エンディング

『トモ……ダチ……』

「!?」


 ジュリアが硬直する。ヘレンが咄嗟に視線を巡らす。由乃さえもまどろみを蹴り飛ばして目を開けた。まさかまだ敵が?


「……って、なんだこりゃ」

「……猫?」


 2人の視線が下の方に向いている。さんざん由乃が焼き払った野草の燃え残りの影に、猫らしき影。ただし疑問符が付く通り、尋常な生物とは考え難い。


「水晶……?」


 先程の水晶人間達と同様、透き通る水晶で模られた猫だった。ただ不細工なカリカチェアと評して良いお粗末な造形だった先のそれらと違い、この水晶猫は極めて精緻なディテールを持っている。柔らかそうな体毛といい、浅く上下する胸部といい、色さえ付けば本物の猫と見分けることは不可能になりそうだ。


 目を閉じて丸まるその姿は、こたつで昼寝を決め込むそこらの猫と寸分の違いも無いが……さっきがさっきである為、微妙に警戒を解けない3人。


「これ、どうみてもさっきのと関係ありますよね……」

「ねぇ方がビビるわ。でも今は大人しいな……」

「これ、持って帰っていいんです……?」

「解剖とかされちゃいます?」

「危なくない? って発想はないのか?」

「っていうかさっきとか喋ってませんでした?一言だけ」

「あ、動きましたよ……?」

「!」


 水晶猫が目を開け、身を起こす。3人が固唾を飲んで警戒するなか、しかし何をするというわけでもなく。ふらふらと頼りない足取りで、由乃達の足元に歩み寄ってくる。そのまま一番近くに居たヘレンの足に顔を擦り付け、上を見上げると。


「あ、倒れた」


 そこで電池が切れたように倒れてまた動かなくなった。その姿に毒気を抜かれたのか、ヘレンが嘆息を漏らした。


「あー。どうせ放置して帰るわけには行かねぇか。アタシが回収して帰るわ。ジュリア、このお姫様預かってくれ」

「あ、はーい!」

「うう、ジュリアさんごめんなさい……」


 3人の中で自力で歩けないほど消耗しているのは由乃だけである。同い年の(戦闘エージェントでもない)子に背負われて帰らざるを得ないというのはなかなかに恥ずかしい。顔を赤くする由乃に、ジュリアは明るく笑いかけた。


「大丈夫だよー、ワタシは見てるだけだったし。それに由乃ちゃんとっても軽いし! ……ちゃんとご飯食べてる?」


 後半から半眼でこちらの顔を覗き込んでくる少女から目を逸らしながら、由乃は隣を歩く先輩に声を掛ける。


「なんなんでしょうね、この猫……」

「こういうワケの分からないものはレネビかEXレネゲイドって相場は決まってらぁ。まぁ、その中で『何』なのかは……アイツ等にでも調べてもらおうか」


 水晶猫を両手で抱えた金髪の少女が、くいっと顎をしゃくって指したのは街の方から近づいてくる大勢の人影。戦闘を察知して集まってきた風紀委員や番長連、それに近くの研究所の職員たちだった。先頭には数時間前に別れた霧沢エリカの姿もある。


「さぁーて、今からあの連中に事情を説明して納得してもらわなきゃいかんのだが……終わんのはいつになるかねぇ」

「……ご飯、お預けにならないといいですね」


 二人揃ってため息をつく。それがなんだかおかしくなり、由乃は背負われたままクスクスと笑った。


***


「あー、始業式やっと終わったー! 校長先生のお話長すぎるよもうー!」

「だねー。肩が強張っちゃった……」


 快晴の空に響く快活な少女の声。体育館からぞろぞろと吐き出されてくる学生達の中に混じって、ジュリア・リシュフォーと雨鈴由乃は歩いていた。長時間体育館に閉じ込められていた後で見る青空は格別の爽快感がある。それに遠慮なく身を任せているのか、由乃の隣を歩く友人のテンションは1割増しで高い。


「おいっすー、ジュリ!」

「また教室でねー」


 横を通り過ぎる生徒たちから次々と挨拶が飛んでくるのが、彼女の交友関係の広さを示している。昨日遅くに事情聴取が終わって寮に戻った由乃達が、主にジュリアを心配して待っていた寮生たちに追加の質問攻めにあったのも記憶に新しい。由乃にとって正直暗黒歴史というか、せめて3人だけの記憶に留めておきたかったアレコレを根掘り葉掘りされ、もみくちゃにされ、ついでみたいな感じで新人歓迎を受け、就寝時間を過ぎて寮監に怒鳴り込まれるまではしゃいでいた――主に3人以外が――昨夜。部屋に戻されれば、余韻に浸る間もなく意識を失って今朝に至ったのだが……不思議と、嫌な感じではなかった。


