第2話 ピンチ!!

美月の口元はちょっと痙攣をおこしてゆがんでいる。


「おい、どうした。大丈夫か」


美月はもうぐったりとして返事をしない。この症状は以前に見た事がある。インターフェイスのオーバーロードだ。直接神経系に接続するDI、つまりダイレクトインターフェイスを使っている場合、外部機器の故障などの際に過電流が流れて神経系を損傷してしまう事がある。安全装置が壊れている可能性が高いので、このまま放置すると危険だ。


「DIユニットはどこだ?・・・・」


DIユニットとは、外部信号を受信して神経系に接続するための機器である。インターフェイスポイントは身体のどこにでも設定できる。遺伝子操作でそこにインターフェイスの神経を集めるのである。女性の場合、DIユニットはアクセサリである場合も多く、ネックレスなら首の回り、ブレスレットなら手首、指輪なら指のあたりにインターフェイスポイントが作られる。ちょっと高くつくがピアスという選択肢もある。人によっては複数のポイントを持っている場合もあるのだが、彼女の場合はどうだろう。


ネックレスはしていない。見ると左の手首に銀色のブレスレットをしている。これがDIユニットなら外してみればなんとかなるはずだ。ケンジは美月の腕をとった。柔らかい華奢な腕である。健全な男子ならば誰もがちょっとドキドキするあの感触・・・・、いやいや今はそんな場合ではない。ブレスレットを・・・。


俺はブレスレットを美月の手首からはずした。ピッと電子音が鳴り、ブレスレットの一部が赤く点滅している。間違いない、これだ。とりあえず、これで過電流は止まったはずだが。


「おい、大丈夫か。しっかりしろ」


ケンジは美月の肩を揺さぶる。


「う、・・・」


美月が意識を取り戻した。よかった、無事か・・・とケンジが思った瞬間、美月の平手がケンジの頬に飛んできた。


「な、なにしてんのよ、この変態っ!」


ま、たしかにこの絵柄は、事情を知らない奴がみたら、俺が美月を押し倒している絵に見えなくもないが。それにしても、いきなりこれはないだろう。


「ったく、いてーな。自分がどうなってたか、わかってんのか、お前」


美月は、ぷーっとふくれっ面をしてケンジをにらみつけ、ちょっと赤面する。


「よく覚えてないわ。いきなりすごいショックがあって・・・」

「インターフェイスのオーバーロード・・・だと思う。ほら、これ」


俺はさっき外したブレスレットを渡す。美月はまた俺をにらみつけると、ブレスレットを手からひったくった。


「本当みたいね、エラーが出てるわ。あんたが外してくれたってわけ?」

「まぁな。隣の席で女の子にあの世に行かれたら、夢見が悪いだろう」


美月はちょっとバツが悪そうな顔をして小さな声で言う。


「ありがとう、助かったわ」


ほぉ、一応素直なところもあるんだ。


「でも、どうして・・・」


美月はブレスレットに指先で触れた。


「おい、うっかりさわったらまた・・・」

「大丈夫、これは取り外すと一旦機能停止するようになってるのよ。自己診断モードにして原因を調べてみるわ」


美月は軽く指をブレスレットに沿って動かした。赤い点滅が消えて黄色の光がブレスレットの外周を回転し始めた。


「これで、視覚アウトバンドで繋がる」


アウトバンド、正確にはアウト・オブ・バンド。帯域外という意味だが、これはインダイレクト(間接)インターフェイスの方式の一種だ。DIユニットを使って神経系に直接接続するダイレクトインターフェイスに対して、たとえば、聴覚なら可聴域外の超音波域の信号、視覚ならば可視光の少し上下の紫外光や赤外光を使ってインターフェイスを構成するのがアウトバンドインターフェイスである。目や耳はその領域の信号を受け取るように受信域を拡張されているが、これらの帯域外信号は本来の感覚としては認識されず、インターフェイス信号としてデコードされ、必要な神経系に送られる。視覚と聴覚のアウトバンドインターフェイスは基本コンポーネントに含まれていて、すべての人が持っている機能である。


「これ、あんたにも見えるわよね。セキュリティ解除したから」


ブレスレットの光を見つめると、目の前に情報パネルが現れた。視覚アウトバンドインターフェイスから、視覚にフィードバックされた情報である。


「ありえない。こんなレベルの信号がくるなんて・・・。宇宙局の専用回線なのよ!」


表示されているのは、通信の履歴情報、いわゆる通信ログである。エラー発生直前に、通常の数千倍の強度の信号が記録されている。こんなものをまともに食らったら即死かよくて廃人だ。もちろん、安全装置が働いて、信号はある程度減衰されているが、それでも相当のショックだろう。DIユニットが安全重視設計の高級品だった事に感謝すべきだ。もし、これを俺が食らってたらと思うと寒気がする。俺の安物DIユニットじゃ、イチコロだ。


