(1)

僕が作ったジャックは、本当に彼そっくりだ。そんな彼に言葉や簡単な動作を教えた時の僕は……少し嬉しかったんじゃないか? 僕が常に優位に立てるから。

どこかで考えないようにしていた……自分が作ったおもちゃで良い気になってるだけだって。それに気づいたら、惨めになるだけ。

それでも僕に残されたのは、壊れたジャックを直すことだった。もう理想とかどうでもよくなって、ただ作業に没頭した。

もっと静かになる機能をつければ良かったと、完成してから後悔した。僕を心配するジャックは面倒くさい。まるで本人そのものだ。いらない。こんなにそっくりな偽物……いらない。

ジャックが僕を気にかけるたびに苦しくなった。辛くて逃げ続けたまま……物語は終焉を迎える。

アーネストは壊れかけていた。それは体も、心もだ。彼も気づいていたのだろう。自分の心を埋めるものは、それではないと。でも理想を追いかけていないと、自分を見失ってしまう。僕と同じだ。

奇跡を信じ、まだ見ぬ少女を思い描き、何人も何人も連れて帰った。

最終的には彼女達をくっつけると言い出した。美しいパーツを集めてもバランスが合っていないのだから、酷いものだった。こんな肉の塊を愛でるぐらい、絶望したのだろう。

彼はもう美を求めるだけの亡霊だ。その姿はアリスの作った遊園地に魅了され、もう帰ることのできなくなった彼らと似ていた。

昔、彼の部屋で見たのをすっかり忘れていた。日記と、二人が映った写真。弟の名前は裏に書いてあった。アーネスト自身も恐らく忘れているだろう。これが彼の暴走を止める鍵になるかもしれない。

アーネストはローレンを作ってほしいとは言わなかった。僕がもっと早く気づいていれば、ジョーカーは救われただろうか。名前を見て、ローレンの代わりだったんだと知った。でもジョーカーでは、足りなかったんだ。

いや、違うか。彼は僕と会った時から、何とかして弟を生き返らせたかったのだろう。だからあんなことを持ちかけてきた。でもそれを最後まで僕に言わなかったのは……分かっていたんだ。一度無くした物はもう戻ってこないって。

ローレンが猫と言って気づいただろう。僕の想像したローレンになってしまってごめんね。日記の内容をできるだけ思い出して、作り上げた記憶が今のローレンだ。

アーネストはもう一つ苦しんでいたことがあった。ライバルというべきか、アリスのことだ。同じ夢を描いていた同士だったのに、差が生まれてしまった。アリスとアーネストが一緒に作った世界なら、こんな悲劇は起こらなかったのかな。

そうして主がいなくなった夢の世界は壊れた。夢ががらくたに変わる。

虚しさを通り越して、心は軽くなっていた。後は僕も、帽子屋を楽にしてあげなきゃ。ジャック、君も大丈夫だろう? 僕の尊敬する、大好きな君ならできるよ。


《病室》

「そうだよジャック。これは君だ、本物の君だよ」

「どういうことだ。おいチェ……」

違う。チェシャ猫じゃない。

「僕はどうしても君を起こしたかった……でもいくら待っても、奇跡が起こることはなかった。君を生き返らせる為に勉強したのに、それは別の形で生かされることになってしまった」

そこには猫耳なんてついていない、くたびれた白衣を纏った、ただの男が立っていた。

「君が起きたくないのなら、待つべきだった。偽物なんかいらなかったんだ。僕が先に死んでしまったとしても、それが最適の物語だった」

「おい。待ってくれ、言ってることが全然……」

「いいよ、分からないのは当然なんだ。だって僕がそういう風に作ってないからね」

その男は寝ている人物の頬を撫でた。

「君は僕の作った中でも、一番上手にできたよ。一番の傑作だからこそ……辛かった。こんなにも似ているのに……ジャックじゃないんだ。声も、触れる指先も、笑う顔だって同じなのに……違うんだ、彼じゃない」

お願いだ。黙ってくれ。静かにしてくれ、俺が分からない話をしないでくれ。

「ごめんね、ジャック。自分の代わりがいるのに、起きたくなんかないよね。でも、もう終わったんだ。遊園地も、ワンダーランドも……。帽子屋とチェシャ猫なんて、もういないんだ。……だからそろそろ目を覚ましてよ」

「チェシャ……俺は、こっちだ」

どうしてこっちを見てくれない? どうして、起きない人形のような男に話しかけるんだ? どうして……そんなに優しく笑いかけるんだ。

俺は帽子屋で、アリスがいて、皆で理想の世界を作ろうって……小さな遊園地に願いを込めて。

ワンダーランドは俺たちの居場所だ、帰る場所だ! そこでまたお茶を飲んで、それ……から……チェ、シャ……。

「あ……ああ、あ……」

嫌だ、分かりたくない……嫌だ!

縋るようにチェシャの方を見ると、何かをこちらに向けていた。

「なんだ、それ……」

「ごめんね、帽子屋」

それが体に当たって、一部が欠けた。欠けた……? そこから流れる液体は赤くない。どうして……? 人の血は赤いのだと、俺は知っている。この液体は……血の成分じゃない。どうしてそんなことが分かる……。

体が壊れていく。再び振り下ろした手が、完全に腕を破壊した。中から現れるのは、肉や骨じゃない。違う、違う違う……こんなのおかしい! なんで、なんで違うんだ……俺は、本物じゃ、ない……?

「もう、やめて……くれ」

どうして痛みを感じないんだ? 壊れているのに。ああ……嫌だ。待ってくれ、消えたくない、終わりたくない……待って……。

「君を作ったことは後悔したけど、君と過ごした日々は……楽しかったんだよ」

――おはようジャック。この言葉は分かる? 分からない事は、僕に聞いて覚えていくんだよ。体は? 動かせるかい? ああ、ごめん違ったね。そうだアリス……ワンダーランドか。君は前に、僕は猫っぽいと言ったね。気まぐれで読めないところがそっくりだと……だから僕はチェシャ猫だ。君は……眠りネズミって言いたいところだけど、そんなこと言ったら怒るんだろうな、ははは。じゃあ君は帽子屋……マッドハッター。あ、別に変わり者だけど、いかれてるとは言ってないよ? お茶もお洒落も好きな君にぴったりだ。名前はジャックだけど、ただのトランプじゃお気に召さないだろう? あ、君を置いてけぼりにしちゃったね。さぁ起きてごらん。君は僕の最高傑作だ!


チェシャ……俺の主人……違う。俺の主人はアリスで……アレ? アリスって誰だっけ。見えない……マスターの顔が。俺を作った人物の顔が、ぼやけて見えない……マス……ター……。


「おやすみ、帽子屋」

ぐらりと目眩がして、ベッドの横に手をついた。

僕もそろそろガタがきているのかな。そうだね、僕自身も沢山罪を重ねた。これ以上幸せなんて望んじゃいけないみたいだ。でも最後に見せてくれ。

起きて、起きて……。

「起きろっ……ジャック!」

帽子屋は消えた。だから早く、はや……。

ほんの僅かだけど、彼の人差し指が動いた気がした。

「そうだ……それでい、い……」


おはよう、ジャック。

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