Epilogue

小さい病院だったが、新聞の一面を飾るほどの話題になっていた。植物状態で長年眠りについていた男が、奇跡的に目覚めたのだ。

それは奇跡というより、ほぼ神話に近いぐらいの出来事で、男には沢山の報道陣や研究員が駆けつけてきた。しかし面会の許可は下りなかった。その内この話は風化されてしまい、何年か経つと、ほとんど話題にする者はいなくなった。

彼は起きてからも寝たきりの生活だったが、意識ははっきりしていた。


自分が寝ていた間に起こったことを調べようと、本や新聞をいくつか取り寄せた。

色々あったが、その中でも特に目につくものを見つけた。他と類の違う、事件と呼んでいいのか分からない出来事。

「……これは」

そのとき面会に来た人がいると、ナースが報告をしに来た。

時折、地元の記者だという奴がしつこくきたりするのだけど、実際に許可が下りたのは初めてかもしれない。俺よりも病院側が過保護になってくれていた。

しかし家族はもちろん、知り合いは既にこの世にはいない。自分を知っている人が来るとは、どういうことだろう。親戚と言われても、会ったことないのだから他人のようなものだろうに。色々疑いながら扉が開くのを待った。

その男は変な言い方だけど、自分より若く見えた。派手な装飾がついた服、大きめの帽子、足元まで伸びた長い髪。そのせいで、一目では顔まで見えなかった。

この時代の人をそんなに見たわけではないが、今時こんな装いをするだろうか。服はくたくたで、落ちぶれた貴族のようだ。

目元は疲れ切っているようで、靴には乾いた土がこびりついていた。

「本当に、あいつだな……」

ボソッと呟くと、顔を上げた。珍しい瞳の色をしている。

「……君は?」

久々に病院の人間以外と話す。少し緊張していた。

「お前が本物のジャックなのだとしたら……俺は、お前に伝えなければいけないことがある」

質問には答えずに、俯いて拳を握りしめた。

彼が話し始めたのは、書物に記載されていなかった部分だった。偶然にも先程気になっていた部分だ。

おとぎ話のような物語だった。かつて夢のような遊園地が存在していたらしい。中に入った人はほんの僅かで、実際何がそこにあったかを知るものは残っていなかった。今では存在していたかすら危ういぐらい、確証の無いものとなっている。しかし男はその遊園地にいただけではなく、住んでいたという。従業員の一人だったようだ。

そこまでならわざわざ俺のところへ来る必要はないが、次に聞いたのは、かつての親友の名だった。

「そんなことがあったなんてな……」

「俺はあれからどうしたらいいか分からなくて……ここに来た」

「そうか。でも……俺も何も知らないのと一緒だ。いや、皆より知らないことの方が多いだろう。俺が今からできることなんて、あるのか?」

「……この話は、誰でもいいから伝えようと思っていた。無かったことにしてほしくないんだ……遊園地は素晴らしい場所だった。こんな……夢の中のような、誰かの勘違いみたいに書かれるのは……違う」

「……君にとって、大切な場所だったんだ」

「遊園地は夢を与える場所だが……っ、本当にそれが夢になってしまったら……あの人のやってきたことが、全て消えてしまう」

彼は思い出しているのか、顔を歪ませながら目元を押さえた。そこからは数滴、雫が流れている。

「辛い思いをしたんだな。沢山の苦労があったみたいだ」

「いや、本当に辛かったのは俺じゃない。夢に溺れた奴らと……作った、本人だ」


――大量の瓦礫だけが残ったあの場所から、全員が消えていった。その内撤去もされて、本当に何もなくなってしまった。

チェシャやサーカス団の奴らは俺を心配したのか、誘われたけど、ついて行く気にはなれなかった。

何もなくなったとしても、ここに彼がいたのは、彼の世界があったのは確かだ。それにまだしがみついていたかった。

とにかく何時間、何日か分からないが、ずっとここにいた。

小さい墓を作った。土を掘り返して花を散らしただけの簡単なものだ。土の中には何も眠っていないし、花もすぐ風に吹き飛ばされるだろう。でもそれでいい。終わった後のことなんて、当人からは何の関係もない、必要のないことだ。

迷うことはあった。それでもあの人は自分の全てだった。憧れとか、感謝というだけではない。同情という面もあったかもしれない。彼は笑っていたけど、心の底から楽しんでると感じることはなかった。

親として、師として、主として……一人の人間として、愛していた。あの人が最後に救われたのかと思うと、自分の心も少しは浮かばれた。

しかし前を向くには依存が強すぎた。

このまま後を追おうと考えたけど、それはできなかった。何かできることが、しなきゃいけないことがあるんじゃないかと考えてしまう。機能を停止させる前にすることが……そう思うと、なかなか手を出せなかった。しかもこの体で完全に死という状態になれるのかも分からない。