「よく生きてたな、こんなの食らって」

「このブレスレットは、パパが誕生日にくれたものなのよ。特別製で私もよく知らない機能があるみたいなんだけど、安全装置が多重化されていて助かったみたい。とりあえず、こうすれば・・・」


美月は、またブレスレットに沿って指を動かした。黄色の光がしばらくまたたくとグリーンに変わり、そして消えた。


「これで一応また使えるようにはなったけど、しばらくは使わない方が無難ね。回線に何か異常があるみたいだから。あんたもDIは使わない方がいいわよ」


美月はブレスレットを腰につけたポーチにしまい込んだ。俺の場合、最初からDIはオフにしている。宇宙機内では、ほとんどのインターフェイスはアウトバンドでことたりるからだが、それが幸いしたのかもしれない。どうやら、他にも意識を失った乗客がいるみたいで、機内は騒然としている。


「ご搭乗の皆様、ただいま機内のダイレクトインターフェイス回線に異常が発生しております。危険ですのでDIユニットはお切りになり、ご使用にならないようお願いします。もし、周囲のお客様の異常にお気づきになられましたら、そのお客様のDIユニットをただちにオフにするか、お取り外しいただくよう、ご協力をお願いします。原因はただいま調査中です」


アテンダントがかなり慌てた様子でアナウンスしている。もしかしたら、これも太陽嵐の影響なのだろうか。でも、警報は十分な余裕を持って出されるはずだから、影響にしてもちょっと早すぎる。美月と俺は、周囲の乗客の様子をうかがい、ぐったりしている乗客のDIユニットを探して片っ端から取り外していった。中にはかなり状態が悪そうな人もいる。アテンダントと、乗り合わせた医者らしき何人かが乗客の手当をしている。アテンダントの中にも倒れた人がいるようだ。機長や操縦士は大丈夫なのだろうか。


「あの、お客様・・・」


アテンダントの一人が俺と美月に声をかけてきた。


「アカデミーの学生さんでしょうか? でしたら、機長からお願いがあるのですが」


いや、俺たちはアカデミー附属高の新入生で・・・と言おうとした瞬間、美月がそれを遮った。


「そうよ、で、お願いって何よ」


おいおい、いいのか。お前も新入生だろうが。しかし、美月は俺に割り込むスキを与えない。


「申し訳ありませんが、操縦室までおいでいただけますでしょうか。機長からお話しいたしますので」

「わかったわ。私ちょっと行ってくるから、あんたはここにいて」


美月はアテンダントについて、ギャレーの向こうの操縦室に入っていく。俺は、唖然としてそれを見ていた。なんとなくいやーな予感がしたのだが、どうやらそれは的中していたようだ。


                   ◇


とりあえず、俺は乗客の手当の手伝いを続けることにしたのだが、それは長くは続かなかった。一瞬、目の前が真っ白になったような感覚に襲われたあと、気がつくと機内の照明がすべて消えて、非常灯のみになっている。どうやらアウトバンドもやられたらしい。次の瞬間、身体が落下するような感覚に襲われた。人工重力が切れて自由落下状態になったようである。セーフモードに入るのなら事前にアナウンスがあるはずだが、これは明らかに意図的なセーフモードとは違う。機内の保護機構が働いて強制的にセーフモードに移行したのだろう。だとすれば、何か深刻な問題がこの機体に起きている可能性が高い。


「中井ケンジ、生きてたら操縦室まで来なさい、今すぐに!」


これは、インターフェイス経由ではない、オーディオのアナウンス、そして美月の声だ。俺は、無重力状態の機内で悪戦苦闘しながら、どうにか操縦室にたどり着く。そしてそこで見たのは、ぐったりとした機長と、副操縦士席に座った美月だった。


