ミドルフェイズ・5

「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ……」


 走る。走る。走る。握り損ねてしまった小さな手のひらの持ち主を探して、ジュリア・リシュフォーは当て所無く走り回っていた。昨日から続く快晴の空。夕闇が気配だけを忍ばせてきている昼下がり。学園島市街はいっそ憎たらしいほど平和だった。


「由乃ちゃん、どこへ行っちゃったのかな……」


 右手がじくじくとした痛みを訴えているが、それは重大な問題ではないと退けて足と目を動かす。近所の公園にも、コンビニにも、駅にも、ゴミ捨て場にも居なかった。まさかもう追いつけないほど遠くに行ってしまったのかと不安になるが、いやそんな筈ないと首を振って気合を入れ直す。どのみちここは島なのだ。探せば必ず見つけられる。まずは寮に戻って目撃者を探し直して――と、意気込んだと同時に衝撃。視界が回る。


「おー、大丈夫か? 前見て走れよー」


ガシッ、と2度目の衝撃と共に回転が止まる。どうやら誰かにぶつかって、そのまま支えてもらったようだ。


「あっ、ゴメンナサイ!急いでて……そうだ、この辺で女の子見ませんでした? 茶髪で白いブラウスを着てる……」


 ぶつかってしまったのは少し年上に見える、金髪のちょっとボーイッシュな感じの少女だった。コンビニの袋を下げて買い物帰りと言った風情、どこかの寮生だろうか。近くの寮といえばガーディアンズドミトリーになるが、寮生と大体知り合いのジュリアには見覚えのない顔だ。その少女はジュリアの問いに、顎に手を当て訝しんだ顔をする。


「んー? それってやたら辛気臭い顔してる上にこのクソ暑い中厚着してる奴の話か?」

「! そうそう、その子です! 見ました!?」

「あー、いや、アタシも丁度メシの相談したかったから探そうかと思ってたんだけどよ……どっか行っちまったのか?」

「そうなんですよ! 一緒に探してくれませんか?お話してたら急に感情的になっちゃって……」

「……詳しく話しな」


右手を見つめながら口惜しそうに話すジュリアに、先輩(仮)はすっ、と目を細めて続きを促してきた。




「ほぉーん、成る程ね。事情は概ね理解した」

「うう、嫌われちゃったのかな。どうしましょう、塩崎先輩……」

「ヘレンで良いよ。名字嫌いなんだ」


 顔をしかめてぱたぱたと手を振る先輩(真)と、2人で向かっているのは寮の南側、市街と反対方向だった。一旦寮まで引き返して守衛の目撃証言を得た結果、探し人はこちらだと判明したからだ。


