続4

休みの日に光の部屋へ行った。だらだらと酒を開けながら話していたけど、ずっと会話は空回り、笑顔も引きつっていた。

無理をしなくていいと言うとそれを止めて、しばらく沈黙が続いた。光は表面上上手く振る舞うけど、自分のことに関しては特に不器用だ。いつも人のことばかり優先する。

やがてその小さな口を開くと、声が震えていた。

「俺……あのっ」

しばらく葛藤するように言い淀む。目には涙が浮かんでいた。

「りょうさん……あなたの事が、好きです」

「……えっ」

「でも……それが、女としての自分なのかもしれないと思ったら、どうすればいいのか分からなくなって……っ、自分が何なのかって考えたら、手術なんか踏み込めなくて。俺は、性別がどうとか関係なく、ただ貴方を……っ」

「光……」

「ごめんなさい……っ、ただ迷惑にしかならないって分かっていたのに……俺が、弱いから」

光は床につくぐらい体を倒して泣いていた。震える背中がいつもより小さく見える。

「俺は……。ごめん。光のことを恋愛感情としては見られない。いや光だけじゃなくて、この先もそういう人は作らない……作れないと思う。でも、大事な存在だってことには変わりない」

ひどいことを言っただろうか。でも曖昧にしたり、誤魔化す方がよほど酷な気がする。

「今凄く楽しいんだ。こんなに毎日笑っているなんて、考えられなかった。だから、その関係を壊すのが怖いだけかもしれない」

泣き声は止まっていたけど、顔は俯いたままだ。

「親友になってほしい」

「……えっ?」

「ちゃんとした友達すら、今までいたことはなかったよ。何をしても嫌われて、どうやって作るのか分からなかった。自分のことを分かってくれる人はいないし、もし現れても信じられないって思ってた。でも光には、素のままの自分で話せるんだ。取り繕わないで、気を使うこともない。親友……友達になってほしいって言うのは、ダメかな」

「……っ」

「俺が女として振る舞えば、光は男でいられる。そしたらもう迷わない?」

「……俺は」

「今すぐ決めなくてもいい。でも悩んでいる時間がプラスにならないのなら、それ以上悩んでいるのはもったいないと思う。いつも通りの光でいいんだよ。何も分かってない俺が言うのも、勝手なことに聞こえるかもしれないけど……答えは自然と出るものだと思う。いつかきっと、しっくりくる答えに導けるよ。友達なら、男でも女でも関係ない」

「りょう……さん」

「それも取ってよ」

「えっ?」

「敬語なんか、なしでいいよ」

「じゃあ……りょ、りょう……」

「いい感じじゃん」

「……うん。ありがとう」

自分がこんな風に言うなんて、あの頃からすれば考えられなかった。光のことは驚いたけど、今の状態がまぁまぁに満たされているからか、あまり深刻には受け止められなかった。

次の日はいつも通りに戻ったように見えたから、そのままどこか楽観的に過ごしてしまっていた。

それからまた数ヶ月経った。あっという間に時間が進んでいて、ここに来たのも懐かしいなと思いを馳せていた時だった。肩を叩かれて振り返ると、光が立っていた。

「りょう、あのさ……」

「どした?」

「無理、してないかなって」

「……そう見えた?」

「りょうがそうしてくれているのって、俺のことも少しは関係しているのかなって。確かにそれで救われている部分もある……でも、俺にはもうチャンスがないって分かっていても……前のりょうでいてほしいって思う時があるんだ」

「……光」

「そのままの、飾らないりょうを見ていたい。今は昔を忘れようと、消してしまおうとしているみたいに見えるんだ。ごめん……勝手なこと言って」

「あたし……いや、俺は……うん。そうだね、忘れたいんだ。偽って、演じて、それが本当になっちゃえばいいのにって。光のことを助けてるつもりで、実は自分のことしか助けられていなかったのかもしれないね。自分のことだけで精一杯なんだ」

「……りょうは皆を助けてるよ。今はお店に欠かせない大事な存在だ。そんな言い方しないで」

「……うん」

「本当は……今でも、あなたが好きだ。だから気になってしまう。諦めようと思うのに……つい手を伸ばしたくなる。りょうの幸せとか、何が楽かなんて、そんなの俺には分からないのに。それでも……ありのままでいてほしいんだ。ここは皆が自分を取り戻せた場所だから。……あなたは、ちゃんと誰かのことを好きになれる人だよ。こんなに優しいんだから」

その時の光の笑顔が最後になるなんて、この時は思いもしなかった。

別れた後部屋に戻って、寝転がる。自分でも正解が分からなかった。どの状態が楽なのかとか、素とか。でも光がああいうのなら、少なからず俺が無理をしているように見えるんだろう。何も話さないで、俯いているような状態の俺がいいのか? 本来はもっと明るかった? 答えが出ずに、頭の中で渦巻く。誰かがこれだと決めてくれたらいいのに。

この夜が最後になると知っていたのなら、伝えたいことがあったのに。もっと……せめて涙ぐらい拭いてあげられたら良かった。

光はベッドの上に横たわっていた。白い布を乗せて。

部屋に入って、足が崩れた。力が入らず、這って側に寄った。光の体はぞっとする程冷たい。

海で溺れた子供を助けに、そのまま……その単語が聞き取れた頃には、もう全てが終わっていた。

そういえば昨日、海に誘われていたっけ。お店に人がいなくなっちゃうから断ったけど、光は数日前から楽しみにしていた。サーフィンが趣味だって言ってたっけ。もっと楽しい気分で、送ってあげたかった。

……俺はまた失ってしまったのか、大事なものを。佐藤さんは許してくれるだろうか。ああそうか、あの人への恩返しだったのに。何もできないどころか、傷つけてばかりだった。こんなに俺のことを大切にしてくれる存在なんて、この先現れないかもしれないのに。

しばらくお店を閉めていたけど、数日後には復帰した。もう光の骨は、ここにはない。

もう終わりでもいいかな。多分一番楽なのは、この世界を捨てることなんだ。お店の皆に恩を返し終わったら、そっちへ行くよ。

琥珀色の液体が注がれる。高いお酒を入れてもらった。わざとらしいと思うほど喜んで、口に含む。少しの苦味の後に、ふわりと甘みが香る。思ったよりも度数が高かったらしい。体がカッと熱くなった。

「あれ……これってこんなに、強かったっけ……」

目の前がぶれる。ぐるぐると回っているような気がして、机に倒れこんだ。

「ごめんなさ……い、ねむく……なっちゃって……」

急激に襲ってきた眠気に耐えきれず、意識を手放した。


体のあちこちが痛い。同じ姿勢で寝かされていたからだ。部屋は薄暗かったので、あまり眩しさを感じなかった。

どこだ、ここ……。まさか拉致でもされた? 誘拐?

上体を起こすと、周りに人が沢山いるのが見えた。とりあえず自分だけじゃなかったことに、少しホッとする。

眠らされる前の自分はどういう状態だったのだろう。服は確かに自分のものだ。部屋にいた時? ダメだ。何も思い出せない。

ポケット中を確認するまでもなく、そこはぺったんこだった。

こんなに人間を集めてどうするんだろう。人体実験でもする気か? 選ばれたのはただの不運か、理由があるのか。

立ち上がって辺りを眺める。壁際にぼんやりと照らされた人形があった。お姫様のような格好をしている、美しい顔の……え、動いた?

何故だかそれが凄く気になって、恐る恐る近づきながら声をかける。

少女と少年に惹かれて現れたのは、夢の遊園地だった。

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