「機長が、さっきの磁気嵐でやられちゃったのよ。副操縦士が先にやられちゃってて私が呼ばれたんだけど。あんた、かわりにそこに座って。早く」


おいおい、機長がやられたって、どういう事だ。俺が代わりに座って何ができる。


「バカ、何してんのよ、早く!」


美月が叫ぶ。俺は、意識のない機長をそっと、後ろの補助席に移してベルトで固定し、機長席に座る。


「あんた、VPIは使えるわよね。接続して。すぐに!」


なんだって、俺に操縦しろってのか? そんなこと出来るわけがなかろう。


「全部私がやるわ、だからバックアップして。早く」


バックアップったって、いったい何をすれば・・・。この磁気嵐の中ではDIユニットは使えない。ケンジは、操縦席の脇にあるアウトバンド用のグラスをかけた。これは、視覚、聴覚のアウトバンドを最大限に使ってVPIにインターフェイスするための装置だが、あくまでDIが使えない場合の非常用である。当然、ビットレートつまり情報の伝達速度はDIに比べて低いので反応はよくない。だが今、DIを使うのは命取りだ。次にまた磁気嵐が来たら、それこそ一巻の終わりである。グラスをかけるとすぐにオートチューニングモードが作動する。アウトバンドの帯域特性は人によって差がある。このシステムは、自動的に最適な帯域を探してインターフェイスするのである。ただ、通信できる情報量に制限があるので、DIで利用できるサラウンドビューが使えない。


このサラウンドビューというのは、機外の映像や各種のセンサーからの情報を直接意識に投影するものだ。目を閉じた状態で、機外のすべての映像と、必要なパラメータを見る事が出来る。不思議に思うかもしれないが、背後の景色も同時に見える。もともと人間の脳内には目に見えない範囲も含めてのマップが存在する。だから、背後の気配を感じたり、手探りで物をつかんだりできるわけだが、サラウンドビューでは、その脳内マップの全域に映像を投影するため、自分が空中に浮いて、すべての方向が見えているような感覚になれるのである。この感覚は、自分が鳥、いや神様にでもなったような不思議な感覚である。だが、残念ながら今回はそれが使えないので、外部映像はモニターと視覚にたよるしかない。意識に投影されるのは、映像化された計器と操作パネルだけである。ちょうど昔風のヘッドアップディスプレイみたいな感じだ。


次の瞬間、俺の目の前に宇宙機の操縦に必要なパラメータが表示された。表示はさながらネオンサインのように、赤や黄色に点滅している。つまり、それだけ異常があるという事である。これまでTS5型機のVPIシミュレータでは何度か遊んだ事はあるが、実機はもちろんこれが初めてである。しかも、この緊急事態下でだ。俺は計器をひととおり見渡して愕然とした。オートパイロットが死んでいる。こいつをマニュアルで飛ばそうってのか、いくらなんでもそれは無理だ。


「計器は読めるのよね。軌道パラメータを見てて」

「おい、無茶だ。こいつをマニュアルで飛ばすなんて」

「無茶もなにも、やらなきゃ墜落よ。さっきから高度がどんどん下がってる。今、エンジンを再起動してるから」


こいつは本当にやる気だ。しかし・・・。俺はもう一度計器に目をやる。エンジンの燃料ゲージはもう半分を切っている。この量だと、数分でガス欠だ。そもそもこの機体のエンジンは補助動力としての役割しかない。軌道間の移動は加速ステーションだよりなのだ。


「ケンジ、乗客に身体を固定するように言って」


俺は言われるままに、機内アナウンスをかける。しかし、この状況下で何人がそれに従えるだろう。


「いくわよ、エンジン点火」

「待て、美月、傾斜角がきつすぎ・・・」


いきなりガクッと衝撃があって、身体がシートに押しつけられる。


「美月、機首を上げろ、まともに大気圏に突っ込むぞ!」

「わかってる、今やってるのよ・・・・」


まさに死ぬか生きるか、一生に一度かもしれない大事件が起きようとしていた。



俺もTS5型のシミュレータで一度マニュアル操縦を試した事がある。結果は5分で墜落だ。大気圏を飛行する飛行機ならば翼の揚力で機体を制御できる。翼は設計上、機体が安定するように作られているから操縦は比較的容易だ。だが、宇宙機は違う。機体の姿勢はすべて微調整用の小型エンジン、いわゆるスラスターで制御される。機体に十数個もあるスラスターを同時に操作して最適な姿勢を保たなければならないのだ。それを一人でやるなんて、熟練したパイロットでも大変な仕事である。それが証拠に、目の前の姿勢パラメータは、めまぐるしく変化し、危険を示すアラームが出続けている。


「だめだ、今度は機首が上がりすぎだ。5度下げろ。左に3度主軸がずれてる、右に4度ロールだ」

「わかってる、全部わかってるのよ、でもうまく・・・動かない」


そういえば、こいつは余計なインターフェイスをいっぱい持ってると言ってたな。もし、それが全部繋がってるとしたら、情報を処理しきれないだろう。普通は機長と副操縦士が分担する作業を全部一人でやっている上に、全情報が流れ込んでいるとしたら、とうてい処理はできない。おまけに、大きなプレッシャーもかかっている。いわゆるグラスコックピット症候群(シンドローム)におあつらえ向きの状況じゃないか。このままじゃこいつはパニックを起こしてしまう。