「アイツはちょいと対人関係拗らしちまった問題児でな。お前さんが嫌われたってより、自分の感情を処理できなくなっちまってパニクっただけだろうな」

「やっぱり、ちょっと急いで距離を縮めようとしすぎちゃったんだ……会えたらちゃんと謝らなきゃ」


ぱっと顔を上げ、複雑そうな顔をした先輩に、ジュリアは身を乗り出して訴えた。


「でも! こうして心配して探してくれる先輩も居るなら大丈夫ですよね!? あの子、この島だと一人ぼっちなんじゃないかって心配してたんです!」


勢いに押されたのか、のけぞり気味のヘレンが「いや成り行き上なんだが……ほっとけねぇのは確かだけどよ」等とゴニョゴニョ呟いていたが、ジュリアは無視した。


「よし、早く由乃ちゃん見つけてお話しましょう!行った方向は分かりましたし! ……と言っても、こっちは怪しいUGNの研究所と胡散臭い教会しかないんですけどねー」

「怪しいって言ってやるなや。まぁ、いくら何でも研究所の方に入り込んでるこたねぇだろうな。先に教会を当たろう」


 ジュリアから見ても妥当な推測だったので、彼女はひとつ頷いて走り出そうとした。が、その前に、神妙な顔をした金髪の少女が問いを発した。


「しかしよぅ。お前さんなんでまた、ルームメイトとは言え今日会ったばっかの奴を必死に探そうとするんだ?」

「……?」


 意味がわからず――本当に意味がわからなかった――首を傾げるが、ジュリアは素直にありのままを話した。


「だって、友達になりたいんですもん。友達だから心配だし、心配だからほっとけないです。あの子、―――――――じゃないですか」

「……」


 風に嬲られ、最後が聞き取りづらかっただろうか。ジュリアの返答に、ヘレンはしばし沈黙していた。しかしジュリアが訝しんで声を掛ける前に、彼女はもう一度口を開いた。


「そうだな。それができれば一番だ。だけどまぁ、それが一番難しくもある。アイツに限らずな」


 嘆息と共に吐き出されたのは、ジュリアの実績からすれば反駁しても良い言葉の筈なのだが。とっさにそれを飲み込んだのは、そう断言する金髪の先輩の口調に強く自嘲が含まれていると感じたからだ。


「この島が特殊なのかお前さんが稀有な例外なのかは判らんけど、オーヴァード・非オーヴァード問わずサクっと仲良くなっちまうなんて、実際一角の才能だぜ? 少なくとも外じゃな」


 外、というのがどの範囲を指すのか、勿論ジュリアは正確に理解できたが。だからこそ、にわかには信じがたい気持ちだった。


「外の……普通のオーヴァードは、友達を作ったりとか、誰かと親しくなったりしないんですか?」

「まさか。オーヴァードは身内を大事にするモンさ。ただし、『特に同じオーヴァードどうるいを』っていう注意書きが付くんだけどな。仲間との繋がりが大事だと知ってるくせに、どいつもこいつも非オーヴァード相手だとどこか一線引いちまうんだな」


 言われて思い出すのは、この島に来たばかりの頃。当時知り合ったUGNのチルドレンやエージェント(見習い)の子達の顔。皆一様に同じチルドレン同士やエージェント同士で固まり、交友関係の広がり方もそういうグループ同士が少しずつ話すようになっていくだけだった。ごく一部の例外を除けば非オーヴァードのグループに声をかける子は居なかったし、それは非オーヴァード側でも同じだった。


「つまるところ、発症前からの関係とかそういう補正抜きで『信頼できる絆』ってやつを結ぶには非オーヴァードとオーヴァードは違いすぎるんだ。まぁ、非オーヴァード側の問題も無いとは言わないよ。だが多分――臆病すぎるんだ。オーヴァードアタシたちが」

「……」


 臆病。その評価は確かに的を射ていると言えるかもしれない。由乃だってまさにそうだろう。でも。


「でも……大丈夫ですよ。あの子だって、外のオーヴァードだって、ワタシは友達になれるって思ってるし、それに特別な才能とかが必要だとは思いません」

「へぇ?」


 訝しむような、同時に面白がるような声音で眉根を持ち上げるヘレンにまっすぐ視線を返しつつ、ジュリアは思い返していた。いつもの顔ぶれがそこここで固まるだけの教室。そこに飛び込んで、ぶち破って、引っ掻き回した3年前の日々。当時のジュリアにはそれが出来るという確信があったのだ。だって――彼らは一様に線を引いて、距離を置きながら、


 臆病なのだ。ちょっと臆病な『だけ』なのだ。だから、誰かが大丈夫だよって、こっちへ来て良いんだよって言ってあげれば。全力で受け止めてあげると声を上げれば。きっと踏み出せる。前に進める。最初は信じられなくたって良い。諦めずに何度でも呼びかければ、必ず応えてくれる人がいると、ジュリアは経験を持って知っていた。


「だから……うん! 由乃ちゃんを探しに行きましょう! 見つけて今度こそ友達になるんです!」


「……ああ。上手く行ったらメシ奢ってやるよ」


プラチナブロンドの少女は力強く頷くと、ただ前を見てまっすぐ歩き出した。

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