俺と美月の宇宙日記(ダイアリィ)
風見鶏
序章
第1話 序文とプロローグ
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序文
人類が宇宙に進出してはや数世紀が過ぎた。西暦2712年、人類は幾多の危機を迎えたが、それを乗り越え、いまのところ繁栄を謳歌している。
人類のあり様は、この200年ほどで劇的に変わった。既に半径数百光年の活動領域を持つ人類には、神(と呼ぶものがいたならという話だが)から授かった身体は脆弱すぎた。故に自らの遺伝子の仕組みを解明した人類は、それを進化させるべく改良していったのである。見た目は数百年前とほとんど変わらないが、その中身は劇的な変化を遂げている。様々な能力を発現させる遺伝子コンポーネントが開発され、人間のDNAに移植されるようになった。また、生物としての人間の弱点を補強するような機能、たとえば宇宙放射線への耐性を高めたり、高い重力に耐えたりするためのコンポーネントなども導入され、人類はこれまで生存が不可能であった環境へも進出しはじめている。最も劇的に人類の生き方を変えたもの、それが生体機能拡張インターフェイスと呼ばれるコンポーネントだ。たとえば、視覚や聴覚といった五感と電子的に処理された情報を統合し、数世紀前にはインターネットと呼ばれたもの、いまは「ヴァーチャルユニバース」=VU(ヴィユー)と呼ばれているものと一体化させる。これにより、電子化された様々な機器の制御や、それらから得られる情報の受け取りを自然な形で行う事ができるのだ。
たとえば、移動手段だ。自動車、といっても昔のイメージとはかなり異なるが、これを運転するには、それに乗り込むだけでいい。自動車はその人間が自分を運転できる資格を持っているかどうかを、生体機能拡張インターフェイスとの通信によって確認し、視覚インターフェイスに自動車の運転に必要な情報をフィードバックする。さらに、必要ならば四肢と五感に関する感覚インターフェイスを拡張し、自動車と肉体との間に感覚的な一体感を形成する。これによって運転者は、たとえば障害物や他の車との間隔を、それが、自分の五感の外にあったとしても、実際に自分の近くに実在するものとして感じる事ができるのだ。
そして、実際の運転にはいくつかの選択肢がある。行き先を言葉にして自動車に指示する、というのが一番簡単な方法だ。いまでは、この機能を使って小学生でも一人で車に乗る事が出来る。もちろん、行き先などの選択肢はあらかじめ親がインプットしてあるものに限られる。単に車を移動手段としてのみ考えるならば、これで十分である。
しかし、より刺激的な運転方法もある。ある年齢に達していて、必要な訓練を受けると、基本的なバーチャルドライビングインターフェイス(VDI)の使用が許可される。これによって、自分がハンドルやアクセルを操作している感覚を仮想的に得ながら運転する事ができる。大昔の車で言えば、オートマチック車程度の運転感覚は得る事ができ、マニュアル運転が許可されている道路で交通ルールを破らない範囲で自由に運転ができる。ただ、考えただけで車を動かせるわけではない。仮想的なイメージとして意識に投影されたハンドルやアクセル、ブレーキのようなものを手足、つまり運動神経を使ってこれまた仮想的に動かすという面倒な事をしなければいけないのだ。
これは一種の安全措置である。念じれば動くという実装はたやすいが、人間はそれほど簡単に雑念を払えない。たとえば、うっかり余計な事を考えたために車がとんでもない動きをする、という事がないように、一旦、思考を身体の動きに置き換えるというステップを入れてあるわけだ。もちろん、これら意識に投影された機器の操作に対しては、適切な操作感が触感や抵抗力などとしてフィードバックされる。
自動車を含め、通常の生活の中で必要になるコンポーネントは、基本コンポーネントとして、今ではあらかじめ、すべての人間に組み込まれている。およそ200年前になるが、生まれてくる子供のすべてが、この形質を獲得できるように、親となるすべての成人の生殖細胞に対して遺伝子操作が行われた。以降、この機能は人類共通の遺伝的機能となったのである。
しかし、科学技術はどんどん進歩する。基本コンポーネントに含まれるインターフェイスだけでは対応できない技術が生まれた場合、最初の段階では、これらのインターフェイスコンポーネントは、たとえば自動車の場合はメーカーからオプションとして提供される。人にこのコンポーネントを移植するには、選択的に特定の部位の細胞にだけ、この遺伝子を導入し、必要な機能を追加成長させるという方法がとられる事が多い。ただし、この機能は一代限りである。一方、親たちは子供を作る前に、あらかじめ自分たちの生殖細胞に新しいコンポーネントを加えておく事ができる。そうすれば、子供たちは生まれながらにして、そのコンポーネントを持つ事ができ、そしてそれは、その子孫にも受け継がれていく事になる。
一般的になってしまったコンポーネントは、やがて基本コンポーネントに加えられ、次世代の子供たちから標準機能となる。しかし、過渡期においては、経済的に余裕のある層のみが、新しい機能を得る事ができる。これは、新たな格差を生み出す原因になる。親たちは、自分の子供に、出来る限りの新しいコンポーネントを与えたいと願うものだ。こうしたコンポーネントは一般にかなり高価なので、そこに貧富による格差が産まれ、次の世代で能力の差によって、さらに貧富の差が拡大するという悪循環の懸念が生まれた。
だが、遺伝子コンポーネントはあくまで機能でしかない。それをどこまで使いこなせるかは、その本人の資質、つまりは本来の能力の問題であり、この部分だけは遺伝子工学がここまで進歩した現在でも謎のままである。つまり、持って生まれた資質によって、同じ機能を持つ人間でも差異が生まれるという事なのだ。神と呼ぶべき者がいたとすれば、それは人類を生み出す際に、こうなる事を予想していたのかもしれない。なぜなら、新しい機能は作れても、人としての本質は、いまだブラックボックスのままなのだから。