「美月、姿勢制御を半分こっちによこせ。一人じゃ無理だ!」

「何言ってるのよ、出来るわ、大丈夫・・・・」

「なわけないだろ、ピッチとロールをこっちに回せ、早く!」


ピッ、と軽い音がして、と言ってもインターフェイスが作り出す仮想現実音なのだが、計器表示のいくつかが薄い黄色からグリーンに変わった。コントロールモードに切り替わったわけだ。これで、上下角と回転はこっちで制御できる。


「よし。あとは、情報共有モードにしてくれ」


情報共有モードとは、複数の人間が仮想感覚情報を共有して同じ作業をする場合に使われる。VUで行われるゲームの多くもパーティーを組んだ仲間同士がこのモードを使って敵チームと対戦したりするわけだ。こういうきわどいシチュエーションでは、このモードのほうがやりやすい。


「わかったわ、こっちのデータは多いから気をつけて」


また、ピッと音がして今度は表示全体が薄いブルーに変わる。共有モードになったわけだが、その瞬間、流れ込んでくる情報量が一気に増えた。まるで視野全体が計器板になったような感じだ。こいつは、この状態で操縦していたのか。


俺が一瞬情報に圧倒されかけた時、奇妙な感覚がした。それは、俺が時折ゲームで感じるあの感覚だ。その瞬間、目の前のすべての情報が綺麗に整理された。そして、不要な情報はどんどん消去されていく。いや、それは自分の意志だ。今必要な情報は何か、俺にはすべてわかっていた。


「え、あんた、これって・・・」


美月は明らかにとまどっている。だが、今はそれどころではない。


「美月、エンジンを一旦絞れ。このままじゃ燃料が持たない」

「わかったわ。エンジン、アイドリング」


この感覚だ。いつもゲームで、それから試験の時も感じた感覚。神経がとぎすまされ、必要な情報がすべて自分の経験のように流れ込んでくる。だが、同時に深刻な状況もすべて理解できた。今の高度から元の軌道に戻すには、もう燃料が足りないのだ。どうする。


「燃料、足りないわね。不時着するしかないかな」

「いや、速度が出すぎている。このまま大気圏の下層まで突っ込んだら燃え尽きるぞ」

「それじゃ、どうするのよ?」


それは俺が聞きたい。だが、考えている間に時間は過ぎていく。なにか行動しなければ・・・機体の外部はそろそろ大気圏の外層に触れて、熱を帯び始めている。時間がない。


「あ、あれ、何だろ」


美月がその意識を向けた方向に地上から宇宙に延びる放射状のチューブのようなものが見える。もちろんこれは実際に目に見えるものではなく、宇宙機のナビゲーションマップが投影されたものだ。


「指向性磁場か。南米のアタカマスペースポートだな。いちかばちかやってみるしかないか」

「どうするつもりよ?」

「あれをもう一度宇宙に戻るために使わせてもらうのさ」

「冗談でしょ。そんな事出来るはずが・・・」


いや、出来なきゃ丸焦げになるしかないのは、美月だってわかっているはずだ。


「アタカマポートコントロール、こちらシャトル34便、緊急事態を宣言する」

「シャトル34便、緊急事態了解した。こちらアタカマデパーチャコントロール。状況を教えてくれ」

「こちら34便、当機は磁気嵐に遭遇、パイロットが操縦不能に陥ったため、乗客のVPI保持者2名が操縦している。オートパイロットは停止中。軌道に戻る燃料はなく、速度も高すぎて着陸は不可能だ。いちかばちかだが、そちらの指向性磁場に乗って軌道まで加速したい」

「34便、状況はわかったが、それは無茶だ。ほんの少し進路がずれただけで、墜落か、軌道の外に飛ばされてしまうぞ」

「だが、それをやるしか助かる方法はない。なんとかお願いしたい」

「了解した。磁場の射出角度を最大限低くして射出軌道に乗りやすくする。あとはそちらの幸運を祈る。こちらのガイドマップ情報を受信できるか?」

「こちら34便、マップは受信可能だが、オートパイロットが使えない。ないよりはマシという程度だが、送ってもらえれば助かる」

「了解した、マップには非常用チャンネルで接続可能だ」


視野の中に指向性磁場に乗るための最適軌道が表示される、それに対する偏差と修正パラメータが指示されている。本来ならばこの情報はオートパイロットが受信して自動制御で軌道に乗せてくれるのだが、今は、それを自分でやらなければならないわけだ。


