硝子の城

人目につかない隠された城。揃いも揃って、こういう演出がお好みか。

夜空の下にそびえ立つ、少し透き通った白色のお城。氷のような冷たさがあり、人を招くような暖かさは全く無い。

「うわ……よく作ったな、こんなの」

その名の通り、全てがガラスで作られていた。廊下、壁、天井までが透けている。ずっといると、気をおかしくしてしまいそうだ。

何度も迷いながら奥まで進むと、ひやりとした冷気が流れてきた。

「ここか」

扉を開けた向こうは、ガラスのケースが並んでいた。その中にはよく知った顔も入っている。

「これは……っ」

俺のもあった。瓜二つで、眠っているようにしか見えない。こんなにもリアルだと、こっちが本物なのではないかと心配になる。……馬鹿なことを考えた。よくできた人形だろ。

ケースの中はあの少年とアリス、他はほとんどが少女だった。少女は一部が欠けたりもしている。

「……ジョーカー」

彼の人形もあった。こっちも穏やかな表情で目を閉じている。

人形の廊下を過ぎると、急に視界が広がった。突然現れた部屋は、まるで教会のようだ。円形で、後ろにはガラスの女神像。大きな柱には天使が彫られている。

「……っ」

部屋の右側でカーテンが揺れていた。ガラス以外の物を見るのは久しぶりだ。

青色のカーテンにそっと近づき、耳をすます。微かに話し声が聞こえた。音を立てないように、ゆっくり開く。

部屋の中は見渡せるけど、肝心の人物はベッドにいた。天井から垂れた布に隠れていて、姿は見えない。

床は深い紺色が海の底みたいに広がっていた。その一部に、まるで本物を樹脂で固めたかのように、美しい椿が描かれている。真っ赤な花は良く映えた。彼にもまだ美しさを感じられる心が残っているのか。

「ジン、分かっているよ」

突然聞こえた声に身構える。

「何をしに来たの、帽子屋さん」

低く絡みつくような声。人を縛りつけるような恐ろしい魅力があった。

あの頃とは、かなり姿が変わったな。

輝きを放つ銀色の、爪先まで伸びた髪。整った顔にシルクの布を纏った姿は、天使……いや神のようだった。ジョーカーは大人しく横についていたが、その目からは敵意を感じる。

「ここは、なんだい? 魔王のお城かな」

「誰にも邪魔されない、プライベートな空間が欲しかったんだ」

「……あの廊下の人形は」

「ふふ、よくここまで来られたね。でもあれは人形じゃないんだ。もうすぐ魂が吹き込まれる。ねぇ帽子屋……いやジャックの方がいいかな? 君のその青い瞳……ずっと綺麗だと思っていたんだ。あの子に相応しいと思わないかい、ジン?」

「……ご主人様」

パチンッ! 彼が指を鳴らすと、いつの間にか体は無機質な機械に捕らわれていた。銀色の腕のようなものが、壁に体を押しつける。

「ぐっ……!」

「ああ、美しいよ。君のことは嫌いだったけどね、この瞳だけは認めてあげるよ……」

顔に指が食い込んで、視界が歪んだ。

「ぐぁ……ああっ」

ドンっと何かをぶつけたような音が部屋に鳴り響いた。その衝撃で腕が緩む。

「……っ誰だ!」

アーネストが余裕のない声で叫んだ。次の瞬間、視界が暗くなる。目が取られたのかと思ったけど、どうやら電気が消されたようだ。真っ暗な中で、誰かに手を引っ張られた。

「早く、こっち!」

聞き覚えのある声……チェシャ!