(アンリ・ガブリエル著「第二創世記の始まり」より)
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あれから一年・・・・・あっという間だったな。
結局、俺、つまり中井ケンジと星野美月はスペースアカデミー付属高入学直後のクラス分けで違うクラスになり、しかも違うタイムゾーンで生活する事になった。こうした宇宙都市での8時間差のタイムゾーンは、生活時間こそ、それぞれ重なってはいるが、実際には一方がオフの時間、他方は授業だったりして、ほとんど顔を合わせる事はない。入学直後は、休日に何度か会ったりもしたが、そのうちお互いに勉強などが忙しくなり、ほとんど会えなくなってしまった。
美月が俺に言ったとおり、授業の難易度は一気に上がった。いまや、ついて行くのもやっとの状態が続いているから、俺も遊んでいる暇がない。あいつが、どうしているのか気にはなったが、そのうちそんな事を考える余裕もなくなってしまっていた。先日の期末試験だって2科目も追試だ。入試の時のバカ力はどこかに消えてしまったようである。
でもまぁ、とりあえず落第は免れ、進級前の休暇に突入。新学期に備えなければいけないので、あまり気も抜けないのだが、今日は久しぶりに街に出てみたわけだ。クラスメイトたちと待ち合わせて遊ぶ約束をしている。
「おーい、待ったぁ?」
沢村ケイである。この一年、ケイとは同じクラス。宇宙艇操船模擬実習では、同じチームで訓練を受けてきた。
「あれ~、まだケンジだけかぁ。皆、遅いなぁ」
「そういうお前も5分遅刻だがな」
「いやいや、こんな時だけ早い誰かさんには言われたくない。あ、そうそう、マリナも誘っといたよ。彼女も暇みたいだったから」
マリナ・クレア、あの学年トップの優等生は、あいかわらず試験のたびに先頭に名前が出てくる。彼女は違うクラスなのだが、タイムゾーンは同じだから、よく顔を合わせているわけだ。
「ごめんなさい。待ちましたか? クラスの友達に頼まれ事をしてたら遅くなってしまって」
マリナがちょっと息を切らせてやってきた。
「だいじょぶだいじょぶ、まだ全員集まってないし」
「あとは、ジョージか。あいつまたゲームにハマってんじゃないだろうな」
「ありうる。ジョージなら、ゆうべは徹夜かも。私が落ちてからまだ残ってたみたいだし」
「まったく、しょうがないな。ちょっと呼び出してみるか」
俺はコミュニケーターを手に取ると、ジョージのアドレスを選択して呼び出しをかける。しばらくして、眠たそうなジョージの声。
「あれ、今何時・・・・え、え、え、悪い。寝過ごした?」
ジョージ・エイブラムス、こいつも俺たちの同級。エンジニアリング志望の男子。ゲーム好きなだけじゃなくて、コンピュータやメカにも、やたらと詳しい。ちょっとしたシステムならハッキングだってやってのける。ゲームでは裏技の達人である。こいつも、模擬演習では同じチームだった。遅刻と居眠りが玉に瑕ではあるが、よく言えば天才肌、悪く言えばオタクな男子である。
「おい、またかよ。もう全員集まってるぞ」
「悪い悪い、途中から合流するから、後で行き先だけ教えてくれないか」
「しょうがないな、じゃ、相談して後で連絡するから」
「悪いね。よろしく」
まぁ、いつもの事だが、困った奴だ。
「やっぱり寝てたらしい。後から来るから、行き先教えろってさ」
「もう、昨日の夜、落ちる前に念押ししとけばよかったかな。で、どうするの、これから」
「そうだな、マリナはどこか行きたいところとかあるか?」
「私はどこでも・・・」
「あれ~、私には聞いてくれないのかな?」
というような会話をしながら、結局は近くのカフェでお茶しながら待つ事にする。たぶんジョージが来るまで一時間かそこらだろう。
「あれ、君たち・・」
いきなり後ろから声、見るとフランクがいた。フランク・リービスは附属高の教師である。昨年、俺たちの入学式の日に着任した新米教師だが、本業は恒星物理学の第一線研究者である。着任後、俺たちのゾーン1から8時間ずれたゾーン2の担任になったため、あまり会うこともなかった。ちなみに、研究者という肩書きに似合わず、パイロットとしての腕前も一流、さらに女子の人気ランキングはナンバーワンのイケメン教師だ。
「あれ、フランク先生。こんな時間に珍しいですね。ゾーン2はまだ夜明け前ですよね」
「いや、実は新学期からこっちに変わる事になってね。そのための時差調整中ってわけさ。まだ時差ぼけ中だがな。君たちはこれからどこかへ行くのか?」
「あ、その予定だったんですけど、一人まだ来てないんで、ちょっとそこらへんで時間を潰そうかと思ってるところです」
「そうか、じゃ、ちょっとお邪魔していいかな。お茶くらいはご馳走しよう」
「やったぁ、さすがフランク先生。ゾーン2の一番人気教師っ!」
「おいおい沢村、おだててもそれ以上は何も出ないぞ」
待ち合わせた広場の角にある小洒落たカフェにフランクと一緒に入った俺たちは、この一年の話で盛り上がる。基礎課程1年は勉強中心だが、シミュレータを使った実習では、実際の操船に近い事もやるわけで、その時の失敗談とか、話題には事欠かない。俺たち同級の3人は、お世辞にも優秀なチームとは言えなかったが、チームワークは悪くない。まぁ、メンバーも結構気が合ってたわけで、できればこの延長で今年の実機演習も乗り切りたいと思っている。
「ところで、中井、ちょっと頼みがあるんだ。沢村も同じチームならちょうどいい」
とフランクが切り出す。
「何ですか、先生、改まって」
「実はな、星野もこっちに来る事になったんだ。新学期からな」
「え、美月がゾーン1にですか?」
「そうだ、ちょっと色々あってな。新学期からゾーン1に移る事になる」