「美月、セーフモードを一部解除してシートホールドを一時的に生かせないか。軌道制御がかなり荒っぽくなるから乗客が心配だ」

「わかった、やってみる」


さて、問題はここからだ。既に大気圏の上層で僅かながら空気抵抗があるから、この宇宙機の小さな翼でも、多少のコントロールは出来る。俺が受け持っている上下角とロールの制御だけでもある程度軌道を維持できるはずだ。エンジンは最後の段階で使おう。


「ホールド作動したわ。これからどうするの」

「軌道の偏差を見ていてくれ。ピッチとロールだけである程度合わせていくから、微調整はそっちでたのむ。エンジンは最後のタイミングまで使うなよ」

「わかったわ。まかせなさい」


しかし、反応がいまいちだ。やはりアウトバンドでこんな操縦をやるのは無理があるのか・・・。


「ケンジ、手を出して」

「なんだ、いきなり」

「いいから早く!」


俺が出した右手を美月が左手で握る。その瞬間、俺はシステムにダイレクトインターフェイスされていた。いきなり視界がサラウンドビューに切り替わる。自分がふわっと宇宙に浮かんだ感覚だ。


「BDI? おまえ、DI使ってたのか。無茶するな」


BDIつまり生体ダイレクトインターフェイスは、直接触れ合うことで、人同士がデータを共有できるものだ。今、ケンジはこれを通して美月のDIユニットを使ってシステムと繋がっている。これなら反応が遅れる心配はない。だが・・・


「今度磁気嵐を食らったら二人ともアウトだぞ」

「大丈夫、安全装置の減衰率を調整したからさっきくらいのレベルなら持つと思う」


いや、持つべきものはお金持ちの友人かもしれない。それと、美月の手の暖かみも伝わってくる。BDIで繋がった事で、俺の感覚はさらにとぎすまされている。なんとかなりそうな気がしてきた。


「よし行くぞ、油断するなよ」

「言われなくてもわかってるわよ!」


機体の降下率を少しずつ落としながら、ガイドマップのルートに向けて機体を乗せていく。宇宙機が大気圏に突入する際、最適な突入角というものがある。もちろん着陸する場合の話だが、角度が急すぎれば大気との摩擦が大きくなりすぎて機体が損傷し、最悪の場合空中分解して燃え尽きる。一方で角度が浅いと大気の抵抗を受けて、ちょうど水面を飛ぶ石のようにまた大気圏外にはじき飛ばされる。今、俺たちがやろうとしているのは、どちらかと言えば後者に近い。だが、十分な速度がないため、このままでは、やがて失速する。そこで、スペースポートの宇宙機射出用指向性磁場を使って加速しようという作戦だ。だが、これは精密な操縦を要求される。うまく磁場とシンクロできなければ、逆に抵抗を受けて機体が損傷してしまうからだ。なので、ガイドマップの指示に沿ってきちんと軌道を維持しなければならない。


「よし、もう少しだ。最後に一度だけエンジンを使うぞ。カウントダウンするから、ゼロカウントで5秒だけ噴射しろ」


「わかった!」


視野に重なっているパラメータ表示の右側に大きな数字で10が表示され、カウントダウンが始まる。このタイミングをはずしたら一巻の終わりだ。たのむぜ、美月。


「よし、今だ!」


ガクッと衝撃があって身体がシートに押しつけられる。そのタイミングでケンジは機首を上げて、上向きの放物線を描いている指向性磁場の表示に機体を乗せていく。


「よし、磁場をシンクロさせるぞ」

「いいわ、エンジン、停止」


ピッと電子音。視野の中央に青い矢印マークが表示されそれが点滅をはじめた。


「やった。うまくいったぞ」

「うまく加速してるわ。でも、このあとどうするのよ?」


そう、それが問題だ。とりあえず軌道には戻るが、その後の事は、正直に言えばまったく考えていない。


「そ、それはこれから考える」

「え? なによあんた、考えてなかったの。バカじゃないの。それじゃまた同じ事の繰り返しじゃないのよ」


いや、美月の言うとおりだ。この軌道では停泊できるステーションはない。近場の加速ステーションでトランスファー軌道に乗せてもらい、一気に静止軌道の高さまで行くしかないわけだ。しばらくの沈黙。とりあえず、機体を微調整して軌道に乗せるのが先だ。でもって、なんとか軌道に乗せたところで、通信が入ってきた。


「シャトル34便、聞いているか。こちらアタカマコントロール。レベル1軌道に乗った事をこちらでも確認した。このあと誘導が必要なら、セクター4Lコントロールにコンタクトしてくれ。こちらから情報を引き継いでおく。チャンネルは234Aだ。磁気嵐の影響で一般回線が混乱しているので、こちらの非常回線を使ってくれ」


