ミドルフェイズ・3
「……そろそろ必要な話をしましょうか。つまり、
「そうだな。こういうのは早いほど良い」
エリカが切り出した用件に、ヘレンは眉根ひとつ動かさずに頷いた。ガーディアンズドミトリー地下、薄暗い非常灯の明かりの下で、二人は陰鬱な雰囲気を纏ったまま会話していた。お互い顔は合わさず、柱のひとつに寄りかかってそれぞれ別の方向に視線を送っている。
「本来ならUGNエージェントも、未成年者であれば学校はそのまま通わせる。今回はそうならなかったのには勿論相応に理由がある。――アイツは現状、非常に不安定だ」
「それはレネゲイドが? それとも心が?」
「両方。つうかメンタルが崩れればレネゲイドの方も不安定になるのは常識だろ?」
「ええまぁ、そうですわね」
「アイツの覚醒に立ち会ったのはアタシだが、その時点でかなり規格外の力を持っていた。火事場の馬鹿力的なシチュエーションではあったけど、FHの一級エージェントを一撃でノシちまうなんざ普通じゃない」
告げられたのはそれなりに衝撃的な事実のはずだが、黒髪の女は――少なくとも表面上は――片眉をわずかに持ち上げただけであった。無言で続きを促す女に、金髪の少女は息継ぎをひとつ挟むと再び口を開く。
「出力が高すぎて自分でも制御できてない感じだった。素のままの人間の感覚が、オーヴァードの力に追っ付いてないんだな。反動で自分の体まで焼いちまうしよ。んで、そんな調子だから日常生活でもレネゲイド能力を隠すってのがちょいと難しい。別に家を焼いちまうとかまでは行かねーけどな」
「ご家族にも隠せない程だから対処が必要だった、と。でもその場合、マニュアルでは親しい関係者には真実を明かして協力を要請するか、制御できるようになるまで偽装入院させるとなっていますわね」
「あっちで選んだのは前者だった。まずご両親に説明をしたんだけど……そこでトラブった」
「拒絶された?」
「いや、拒絶した」
黒髪の女の表情が、今度こそ理解できないというふうにしかめられた。
「どういうことです? 雨鈴さんが、ご家族を、拒絶?」
「ご両親にはなんとか事情を飲み込んで貰えたんだけどさ。数日自宅で過ごさせたら、すげぇ勢いでレネゲイドが不安定化しやがって。慌てて支部に呼んでカウンセリングを受けさせたら……」
苦虫を噛み潰したような顔で、呻く。
「疑心暗鬼。アイツは『2人は私に怯えている。態度の端々からそれを感じる』って主張した。ご両親は確かに最初少し動揺してたが、むしろ肝っ玉は太そうな人達だった。監視していた支部員の報告でもそんな感じは無かったそうだが、アイツ自身は常に腫れ物扱いだったと言って、どんどんストレスを貯めていた」
「……妄想衝動?」
「診断したスタッフの見立てでは少し違うってさ。身体感覚以上に、心が『化物になった自分を受け入れきれていない』。自分が一番自分に怯えてるから、それを鏡に映して他者の瞳の中にも怯えを見る」
エリカが、ぱっちりとした瞳を伏せて溜息する。それは――レネゲイドに依らずとも起こる心の歪み。胡散臭いウイルスが原因で無い分、より厄介であるかもしれない病理だった。
「それで学園島へ。レネゲイドに怯えてそれまで持っていた人間関係を正常に保てなくなった雨鈴さんが、仮初めでも良いから馴染めるコミュニティがあるとしたら、それは誰も彼女を知らないまっさらな所しかない。さらにレネゲイドに侵食されているのを前提にできる所となれば、このアカデミア以外ではFHに入るぐらいしかないですものね。貴女に軽く依存してそうな感じだったのも、他の人間関係を失ってしまって唯一残ったものに縋っているからですか」
「そういうこと。判ってると思うけど、この話はアンタがリーダー扱いで、アイツと一応アタシの直属の上司ってことになるから伝えた。間違ってもアイツ自身の耳に入れてくれるなよ。ただでさえ環境が激変して神経参ってる奴に、オマエ
「勿論ですわ。……厄介なものね。確かに有ったはずの絆すら、自分で歪ませてしまうなんて」
「現実に裏切られた人間の落ちるとこなんざそんなモンだろ。戻れる目があるだけアイツは大分、マシな部類さ」