附属高、つまりはアカデミー基礎課程の3年間でタイムゾーンを移動する事は、あまりないのだが、それでも全くないわけではない。定員の問題とかで移動が決まる事もあれば、そのゾーンで何か問題があって移る事もある。美月の場合は何が理由なんだろうか。
「でも、どうしてまた、今、移動なんですか?」
「そこなんだよ、頼みというのは。中井は知ってると思うんだが、彼女はちょっと特殊なコンポーネント構成を持っている。正直言うと、これから実機演習に入るにあたって、彼女とチームを組める生徒が、ゾーン2にはいないんだ」
「あ、やっぱり・・・。そういえば、あいつ、中学時代も大変だったとか言ってたな・・」
「そうなんだ。で、どうやら中井は星野と相性抜群らしいから、新学期はゾーン1で中井のチームに彼女を入れて欲しいというお願いなんだが。どうだろうか」
「お、ケンジ、下僕復活かぁ? ちょっと妬けますなぁ」
「なんだ、中井は星野の下僕なのか。それじゃ、OKするしかないよな」
「おい、やめてくれ。せっかく忘れてたのに・・・」
そういいながら、俺は少し嬉しかった。この一年間、美月がどうしているのか、実は気になっていたのだから。でも、他のメンバーはどうだろう。
「私もかまわないよ。まぁ、新学期のクラス分けで同じになれたら、だけどね」
ケイが言う。
「そのへんは、なんとでもなるよ。内緒だけどな」
とフランク。おいおい、そりゃ職権乱用ってやつじゃ・・・。
「楽しそうですね。羨ましいな」
「だったらクレア君も一緒にするか。役割はかぶってないしな。このメンバーだとメディカルに優秀な生徒がいるってのは好都合だ」
おい、勝手に話がどんどん進んでいるけど、これって・・・。2年の実習でのチームは、パイロット2名、ナビ1名、エンジニアリング1名、メディカル1名、そして、コミュニケーション&インテリジェンス(C&I)1名の構成になる。小型艇一機を飛ばすのに必要なクルーの構成だ。エンジニアリングはジョージ以上の逸材はいないだろうから、ジョージを入れるとして、あとはC&Iだけになる。しかし、このメンバーだと、普通におとなしい奴は大変だろうな・・・。
「エンジニアリングはやっぱジョージだよね」
ケイが言う。そこは全員異論ないだろう。
「ジョージって、ジョージ・エイブラムスの事か?」
「そうです」
「彼はゾーン2の教師の間でも噂になってたよ。なんでも、アカデミーのセンターコンピュータをハッキングしたとかいう話だが、彼も君たちの仲間なのか?」
「そうです。今日は寝坊して遅刻ですが」
「なるほど、彼ならこのメンバーのエンジニアリングとしては、うってつけかもしれないな。あとはC&Iか。誰か入れたい生徒はいるか?」
そういえば、C&Iはあまり心当たりがない。1年の時に組んでいたチームには、いなかったしな・・・。
「希望者がいないのだったら私にちょっと心当たりがある。女子だがな。彼女もゾーン2にいたのだけど、ゾーン1に移る事になったんだ。ちょっと変わった娘だが、C&Iとしては優秀だから、このチームのメンバーとしてはいいんじゃないかな。どうだ、俺に任せてくれないか」
移動組って、やっぱり美月と同じように、何か問題をかかえてるんだろうか。ちょっと変わった、ってのも気にはなるけど、まぁ、ここまでに決まったメンバーだって、マリナと俺を除けば十分変わってるからな。
「先生、大丈夫ですよ。全員、十分変わってますから」
おいおい、ケイさん。全員一緒にするのかい?。俺はちょっと異論が・・・。
「そうだな。じゃ、そこは俺に任せてもらうとして・・・」
そこで納得しないで欲しい。マリナもなんとか言ってくれ。
「なんだか、楽しみですね。皆さん、よろしくお願いします」
・・・って、受け入れてるし。なし崩しに2年の実習チームが決まってしまったみたいだ。しかし、このチーム、いったい誰が仕切るんだ。成績順で言えばマリナだが、どう考えても、おとなしく従わなさそうなのが、約2名。こりゃ、リーダー選びからしてモメそうだ。
「で、リーダーだが、ここはひとつ、中井にやってもらう事にしようか」
「えぇ、なんで俺ですか?」
「いや、パイロットだしな、それに下僕として、星野の面倒を見るには、ちょうどいいポジションだと思うんだが?」
・・・・下僕って・・。
「異議ありません、先生っ」
「私もケンジ君でいいと思います」
「そうか、女子二人の推薦がついたら、中井も男として断れまい。じゃ決まりだな」
・・これは、欠席裁判よりもひどい決め方のような気がするのですが・・・。
「さて、めでたく決まったし、これで俺の用事も終わったから、そろそろ退散するとしよう。邪魔したね。ここの払いは済ませておくから、ゆっくりしていくといい」
そう言い残すと、フランクはさっさと、店を出て行く。いったい、なんだったんだ。なんとなく待ち伏せにハメられたような気分なんだが。ケイとマリナは楽しそうだ。新学期の事をあれこれ話している。俺はそれを聞きながらちょっと憂鬱だ。はたして、このチーム、俺に仕切れるんだろうか。跳ねっ返りが2人、優等生と天才オタクが一人ずつ、あと、ちょっと変わった謎の女子。
「どうしたのさ、暗いよ、リーダー」
「いや、ちょっと気が重いだけだ」
「どうして、なんか楽しそうじゃないの。こんなチーム他にはいないよ。きっと」
「そうですね。楽しいチームになりそうです」
いや、だから俺は気が重いのだが・・・。やがて、ジョージが寝癖の残った頭で現れて合流。話を聞かされて驚きもせず、そりゃ面白いな、攻撃力高そうだし・・だって? ゲームのパーティーじゃないんだから・・。攻撃力は高いかもしれないが、防御はどうなんだ・・・。一発ヒットしなきゃ、全滅しかねないっての。さておき、それからその日は4人であちこち遊びに行って、日が暮れた。
◇
話は一年前に遡る・・・。地球歴2712年の4月。
地球、そして、かつて日本国と呼ばれた場所。いまはその名を、この弓状列島を意味する地名として残すだけなのだが、その象徴のひとつであった美しい山、富士山の姿は、何度かの噴火を経ながらも、大きくは変わっていない。だが、その裾野に今では巨大なスペースポートが作られている。それはその名のとおり宇宙への港だ。
