ミドルフェイズ・2

 それはコンクリート造りの無骨な建物だった。地上3階建ての見るからに堅牢そうな造りで、高い塀や一部はめ殺しの窓、隠そうともせずに設置されている監視カメラなど、全体的に寮と言うよりは刑務所かなにかを連想させる威圧的な佇まいである。そしてその正面、門扉には質実剛健な書体で『Guardian’s Dormitory』と刻まれていた。


 ガーディアンズドミトリー。上流階級の子女向け寮『エリュシオン寮』に匹敵するセキュリティの高さと充実したトレーニングルームが売りの学生寮。寮則は厳し目だがその分寮内の空気は落ち着いており、勉学熱心な生徒も多い。寮対抗イベントでは毎回安定して好成績を残している。ただし入寮はUGN職員及びその関係者に限る。

(オーヴァードアカデミア生徒会発行『学園島の歩き方ポケットガイド』より抜粋)

――というのが表向きの話で、実際のところ有事の際には臨時の拠点とするべく密かに要塞化された、緊急避難所兼UGNチルドレン向け学生寮。それが由乃達の入寮することになる『ガーディアンズドミトリー』の実態で。先程挨拶した寮監(どこから見てもアメリカンコミックに出てくる女軍人にしか見えなかった)に聞いた話では、地下には貯蔵庫やレネゲイド関連の調整設備まで備えている辺り本気で立て籠もりまで想定しているらしい。


「床もリノリウム張りなんですね……」


 花瓶どころか芳香剤のひとつも置いていない廊下を歩きながら、女子力という概念が根こそぎ死滅したかのような建物の有様を見て、由乃もドン引きしたような声を出さざるを得なかった。


「絨毯は火事になった時延焼の元になりますからねー。こっちの女子棟はまだマシなんですよ。男子棟は床もコンクリ打ちっぱなしですから」

「控えめに言っても嫌すぎるな。……お、206。アタシの部屋ここか?」


飾り気のない金属製の扉の前で止まった金髪の少女の問い。


「はい、ブラックドッグ用の設備は後でご案内しますね」

「おう、了解。――んじゃ由乃、とりあえず晩飯までは解散ってことで」

「え――あっ、はい……」


 返す声は頼りげなくしぼんでいく。人間ふたりが余裕を持ってすれ違える程度には広い廊下は、3人以外誰も居ないこともあって、宙に放られた声が予想以上に寒々しく響いた。当たり前というべきか、学年も違う由乃とヘレンの2名は別々の部屋に入る。心細いのか、うつむき寒気にふるりと体を震わせる由乃の視界の外で……2人がすっと表情を消して目配せしたのを、彼女はついぞ気が付かなかった。


「……それじゃ雨鈴さんのお部屋にも案内しましょうね☆ 相部屋になる子は私も知っていますけど、明るくて良い子ですからきっと仲良くなれますわ」


 手を合わせて、不自然なほどに朗らかな声を出すエリカが、由乃の様子など気が付かなかったかのように先を歩き出す。挨拶代わりに片手を上げて部屋に入っていくヘレンに軽く会釈し、由乃もそれに続いた。



 由乃が割り当てられた317号室の第一印象は『想像していたより広い』であった。2人部屋だから普通の六畳一間の賃貸などとは違って当然ではあるが、むろん一人暮らしなど経験のない由乃にその辺りの相場は判らない。ぼんやりとイメージしていた寮の部屋というのは、左右の壁際にある2段ベッドと文机以外何も無いし、通路は1人分のスペースでギリギリの薄暗いものだ(一般にはこれをタコ部屋と称する)。だがこの部屋は、無骨としか言いようのない外観や廊下に比べれば、それなりに女性向けの居住空間らしい雰囲気を持っていた。リビングスペースには学習机とクローゼットが2つずつにゆったりとした2段ベッド。床(こちらはちゃんと絨毯敷きだ)に座ることも考慮すれば5,6人までは入れそうな程度には広い。更に3点式のユニットバスと総IHのミニキッチンがリビングとは別にある。ワンルームマンションのような作りの部屋であった。