助かった。地上管制はちゃんと追いかけてくれていたようだ。


「了解。こちら34便。支援を感謝する。チャンネル234A、セクター4Lにコンタクト」


通信機を指定されたチャンネルに合わせる。地球周辺の軌道は、緯度、経度でそれぞれ区切ったセクターと呼ばれる領域に分けられている。さらに、その高度により、L、M、H、Uの4レベルに分けられていて、それぞれに担当の管制がある。セクター4Lはアフリカ北部から中央アジアにかけた領域のレベル1軌道面周辺エリアである。


「4Lコントロール、こちらシャトル34便。緊急事態への支援を要請する」

「シャトル34便。4Lコントロール。連絡は受けている。目的地は第6静止軌道ステーションでいいか?」

「こちら34便、目的地は第6ステーション。トランスファー軌道への投入を要請する」

「34便、了解した。現在、磁気嵐の影響でレベル1軌道面内の加速ステーションは、まだ使える状態にはない。現在の軌道を維持して待機せよ。そちらの軌道は低軌道セクターの各管制で引き継ぎながらモニターしている。加速ステーションの準備ができ次第優先的に誘導する」

「こちら34便了解した。ただ、こちらもあまり長時間の軌道維持は困難だ。エンジン燃料が残り少ないので、加速ステーションとのランデブーと静止軌道への移行に余裕を残しておきたい」

「34便、了解だ。こちらも出来る限りの事をする。なお、引き続き、中規模以上の磁気嵐の可能性がある。最低限の機能を残してセーフモードを維持する事を推奨する。ダイレクトインターフェイスの利用もできれば避けるほうがいいだろう」

「こちら34便、了解した。出来る限り、現在の軌道を維持する」


さて、とりあえず少し時間はできそうだ。この低軌道では僅かながら大気の抵抗があるので、時々、エンジンを使って速度を維持しなければいけないが、それくらいは大きな負担にはならない。もちろん、燃料が無くならない限りは・・・だが。


「よし、それじゃ、シートホールドを解除して、セーフモードに戻そう。負傷者の手当もしなきゃいけない。軌道の監視はリモートでもできるだろう」

「そうね。機長は大丈夫かしら。かなりショックが大きかったと思うから心配だわ」

「乗客にドクターがいるようだから、診てもらおう。他の負傷者も含めて緊急の手当が必要ならレスキューを要請しないといけないな。まぁ、下も大混乱みたいだから難しいかもしれんけど」


俺は、アテンダントに連絡して状況を確認し、ドクターに機長のケアを依頼してもらった。しばらくは美月と交代でキャビンの手伝いをしよう。軌道監視はアウトバンドでキャビンからでもできるから。


「ケンジ、ひとつ聞いていい?」

「なんだ。急に」

「あんた、私のインターフェイスからの情報、どうやってさばいたの。これまで情報共有かけた相手はみんなパニックってめちゃくちゃになったのに」

「俺にもわからん。でも、たまに、こういう事があるんだよな。他にはいないのか、美月と組んでそんな事が出来る奴が」

「そうね、一人だけいたわ。そいつと繋がってると、インターフェイスからの情報がきちんとフィルタされて、必要な情報だけになるのよ。そいつも、あんたと同じように、・・・・」

「同じように、って」

「なんでもないわ。忘れて」

「なんだよ、そこまで言ったら気になるじゃないか。話せよ」

「うるさいわね、なんでもないったらなんでもないのよ!」


美月はふくれっ面をして俺をにらみつけた。


「そういえば、あんた」

「なんだよ?」

「いつ私のことを美月とか呼び捨てにしていいって言ったかしらね?」

「え、それは・・・その」


おいおい、お前だって俺のことをケンジとか言ってるくせに。流れでそういう事になってしまっていたのは確かだが。


「まぁ、いいわ。今回の努力に免じて許してあげるわよ。ケンジ。そのかわり、これからも私をバックアップするのよ。いいわね」

「バックアップって、いったい何すりゃいいんだ」

「何でもよ。私が手伝って欲しいときに、何でも手伝ってくれればいいわ」


おいおい、俺は奴隷か、下僕か、犬か? こいつちょっと調子に乗りすぎだ。ここで甘い顔したらつけあがるに違いない。俺はちょっと咳払いして、美月の目を見据えて一言言おうとした。で、気がついたわけだ。まだ手を繋いでるって。俺の視線で美月も気づいたようで、


「あ、あんた、いつまで人の手を握ってるのよ。この変態っ!」


って、いきなり俺の手を振り払ったものだから、インターフェイスが突然ブチ切れてしまって、一瞬、俺は目の前が真っ暗になった。すぐに、アウトバンドが接続をバックアップしてくれたので、大事にはならなかったけど、いったい何考えてるんだこの女は・・・。