大昔のSFに従えば、宇宙エレベーターなるものが作られていてもいい時代なのだが、一部の実験的な施設を除いて、それはまだ実用化されていない。基礎的な技術自体は、とうの昔にできあがっている。しかし、当初考えられた以上に莫大なコストがかかるのと、赤道直下にしか設置できない上、宇宙機や衛星の航路を邪魔するため、まだ実験段階のままなのである。
その流行らない理由のひとつが、ここにあるような大規模マスドライバーの発展だ。これも古典的SFにはよく登場するものだが、一種の巨大な電磁カタパルトである。衛星軌道に向かう宇宙機を、このマスドライバーで音速の十数倍まで加速する事で、莫大な燃料を節約できる。なぜなら、宇宙機を打ち上げるロケットの燃料は、大部分がその燃料自体を持ち上げるために使用されるからだ。そしてそれは、最初の数分で消費されてしまう。その数分を節約できれば、宇宙機は大幅に軽くする事ができる。初期のマスドライバーはせいぜい音速程度までしか加速ができなかった。それは、通常のリニアモーターで駆動されていたからである。しかし、今ここにあるものは、もちろんリニアモーターは使うのだが、最初の数十秒の加速のみで、そこから先は機体を中空のパイプの中で浮かせた形でさらに加速する。これで音速の数倍まで速度を上げ、空に飛び出した後も、地上から形成される指向性の強電磁場によってさらに加速されていく。最終的には軌道速度の8割くらいの速度をエンジンなしで得る事ができる。あとは宇宙機自体が持つ小さなエンジンでも地球の低軌道まで到達できるのだ。
さらに上の軌道を目指すには、低軌道にある加速ステーションとランデブーして、それが作り出す磁場を使って、加速と軌道変更をする。こうしたステーションはいくつかの軌道面に複数設置されており、静止軌道ステーションにある中継ポートまで宇宙機を送り届ける役割をはたしている。加速ステーションのエネルギー源は無尽蔵の太陽光である。軌道上には多くの太陽光発電ステーションがあり、電力は遠隔送電網を使って必要な場所に送られる。もちろん、地上で稼働する施設のエネルギー源も太陽光や核融合発電で得たものだから、いわゆる化石燃料や合成燃料はほとんど使わなくてすむ。これが、物資や人を宇宙に送るコストを大幅に引き下げた結果、いまや人類は、かつての飛行機と同じ感覚で宇宙機を利用できるようになっているわけだ。
◇
そんな時代の宇宙港、フジ・スペースポートの静止軌道ターミナルAは、今日も多くの旅行客で混雑している。ターミナルから富士山の中腹に向かって延びている加速用トンネルの先からは、数分に一機の割合で銀色の宇宙機が飛び出していく。ここは地球上でも有数の巨大宇宙港なのだ。
「第6ステーション行きシャトル34便は、まもなく皆様を機内へとご案内できる予定です。ご搭乗予定のお客様は、チェックインをお済ませになり、23番ゲート前にてお待ちください」
ガラス張りのコンコースは春先の日差しを受けて、ぽかぽかと暖かい。そんな場所に俺はいた。東京の中学を卒業し、これから高校進学のため、第6ステーションに向かうところだ。あこがれのスペースアカデミー附属高に、なんとか合格できたのは本当に運が味方してくれたと思っている。受験前日に風邪をこじらせ、飲んだ薬のせいで試験システムとのインターフェイスがおかしくなって再試験。一応、合格は合格だが、補欠扱いだ。まぁ、そんな事は気にしない。入ってしまえばこっちのものだから。一応、パイロット志望。アカデミーに入って、いずれは恒星間航路の宇宙船パイロットになりたいと思っている。だが残念ながら、それを言っても誰も本気にしてくれない。まぁ、こうして附属高に入った事すら誰も最初は信じてくれなかった。中学の担任にいたっては、「お前、いったい何をした? 正直に言え」とかマジな顔して言い出す始末で・・・。そんなに俺が附属高に入ったのが不思議なのか? いや、まぁ、この3年間の成績表を並べてみれば、信じろというほうが無理な気もするが、今は、そんな自虐的な考察なんかどうでもいい。
自分でも不思議なんだが、時々俺には火事場の馬鹿力的な事が起きる。再試験の時がそうだ。試験システムとインターフェイスした瞬間に、なにか自分が違う存在になったみたいな気がした。知識というか、実体験みたいなものが、どっと流れ込んできて、出される問題がまるで小学校のテストみたいだったから。あれは、いったい何だったんだろう。同じ事が、これまで何度かVUに繋がってゲームをやっている時にも起きている。試験の時も、まったく同じ感覚だった。ゲームの時にこの状態になると、パーティーの全部の動きが手に取るようにわかるし、そのスキルだって全部わかってしまう。誰がどう動いたらいいか瞬時に判断して指示も出せるし、そうなった俺には誰も逆らわない。どうしてそれが起きるのか、ずっと考えて行き当たったのは、パーティーに参加している一人のメンバーだ。中身はどういう奴かはわからない。でも、そいつがいるときだけ、その現象が起きていたような気がする。一度本人に会ってみたいと思っていたのだが、プロフィールはかなり高いセキュリティでロックされていて、俺ごときにはハッキングも不可能だった。そんな事をしているうちに、中学3年になり、受験を理由に親にゲーム禁止を食らった。それっきりだ。しかし、試験でまたそんな感覚を味わう事になろうとは・・・。やはり、あいつの事は思い過ごしだったのだろう。
◇
「第6ステーション行きシャトル34便は、これよりお客様を機内へとご案内いたします。まず、最初にお手伝いが必要なお客様、小さなお子様をお連れのお客様、ファーストクラスのお客様から順にご案内いたします」
ファーストクラスねぇ、俺には関係ないな。俺は、でかでかとECONOMYと書かれた電子ボーディングパスに目をやった。これは、物理的なチケットではない。電子的なものだが、インターフェイスを経由してアクセスし、画像として認識することが出来るものだ。こうした情報は、必要に応じて他者とも共有できる。つまり、「見せる」ことも出来るのである。
