続2
久しぶりに頭がすっきりしていた。帰り道は昨日より息が吸いやすい。
すでに少なくなっていた荷物を鞄に入れて、残りを全て捨てる。もうここには帰らない。
電車に乗って、窓を見つめる。これが最後の旅か。これから全てに最後がつく。よく分からないけど、ちょっと面白かった。
教えられた住所に着いたけど、それらしき人はいなかった。探す意味も含めて、この辺りを散策する。迷ったり、変な道に出たりして、気づいたら結構な時間が経っていた。
さすがに今から戻るのは面倒だ。とりあえず一泊過ごせる場所を探そう。
繁華街近くを歩いていたら、声をかけられた。
「お兄ぃーさーん、うちの店どうすかー」
キャッチか、面倒だな。早足で抜いたのに、前からも声がかかった。
「お兄さんうちでホストやりません? 絶対ナンバーワンなれますって! 超かっこいいっすよ! とりあえず店の中だけでも見て行きません?」
「……興味ないんで」
その男はやけにしつこくて、離れようとしなかった。歩けないように追い詰めてくる。
「……おい、過度な勧誘は禁止行為だぞ」
間に小さい男が入り込んできた。童顔に似合わないスーツ姿だ。
「もうすぐここ、見回り来るけど?」
警察のことだろうか。絡んでた男は舌打ちをして、離れていった。
「すいませんいきなり……でも困ってるように見えたので」
「……ありがとうございます」
「いやっ! お礼なんて、とんでもないです!」
顔の前で手をパタパタしている仕草に、なんとなく違和感を感じた。
「あのいきなり失礼かもしれないですけど……もしかして女性ですか?」
初対面で本当に失礼だったか。彼、彼女? は目を伏せて、明らかに動揺していた。
「あっ……えっと、すいません。その変な意味じゃなくて……あ、変っていうか……」
気を悪くさせてしまっただろうか。弁明しようにも言葉に詰まってしまって、うまく話せない。それを見ていた相手が、吹き出すように笑った。
「あはは、お兄さんいい人ですね。良かったら家の店に来ませんか? お代はいいですから」
そういうわけにも……と言おうとしたところで、ほとんどお金を持ってきていないことに気がついた。ここで断るのもなんだか気まずくて、誘いに乗ることにした。
雑居ビルの三階、看板はよくあるスナックのように見えた。扉が開くと、煙草と香水の臭いが鼻についた。ソファー席が多くて、キャバクラのような感じだろうか。
店の中まで入って、違和感に気づいた。明らかに体格のいい男性がドレスを着ている。隣にいる彼女のように、スーツ姿の女性も何人かいるようだった。
「あ、すいません……知らないと驚きますよね。とりあえず、こっちの方は静かなんで」
端の席に腰を下ろすと、隣で手を合わせた。
「ごめんなさい! びっくりしましたよね……いやー、友達にもよく言われるんですよ。普通の人は耐性ないんだよって……ああでも、ここにいる人は皆いい人ばっかりですから。迷惑じゃなきゃ……一杯付き合ってもらえますか?」
「……うん、大丈夫。楽しそうでいいと思うよ」
なんとなく相手は年下だろうと思った。話しやすい雰囲気があるのか、自然と敬語が取れていた。
「じゃあ俺、グラス持ってきますね」
早足で裏に入っていった。じっと店内を眺めると、脳裏にあの時のことが蘇る。そういえば自分もあんなドレスを着て、演技していたな。
客は女性も男性も多くて、あちこちから笑い声が上がっていた。
「では乾杯! ですね」
「ああ、うん……」
ぎこちなくグラスを合わせる。久々だから変な感じになってしまったけど、なぜかあっちも緊張しているように見えた。
「お兄さんの言った通り、俺は……体は女なんですよ。でも心は違うっていうか。まぁチビだし、お兄さんみたいにシュッとしてないし……あはは、そのぐらいカッコ良かったら、もっとキマッてたのになぁ」
無理して笑う姿が少し自分と重なった。
「……君、名前は?」
「あっとー、光です」
「……それって本名?」
「えっとー……」
「あ、ごめん。違うんだ、別に問い詰めたい訳じゃない。俺、昔劇団に入ってたんだけど、その時やった役に本名のりょうをもじって、涼子って名前をつけたんだよね。それ思い出したら、そんな感じで源氏名って決まるのかなぁ……なんて」
「劇団……ですか?」
「……うん」
急に空気が変わった気がする。彼女は真剣な目でこちらを見てきた。
「あ、あの! その劇団って、なんて名前でしたか?」
「えっと、虹日劇団だっけ……懐かしいな」
「虹日……!」
「まさか、知ってるの?」
