《それぞれの物語》


【ジョーカー編】

どうして……どうしてこちらを見てくださらないのですか。

求めた手は空を掴む。ご主人様はあの少年を見ていた。何も分からないまま崩れた建物から身を乗り出すと、帽子屋が後ろから引っ張った。

「おい、落ちるぞ!」

「ご主人……さま……」

はらりと仮面が落ちていった。昔につけていたものだ。手を伸ばしたけど、それも掴むことはできなかった。

「ローレン。急いだけど、完成して良かった」

「ありがとう。お兄ちゃんと会えて嬉しかったよ」

「うん……」

ローレンと呼ばれた少年が部屋を出て行く。それを見送ったチェシャがこっちに近づいた。

「君はあの子の変わりだったんだ。名前で気づいたよ……だから彼にとっては、君も大事な一人だった」

「……それはご主人様と俺だけの、名前だ……っ、口に……するな」

それだけを言うのが精一杯だった。気づいてしまったら、声に出してしまったら、本当に壊れてしまう気がする。それとも、もう楽になってしまった方がいいのか?

困ったように帽子屋とアイコンタクトを交わすと、静かに歩き出した。

「ほら危ないから、もっとこっちに寄ってろ」

帽子屋にされるがままになっても、反論する気力はなかった。

「……っ」

消えてしまった。唯一の光が。これからどうすればいいのですか、アーネスト様。貴方がいないと、何もできないというのに……。



【サーカス団員のお茶会】

「あーあ壊れちゃった」

「せっかく決まった仕事だったのにねぇ」

足元には壊れたガラクタ。壁だったのか天井だったのか分からない石の上に、テーブルと椅子を置いた。

「僕はこれも好きだけどな」

「……こんなところじゃ誰も来ないだろ」

「そういえばあの子はどうしたの。例の少年さ」

「あー、さっき見たよ。みんなの中に混じってた。あの女の子と手を繋いでいたよ」

「そっか。それにしても怪力さんばっかりだねぇ。それだけ思いが強かったってことかな。自分達で壊していっちゃったよ」

カチャカチャと聞こえた方に視線を動かす。

「あー! ハルト、それ僕の!」

「じゃ名前でも書いトケ」

「ケーキに名前は書けないよっ!」

「ほら俺のやるから……」

「ありがとー! さすが僕のコウ大好きっ」

「本当調子いいよなー、お子様は」

「ハルト、大人げないことしないでください! いい加減そういうことから卒業して……」

指先でコンコンと机を叩く音が響いた。

「貴方達はいつも騒がしいですねぇ……もう少し静かにできないのですか」

「まぁまぁカッカしないで、落ち着いてよ。君だって騒がしいのは嫌いじゃないだろう? フフフ……うーん、今度はどこにしようかねぇ」

「僕達ならどこでも平気だよ」

「お、俺もお前がいるなら……」

「今度は私達で作ろうと思うのです」

「んー劇場を?」

「そうですよ。ああ貴方達にもこれを期に、何かやってもらいましょうかね」

ピクリと二人が反応した。まだうさ耳をつけていたら、それもぴょこんと揺れたのかもしれない。

「へぇ、おめでとう二人とも」

「……それにしても、不思議なところでしたね」

「あっという間に終わっちゃった」

「今度は私達が、一時の夢を見せる番です」

団員の顔をしっかり見つめる。仕事がなくなったからといって、落ち込むような奴らじゃない。むしろわくわくしているように見えた。

「どこまでも、ついていきますよ。団長」

「俺らの夢は俺らにしか描けないってね。やっべーこれ、ちょー名言じゃね、かっけー」

「言い方はバカっぽいですけど、内容は同意です」

「じゃあここらでいっちょ、やっておきますか」

それぞれが紅茶を高く上げた。

「我々の再出発が良いものになりますように……乾杯!」



【タケル、ルリカ、りょう編】

ぞろぞろと門に向かう人の波。なかなか進まないので、ゆっくりと止まりながらそれを眺める。

「なんだか夢でも見ていた気分ね」

「そうですね……実際ちょっと眠いし」

欠伸をしながら、右側にいるルリカを見る。

「ルリカはどこに住んでるんだ?」

「……?」

コテンと可愛らしく、首を横に倒した。

「おいおい……どこに帰るつもりだったんだ」

「タケルちゃんが面倒をみてあげれば?」

「えっ?」

「ルリカちゃんも、タケルお兄ちゃん好きだもんね」

りょうさんが腰を曲げてルリカの方を向いた。

「お兄ちゃん……パパ?」

「……それって俺が親父臭いってことか?」

「ふふ、言うわねぇールリカちゃんも。まぁ確かにオヤジっぽいとこあるわ」

「りょうさんに言われたくないです」

「それ、どういう意味?」

「な、なんでもないです……」

その時ふとポケットに手を入れると、中で何かに当たった。

「あ……これ」

いつの間にか針は止まっていて、よく見てみるとそこには名前が彫られていた。……戻ったら届けに行ってみようか。――『a』の貴方に。

「タケル……」

「どうした?」

「パールが……あっ」

ルリカの指に握られていた真珠が、少しずつ崩れ始めた。サラサラと砂のようになって、光輝きながら上へ登っていく。



《とある病院の中にて》

「ここは何なんだ?」

静かな場所だった。病院内だから誰かいてもいいはずなのに、人の気配がしない。廊下の電気も薄暗く、物音も立たなかった。

「おいチェシャ……」

止まらずに奥へと進む。やっと端まで行ったところで、足は止まった。

「着いたよ」

それだけを言い、ゆっくり扉を開く。

柔らかな照明に照らされたベッドに横たわる男。部屋の中はシンプルで、誰かが見舞いに来た様子もなかった。

もう一歩近づく。全身に様々な機械がつけられていた。

「これは……」

一瞬で分かってしまった。格好も違う、顔だって器具がついているのに……見間違うことはなかった。

その男は……俺だ。

――そうだよジャック。これは君だ、本物の君だよ。

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