話を戻そう。そもそもうちの親はそれほど裕福じゃない。この俺が、なぜかバーチャルパイロットインターフェイス(VPI)なんてものを持っているのは、親父の宇宙趣味がこうじて、なかば意地で突っ込んだ結果にすぎないのだ。まぁ、そのおかげで、こうして附属高に行けるわけだが、この学費だって相当な負担だろう。それに俺の成績じゃ、奨学金も望み薄だ。おっと、暗くなっている場合じゃない。これから大空へ飛び出すんだから。それが、親父の夢でもあったのだし。
ゲートに目をやると、そろそろ搭乗が始まっている。やっぱ、ファーストクラスってーと、おっさん、おばさんが多いな・・・。そう思いながら見ていると、少女が一人、ピンクのキャリーバッグを引いてゲートを通っていく。あれ、附属高の制服だよな。ファーストクラスって、いったいどこのお嬢様だ。そう思って見ると、小柄で金色ロングヘアのその子は案外可愛い感じがした。まぁ、そもそもこんな貧乏人では相手にすらされないんだろう。最初からファーストクラスとエコノミーじゃ差がありすぎだ。そう思って、とりあえず俺は無視する事にした次第で。
「お待たせいたしました。34便はただいまから、すべてのお客様を機内へとご案内いたします」
やっと順番が回ってきたか。さて、行くとしよう。俺は荷物を持ち上げるとゲートに向かった。既にゲート前には長蛇の列が出来ている。ああ、貧民の悲しさ。そういえば、アテンダント志望の同級生だった女子が言ってたっけか。エコノミークラスの乗客なんて家畜と一緒なのよ・・・とか。俺も牛や豚と同じってわけだ。
俺は行列に並んで、押し合いへし合いしながらようやくゲートを通過。目の前のドックには、銀色のTS5―300シャトルが出発を待っている。TS5型は静止軌道用シャトル。乗員、乗客300人ほどを静止軌道まで運ぶオライオン社の最新型機だ。あれに乗るんだな・・・。俺はちょっと柄にもなくまぶたが熱くなった。いつかこいつを自分が飛ばしてみたいものだ。そう思いながら俺はボーディングブリッジを抜けて機内に入った。
操縦室の後ろから機内に入ると、ファーストクラスを抜け、エコノミーキャビンに続く通路がある。ファーストクラスに入ったところで、豪勢なシートに足を組んで座っている例の女子と目があった。一瞬、むこうは不思議そうな顔をして、俺のことを上から下まで、じろじろと眺め回したあげく、俺のせいいっぱいの笑顔に対しては、不機嫌そうに、ぷいっと顔をそむけてしまった。なんて奴だ。まぁ、お嬢様だし、下々には興味ないんだろう。それにしても、ちょっとムカつく。どうせロクな性格ではあるまい。お近づきにはならないほうがよさそうだ。たぶん向こうも、こっちが附属高の制服だったから一瞬気になっただけなんだろう。
俺はそう思いながら自分のシートへと向かう。ファーストからエコノミーの境目は、まさに天国と地獄の境目である。一気に窮屈になるシート、まさに畜舎的キャビンと感じてしまう自分が嫌だ。このシートで静止軌道までの数時間を過ごすのは、かなり疲れそうだが。さて、俺のシートは・・・42のBだよな。あれ?
俺はもう一度、ECONOMYと、でかでか書かれた電子ボーディグパスに目をやった。そこには確かに42Bと書いてある。しかし、その席には、どこかのおっさんが座っていた。
「あのー、すみません。俺、42Bなんですけど」
そのおっさんは、不機嫌そうな顔をして、自分のボーディングパスを俺に見せて言う。
「そんなはずはないだろ、ここに42Bと、ちゃんと書いてあるじゃないか」
そんなはずは・・、と、おっさんのパスを見ると、たしかに42Bと書かれている。そりゃ、何かの間違いだろう。どうして42Bが2枚存在するのか。もしかしてこれがダブルブッキングというやつか? チケット代ケチったのがまずかったのか・・・。などと、頭の中が半ば錯乱状態になっていると、アテンダントがやってきた。
「お客様、どうかなさいましたか」
このつくり笑顔にだまされる男は多いのだとか、これもまた同級生の話。いや、今はそんな事はどうでもいい。
「あの、42Bが2枚あるんですけど・・・・」
アテンダントは、俺とおっさんのパスを見比べて、ちょっと困り顔になる。
「たしかに。ちょっと確認いたしますので、お客様、申し訳ありませんが前のほうまでお願いできますでしょうか」
俺は、このアテンダントについて、例の女子が座っているファーストクラスの前にあるギャレーに戻っていくのだが、そこでまた不躾な視線をいやというほど浴びる事になる。まったく、失礼な女だ。
アテンダントは、コミュニケーターを使ってどこかと話をしている。もれ聞こえてくる会話の断片をあわせると、どうやらやはりダブルブッキングのようだ。しかも、この便のエコノミークラスは満席とか・・・。最悪だ、この便は一日一便しかない。これに乗れないと、俺は入学式に間に合わないのだが・・・。
「あのー、お客様。大変申し訳ございませんが、やはりこちらの手違いで重複して発行してしまったようです。お客様、明日の便に振り替えさせていただく事はできませんでしょうか」
そらきた、思ったとおりだ。ここで折れたら悔いが残る。
「あの、俺、明日が学校の入学式なんで、これに乗れないと困るんですけど」
俺は、精一杯困った顔をしてみる。アテンダントはまた、後ろを向いて、どこかと話をしていたが、
「少々お待ちください」
というと、キャビンのほうへ歩いていった。どうするのだろうと見ていると、例の失礼女子と何か話をしている。しかし、態度デカい奴だな。アテンダントのおねーさんに頭下げさせて、そんなにふんぞり返るなよな。金持ちってのは、これだから・・・。そう思いながら見ていたら・・
「お客さま、事情が事情ですので、会社と相談いたしまして、特別にファーストクラスのお席にお座りいただく事でお願いできますでしょうか」
