続3
随分穏やかな時間だったと思う。なんとなく二人で駅まで歩いたけど、今後の予定を全く決めていないことに気づいた。
「あ、そうだ」
「どうしました?」
「……俺、家無いんだった」
「え! 宿無しですか?」
「もう帰らないつもりだったんだよね。ネカフェで過ごすのも限界があるな」
せっかく良い気分なのに、金が尽きたからといってすぐに死ぬことを考えたくない。いや、それが丁度いいタイミングか?
「じゃあ俺のとこ、来ます?」
「……えっ」
「ああ! その、めちゃくちゃ狭いし、汚いところなんですけど……その外よりマシかなーって。いや! やっぱりママにどこか物件がないか相談してみます!」
「うーん……迷惑じゃなければお願いしようかな。贅沢言ってられる身分じゃないしね」
一応確認したけど、駅付近のネットカフェはどこも混んでいた。今日一泊だけお邪魔になって、明日からの過ごし方を考えよう。
実際に彼女の部屋は、お世辞にも綺麗とは言い難いものだったけど、それが何だか落ち着いた。
「じゃあ、おやすみなさい」
「うん……おやすみ」
「……っ」
眠れそうだけど、意識はまだ保っていた。そんな時に隣の動く気配を感じる。
「あの……りょうさん、まだ起きてますか?」
「ん? ……なに」
「あ、その……本当に、ありがとうございました」
「こちらこそだよ。俺と佐藤さんからお礼を言うよ。君じゃなきゃ、できなかったことだしね」
「……っ」
「……あれ」
振り返ると、既に眠りについているようだった。すやすやと静かな音が聞こえる。
半分ぐらいは眠れただろうか。缶詰が多い朝食を済ませた後、やることもないので店に顔を出すことにした。思っていたよりも早く、店に入って準備をしているようだ。
「光くん、随分なべっぴんさんを連れてきたじゃない」
「ママ、この人はそういう人じゃないですから……」
「でも営業前に来られたら、ただのお客様扱いはできないわね」
「あ、すみません……邪魔でしたよね」
「ふふふ……」
意味深に笑うと、こちらに近づいてきた。品の良い花のような匂いがする。
「貴方光るものがあるわねぇ……あ、洒落じゃないわよ? ほら、光と光るが……」
この店のオーナーであるママさん(本名も年齢も、誰も知らないようだ)は男性だったらしいけど、凄く綺麗な人だ。
「そうね。ちょっとだけ……ね、いいでしょう?」
楽しそうに手を叩くと、俺の腕を取った。
「ちょ、ちょっとママ!」
「りょうくんって言った? ちょーっとだけだからね、安心していいわよ」
「……すみません。自由な人なんです」
助けを求められる人はこの空間にいなかった。作り笑いを浮かべながら、光の申し訳なさそうな顔を見る。そのまま奥に、力強く引っ張られた。
「あの……本当にこれで、出るんですか」
「もうすっごく綺麗だから! 早く皆に見てもらってちょうだい! これを見せないなんて、もったいなさすぎるわよ」
ドンッと押し出されて、準備中の店内に出された。いつの間にか時間が経っていたのか、人が増えている。ばっと向けられた目に恥ずかしくなって、顔を下に向けた。
「あらぁー、誰ぇ? この子」
「やだっ! 肌しろーい、ほっそーい!」
「りょ、りょうさん……すげぇ綺麗です」
「あ、あたしより可愛い……だと!」
「あんたは元からバケモンよ」
「なんだと!」
ママに後ろから肩を抱かれた。得意げな顔をしている。
「新たなスターの誕生ってところかしら。どう皆?」
「……っ」
懐かしい感覚だった。視線がひしひしと伝わってくる。舞台に出た時の熱さが頰に蘇った。
客席には伝わらない、演者の一瞬の緊張。舞台に現れて、台詞を言うまでの期待するような目線。それらと似ていたけど、少し違うものの気がした。視線が心地よく感じる。何かを演じるということが、思っていたよりも好きだったのかもしれない。すっと、何かが心に収まった。
「……っ」
「りょうくーんっ、こっち向いて〜」
「ちょっと、皆さん落ち着いてください!」
少し息を吐いて、顔を上げた。今ならここの誰よりも、綺麗になれる。
「そんなに見つめるなら、見物料を頂こうかしら?」
オオーッと、男のものか女のものか分からない歓声が上がった。
「りょうくん最高よ! ここまでの素材は見たことがないわ!」
「なかなか女王様が似合っているわね……キャラ被りはしてないわ」
「いや! あたしと被ってるでしょ!」
「あ、あの……皆さん」
「光! あーもうボーナスあげちゃおうかしらぁ? りょうくんならあっという間に上り詰めちゃうわよ」
「あ、あれ……いつの間にか働くことになってません? 気が早いですって! とりあえずりょうさんの意見を聞かないと……」
大丈夫ですか? と隣に来て耳元に囁いた。周りが騒がしいので、近づかないと聞こえない。
「はは……ちょっとびっくりしてるけど、平気だよ。久しぶりに受け入れてもらえた気がする」
ここなら、もう少しだけ過ごす場所にはうってつけかもしれない。困っていたような光も決心したと言うと、嬉しそうに笑ってくれていた。
そんなわけで不思議な縁から、俺の居場所はここになった。部屋は光の隣が空き部屋だったので、そこを借りた。ボロアパートだけど、ちょうど良かった。
小さいことは気にしないこの場所で、少しずつ生きる活力を取り戻していけたように思う。もう少しだけがちょっと伸びていた。
数ヶ月経った頃だ。最近の光の様子が少し気になった。この世界では悩み事が多そうだけど、元気な光がため息を吐く姿は心配になる。お客さんの前では見せないけど、ゴミを捨てに行った時や、ベランダにいる時は浮かない顔をしていた。
「光、ちょっと話いい?」
「あっ……りょうさん。お疲れさまです」
洗濯物を取り込む音がしたので、外に顔を出した。隣とは手を伸ばせばギリギリ届きそうな近さだ。
柵に肘をついているのを見ていると、佐藤さんの姿を思い出す。
「すいません……仕事に身が入ってないように見えますよね」
「何かあったの?」
「……ママには言ったんですけど、手術どうしようかなって」
やっぱりと思った。ここにいるとよく聞く話だけど、自分のこととなると一大事だ。
光の悩みは体にメスを入れるなど、手術自体の恐怖や、親へのこともあったと思う。でもそれよりも光の中に大きな問題があったことを知るのは、もう少し後だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます