ミドルフェイズ・7
それはレネゲイドの侵食に晒され、それでもヒトの側に立とうとするオーヴァード達に必ずついて回る、呪いとも言うべき命題だった。
由乃が絞り出すようにしてなんとか口にしたその問いに。
「全然! そりゃ最初は心配だったよ? 力を使いすぎると頭おかしくなっちゃうとか言われたし。でもお兄ちゃんはオーヴァードになった後も変わらずお兄ちゃんだったし。アカデミアで3年過ごしてオーヴァードの友達もいっぱい出来たしね! 確かに強い力とか事情とかあるかもしれないけど、オーヴァードだって人間なんだってワタシは実感として感じられてるから、怖くないよ」
チルドレンさんは皆ちょっと変なとこあるけど、悪い人達じゃないしね。と冗談めかして付け加える少女を呆然と見上げながら、思う。
(ああ、そうか。ジュリアさんはこの学校の生徒としてだけじゃなくて、オーヴァードの世界で生きる人としてもわたしより断然先輩なんだ)
夕暮れが近づいてきた海辺の丘で、陽光を白金の髪に透かした少女がこちらに手を差し伸べてきた。それはあの部屋での一幕の再現で。
「だからさ、ワタシは由乃ちゃんとも友達になりたいな」
「わ、わたしは……」
あのときと同じ言葉。あのときはまともに答えを返せなかった。でも今度は、今度こそは言いたい。ちゃんと、体の奥から湧き上がるこの想いを伝えたい。そうして良いんだと、この人に教えてもらった。泣きはらした目元を袖口で拭うと、決然と顔をあげて、言う。
「わたしも、ジュリアさんと、友だちになりたいっ……!」
大きな声。そうして目の前の手のひらをしっかりと握りしめる。ジュリアの手は汗ばんでいて、彼女が走り回って自分を探していたこと、そしてここで話している間もかなり緊張していたのがわかる。それを感じて、胸の奥から熱が体全体に広がっていく。しかしそれでいて、その熱は決して体の外へは漏れ出さず、触れているジュリアを傷つけることはなかった。
「あはは、良かった。ちゃんと言えたね、由乃ちゃん」
「うん、うん……ジュリアさんのおかげです……」
2人は自然と、同じ表情を浮かべていた。目尻に涙を浮かべ、それでも輝くような笑顔で、ジュリアが告げる。
「これからよろしくね、由乃ちゃん。ようこそ、オーヴァードアカデミアへ!」
「うんっ!」
手を引いてもらい、立ち上がる。ここが、今この時が、自分にとって本当の意味でのスタートラインだと感じられる。オーヴァードとして。アカデミアの生徒として。やっと一歩目を踏み出せたのだ。
一言発した以外はずっと黙って成り行きを見守っていたヘレンも、落着と見て声を掛けてきた。露骨にほっとした様子なのは……指摘しないほうが良いだろう。
「よしよし、お疲れさん。めでたしめでたしとなった所で時間もイイ感じだし、飯食いに行こうか――っ!?」
「えっ、ぐっ……!?」
同時だった。ヘレンが言葉の途中でハッと辺りへ視線を巡らせるのと、ジュリアが苦しげに呻いてうずくまってしまったのと。由乃自身もまた、ゾワゾワとして違和感のある、でもこの一ヶ月で馴染みになった感触を感じ取っていた。
『トモダチ……』
『トモダチ……』
『トモダチ……』
垂れ幕越しの様な、変にくぐもった声が木霊する。この不快な感触を、自分は教わって知っている。オーヴァードが威嚇やエフェクト行使の為に、特殊な物質を散布して展開する攻性空間――ワーディング!
「ジュリアさん! 大丈夫ですか!?」
「うごけない、けど……だいじょうぶ……」
倒れ込んでしまったジュリアをとっさに支える。言葉とは裏腹に表情は歪み、とても苦しそうだった。ワーディング空間内では一般人は皆こうなってしまうと頭では解っていても、ワーディングの主に対して憤りを感じてしまう。
「誰がこんなっ――え?」
「あれか」
ジュリアに気を取られていた間も周囲を警戒していたヘレンがつぶやく。顔をあげた由乃も『それ』を見つけていた。
「水晶人間……?」
そうとしか形容しようのない存在だった。頭と、胴体と、手足が2本ずつ。大まかにヒトの形状を取ってはいるが、どこも不格好でアンバランスな印象を受ける。頭(らしき部位)も単純に水晶塊があるだけで、目鼻も口も模られていない。関節も無く、動くはずがないのにフラフラとした動きで迫るソレは、当然ながら自然界の産物ではあり得なかった。
『トモダチ……』
『トモダチ……』
『トモダチ……』
しかも、それが3体。先程と同様の声が響く。どこから発しているかは分からないが、この声の主は眼前の水晶人間達で間違いなさそうだった。夕日を背に人型が幽鬼のように蠢く光景はまるで現実感がなく、由乃は何が起きているのか認識出来ずに居た。
「えっ、何……これ……」
「オイ、呆けてんじゃねぇよ」
衝撃。表情を鋭く引き締めたヘレンが、視線は水晶人間達から外さずにこちらを小突いていた。
「アタマ切り替えろ、“
「……はいっ!」
呼ばれたコードネームに反応して、スイッチが入ったように動揺が静まっていく。学生・雨鈴由乃ではなく、UGNのエージェントとしての名前。エージェントになるための基礎課程で、一番初めに叩き込まれたのがこの『コードネームを呼ばれると任務モードに意識を切り替える』訓練だった。
(うーん。君は気が優しい分、戦うとか攻撃するといった思考を導き出すのに時間がかかるね。一度切り替わってしまえば制御はともかく出力は十二分なんだけど)
訓練を受け持ってくれた女性教官はそう評して、マインドセットの訓練を薦めた。
(現場では一瞬の躊躇いが致命的な遅れにつながることもままあるの。だから、いざという時すぐに『戦う思考』に切り替える手段を作っておくのは、必ず君の助けになるわ)
――教官の言う通りだった。クリアになった頭で状況を確認すれば、やるべきことはすぐわかった。眼前には明らかにレネゲイドの影響を受けた謎の存在。隣には同僚のエージェント。そして自分のすぐ側には、守るべき一般人が行動不能で倒れている。
(“
由乃の思考が定まったのを察知したのか、ヘレンが一歩前に出る。
「こいつら何が狙いで湧いて出てきたのかまるで判らんけど、碌な目的じゃないってアタシの勘が言ってる。蹴散らすぞ」
「了解です!」
ヘレンの言葉を裏付けるかのように、3体の水晶人間がそれぞれ手と思しき部位を変形させ鋭利な棘を生やす。身を屈めて明らかな戦闘態勢を取る3体に対し、由乃も両袖をまくりあげて応じる。でも最後に一度だけ、後ろを振り返った。
「待ってて、ジュリアさん。大丈夫、今度はわたしが助ける番みたいだから!」
少しでも心強く見えるよう精一杯意識して作った笑顔に、ジュリアも強張った体を無理やり動かし頷いてくれる。なら大丈夫だ。わたしはやれる。こんな奴らなんかに負けたりはしない!
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