「俺、母親の影響もあって、劇を見るのが好きなんです。色々行ってて、パンフレットとかも集めているんですけど……母が持っていた物の中に、虹日のが沢山あったんです。でも虹日のことを聞いても教えてくれなくて、絶対に行くなって言われて……気づいたら母は全て処分してしまっていたんです。昔のことなんで忘れていたんですけど……今思うと、虹日だけなんであんなに厳しくしていたんだろう」
「……っ」
まさか、いやそんなわけ……。でも、状況が一致しすぎている。
「もしかして君、中崎さんじゃない?」
「え、なんでお兄さん……俺の名前」
こんな偶然があるなんて、つくづく人生とはドラマチックだと、皮肉に思う。ここまできたら言ってしまった方がいいだろうか。本当の父親かは分からないけど、そういう人がいたんだと掻い摘んで話をした。
「そんな……ことが」
「まぁ、子供には話しづらい内容だからね。君に知られたくなかったんだと思うよ」
「……俺、今家出ているんです。父さんは家にいないことの方が多かったし、母さんとは衝突が多くて……」
「……そっか」
「あの、その人ってもう……長くないんですよね」
「……うん。そうだね」
「会いに、行けませんかね」
「えっ……」
瞳には、覚悟を決めたような強さが宿っていた。
「父親かもしれないから気になっているというのも、少しはあります。それよりも……ただ会ってみたいんです。母が大事にしていた劇団の人に。……迷惑ですかね」
「……ちょっと待ってて」
席を立って、病院に連絡する。現状を聞く手が少し震えていた。俺は何を言われると思っているんだろう。数回の呼び出し音の後、通話が繋がった。
「……もしもし」
「すみません、佐藤さん。調子はどうですか」
「俺は大丈夫だよ。そっちはどうだ?」
「その……見つかった、ぽいです」
「はっ?」
沈黙が長く続いたように感じた。
「あ、あー……そっか。マジか……」
「とりあえず、本人は会いたいと言っています」
「……本当に?」
「はい……善は急げと言いますし、このまま向かってもいいですかね」
「ちょっと待て……って言いたいところだけど、いつ来ても心の準備なんか整わないな。分かった。待ってるよ。りょうは平気か? 疲れたなら無理しなくても……」
「この状況で俺のことを心配している暇はありませんよ。俺も色々起こりすぎて、自分のことは忘れちゃってますから」
「……はは、そっか。じゃあ気をつけて来てくれ」
光は早めに上がることにしたようで、そのまま二人で始発が来るまで待った。その間は、あまり会話がなかったように思う。眠かったけど、ずっとそわそわしたものがあって、落ち着かなかった。
ただいまを言えないまま、消える選択肢もあっただろう。そう思うと、この扉を開けるのも尊いことのような気がした。
先日よりもやつれたようだった。それでも目だけはしっかりしていて、すでに涙ぐんでいるように見える。
「佐藤さん、この子です」
ゆっくり起き上がった彼に、後ろの彼女を紹介する。俺まで緊張していた。
「……はじめ、まして」
「君が……。ああ、驚いたな。でもやっぱり、母さんに似ているな」
「貴方が父かどうかは、検査をしてみないと分からないんですよね?」
「いや、俺はただの知り合いだよ。ちょっと演劇ファンのお客様と仲が良かっただけ。君の中に俺の血なんて、一滴も混ざってない」
光が横を通り過ぎて、一歩近づいた。
「変なこと……言ってるかもしれないですけど、貴方と初めて会った気がしないんです。無条件に落ち着くっていうか……暖かくて、ずっと見守ってもらっていたような」
「俺はそんな立派な人間じゃないよ。何もできなかった。君のお母さんもお父さんも、もちろん君も。みんなが幸せになってくれればいいなって願っていただけだ」
「お父さんって呼んでみてもいいですか?」
二人を残して、そっと病室を抜け出した。窓の外を見ると、気持ちの良い晴天だった。淡い光が廊下を染めている。
「……奇麗だな」
金色と混じり合ったような雲の上には、天使がいたりするのだろうか。それが天国だというのなら、素敵なところだ。俺も空の一部に、なれるだろうか……。
佐藤さんと光は、俺から見たら家族だった。穏やかに話す二人を見ていると、久しぶりに良い事ができたと少しほっとした。これも誰かにとっては、例えば光の母からしたら悪いことだろうけど、俺はこっちを優先したい。
佐藤さんは照れくさそうにおかえりと言ってから、今度は俺が行ってきますだなと笑った。不謹慎だと思うけど、彼のジョークの中では上手い方だ。
だから俺が次に言うのは、お待たせしましたかな。待ってくれている人がいると思うと、死が怖くなくなった。だからもう少しだけ、ここの世界を見ておこう。俺の目からしっかりと。
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