なんだって、ファーストクラス。そりゃ、誰も嫌とは言わんだろう。だが、俺がここで大喜びしたりしたら、貧乏人がバレてしまう。ここは、しかたがないな・・・という態度で臨もう。
「そ、そうですか、ま、まぁ、かまいませんが・・・」
といいながら、言葉が震えて緊張丸出しの俺・・・。
「では、こちらでお願いします」
・・と案内されたのが、例の女子の隣の席だったりするわけで・・・。気まずーい時間が、そこから始まったりするわけだ。せっかくの豪華なシートも、こんな雰囲気では台無し。ここは、ちょっと愛想でも振りまいて雰囲気を和らげないと、こっちが精神的に持たない。タイミングを見計らって・・・と、ちらちら隣の様子を伺ってみるが、彼女はずっと機内誌を読みながらヘッドホンをかけているので話しかける隙がない。しかし、こうして横顔を見ていると、結構、可愛いじゃないか・・・・。いや、まて、そこでニヤニヤするんじゃないぞ、俺! チラチラ見ながらニヤニヤなんて、ただの変態だろうが。
次の瞬間、彼女は機内誌を座席のポケットにしまうと、ヘッドホンをはずして、髪を整えなおした。今だ・・・。
「えっと、失礼ですけど、附属高の方ですよね・・・」
俺はおそるおそる声をかけてみる。彼女は、一瞬驚いた顔でこっちを見て、また俺を視線でなめまわした。そして・・。
「そうよ。その制服、あんたも附属高なの? 何年? 志望科は? そもそも何でそこに座ったのよ?」
まるで機関銃のような質問攻め、つーか喧嘩でも売ってるのか、こいつは。
「えーっと、俺は附属高に明日入学するんで、一年って事かな・・・」
「なんだ、一年か。道理で冴えない顔してると思ったわ。そりゃそうと、名前くらい名乗りなさいよね。あんた」
なんだ、初対面であんた呼ばわりかよ。しかも、冴えない・・だとぉ。こいついったい何者だ。
「あ、俺は、中井ケンジ、出身は東京で、・・・」
「ふん、名前も月並み、それじゃ大成できないわよね」
ほっとけ、こいつ。それより、お前は何者なんだ。
「ああ、あたしは、星野美月・ガブリエル、これから附属高に入るのは同じ。でも、最初に会ったのが、こんな冴えないやつじゃね、先が思いやられるわ」
なんだよ、お前も新入生かよ。ちょっと態度デカすぎるだろう。
「なんだ、俺はまたてっきり上級生かと・・・」
美月はちょっとムッとした顔つきになって吐き捨てるように言った。
「ふん、あたしがそんなに年増に見えたの? 冴えない上に失礼なバカね!」
おいおい、今度はバカ呼ばわりかよ。さすがの俺もちょっとムカついてきた。やっぱりこいつと話すのはやめにしよう。
「あ、いや、そういう訳じゃ・・・。お邪魔しました」
美月は、ぷいっと横を向いて、またヘッドホンをかけて機内誌を読み始めた。いいや、もう気にしない事にしよう。そのほうが平和そうだ。
俺もヘッドホンをかけて音楽番組にチャンネルを合わせた。聴覚インターフェイスを使う事もできるのだが、敢えてヘッドホンを使う事で、会話を拒絶する意志を明確にしたいわけだ。彼女がヘッドホンをしているのも同じ理由だろう。それがいまだにファーストクラスにのみ、これが装備されている理由なのだし。
「ご搭乗の皆様、本日はシャトル34便をご利用いただきまことにありがとうございます。本日、客室を担当いたしますのは・・・」
おきまりのかったるいアナウンスが流れて、目の前に安全説明の映像が現れた。これは全員が拒否できないインターフェイスへの強制介入である。法律上認められている数少ない例のひとつだ。乗っている限りはこの退屈な説明映像と音声は拒絶できない。宇宙機と飛行機のすべてが今はこうなっている。中学の授業で大昔の飛行機はこれを実際の映像や音声で流していたというのを聞いたが、ほとんどの乗客は注意を払っていなかったようだ。乗るたびに何度も同じものを強制的に見聞きさせられる現代に比べれば、昔は人に優しい時代だったのかもしれない。
やがて、室内のライトが暗くなり、身体がシートに固定されるのを感じる。そういえば、これも授業で聞いた話、昔はシートベルトってやつで物理的に身体を固定していたらしい。今は空間粘性制御と言って周囲の空間が物体に及ぼす抵抗力を強める事で身体を固定する。シートホールド装置である。見えない手にやんわりと抱きかかえられている感じだ。手足などは動かせるが、席を立とうとしても身体は動かない。万一、事故などの際は身体全体にこの制御がかかるので、強烈な衝撃がかかっても怪我を防ぐ事ができるのだ。シートベルトもあるが、この装置が使えないときの緊急用である。まぁ、もちろん墜落とか、装置が壊れたら一巻の終わりではあるのだけど、あまり不吉な事を想像するのはやめておこう。
機体がゆっくり動き、出発位置につく。
「皆様、当機はまもなく離陸いたします」
そう、これは一大スペクタクルだ。なんせ、ほんの一分ちょっとで音速の数倍まで加速し、空に打ち出されるのだから。
軽い電子音とともに頭上のライトがグリーンから赤に変わる。軽い衝撃があって、身体がシートに押され始めた。加速が始まったのだ。もちろん、体にかかる加速度も制御されているから、単に加速感を感じる以上にはならない。加速感を完全に消す事もできるが、逆に違和感が出てしまうため、ある程度の加速感を残しているわけだ。
最初の2Kmほどは、ほぼ水平にリニアモーターのカタパルトで音速を少し越えたあたりまで加速する。窓の外の景色がどんどん流れていく。空調機の風の音が少しするだけで、ほとんど騒音はない。トンと軽い衝撃があって音速を超えたのがわかる。やがて、軽く機体が浮き上がったと思うと、ぐっと角度がついて、電磁加速トンネルに突入する。ここで、しばらく景色とはお別れだ。窓の外は真っ暗だが、赤い誘導ライトが点滅している。既に速度は音速の3倍以上、そんな速度で誘導ライトが止まって点滅して見えるのは、それが宇宙機の速度に同調しているからだ。このライトが止まって見える間は、加速が正常に行われているという事なのである。そして、その色はやがて黄色から緑、そして明るい青に変わり、最後に点滅する矢印にかわる。この時点でトンネル内での上限速度である音速の5倍に達したわけだ。そして離陸はもはや止められない。