「おい、いきなり接続切るなよ。危ないじゃないか!」

「うるさいうるさい、この変態っ。あんたがいつまでも私の手を握ってる・・・から・・・」


ちょっとトーンダウンした美月は、少しバツが悪そうに目を伏せた。思わず、ちょっと可愛いかもなどと思ってしまった俺は、もしかしたら一生後悔するのかもしれない。


「いいから、さっさとキャビン手伝ってきなさいよ。ここは、私が見てるから」

「わかったよ、じゃ、たのむな。一応俺も繋がったままにしとくから。何かあったら呼んでくれ。それから、お前もDIはしばらく切れ。軌道上では必要ないだろ」


俺は、キャビンから来たドクターと入れ違いにキャビンに出て、アテンダントの手伝いをはじめた。しかし、あの感覚はなんだったんだろう。ゲームの時、それから試験の時、そして今回、またこの感覚を味わった。自分の知識や経験が一気に広がったような感覚、とぎすまされた知覚、不思議だ。普段の自分とはまったく違う自分が、どこかにいるみたいだ。そういえば、あいつもう一人そういう奴がいるとか言ってたな。俺は、そいつがどんな奴なのかちょっと気になった。美月のカレシか元カレとかなんかだろうか。ま、俺には関係ないが。


                   ◇


幸い、キャビンの乗客のほうはそれほどひどい状態にはないようだ。全員、意識は取り戻したようだが、しばらくは安静が必要だと診ていたドクターは言っている。まぁ、セーフモードで重力もないから、リラックスするにはちょうどいい。もちろん、これ以上何か起きなければ・・・だが。乗客をシートに固定するのをひととおり手伝ってから、操縦室に戻りがけ、出てきたさっきのドクターとあった。


「ちょっといいかな?」


ドクターが声をかけてきた。


「機長と副操縦士だが、今のところ意識がないだけで命には別状なさそうだ。だが、神経が損傷を受けている可能性が高いから、早めの治療が必要だろうね。このあと第6ステーションに着くまでどれくらいかかりそうだね」

「それが、加速ステーションが全部止まっていて、この軌道にしばらく足止めされそうなんですよ」

「そうか、できれば、24時間以内には治療したいのだが。それを過ぎると後遺症が残る可能性が高くなるからね」

「わかりました。管制と話をして状況を確認します。見通しがわかれば連絡します」

「よろしくたのむよ」


さて、とはいってもこれは運だのみになるかもしれない。とりあえず、管制には状況を入れておこう。


「キャビンは、どう?」


操縦室に入るなり、美月が聞く。


「ああ、キャビンのほうは大丈夫だ。問題はここの二人だな」

「そうね。ドクターに聞いた?」

「ああ、あんまりゆっくりしている暇はなさそうだ。とりあえず管制に話しておこう」

「それなら、もう連絡はしてある。でも、まだ大きな磁気嵐の可能性があって、加速ステーションのほうでは、今は様子見だって。一応、24時間がリミットだとは伝えてあるから、どれかひとつでもステーションを復旧できないか相談するって」

「そうか。それじゃ、連絡を待つしかないな。ちょっと行ってドクターにも状況を伝えておこう」


俺はキャビンに戻って、ドクターに状況を伝え、それからアテンダントにちょっとした食い物とコーヒーをたのんでから。また操縦室に戻った。


「あんたも、ちょっと一休みしなさいよ。まだまだこの先どうなるかもわからないんだし」


そのとおりだ。騒動の種はまだたくさんある。今のうちに少しゆっくりしておこう。俺は、操縦席に身体を固定すると、アテンダントのおねーさんが持ってきてくれた、無重力用パックに入ったコーヒーを口にした。無重力状態では熱い飲み物は危険なので出せない。なまぬるいコーヒーで我慢するしかないのが残念なのだが。


「ひどい味よね、このコーヒー」


美月がつぶやく。


「しかたないだろ。この状態じゃ、飲めるだけ感謝だぜ」

「ふん、綺麗なアテンダントさんが持ってきてくれたから? あんた、さっきすごい目つきがエロかったわよ」

「うるせーな、健全な男子は綺麗なおねーさんにはそうなるんだよ」

「まったくこれだから男は・・・。あんたも一緒ね、他の男どもと」


なんだ、お前には関係ないだろ。なんで、そんなところで絡んでくるかな、こいつ。


「そりゃそうと、お前、なんでそんなにオプションのコンポーネントをたくさん持ってるんだ。かえって扱いに困らないか」

「パパの趣味なのよね、これ。もしかしたら実験台ってやつかもしれないわ。私のパパは、遺伝子工学者だから。あんたも名前くらいは知ってるんじゃない?」


遺伝子工学者って、そういえば、こいつの名前は星野美月・ガブリエル・・・・。え、あのアンリ・ガブリエルの娘なのか。


「じゃ、もしかして、アンリ・ガブリエルの・・・」

「そうよ。アンリ・ガブリエルは私のパパ。ママは星野美空、やっぱり遺伝子工学者よ。パパほど有名じゃないけどね」


しかし、二人がかりで自分たちの娘を実験台にするってのもひどい話だが。


「色々詰め込んでくれただけじゃなくて、正体不明のコンポーネントもいくつかあるのよ。お前が大人になったらわかるよ、とか言って教えてくれないのよ。ひどいと思わない?」

