」

「よし、あと3分」


さて、これ以上、何も起きないでくれ、と祈らざるをえない。だが、そういう時に限って問題は起きるのが常で。


「シャトル34便、ちょっと悪い知らせだ」


そらきた、またか。今度はなんだ。


「こちら34便、あまり聞きたくはないが、どういう事だ?」

「そろそろ磁気嵐の兆候が出始めた。予想より、少し早い。加速には5分ほど必要だが、磁気嵐によって安全装置が作動した場合、途中で加速が止まる可能性がある。悪く思わんでくれ、こちらも限界までやってみる」

「了解した。よろしくたのむ」

「幸運を祈る」

「ありがとう」


さて、どこまでも運命は俺たちに試練を突き付けたいらしい。といっても、もう既に逆戻りはできないところまで追い込まれている。


「あんた、どこまで日頃の行い悪いのよ」


こいつ、自分の事を棚に上げて、よく言うぜ。


「それはお互い様だろ」

「今回の不運はきっと全部、あんたのせいにちがいないわ。でも、私がいるから大丈夫。任せなさい」


おいおい、さっきもそんな事を言った直後に問題が起きたんだ。やめてくれよな。


「では、幸運の女神様にお願いするとしましょうか」

「バカ、ケンジのくせに」


やれやれ、言うに困るとこのフレーズだ。完全にこいつの辞書には俺の名前がロクでもない意味で登録されてしまったらしい。でもまぁ、どっちがどうでもいい。ここは一緒に乗り切るしかないのだから。


「よし、加速磁場到達まであと30秒、準備はいいか?」

「OK,エンジンスタンバイ。自動制御にセット」

「よし、パラメータから目を離すなよ。もし、自動が切れたらすぐにマニュアルに切り替えるから」

「わかったわ。まかせなさい」


心強い一言だな。まぁ、虚勢でも今はありがたい。マップ上で加速磁場の軌道がどんどん近づいてくる。


「よし、磁場に乗るぞ!」


ガクっと衝撃があって、軌道表示が磁場の表示に重なる。加速が始まった。しかし、軌道は不安定だ。磁場とのシンクロはできているが、表示は黄色のまま。エンジンが小刻みに軌道を調整しはじめる。表示が一瞬グリーンに変わるが、また黄色に戻る。そのたびにエンジンが軌道を修正してグリーンに戻す。これを繰り返しながら、だんだん軌道は目標ラインに近づいていく。


「あと少しね。なんとかなりそうだわ」


と、その瞬間だった。ガイドマップがぱっと消えた。加速磁場が止まったのだ。フライトコンピュータが自動的にリカバリーして、目標軌道を再表示し、エンジン出力をあげて、軌道に戻そうとする。


「がんばれ、あと少しだ」

「だめよ、軌道が急すぎる。コンピュータが追従できないわ」


やはり、ちょっと厳しいか。早めにマニュアルに切り替えたほうがよさそうだ。急に自動操縦が切れるとパニックになる可能性がある。


「美月、マニュアルでいくぞ。いいか?」

「いいわ、ケンジ。エンジンはまかせなさい」

「オートパイロット解除。よし、今だ!」


俺は、操縦をマニュアルに切り変えた。そのとたん、目の前のパラメータ表示が、あちこちで黄色や赤に変わる。


「美月、フルスロットルだ。燃料は気にするな。ここで外したら後がない」

「やってるわ。そっちもコースははずさないで。この加速だとかなりきついわよ」


こりゃ、実際かなりきつい。燃料もぎりぎりだ。軌道は目標から僅かにずれた状態で、どうにか踏みとどまっている。その時、視界にざっとノイズが入る。やばい、磁気嵐だ。これがとどめか、どうにか踏ん張ってくれ。ここでDIは切れない。思わず美月とつないだ手に力が入る。


「大丈夫、これくらいならDIはなんとか持つから。あと一息がんばって」


これは特製のDIユニットをくれた美月の両親にも感謝しないといけない。とにかく、燃料が続く限り、軌道を修正し続けなくては。燃料が持つ限りは・・・。だが突然、燃料ゲージが赤に変わる。


「燃料がリザーブに切り替わったわ。あと30秒しか持たない。」


速度は、大丈夫だ、しかし、コースがまだ合っていない。姿勢制御用のスラスターでは限界がある。メインエンジンが切れたら、かなりきつい。


「あと10秒」


とりあえず、こうなったらスラスターも全開だ。それで駄目ならしかたがない。


「エンジン停止。燃料切れよ」

「もう少し・・・、だめか・・」


これまで響いていたエンジンの音が途切れて、急に静寂が訪れた。万事窮す・・か。

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