ミドルフェイズ・4

「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ……」


 走る。走る。走る。息を弾ませ、昼下がりの通りを駆け抜けていく。日は未だ明るいが、もう1時間もすれば夕刻ともなろう時刻。


(やっちゃった……やっちゃった……やっちゃった……やっちゃった……)


 由乃は部屋を飛び出し寮を飛び出し、あてもなく走り続けていた。その間、頭の中にあったのは、こうなる直前の問答。


『それでさ、由乃ちゃんはなんでこのアカデミアに来たの?』


(バケモノだと疎まれて、逃げ出して、チカラの制御もできない厄介者だからここに送られたなんて、言えるわけがない……)


痛いところに触れられただけで、この有様。自身の心理状態がモロに出てしまうという由乃の能力は、あっさりと知り合ったばかりのヒトを傷つけた。


(なんてみっともない……)


 置き去りにした彼女への罪悪感が胸を疼かせるが、それ以上にあの場に居られないという焦燥感と恐怖に突き動かされて走った。寮を出てからも市街地の方へ向かう気にはならず、その反対方向、海岸を臨む野原の様な場所に彷徨い出る。幸いにしてこのあたりは人通りの多い場所では無いようで、此処に来るまで由乃に声を掛けて来る人物はほぼ――唯一、教会らしき建物を通りかかった際に誰か声を掛けてきた気がするが、無視した――居なかった。そうして今、一人になると、胸から後悔と自己嫌悪が渦をなして溢れ出してくる。


(なんで、あんなに動揺しちゃったんだろう。別にジュリアさんがわたしの事情を知ってる訳ないのに。無難な答えを言っておけば、それで済んだ話なのに)


 ぺたん、と野原に座り込んで膝に顔を埋める。確かに触れられたくない話題ではあった。しかし同時に、触れられる可能性の高い話題でもあった。だから由乃は、角を立てずに流すための当たり障りのない受け答えもシミュレートして用意してあったというのに。


 (なんで……)


 自問するが、同時に答えらしきものも由乃は自分の中に持っていた。


 (あの、笑顔……)


 オーヴァードと友達になりたいとジュリアが言った時の、少し照れくさそうな笑顔が。由乃とも友達になりたいと言って差し出された手のひらが。


 (眩しくて……)


くしゃりと表情が歪む。理解できない、気持ち悪いと思った。でもそれと同じぐらい――どうしようもなく暖かそうだと思ってしまって。だから出来なかった。適当な話でごまかしたくない。雨鈴由乃は、ジュリア・リシュフォーに……友だちになりたいと言ってくれた少女に、ただ嘘を付きたくなかった。彼女の言う通り、わだかまり無く友だちになれたら。彼女とだけじゃない、離れたくなかった大切な人達とも。


 (わたしはオーヴァードなのに)


 オーヴァードの力は人を傷つける。レネゲイドウィルスはどんな強固な理性もいつか侵食する。人知を超えた異能を振るう超人は、いつか必ず人の形をした災厄に堕ちる。それがこの世界を支配する残酷な法則なのだと知らされた。だからそんな存在はヒトから恐れられて当然で。だからヒトを傷つけたくないと思ったら距離を取るしか無くて。アカデミアでも、親しい人間はなるべく作らないようにしよう、当たり障りのない受け答えで全てを受け流そうと決めていたのに。1人目で早くもその決意は崩れかかってしまっていた。


 (でも……寒いよ)


 もう何も知らなかった頃には戻れないと思い知らされ、体が震える。パパやママや学校の友達や……それまでの日々で得た絆は決定的に変質してしまったと思うと、凍りつくような寒気が体の底から湧き上がってくるのだ。この島で、オーヴァードとなら、少しは温もりを取り戻せるんじゃないかと思っていたけど、結果はああなった。オーヴァードの居る島、ではなくオーヴァードと人間の居る島だということに想像が至らなかった自分の浅はかさに歯噛みする。ちりちりと、焦げ臭い匂いと痛み。きっと体の何処かで炎が服と皮膚を焼いているのだ。だけど、ああ――もう良いや。


 (いっそ、消えちゃいたい……)


あの笑顔を、あの温もりを。もう得られないのなら。今後も拒絶していくしか無いのなら。こんな島に来た意味は無かった。ここで頑張ってやっていこうと、思えない。だって、こんなにも寒い。寒いのは嫌なのだ。



 寒さ。暖かさ。それがオーヴァードとなった由乃を支配する渇望だった。孤独という無慈悲な冷気を受け入れて生きようとしても、抗いがたい程に温もりを……人とのつながりを欲してしまう。飢餓感にも似たその渇望こそが、彼女の身を焼く炎の正体であり、由乃が最後の一線を踏み越えていないことの証でも有った。



(ごめんなさい、ジュリアさん。ごめんなさい、ヘレン先輩)


 出会ったそばから傷つけてしまって。出会ったときから迷惑をかけ通しで。せっかく新しいスタート地点を用意してもらったのに、始まる前から台無しにしてしまって。結局、オーヴァードバケモノになんかなりたくなかった自分が、オーヴァードのままで居られる島なんかに来ても、何も変わる訳がなかったのだ。


 周囲は街の喧騒からも離れ、残酷なほど静かだった。頬を撫でる潮気混じりの風は憎たらしいほど爽やかだ。傾きかけた陽と真っ白い雲が踊る平和な風景の中で、ぽつんと浮かぶ由乃の影だけが孔の空いたように黒々としている。


 そんな、由乃限定の行き止まりの。風と潮騒しかなかった空間に。ざっ、という若草を踏みしめる音がした。それに一拍遅れて気づき、顔を上げた由乃の――1人ぼっちでいじけている女の子の小さな背中に、遠慮も容赦もなしにぶつけられる声が2つ。


「居た居たー、やっと見つけたよー」

「こんなとこで何してんだよオマエ」

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