新章

《一章》


その夢が目覚めるとき――


《prologue》

アリスは笑った。

目覚めた時、太陽を浴びて。

窓を開けて風を感じ、庭にいた猫の姿を見て。

紅茶の香りを纏わせた棚を開き、中から宝物を取り出して。

鏡に触れ、髪を梳きながら。

お気に入りの靴を履いて、バケットを持って、くるっと一回転して。

小鳥の声が遠くに響く木々の中で、波が揺れた。

そして僕の前でアリスは……。



《一章》

少しずつ世界が変わっていく様子を、客観的に見つめていた。昔から世界が滅亡すると何度も言われていたから、本当にそうなってしまっても仕方ないと思っていた。でも今回は密やかに少しずつ、考えてもみなかった形で終わりに向かっていったんだ。

隣のクラスで生徒が三人消えてしまった。当然学校内はパニックで、一時は臨時の休校や、一斉下校もあったほどだ。

それは町に殺人鬼が現れたのでも、ウイルスが蔓延したわけでもない。彼らは勝手に自分から消えたんだ。

冬休みの間、携帯の中ではお祭り騒ぎだった。くだらないチェーンメールも何回見たか分からない。

勝手なことばかりで、学校の裏サイトは埋まっていく。そこは少年達への批判ももちろんあったけど、それよりも自分も行きたいという意見の方が多かったと思う。

ニュースでは毎日遊園地の外観だけが流されていた。面白がって生放送で必ず出てきてやると中に入った芸人が、一向に戻って来なくて放送事故になるということもあった。

冬休みが開けた学校では、一組に人だかりができていた。いなくなった人の机なんか見てどうするんだろうと思って覗いてみると、手を合わせたり、机に触れたりして、きゃあきゃあと歓声をあげていた。待ち受けにしたり、数秒間触れると、チケットが送られてくるという噂があるようだ。

くだらない奴しかいないと、頭を押さえてそこを後にした。

別に仲が良かったわけじゃない。でも同じ校舎にいれば、何度か顔を見るということもある。合同で隣のクラスと授業を受けることもあったから、あっちもなんとなく存在ぐらいは知ってるんじゃないかと思う。そんなに生徒数が多いわけじゃないし。

自分の教室に入っても、皆は浮かれているように見えた。目をギラギラさせて、ハイペースで止まることなく話をしている。

「裕美、もう大丈夫だから」

「ほら……顔洗いに行こう?」

「でも……でもっ!」

後ろの方から悲痛な泣き声が聞こえた。

「私のせいなの! 私が……っ」

「裕美のせいじゃないよ!」

正直俺の椅子がそこにあるからどいてほしかったけど、そんなこと言える空気じゃない。仕方なく近くにいた奴の肩を叩いた。

「なんだこれ。どうなってるんだ?」

そいつは心配そうに眉を下げながらも、口元はニヤニヤとしていた。

「和田がよ、遊園地に小川を誘ったんだって。でもあいつ浩介がいるだろ?」

「あー……断ったのか」

「それで責任感じてるんじゃね? ははは、さすが天使。優しいねぇ」

「それ皮肉入ってんの?」

「いやぁ? 別にー……」

フンフンと鼻歌と歌いながら、どこかへ行った。

「でも裕美がいなくなってたかも知れないんだよ? あたし、そんなの嫌だよ……っ」

女子の友情はお綺麗ですねとこちらも悪態をつきながら、カバンを置こうと机に近づくと、ギロリと一睨みして離れていった。


現在は二つのタイプに分かれていた。

推奨派と反対派。推奨派はそのうち自分も行きたい、そうでなくても遊園地側には非はないというものだ。でも今は反対派の方が多い気がした。過激な人は情報を断つなど徹底しているが、一般人はとりあえず近寄らないことぐらいしかしていない。未知数なことが多すぎて、漠然とした恐怖があるものが多数だろう。誰かを犠牲にしたくても、結果を教えてくれる人が現れない。今では入ったら二度と出られない、ブラックホールのような場所に見えているのかもしれない。

実際、国は遊園地に近づくのを禁止した。辺りは完全に遮断され、見に行くことも禁止されている。これは被害を増やさない為でもあるだろうが、中の人間を捨てていることでもある。もう見放したということだろうか。

遊園地の情報を知るには、あのホームページしか残されていない。何度かサイトが消されたようだけど、今も残っているということは、遊園地側が生きているということだ。こちらに何のメッセージも送ってくれないけど、終わってはいないと分かるのは結構大きな手がかりだ。