 その部屋で机の一方に座っていた、長いプラチナブロンドをサイドポニーに括った少女が由乃に気付き、イヤホンを外しながら振り返る。ターコイズブルーの瞳と白い肌が、この少女が欧州系の血を引く生まれだということを示していた。


「あ、こんにちは! キミが今日から入居するっていう娘だよね?」

「は、はい。こんにちは……。雨鈴由乃です、よろしくお願いします」


由乃の回答に少女は、快晴の青空のような朗らかな顔で笑った。


「うん、よろしくね。ワタシはジュリア・リシュフォー、アカデミア高等部1年だよ。あ、名前で呼んで良い?ワタシもジュリアでいいよ!」


立ち上がって手を差し出すジュリアに、由乃は頷いてその手を取った。


 荷物を置いて、ジュリアの淹れてくれたお茶を飲みながら、二人は色々と話をした。……というより、主にジュリアが興味津々で話を振ってきた。


「由乃ちゃんは日本の人? どこに住んでたの?」

「あ、はい、S県から来ました……。あの、ジュリアさん、日本語上手いですね」

「中1からずっとここに居るからねー。嫌でも覚えちゃうよ。アカデミアは英語も通じるけど、日本語が使えたほうが何かと便利だから。由乃ちゃんは英語出来る?」

「少しだけ……簡単な挨拶とかなら」

「そっかそっか! 大丈夫、英語しか出来ない人もいるけど大体なんとかなるよ。あ、宿題とか困ったら言ってね、ワタシ英語得意だから! クイーンズだけど!」


グイグイ来る。グイグイ来るのに……不快感は無い。


「由乃ちゃん、荷物それだけ? 服以外の私物少なくない?」

「い、一応必要な分は持って来てるから……。あんまりモノの要る趣味は無いし……」

「そーお? 島だと外の嗜好品は手に入りづらいから、気をつけたほうが良いよ?」


 気がつくと、口調も砕けてしまっていた。目の前で今月末発売のCDが夏休みまで聞けない(弓月某なる日本のボーカリストのファンらしい)ことをボヤいている少女と、もう何年も知り合いだったかの様な錯覚さえ覚える。人好きするというべきか、いっそ感心するほどの人懐っこさだった。


 2人の話は――驚くべきことに――盛り上がっていたが、そんなフレンドリーな同居人が、ふと緩んでいた顔をやや引き締めて切り出してきた。


「それで、聞いておきたいんだけどさ……この寮に入るってことは、由乃ちゃんってUGNの人だよね?オーヴァードなの?」


 んぐっ、と思わず口の中で変な声が出た。不躾な問いにとした手触りが背筋を這い上がってくる様な感覚を覚えるが、ジュリアの表情には恐れや嫌悪などの負の感情が全く見えない。


(うん、そういえばここはそういう場所だったっけ)


 目を逸らしたくなるのを堪え、息を吐いて気を落ち着ける。オーヴァードアカデミア。超人が超人であることを隠さず通う学園。正直現地入りした今でも荒唐無稽な話だと思っているけれど、こうして『そういう反応』に出会うとホラ話でも何でも無いことを思い知らされる。


「う、うん。まだ覚醒して1ヶ月ぐらいだけど……サラマンダーのオーヴァードで、覚醒した直後にUGNに入ってエージェントになったの」

「おおーすごい! エージェントってなるの結構大変なんだよ。結構頭良かったりする?」

「べ、勉強はそんなに得意ってわけじゃない……よ?」

「んんー、なんで疑問形なのかな怪しいなぁ~。さてはそんなこと言ってサラッとテストで満点とっちゃうタイプだなキミぃ~」

「ちちち違うよぉ! ……あの、それで。ジュリアさんもUGNのオーヴァードなの?」


 別に形勢不利と見て話を逸らそうとした訳ではないが、こちらからも気になっていた質問を投げる。それに対し、目の前のプラチナブロンドの少女は


「それね。実は答えは、両方共『NO』なのです」


あっけらかんと、予想外の答えを返した。

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