クライマックス・2
レネゲイド・シンドロームの
だから、由乃が――圧倒的な変換効率を誇る増強型でも、道具の力を自前の力に上乗せできる付与型でもない由乃が――ヘレンでも倒しきれなかった敵を一撃で倒す。それは通常、ありえないことだ。レネゲイドコントロールの精度は概ね経験によって決まり、“転びたて”ではできることなどたかが知れている。疑う余地のない常識だが、ここに一つ
「寒い、寒い、寒い、寒い――!」
自らを抱きしめるように両腕を交差させながら、由乃がその身を震わせる。歯の根が合わずカチカチと音を立てているその様相は真実、寒さに蝕まれていると見える。だが周囲の状況からすれば、それは考えられないことだった。
ごうごうと熱波を吹き上げる炎が彼女の周囲で踊り、肉の焼ける異臭と煙が少女の体から立ち昇る。彼女を囲むのは寒気では無く極大の熱波、際限なく高まるレネゲイドの侵食で実体化した火炎だった。その熱量は少し離れた場所で倒れているプラチナブロンドの少女にも感じられるほど。先程まで爽やかな春風を感じていたはずのジュリアは、息苦しいまでの暑さに汗が止まらない。そんな焦熱地獄の中心で、文字通り炎にその身を焼かれながら、由乃は寒さに震えていた。
少しでも威力を引き出そうと
「……っくぅ!」
息が詰まる程の激しい寒気と、秒単位で拡大していく火傷の苦痛。今すぐうずくまって泣き出したくなる衝動を必死に抑え込んで、由乃は水晶人形達を霞む視界に収める。由乃の炎を警戒してか、ヘレンの守りに業を煮やしてか。三方に散開した人形達が絶え間なく放つ棘弾を、ヘレンが尽く叩き落としてくれるのが見える。鉄と雷の織りなすその守りが突破される様子はない。少なくとも、あと数秒は。だから由乃は、その数秒を己の中に渦巻く『力』の制御に振り向けた。
由乃の力。レネゲイドの力。人を容易く殺し、担い手をバケモノに変えるおぞましい力。でも、それだけじゃないと教わった。
(もう大丈夫だよ。ワタシがキミを助けられる)
(ワタシだってUGNの人達みたいに誰かを助けたりしたいからね)
(オーヴァードだって人間なんだって――)
力があってもなくても。誰かを助けたい、守りたいという意志さえあれば人は強くなれる。きっとその意志が由乃も人に繋ぎ止めてくれる。自分より遥かに強い人にそれを教えてもらった。それに気づいた今だからこそ、由乃は強く願う。
(わたしも、守りたい。わたしの大事なものを、わたし自身の意志で!)
この力は、その為の力。自分がこの力を得たことに、意味があったと信じる。
だから今、渦巻く炎よこの手に。大切な日常を侵食せんと迫る『敵』を焼き払わん。
苦痛に歪んでいた目を、見開く。
「あ、あ、あああああああああああああああっー!」
喉よ裂けよとばかりの絶叫と共に、すべてを呑み込む緋色の大瀑布が顕現する。一瞬にして由乃の視界全てを埋め尽くした赤炎が、直前に飛び退ったヘレンだけを避け、水晶人間達全員にその舌を巻き付かせた。
「※〆♯∞∬÷々※Å~~~!!!!!!!!?」
「す、ご……」
ワーディングで自由を奪われていたジュリアも、思わず声を漏らしてしまう光景だった。天まで届きそうな火炎柱が林立し、その中に取り込まれた異形の影は為す術もなく溶け崩れていく。ぎこちない動きで何某かのアクションをしようとする個体もいるが、硬化も再生も全て呑み込む
これが、かの“ディアボロス”すら退けた由乃渾身の一撃。使用者自身ごと呑み込む破格の出力と攻撃範囲を持つ、
熱風に煽られおさげが激しくばたつく。すべての脅威を無力化したのを見届けて、由乃は体から力を抜いた。視界が回る。全身の痛みで立っていることも儘ならないが……
「はー、やっぱ冗談みてぇな威力してやがるなオイ。だがまぁ、よくやったひよっ子。もう休んでいいぞ」
感じるのは固く、力強い感触。倒れ込みそうになった由乃をヘレンがその鉄腕で支えてくれていた。体が少し軽くなったのは、ヒールエフェクトを発動してくれたのだろうか。
「ありが、とうございます……でも、ひよっ子じゃないって……」
息も絶え絶えで抗議するのも一苦労。ヘレンは全身やけどまみれの由乃に負けず劣らずのボロボロの姿だが、佇まいも声もしっかりしている。
「ったく、任せたのはアタシだけど無茶しやがってよー。なあ?」
肩に担ぐような形で抱え直されるのと同時に聞こえた言葉。自分への問いかけではないと由乃が気づいたのは1拍後だった。視界の隅で起き上がる影一つ。ワーディングを発生させていたのも水晶人間達だったようで、炎が収まると同時に攻性空間も解除されていく。自由を取り戻したジュリアが、もつれる足を動かしてこちらへ駆け寄ってきた。
「由乃ちゃん! 大丈夫!?」
涙をにじませたジュリアが、由乃の右手を両手で包み込むように取ってくれる。その声音が心底自分の身を案じてくれているのを感じて、凍えきった由乃の体に熱が灯る。
「だい、じょうぶ……。ジュリアさんも、無事で、よかった……」
「うわぁ蚊の鳴くような声で言われても全然大丈夫そうじゃないー! 寮に救護室があるから早く戻りましょう先輩!」
「まぁ、もうじき人も来ると思うから大丈夫だろ……」
わたわたしているジュリアだが、すぐに落ち着きを取り戻して由乃の顔を覗き込んでくる。
「でも、ありがとうね由乃ちゃん。由乃ちゃんが必死にワタシを守ろうとしてくれたの、わかったよ」
「うん……」
気持ちが伝わる。気持を感じられる。それがこんなにも心地よいものなのだと、由乃は久しぶりに思い出せた。
「わたし、できるかな……。今日みたいに、頑張って、いつかわたしの日常を……取り戻せるかな……?」
疲労からまぶたが重くなってくるのが避けられない中、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。その由乃の問いに、ジュリアは力強く頷き返した。
「出来るよ! 一人じゃ難しくても、この島で由乃ちゃんを手助けしてくれる人が……友達が作れるから」
ワタシみたいにね、と笑う友の姿に安心して目を閉じる。自分を肩に担ぐ先輩は何も言わないが、由乃を安心させるかのように背中を叩いてくれた。それだけで、十分。自分も彼女等と同じように、柔らかい笑みが口元に浮かんでいるのだろう。由乃は穏やかな気持のまま、完全に意識を手放そうとして……それが聞こえた。
『トモ……ダチ……』
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