(ううん、楽しかった。初めての人ばかりだったのに、オーヴァードの人が殆どだったのに)


 何も変わってはいないのに。昨日と変わらず、由乃はオーヴァードのままだし、引っ込み思案で人見知りの性格も直ってはいない。それでも、その事実と少しだけ向き合う勇気が由乃の中に確かに芽吹いていた。今はまだ芽が顔を出したばかりだけど、これから自分を良い方向に変えていける、そんな気持ちになれたのだ。


「新入りちゃんもおっはよー」

「あたしおんなじクラスだ~、よろしくね~」

「よ、よろしくおねがいします……」


 由乃自身にも声をかけられる。昨日までの由乃なら、彼らは声を掛けてきただろうか。それに自分は返事をできただろうか。


(今は、できる。だからそれで良いんだよね)


 勘違いかもしれない。今感じているこれは昨日の高揚の残滓なだけかもしれない。それでも、一歩を踏み出す助けになっているのは間違いないことだった。


「……っ」


 一陣の風が生徒たちの間を優しく吹き抜けていく。まだ少し冷たく感じるが、その柔らかさを由乃は感じ取れるようになっていた。


「そうだ、今日の帰りにあの猫の様子を見に行こうよ!研究所の人に聞いたらもうオッケーって言ってたから」


 ジュリアが人差し指を立てて振り向く。その目は好奇の輝きを隠そうともしていない。


 昨日の戦闘で回収されたあの水晶猫は、生徒会から依頼を受けたUGNの研究所に引き取られた。これから時間を掛けて一体何者なのかを調査していくらしい。由乃としては複雑な気持ちであるが、今の所さらなる騒ぎを起こす気配はないそうだ。


「いいけど……ヘレン先輩にも連絡するね?」

「そうだね! 先輩、あの猫のことだいぶ気にしてたもんねー。昨日のお礼も改めて言いたいし!」


 結局の所、昨日の事情聴取で由乃達の出番はほとんど無かった。ところどころをジュリアが補足した程度で、説明からUGNへの連絡から猫の引き渡しの手配まで一人でヘレンがこなしてくれたのだ。当時グロッキーで、そういう余裕がなかった由乃としても感謝しかない。


「さーて、予定が決まったところで午後も頑張らないとね! お昼食べたらグランドに集合してオーヴァード能力テストと体力測定だよ!」

「うっ……」

「あれれ、どうしたのかな面白い顔して? さては由乃ちゃん、運動は苦手だなー?」

「うぐぐ……」


 ニヨニヨと顔を覗き込んでくるジュリアから目を逸らす。オーヴァードに覚醒するまでインドア系文学少女で通していた由乃としては、この手のイベントにいい思い出はあまりない。ヘレンあたりに知られれば「エージェントとしてやってくなら『運動は苦手ですぅ~』じゃ済まなくなるぞ、ひよっ子」とお小言を貰うだろう。


 ちょっと凹んでいる赤毛の少女の肩をポンポンと叩きながら、プラチナブロンドの少女が片目をつむる。


「まぁまぁ、誰だって苦手の1つや2つあるから。別に記録が低かったからって何かあるわけでも無いし?」

「それはそうだけど……」

「それよりオーヴァード能力テストは毎年アクシデントが起こってるから、そっちの方気をつけたほうが良いよー。今年は笑って済ませられるのだと良いけど」

「初めて聞く衝撃の事実なんだけど!? 去年は笑って済ませられないアクシデントだったの!?」

「大丈夫大丈夫、軽い怪我人以上の被害が出たことはないから」

「怪我人が出るぐらいのトラブルはあるの!?」


きゃいきゃいと騒ぐ2人の女生徒が、他の生徒達の中に埋もれていく。ここは学園島、オーヴァードアカデミア。数万人規模の生徒が暮らす、地図に載らない島。志ある者、事情を抱えた者、野心持つ者、様々な人々が集うこの場所で、今年も新しいスタートを切る者達が居る。レネゲイドに呪われたこの世界で、精一杯もがく少女達をその一部にして。




昨日と同じ今日。 今日と同じ明日。

世界は繰り返し時を刻み、変わらないように見えた。

だが、誰もが少しずつ変わって、前に進もうとしている。


ダブルクロス・ノベルス・フロイライン

「明日へのスタートライン」了


 ダブルクロス―――それは裏切りを意味する言葉

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