その直後、宇宙機は闇の中から空へとはばたいた。あっという間に雲を抜け、さらに加速していく。この段階でも、地上から放射される指向性磁場の見えない軌道が機体を加速している。空はもう一面の青空、それがどんどん深みを増し、丸い地球の姿があらわになってくる。最高の瞬間だ。このために俺はこれまで頑張ってきたのだから。
子供の頃、親父がよく星を見に連れて行ってくれた。空一杯の降るような星を見ながら、宇宙の広さを語ってくれた親父。お前は大きくなったらあそこに行くんだ。それが親父の口癖だった、。そんな決めつけるような親父の言葉に反発した事もあった。でも、星を見ていると、自分もそこに行きたい、そう素直に感じたからこの道を選んだ。そして今、そこに向かって飛んでいる。
◇
不意に加速が止んだ。ふわっと身体が浮き上がる感じがする。指向性磁場の軌道を抜けたのだ。いわゆる無重力状態だが、身体はシートにきちんと固定されている。そして、次の瞬間、宇宙機のエンジンが作動し、ゴーッという音が腹の底に響く。弱い加速だが、この最後のステップが宇宙機を第一段階の地球低軌道に乗せてくれるのだ。既に窓の外は漆黒の闇、そして星が驚くほど鮮やかに光っている。またたかない星、そう、ここはもう宇宙の入口なのだ。
加速は数分ほど続いただろうか。やがてエンジンが止まり、静寂と浮遊感がまた訪れた。
「皆様、機長からご案内いたします。当機はただいまレベル1軌道に到達しました。これから地球を2周半した後に加速ステーションとランデブーします。ランデブーは、これより4時間ほど後になる予定です。周辺軌道の混雑状況によっては多少時間が変更になる可能性もありますのでご容赦ください。これから機内のグラビティコントロールをオンにします。グリーンのライトが点灯後、座席のホールドを解除しますので、しばらくの間ごゆっくりとお過ごしください」
一瞬、軽いめまいのような感覚があり、身体に重さが戻ってきた。機内の人工重力装置が作動したのだ。頭上のライトがグリーンに変わると身体をシートにつなぎ止めていた力が、ふっと消えた。
700年ほど前に発見されたヒッグス粒子の研究により、今では重力場や慣性質量の制御がある程度できるようになった。地球軌道から外に向かう宇宙船には重力エンジンが搭載されている。この機内の重力や、身体を座席につなぎ止めていた空間粘性ホールド装置もその応用である。ならば、それを使えばこんな大がかりな装置で宇宙機を飛ばす必要はないだろうと思うかもしれないが、宇宙機を飛ばすような大きな重力場の発生は周囲に悪影響を及ぼす可能性があって地球軌道より下では使えない規則なのだ。それに、大きな重力場の制御には多くのエネルギーを必要とする。そのエネルギーを発生させるために使われる反物質リアクターは事故の際、核エネルギー爆弾並みの被害が出る可能性が僅かながらあるため、これまた地球の上部周回軌道以下では使用が制限されている。
「皆様、ただいま機長から説明がありましたように、当機は4時間ほど、この軌道上を周回いたします。これより、お飲み物に続き、お食事のサービスを行います。狭い機内ではございますが、ごゆっくりとおくつろぎください」
俺は、まだ窓の外に釘付けになっていた。宇宙機は、そろそろ地球の夜の側にさしかかろうとしている。昼と夜の境目がだんだん小さくなり、夜が広がっていく景色を俺はずっと眺めていた。もちろん彼女の頭越しに・・・だが。
「あんた、なにこっちを見てるのよ。キモいわね!」
いやいや、お前を見ている訳じゃないのだ。俺は窓の外を・・・。といきなり景色を遮って金髪の頭が俺の目の前に・・・。
「いや、俺は景色を・・・」
「はぁ、何を子供みたいな事を言ってるのよ。いい歳して。そんな事言って、私のこと見てたんでしょ。わかってんだからね。この変態っ!」
おいおい、もはや俺は変態か。しかし、とんでもない自意識過剰だ。誰がお前みたいな性格破綻女を見るかってんだ。と口には出さずに目で訴える俺。不意に目があって、一瞬照れるようなそぶりが、なんとなく可愛く見えてしまった俺はちょっと赤面し自己嫌悪に陥る。
「なににやけてんのよ。やっぱり変態」
はぁ、もうどうでもいい。こいつにかかったらアインシュタインだってホーキングだって全部変態にされてしまうに違いない。俺はふてくされてシートを倒すと、しばし寝たふりを決め込んだ・・つもりだったのだが、どうやら本当に寝てしまったらしい。そういえば、昨夜はちょっと興奮気味であまり眠れなかったから。
なにやら、食欲をそそる香りにふと我に返ると、どうやら既に食事の時間らしい。シートポケットにメモが挟んである。寝ている客を起こさないようにとの配慮だろうが、どちらかといえば俺は起こして欲しかった。その理由は・・・今大きな音を立てた胃袋である。ちらっと隣を見るとなかなか美味しそうな料理だ。さすがファーストクラス。おっと、あんまり見てるとまた絡まれそうだから、やめておこう。とりあえず、俺も食事をお願いするとしようか。
俺はアテンダントのおねーさんに声をかけて食事をお願いした。しばらくして出てきた食事、それは残念ながら、お隣さんが食べている立派な食事とは似ても似つかないものだった。
「お客様、申し訳ありませんが、お席を移動していただいたため、お食事はこちらしかございません。ご容赦ください」
う、やはり甘かったか。ファーストクラスに座った上に、食事までファーストクラスの待遇を期待した俺がバカだった。まぁ、仕方がない。しかし、この席でこれを食うのは余計惨めな感じがする。とりあえず、お隣さんに気づかれる前に、さっさと・・・。
「あんた、それ・・」
やばい、気づかれたか・・・。
「なんで、そんなの食べてるのよ。ダイエット中かなにかなの?」
