続1
最終日の舞台に佐藤さんが来ていないことを知ったのは、数年後だった。
適当にバイトでやり繋いで、やりがいのない日々を過ごしていた。会いづらいから劇団の奴らと会わないように避けて、遊びに行くことも減った。
無性に過ぎていく毎日。目標も夢もない。親にも会えないし、友達もいない。連絡先も全て消してしまった。
偶然なのか運命なのか……。通っていた精神科のある病院の中で、あの名前を耳にした。こんなとき時に会うなんてと思ったけど、それはただの偶然ではない気がして、病室に向かった。
「……佐藤さん」
彼は弱々しくなっていた。重い機材でも任せろと見せていた自慢の筋肉は、すっかり痩せてしまっている。
「……っ」
そのときこちらに気づいた彼が振り返った。虚ろだった目が大きく開かれる。
「あっ……起きなくて大丈夫です」
とっさに体を押さえるように、手を伸ばしていた。
「また、お前に会えるなんてな」
目にうっすらと涙が溜まっていく。指で拭いながら、近くにあった椅子に座った。
「お前……あの時よりも痩せた、か?」
今の自分は摂食障害も伴って、酷い状態だっただろう。ほとんど寝るだけの、それこそ彼と変わらない生活なのだから……。
俺の顔を見て、今どういう状態なのか気がついているみたいだった。次に聞こえたのは謝罪の言葉。
「ゴメンな……。お前には、期待してたから……俺の勝手な気持ちが、お前を傷つけた」
「そんなこと……」
「りょうは今、何してる?」
優しく問われた声に、昔の思い出が蘇る。
「………何もしていません」
「じゃあ、辛いだろ」
「……っ」
放たれた言葉は、思っていたものとは違っていた。
「お前そのままじゃ……なくなっちゃいそうだ。まるで海に攫われた砂のメッセージみたいに……なんて、似合わないか。はは、だから俺は演者になれないんだな」
「佐藤さん……病気なんですか」
「うん、まぁ健康とは言えねーか……。でもこの年になったら皆、何かしら問題を抱えてるよ。それこそ自分の意思とは別にな。だから自分の問題を自分で悩めるって、実は良いことなのかもしれない」
「俺は、悩み方も忘れてしまいました」
第三者のようなところから言葉が出た。すでに自分の心とは離れすぎていたのかもしれない。
「……りょう、お前死ぬつもりだっただろ」
「……はい」
「そっか、どうしようもないときってあるよな。それで体が動いたら、本当にこの世からいなくなっちゃうんだもんな……呆気ないよ」
「うん……」
「よく言うけどさ、なんで生まれてきたんだと思う?」
「……分かんない。だってどうしたって死ぬってそれだけは抗えないのに、百年ぐらいの微妙な寿命与えて……その中で幸せ、なんていう曖昧なものを求めていくなんて。結局は消えちゃうのに……本当、適当な事ばっかで意味分かんないよ」
「子孫繁栄って言う人もいるだろうけど……本当にそれだけで満足しているのかな。自分が死んだ後は、どうなるか分からないぞ。最後の血にならなかった、それだけで安心できるものかね。人類が滅びたら、証明するものは無くなるのに」
「だから、結婚しなかったの?」
「ははは……こんな舞台馬鹿のおっさんを、貰ってくれるような嫁さんがいなかっただけだよ。……ちょっと恥ずかしいこと言うけど、生まれてきた意味が良い人生を歩むってことなら……俺はこうして、お前会えて良かったって思うよ」
「……うん」
「更に言えば、死ぬ前に話ができて……お前が自ら人生を終えようとしているのを、止めることができて」
「……っ」
思わず顔を上げていた。この時満足する一言をかけられていたら、本当に終わらせてしまっていたのかもしれない。佐藤さんに何を言われても、この心と体は終わりを望んでいたと思うから。
自分より年上の男は、強い意志を宿した瞳を向けていた。
「まずは、お前の人生をいっぺん俺に預けてみろ。それからお前がどうするべきか、俺が決めてやる」
「預けろって……どういうこと」
「とりあえず、あれからお前がどう過ごしてきたのか教えてくれないか」
劇団を辞めてから、今までのことを話した。
久しぶりに長く話したからか喉が渇いて、自動販売機がある場所まで歩く。下まで降りると、家族連れの姿が結構見えた。そういえば佐藤さんの部屋に、お見舞いの品はあっただろうか。
部屋に戻ると花が置いてあったので、ほっとした。
「この花は誰が置いてくれたんですか」
その質問には苦笑いで返された。気を使った、病院側の誰かが置いていったのだろうか。悪いことを聞いてしまった。
「きっと俺はそう長くないと思うんだ。体が重い。でも不思議と怖くないんだ……ああこんなもんかって感じ。でもそれってやっぱり、自分には何もないってことなんだろうな。お前と会ったら、もう少し見届けたいって思っちゃったし……」
前の佐藤さんなら、叱ってくれていただろうか。喝を入れて……でも今のこの人は自分と同じだ。確かに今更説教を聞いても、響かなかったかもしれない。ただの他人なら、会話することさえも苦だっただろう。佐藤さんがこうなってしまったことは、少し寂しく感じた。
「……実は俺に、娘がいるらしいんだ」
しばらくお互いの話をして、日が陰り始めた頃だった。ためらうようにぽつりと呟いた言葉を聞き返す。
「……えっ」
「いるらしいっていうのは、確信が持てないからだ。まぁ恐らくは俺の子じゃない。だから教育費もいらないって断られて、会うこともしなかった」
「……他の父親がいたってこと?」
「不倫とかじゃないぞ。まぁ今となっては俺の方が浮気相手なのか……。別れた後すぐ一緒に住みだしていたから、恐らく前から付き合いがあったってことだ。子供もその人とのものだろう。ただ時期が曖昧でな……まぁ向こうは今も別れず幸せにやってるみたいだし、他の父親候補なんて話は忘れてしまった方がいいだろ」
「それってやっぱり浮気じゃん。その人のこと恨んでないの?」
「……俺にとっちゃ、あの舞台が子供みたいなもんだからさ」
「だから……それっ、似合ってないって」
頭の上に大きな手が置かれた。そっか、俺はこの人に……家族を、親を求めていたのか。
この人の不器用さはよく知ってる。本当に相手のことを思って、厳しい言葉だって分かってるのに、わざわざ言ってしまうような人なんだ。
「まぁ唯一気になってることは、それぐらいなんだ。だから、俺の代わりに会ってきてみたいな……こと。これをやってきてくれ。お願いじゃないぞ。今のりょうの人生は俺のものだから、無視できない命令だ。俺に好きに使わせてくれ。その後は……」
「……分かった。それだけやってくるよ」
その後は自由にしていい、そんなことを言おうとしたんだろう。寿命が少ないこの人が、寿命を持て余している俺に言うのは辛いことだと、今になって気がついた。
「そっか……あーなんか上手く言えないな。ありがとうってのも違う気がするし、頑張れもおかしい。そうだな……あ、行ってらっしゃい」
「なんで?」
「次にお前が言う言葉はただいまだ。そしたらお帰りって答えるからさ」
約束だと、少し腕を上げた。
「懐かしいな……こんなのするの」
小指を合わせて、少し力を込める。
「じゃあ、行ってきます」
この言葉を言うのは、これが最後になるかもしれない。扉が閉まるまで、あの頃より少し弱くなった笑顔を目に焼き付けた。
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