うっすらと慣れてきた中で振り返ると、床に倒れこむあいつと、心配そうに駆け寄るジョーカーが見えた。

どこかの空き部屋へ入って、二人で息を整える。

「チェシャ……」

「ああもう! 何度同じことすれば気が済むんだ! 君はいつも考え無しに行動し過ぎだよ! その度にこっちは……っ」

「お前にはいつも、助けられてばかりだな」

「えっ……」

「どうした?」

「い、いや……そんな素直に認めるとは思わなかったから」

「俺はいつだってお前に感謝しているよ」

チェシャを見る時は、いつも頭の上ばかりだ。小さいから。

そこに手を乗せると、びっくりしたように後ずさった。尻尾がびょんと揺れている。

「な、なに突然……もういいから、そういうの!」

前髪をぐしゃっと掴んだ後、泣きそうな顔をしているのが見えた。

「ジャック、君にはちゃんと話さなきゃって思ってたんだ……」



【72番目の椅子】

影を追って落ちた場所。あの姿が見えてから、頭に浮かぶのはただ一人。

洋子に……洋子にもう一度会いたいんだ。

縋るような思いで座ったその席。ヘルメットのようなものを被ると、映像が浮かんできた。いや、これは映像じゃない、洋子そのものだ……。

ああ、会いたかった……また君に会えるなんて、幸せだ。


友達の友達だった君は本当に綺麗な人で、俺は一瞬で恋に落ちた。優しくて、笑顔が柔らかな女性。プロポーズした時の君の顔は、一生忘れられないだろう。

「あなた、行ってらっしゃい」

子供はできなかったけれど、二人で過ごした日々は暖かく幸せだった。

ある日、仕事がうまくいかなくて、つい洋子に当たってしまった。そんな時も嫌な顔をせず背中を撫でて、言葉をかけてくれた。何度かそういう事があり、洋子は変わらなかったのに、弱い俺はそれがだんだん煩わしくなっていった。

数年後、洋子は入院した。貧血で倒れたのだが、そこで聞かされたのは洋子の病気だった。

それから少しでも時間が空けば会いに行った。洋子を励ましていたつもりだけど、振り返れば死なないでくれとか、独りにしないでくれとか、そんな時まで自分のことばかりだった。

やがて眠るように洋子は亡くなった。

初めてやる家事は何もうまくいかなかった。洋子の顔が頭に浮かぶ。いつも笑顔で、不満一つ言わずに何でもしてくれていた。

取れたボタンだって脱ぎ散らかした服だって、誰かが直してくれなきゃそのままに決まっているのに、そんなことに今更気づいた。

ご飯を食べる時はつい彼女の笑顔を思い出してしまう。この椅子にいつも座っていたのに。そんなことを思うと、涙が溢れて食べられなくなる。でもいくら泣いても洋子は戻ってこない。俺は独りなんだ。

仕事を辞めた。

外で寝ることも増えてきた。全てがどうでもよくて、早く死にたいとそればかり考えていた。

頭の中を振り返っても、楽しかった思い出は全て色褪せている。


「……なた……」

「どうした、洋子?」

昔よく行った公園のボートの中で、急に彼女は真剣な顔をして俺を呼んだ。

よく見たピンク色のブラウスと、揺れる木々は、あの頃見た景色と全く変わらない。

「こんなところで……何をしているの?」

「えっ?」

「ここにずっといるつもり? ……こんな場所で、終わるあなたじゃないでしょう……っ」

「……洋子」

「生きて……あなたには生きていてほしいの」

急に周りの風景が壊れて、世界が白くなった。洋子と二人でその空間に浮かんでいる。

「でも、もう俺は限界なんだ。ここでずっとお前と過ごしていたい」

「あなたはそんな情けない顔をする人じゃなかったわ。ねぇ、私に教えて。これから沢山素晴らしいことを体験して、お土産をいっぱいこっちへ持って帰ってきて」

「……俺は」

「待ってるわ。ゆっくりでいいのよ。こっちはすごく時間があるんだから」

最後まで、私の自慢の大好きなあなたでいて――

洋子の姿が霞んでいく。煙のように。

俺は……何をしているんだ。こんなところで、止まっている訳にはいかない。お前の分まで生きると、決めたんだ。

何も見えなくなった世界で目を開く。力任せにヘルメットを外した。こんな物があってはいけない! 欲望のままに、幻の中だけで終わるなんて……自分達で切り開いていかなきゃ、未来は変わらないんだ!

ヘルメットを当てて機械を壊す。この欲だけでできた遊園地も全て、壊さなければいけない!

こちらの音に気がついたのか、隣の人間も涙を流しながら起き上がった。同じように機械を傷つける。

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