俺が推奨派なのか、反対派なのかは……どちらでもない。それなりに興味はあるし、自分から調べることもあったけど、そもそも遊園地の存在を信じていない。中身がただ人を誘拐する為の施設かもしれないと疑うことは、反対派に近いのだろうか? 結局憶測で語る者たちと同じ立場で、問題を濁らせることしかできない。

消えたうちの一人は、近所に住んでいたらしい。ちょっと歩けば、今でも家の前に記者とかそれっぽい人が数人集まっている。

彼は遊園地側から唯一、個人的に呼び出された相手だ。あの五千人の客や、チケットを買って行った奴らとは事情が違う。

彼の部屋で見つかった手紙。その内容は今までのものとは少し違っていた。

彼は帰るつもりで、遊園地側を敵対してそこへ向かった。それなのに、やっぱりそれほどまでに魅力的だったのか、彼は帰ってこなかった。囚われているだけかもしれないけど。

学校に行くと、相変わらずクラスに人が集まっていた。他の学年の子も来ているようだ。

「あっ……ちょっとこっち」

教室に入ってから、小声で招かれた。またこいつをニヤつかせる出来事があったようだ。

「何だ? 今度は」

「小川があの場所に行こうとしてる」

「えっ?」

前の方では男女数人が輪になるように集まっていた。女子の困惑する声の中で、皆で行っちゃうかなんて軽い声も混じっている。とにかく騒がしい。

「でも、チケット一枚、四万もするんだよ?」

「高っ! さすが夢の世界だなぁ」

「うーん、それ用意するのはキツイなぁ」

「なんかいいバイトねえの?」

「うーん……」

つい溜め息を吐いたら、隣で小さく笑った。

「お前はどうなの?」

「……何が」

「興味ねえの?」

「……別に」

とある理由で、他の人よりは少しこの問題に詳しい。だからこそ、ずっとこの話題を聞くのは面倒になっていた。

夕飯の際、久々に父が帰ってきた。この時間に会うのは珍しい。

「お前は行きたいと思うか?」

「それ何回目」

「もう少し付き合ってくれたっていいだろ。今は猫の手も借りたいぐらいなんだ。ぜひ若者の貴重な意見を聞かせてもらいたい」

「……はぁ」

無駄な捜査だと言おうとしたけど堪えた。父さんは警察だ。今は遊園地問題専属の。失踪者のことや、それに便乗した犯罪についてあれこれやってるらしい。

「中に入らなきゃいくら調べたって何も分からない。知りたいなら、ミイラになるしかないんだよ」

「まぁ……そうなんだよな。いなくなった人物なんて数え切れないし。最近では曖昧で分からない失踪、死亡者は全員脱走犯ってことにされてる」

脱走犯なんて大袈裟な言い方だ。ここからあちらに行くことは、国を裏切ったことになるのか? そのうち遊園地に行ってはいけませんなんて法律ができそうだ。

俺の馬鹿にした顔が気になったんだろう、父さんが目を合わせてきた。

「……今度、中に入ることになるかもしれない」

「タダで?」

「多分な……って問題はそこじゃないだろ。帰ってこなかったからどうするんだよ」

「自信がないの?」

「俺だって楽しいところなら、遊び尽くしたくなっちゃうかもな」

「……そんな冗談言わないでよ」

「スマン。やっぱりちょっと動揺してるんだ。そりゃお前が言うように、このままじゃどうにもならないことは分かってる……失踪者を調べたところで意味がない」

多分、父さんも出てこないだろう。分かってて行かせるなんて……でも、少しでも可能性があるなら。

「父さんが帰ってこなかったら、俺が迎えに行ってもいい」

「……っ、そうか?」

「じゃあ私も行っちゃおうかしら」

「お前達なぁ……ははは」

父さんが行ってから一ヶ月経った。更に待って、半年になった。父さんの噂は聞かない。

でもそれは俺の家だけの問題じゃなかった。いつの間にか絶望的なまでの人不足が起こっていた。

セルフサービスの店が増えて、休業や店の電気がつかないところが目立つようになっていた。手入れする人がいない公園は雑草が生え、治安が悪くなった。学校も二クラス分の人が減った。

全ての人間が中に入ったのか分からないが、ネットを中心に人気が再熱していた。周りを警備していた人間もいなくなって、今ではもう誰でも入れる状態になっているらしい。

俺を含め、大事な人を取られた人はその場所を恨むようになっていた。

しかし終わりは突然やってきた。遊園地は滅びてしまった。

微かに残ったテレビの白黒画面が物語っていた。それがやけに呆気なく見えた。

「はは、あはは……ははは!」

何が夢の世界だ! 楽園だ! 全部、全部嘘っぱちじゃないか!

「返せ……返せよ……今までの……日常を……っ!」

どうにもならない願いは、空っぽの空に響いて消えた。

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