ここで正直な事は言いたくない。一応見栄はあるし。
「あ、いや、ちょっと最近不摂生が・・・・」
幸いにも勘違いしてくれているようだし、ここは適当に合わせておこう。
「ふーん、あたしもそっちにすればよかったかしら。これ、イマイチなのよね、肉も安物だし」
いやいや、それなら俺にくれ。有り難くいただいてやるから。俺はもう少しで言葉に出しそうになる。
「あんた、欲しかったら食べていいわよ、これ」
え、心を読まれたか・・・って、さすがにそれはできんだろう。
「まぁ、こんなんじゃ食べる気もしないだろうけど」
あ、いや、まぁ、その、どうしてもというなら・・・・。俺はもうちょっとで手を出しそうになるところをどうにか踏みとどまった。
「あーあ、憂鬱なのよね。宇宙に出ちゃったら、毎日こんなもので我慢しなきゃいけないわけだし」
いや、これを毎日食えるなら俺はなんだってするぜ。そう言いたいところを見栄だけで押しとどめている俺・・。その時、美月が、ちょっと遠い目をしながら何かつぶやいた。
「雲行きが怪しくなりそうね」
「なんだよ、突然」
俺は聞き返す。美月は目を閉じたまま、ちょっと険しい表情になっている。
「ねぇ、あんたCME早期警戒システムに接続できる?」
「いや、そっちのインターフェイスは持ってない」
こいつ、なかなかニッチなインターフェイスを持ってるじゃないか。CMEつまり、コロナ質量放出の略だが、これは太陽嵐のことだ。太陽フレアに伴って放出される大量の荷電粒子は、地球に大規模な磁気嵐をもたらすばかりではなく、宇宙船や宇宙ステーションをも危険にさらす。中程度の太陽嵐でさえ、なんの防御もなく受けたら人間などひとたまりもない。そのため、宇宙ではあらゆる人工物体に磁気シールドが装備されている。だからCMEに対しても安全が確保できる。この宇宙機だってそうだ。ただ、使えるエネルギーには限りがあるから、あらかじめCMEの到達を予測しておく必要がある。そのためのシステムがCME早期警戒システムである。水星軌道の内側、水星と金星軌道の中間、そして、金星と地球軌道の間に複数の人工惑星が配置されており、これらが常時、太陽風の強さを計測している。このシステムにより、太陽系内の様々な場所にCMEが到達する時間とその強さが予測できるのである。通常、たとえば宇宙機のシステムはこの情報を受け取る事ができるから、パイロットは宇宙機とVPIを介してインターフェイスすることで情報を得る事ができる。なので、直接のインターフェイスは気象予報官でもなければ必要ない。それをこいつは持っているというわけだ。
「ちょっと荒れるわよ、X20クラスの太陽フレア警報が出てる」
「おい、本当かよ、それ」
Xクラスというのは、太陽フレアの中でも最大級のカテゴリーだ。しかもレベル20だと、何百年に1回の規模である。過去の地球では、たびたびXクラスフレアに伴うCMEが引き起こす磁気嵐で、通信網や送電網が大きな被害を受けている。現在では、そうした磁気嵐対策はかなり進んでいるから地球上では大きな心配はない。しかし、それが宇宙にいるとなると話は違う。磁気シールドによって保護はされるものの、過負荷によるシステムダウンを避けるため、限られたシステムを除いて一時的にシャットダウンする必要があるのだ。当然、宇宙機は今いる軌道上で磁気嵐の影響がなくなるまで待機する事になる。
「機長より皆様にお知らせいたします。ただいま、大規模な太陽フレアが発生したとの情報が入りました。当機は管制からの指示により、安全が確認できるまでこの軌道にとどまります。また、磁気嵐に備えてこれよりシステムをセーフモードに移行させます。お客様にはご不便をおかけしますが、ご了承いただきますようお願いいたします。なお、新たな情報が入り次第、またお知らせいたします」
機内アナウンスが流れると同時に、アテンダントが慌ただしく食器を片付け始めた。セーフモードに移行すると、人工重力は停止する。シートのホールド装置も機能しなくなるので、もう少しすると、昔懐かしいシートベルトが配られるはずだ。磁気嵐の影響で機体が予想外の動きをする可能性があるので、離着陸時と同様の警戒が必要になる。
「ほらね、言ったとおりでしょ」
「へぇ、たいしたもんだな。でも、そんなインターフェイスをどうして持ってるんだ。気象予報官にでもなるつもりか」
「そんなつもりはないわ、親が勝手に入れただけよ。普段はほとんど役にたたないものだし。他にも色々あるけど、ほとんど使えないガラクタばっかり」
おいおい、お前の親はどんだけ金持ちなんだよ。少しは感謝しろって。
「L1の太陽観測衛星のデータだって・・・」
おいおい、そりゃちょっとマニアック過ぎないか。そんなものにまで直接アクセスできんのかよ。
ちなみに、L1というのは、月の軌道のずっと外側にある地球と太陽の間の第一ラグランジュ点のことだ。ラグランジュ点に衛星を置くと、地球と太陽の重力バランスがとれて、地球と太陽との間の相対位置がずっと変わらない。特に観測衛星や宇宙ステーションには最適な軌道なのである。ちなみに、我々が入学する予定の附属高やアカデミーの本校は地球を挟んでその反対側にあるL2つまり第二ラグランジュ点にある。ラグランジュ点は地球と月の関係でも存在する。こちらは、地球と月や地球軌道周辺拠点の間の物資輸送や通信の中継基地などがおかれている。通常、単にLnで呼ばれるのは地球と太陽で構成されるラグランジュ点のことだ。
「あれ、おかしいな。うまく繋がらない・・・」
美月はちょっと首をかしげて、また目を閉じる。
「VU経由なんだろ、太陽嵐騒ぎで混雑してんじゃ・・・」
「ちがう、これ、宇宙局の専用回線を経由してるはず。衛星のシステムが落ちてるみたい」
直接回線かよ、いったいお前は何者なんだ。
「痛っ!」
その時、美月が突然叫んだ。
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