生者にあらず
月に吠える、その文字を目にした乙女は透き通るような顔色をさらに白くした。
アア、アアとやけに近いところで烏が啼いた。乙女は夢から醒めたように息を吐くと、何かを畏れるかのように囁いた。
「水底の、母さま……貴女は私達に何をせよと言うの」
「どうか、したの?」
少女が立ち上がっておずおずと口を開くと、乙女はその表情を隠すように鮮やかに笑った。右目の縁に艶っぽい黒子がある。乙女は朝焼けの雲のような手袋をひらりと唇に当てた。
「いいえ、そう、そうね。貴女、お名前をなんと言うの?」
「私の名は……」
今度は少女が顔色を失う番だった。
「私、私は」
大きな目に一杯の涙を溜めた少女が乙女を見つめる。
「意地の悪い質問をしたわね。そうね、ひばりと呼んでもいいかしら」
「……はい」
「ひばりちゃん、死ぬより前のことはどのくらい覚えてる?」
ひばりは涙を拭うと、ぽすんとベッドに腰掛けた。細い指を折りながらぽつりぽつりと話し始める。
「えっと、ずっと病院にいました。肺炎で……違う、なんでいたんだろう……お父さんと、お母さんと、弟……じゃなくて妹? がいて……友達は、いなくて。いつも図書室で本を読んでて、学校に行ったこともなくて……あれ、途中でやめたんだっけ……」
ひばりは頭を抱えた。涙がぽたぽた本に落ちる。本は雫が当たるたび、淡く光って水を飲み込んだ。
「何これ……知らない人の思い出が、私の思い出に上書きされちゃったみたい……」
しゃくりあげながらそう言うひばりに、乙女は言葉を選ぶようにして語りかけた。いつの間にか、彼女の手元にも一冊の本があった。赤と白できっぱりと分かれた、丁寧な装丁の本である。赤い方には錨のような印が刻まれ、白い方には金で絵が描かれている。金で刻印された文字は──
「泣かないで……泣かないで、じき慣れるから。詩抄少女は皆、知らないはずのことを知っている。でもね、楽しいこともあるのよ」
「家族との、思い出を捨てて、楽しいと思うものなんか……」
ひばりは蒼い目をあげて真っ直ぐに乙女を見た。涙に濡れた底が光る。
「そうかしら。貴女も詩抄少女なら、美しさを望んだはずよ」
ひばりは肩を震わせた。乙女は一瞬微笑むと、邪宗門の表紙をはたりと開いた。少し日に焼けた
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