「でも、宇宙機のほとんど全部のシステムにインターフェイスできてしまうってのは、すごいと思うけどな」

「あんたもさっき見たでしょ。情報の洪水よ。入ってくる情報が多すぎて、うまく整理できないのよ。あんたは例外中の例外。私と情報共有した相手は、だいたいパニックを起こしてしまって共倒れ。中学で他の連中から私がなんて呼ばれてたか知ってる? 疫病神よ、疫病神。ひどいと思わない?」


なるほど疫病神か。わからんでもないが、そりゃちょっとかわいそうだ。まぁ、俺ならば小悪魔程度にしておくのだが。


「なにニヤニヤしてんのよ、あんたも疫病神・・・とか思ってんじゃないでしょうね」

「いやいや、そりゃひどいな~ってね」

「なによ、視線が泳いでるじゃない。やっぱり疫病神だって思ってるんでしょ!」


美月はふくれっ面で俺をにらみつける。この表情が可愛いのだが。いや、いかんいかん、やっぱりこいつは悪魔に違いない。俺を契約者にして食い殺すつもりなのだ。


「疫病神なんて、とんでもない。小悪魔くらいかな~なんてね」

「どっちでも似たようなものじゃない。今度言ったら呪い殺すわよ!」


いやいや、俺にとって小悪魔は、どちらかといえば魅力的な対象なのだけどね。たしかに命取りになりかねないのはどちらも同じだが。


「でも、それって訓練でうまく使いこなせるようにはならないのか?」

「私もそう思って頑張ったわ。でもね、どうやら私の神経系の処理能力を超えてるらしくて、どうしてもうまくいかないのよ。やっぱり、私は失敗作ね」


美月はちょっと顔を曇らせた。ここは男子としてちょっと励ましてやらねばなるまい。


「そんな事はないだろ。現に、ここまで結構うまくやれてるじゃないか」

「それは、あんたが・・・・。だ、だから、あ、あんたは、ずっと私のバックアップをするのよ。いいわねっ!」


おいおい、またいきなりそこへ行くのか。だから、俺はお前の下僕じゃねぇってば。そもそも、俺だってマグレみたいなものなんだから、あれは。


「あれは、たまたまだ。そうそういつも出来る訳じゃないって」

「嘘よ。今まで、一人を除いて誰もあんな事は出来なかった」

「だったらその一人に頼めよ」

「頼めれば、誰もこんな事は言わない」


また美月は顔を曇らせる。どうやらこのあたりはあまり突っ込まない方がよさそうだな。


「ところで、美月、お前どうして附属高に行こうと思ったわけ?」


と、俺は話題を変えてみる。


「地上を、離れたかったのよ。あんまりいい思い出もないしね。それと、空を飛んでみたかったからかな。鳥みたいに」


ほぉ、結構。乙女なところもあるじゃないか、こいつ。


「あ、今、柄にもないとか思ったでしょ!」

「いやいや、思ってないって」

「嘘、間違いなくそんな顔してたわよ、あんた。私にはお見通しなんだからね」

「たしかに、ちょっと意外ではあったけど、柄とかそんなんじゃなくてさ・・」

「同じ事じゃない。あんたなんかに言った私がバカだったわ。で、あんたはどうなのよ」

「どうって?」

「だから、なぜ附属高に入ったの?」

「俺は、ただ星を見ていて、あそこに行きたい・・とか思ったから」


それを聞いた美月は、あからさまに吹いて笑い転げる。


「おい、人にさんざん言っておいて、お前こそ、今、柄じゃねぇとか思ってるだろ」

「思ってるに決まってるじゃない。なに? それ、星を見て、あそこに行きたい? あははは、笑えるわ。ケンジのくせに」


その、ケンジのくせに、ってなんだよ、いったい。


「悪かったな。ケンジで」


って、もう話が支離滅裂になってるじゃないか。やっぱ、こいつとはまともな会話にならんな。でも、そんな会話が事態の深刻さを一時的に忘れさせてくれていた。

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