独り言のようなエリカの言に、ヘレンは突き放したような声で返すと、チッと舌打ち一つを残してその場を立ち去った。
***
「えっ……」
全く想定していなかった。この寮、UGNのエージェントやチルドレンの為のガーディアンズドミトリーの入居者なのに、UGNでもオーヴァードでもないとは? 目の前で首をかしげるポニーテイルの少女は一体何者だというのか。
「どういう……」
「あー、別に変な話じゃないんだよ? うちは家族ぐるみでUGNの支援者だからっていうだけ」
ジュリアは片目を瞑り両手を広げ、おどけたような仕草で続ける。
「4年前、お兄ちゃんがオーヴァードに目覚めてこっち側のこと知ったんだけどさ。お兄ちゃんがエージェントになるっていうから、パパやママとも相談して皆で応援しようって言う話になって。それでワタシもお願いしてこのアカデミアに入れてもらうことになったの」
「それじゃ、ジュリアさんがここに来た理由は……」
「世界の裏側で何が起こっているのか知りたかったんだよね。なーんにも知らないままなにか大きな事に巻き込まれて、何も出来ずに終わるとかはゴメンだったから」
肩をすくめる目の前の少女に対し、なんとなく身を縮めたくなるような気持ちになる。彼女の意見はきっと一般的な人間の反応だろう。由乃だって、ある日突然わけのわからない超能力者に襲われて死ぬなんて人生はごめんだ。だからやっぱり、ジュリアも自分を恐れるに決まっていて……
「この寮に入ることになったのは……うん。アレだね。たぶんパパが結構な額の寄付金を出したからだね……。パパったらちょっと儲かっているからって格好つけちゃってさー」
あ、うちのパパそこそこ有名なピアニストなんだよ? 知ってた? 知らないか。と、1人で納得しているプラチナブロンドの少女に、由乃は恐る恐る尋ねた。
「ジュリアさんは、オーヴァードのことを……その、どう思ってるの……?」
「んー。ワケありの隣人、かな。外じゃオーヴァードとそうじゃない人を、完全に別のものにしたい人達が居るって話だけど。ワタシはオーヴァードとも普通にお友達になれたらなーって思うなー。いやまぁ、難しいのは判るよ。力とかじゃ絶対に敵わないしね」
「ともだち……」
普通の人間が、
「そ、トモダチ。何をどう言ったって無かったことにはならないんだからさ、お互いがお互いを怖がらずに一緒にやっていけたら素敵じゃない?」
実際、オーヴァードの友達多いんだよ?とジュリアが笑う。その顔を呆然と見つめながら由乃は思う。
(わからない……)
今日一日で、由乃の想像を上回ることはたくさん有った。想像より大きな島。想像より可愛らしいヘレンの趣味。想像より平凡な街並みと、想像より広かった部屋。だが、オーヴァードと友達になりたいと言うこの非オーヴァードの少女が、由乃の想像から最もかけ離れた存在だった。オーヴァードは恐ろしい存在。人間に恐れられ疎まれる存在。そうでなくてはおかしい。だってそうでないと由乃は――
「だからさ、ワタシは由乃ちゃんとも友達になりたいな」
差し伸べられた手を。ジュリア・リシュフォーという少女を。理解できないと――どうしようも無く、気持ち悪いと感じてしまう自分がいる。いけないことだとわかっていても、その笑顔が眩しすぎて。
「わたし、は……」
小首をかしげて待つプラチナブロンドの少女に、悪気は無いのだろう。『普通の人間なら』ここは素直に手を取るのが正しいことだ。そう自分に言い聞かせ、のろのろと手を伸ばす。だが、それを見てホッとしたような顔を浮かべるジュリアが「そういえば聞き忘れていたけど……」と言い出した時、嫌な予感がして。
「それでさ、由乃ちゃん。由乃ちゃんはなんでこのアカデミアに来たの?」
的中した。
「――っ!」
「あ、由乃ちゃん――熱っ!?」
握った手に突然感じた高温に驚きジュリアが反射的に手を引っ込めるのと、悲鳴のような吐息を漏らして由乃が立ち上がったのは同時だった。赤く水ぶくれになった指先を涙目で口に含んでいる少女を背に、由乃は唇を噛みしめ、逃げるように部屋を飛び出した。
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