まさに風の噂だった。帽子屋……ジャックが生きていると。あんな奴に会うのかと初めは迷っていた。真っ直ぐで、いつもチェシャのことを想っていた彼に……本当は憧れていた。ほとんど妬みに近いけど、親友がいる彼は楽しそうで、満たされているように見えた。偽物ですらそうなのだから、本物はもっとうざいんだろう。

俺が外の世界に出ると、つまらない道が続いていた。派手な装飾や、賑やかな音楽もない。天候に惑わされて、見る景色はいつも変わらない。汚い、つまらないところだ。

それなのに世界は続いていた。毎日毎日、同じようなことばかりしているのに、飽きたなんて口に出す奴はいない。娯楽ばかりの世界よりも、笑顔があった。

でもいずれまた、現れるだろう。あの人のような人間が。もう悲しみを繰り返してほしくない。無かったことにしてはならない。次は後悔しないように。

そう決めて、ジャックの元を訪れた。

「皆が楽しめるところを作るのは間違いじゃない。その皆の中に……自分も含めてほしい」

簡単そうに見えるけど、難しいことだ。

「君の名前を聞いてもいいか?」

少し意地悪をしたくなった。顔が同じなのが悪い。

「ジョーカーだ」

「そうか、ジョーカー。ここに来て、話してくれてありがとう。その話は必ず君みたいに、君の主みたいに、苦しむ人がなくなるよう伝えていくよ」

「こちらのジャックも……相変わらずだな」

相変わらず、むかつく奴だ。自然と上から目線っていうか、年上っぽく振る舞ってくる。

「ジョーカー、君が作りたい世界というのは、何か案があるのか?」

……何て事を聞くんだ。そんなのあるわけないだろう。あの人の世界が一番なんだから……でも、この世界にこういう場所があればもっと良くなるかもしれないなんて、そんな事を考えたことはあった。

「……いや、俺には無理だよ」

俺の理想は、失敗も含めてあの場所で完成されている。それはもう何があっても揺るがない。

なんとなく窓の方を見つめた。あの時のような、穏やかな快晴だ。掠れたような雲が横に引かれていた。

「君はこれからどうするのか、決まったか?」

「……いや」

「決まってないなら、手伝ってくれないかな」

「何を?」

「俺のリハビリと、世の中に君の言葉を伝えること」

「……そういうのは得意じゃないんだ」

「無理にとは言わないけど、苦手そうには見えないな。君、結構カッコいいし、人気者になれるんじゃない? はは、そう思うとやらせてみたいことが沢山浮かぶなぁ」

「……っ」

チェシャの奴は本当によく見ている。あの帽子屋、それよりも倍に腹が立った。俺だったらこんな奴、絶対に作りたくない。

「……俺は奇術師だからな。医者の真似事や誰かにお話を語るなんてしない。芸で魅せるんだ」

どうして俺はこいつと関わると、少しでもやり返したくなるんだろう。くだらないとは思いつつ、手が覚えていた。たまたま入っていたハンカチを取り出して、鳩の形に折った。もちろん一瞬で。

「へぇ、見事だ」

「……もう一つ頼みたいことがある」

「ん、なんだ?」

「もし俺が道中で転がっているようなことがあったら、立派な墓とは言わない。形だけでいいんだ。墓を作ってほしい。その時にジョーカーともう一つ、名前を書いてほしい」

「そのぐらいならお安いご用だよ。君が簡単にへばるとは思えないけどね。で、その名前は?」

こそっと耳元に囁いた。

「それは主の名前かい?」

人差し指を口に当て、わざとらしく笑ってから――secret! と答えてやった。


こちらが何か言う前に、彼は扉の前に移動していた。

「ではな――帽子屋!」

魔法のように一瞬で消えてしまった。帽子屋という言葉を残して。

マッドハッター……俺が? ははは、本当は眠りネズミって言いたかったんだろう? なぁ……気まぐれで、変なものが好きな猫さん。

「会えて良かったよ、ジョーカー」

彼が置いていった鳩を手に取る。少し触っただけで、壊れてしまった。君の残したものまで魔法みたいじゃないか。


数年後、新しいおとぎ話が人々の間で流行った。それはただ目新しいという理由だけではなく、最後のページに書かれていたことも大きいだろう。

――この物語は、私の空想でも、誰かの妄言などでも決してないのだ。かつて実際に起こったことである。

読者の皆には是非一度、この支配人であった男のことを考えてみてほしい。

ここでは悲しくも美しい話と締めくくられているが、かつてこの話を私に伝えに来た彼は、この悲しみや苦しみを繰り返さないようにと、私に訴えかけてきた。

いつかまた遊園地ができたら、その時はどうか心ゆくまで楽しんでくれ。そしていつもの日常に戻ってほしい。日常の中の非日常だからこそ意味があり、ずっと同じ場所にいては風化してしまう。

或いは溺れすぎて、大事なものが分からなくなってしまうかもしれない。彼らのように。

私は生活のほんのちょっとのスパイスに、お土産話として語るような、そんな場所になることを望む。

そんな遊園地が完成したら……それは彼が作ったものかもしれない。魔法でね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る