九幕

静かな日だった。屋上でシャッターに覆われた空を見上げる。暗いけど、俺はその先の空をまだ忘れてはいなかった。

学校に行って授業が始まる時間、町はいつも静かだ。遅刻したり、逆に早退した日なんかは、その静かな町が特別に思えた。同じように見える場所も、時間によって随分と変わるものなんだって。本当は全て同じことなんて一つもないって。

全てが終わって、また始まる。多分今日はそんな日だ。なんだか卒業式みたいな気分だな。まだ一年分残ってるけど……。

教室に入ると机が戻っていた。俺が通っていた、変哲のない普通の教室だ。窓の部分のシャッターが外されて、校庭が見えていた。少しだけ明るくなったように思う。

一人で自分の机に座っていると、前の扉が開いた。

「おはようございます」

淡々と業務的に喋っていた。このジョーカーが何番目とか、昨日と同じなのかとかは、もう考えないようにする。

「おはよう」

「出席を取りたいのですが……他の人は遅刻、そう捉えていいですか」

「……」

「……では」

少しの沈黙の後、ジョーカーは出席名簿を閉じた。

「このクラスの代表者は貴方と言うことでよろしいですか、森下君」

「ちなみにそれを拒否したらどうなるんだ」

からかうように質問すると、一瞬こちらを見てから目を閉じた。

「やり直し、ですかね。また別のクラスで」

「そっか。それで、その代表者は何をすればいいんだ?」

椅子から立ち上がり、じりじりとジョーカーに近づく。

「トロフィーでも差し上げましょうか? ……次の予定が決まるまで、私達も待機ですから」

「待機?」

近くまで寄っても、眉一つ動かない。

「特別対応で、高級ホテルにでも泊まれるかもしれません」

「へぇ……でも俺はホテルより、家でゆっくりしたいんだ」

ちらりと廊下に目をやると、ジョーカーも同じように動かした。そっちに意識が向いた瞬間、体当たりするように飛びつく。それと同時に待機してた全員がジョーカーの確保の為に現れて、動きを止めた。

「……これは」

驚いた顔が、更に驚きに染まった。コツコツと足音が廊下に響く。

「ジョーカー、今すぐに全員をここから出せ」

「なん……で、お前……っ」

ジョーカーと対峙するように話す篠宮に、昨日の片鱗はない。

「終わりなのはお前の方だよ、ジョーカー」

二つの視線がぶつかった。



〔出席番号23番〕

二日目の夜だった。教室で話をしていたら、廊下から誰かがこっちに来るのが分かって声を潜めた。皆警戒してるんだ。

半分程開いていた扉から顔を出したのは、篠宮君だった。周りの温度が上昇するのを感じる。

少し話がしたい、透き通るような冷たい声で彼はそう言った。その視線は、あろうことか私の方をじっと見ている。

「……わ、わたし?」

微かに声が震えた。勘違いだったら良かったのに、彼はしっかり頷いた。廊下へ出て行ってしまったので立ち上がろうとしたら、凄い力で腕を引っ張られた。

「あんたと何かあったら許さないから」

私の耳に入ってきた声がとにかく恐ろしかった。彼女からこんな声が出るなんて、びっくりだ。

篠宮君も何を考えているのか。こうなることが分かってるんだから、もっと穏便にしてくれればいいのに。後ろから睨まれているの感じつつ、早足で部屋から出た。

ああ、これはもう決定だ。これから徹底的に女子らしいイジメを受けるに違いない。そうでなくても何故このグループに入ってしまったのか、ずっと後悔していた。それでも一人で群れずにこの一年乗り切るなんて、私には無理だから。多少は合わなくても、彼女達と一緒にいなきゃいけない。

でもそんな態度は簡単に見抜かれていた。誰だって利用する為に使われたくはないもんね。自業自得だ。グループの中でも浮いてきて、パシりや当番など面倒事を押しつけられるようになっていた。離れようと思ったけど、都合の良い、適当に使える人間として、ここから離れるのを許してはもらえなかった。

そして彼女達は当然、あの学校どころか同世代の中でもトップクラスの魅力を持った、篠宮君を気にしない訳がなかった。本人がああいう性格だから、しつこくすれば嫌われると皆分かっている。表では良い子を演じていても、その裏ではドロドロとした、天から降りた蜘蛛の糸を掴むような戦いが繰り広げられている。気にしないフリをしていつでも彼を見ているし、隙あらば自分のものにしたいと誰もが考えている。私? そんな恐ろしい世界に足を踏み出す訳ないでしょ。

彼の後ろ姿を見ながら、声に出さずに溜め息を吐いた。

トランプでも随分子供らしい嫌がらせを受けたものだ。ババを押しつけて一方的に負けさせられた。別にそんなことはどうでも良かったけど、私を負けさせる為に本気で楽しみながら笑っている、その顔がどこか歪んだように見えて恐ろしかった。

初日はよくある告白大会をして、予想通り喧嘩のようになってしまった。それが連鎖的に繋がって、みんな泣きだしてしまった。篠宮君を気にするなら、そういう所も気にした方がいいんじゃないの、なんて思っていたけど……。

この後のことをなるべく考えないようにして、一歩下がったまま足を進める。使われていない教室に入ると、一番奥まで移動した。ここがゴールかな。そこから五メートルぐらい離れて立っていると、もっと近づくように目で訴えてきた。

仕方なく近づくとそのまま腕を取られ、ぴったりと体がくっつけられた。驚いて離れようとすると、「静かに」人差し指を口に当てながら制する。

彼は私の動揺なんて微塵も気にする様子もなく、教室をじっと睨むように見つめている。一体何を見ているのか、その目は真剣だ。

するとまた急に引っ張られ、位置が変わった。私が壁際に押しつけられている。

「……っ?」

ハテナが溢れる頭の横で、静かに囁いた。

「ごめん、少しだけ我慢して」

コクコクと頷くと、少し体を離して携帯を取り出した。画面を見られてはマズイのだろう。体の間で何かを打つと、見える? と小声で呟いた。そこには『協力してほしい』と書いてあった。そこで私の顔を覗き込む。

正直吐息がかかる程の距離だったけど、別のドキドキで心臓が飛び出そうで、それどころじゃない。しっかりとは見えないけど、廊下の奥に微かに見える影は彼女達だろう。殺されるんじゃないかと思いながらも「分かった」と返事をしてしまっていた。

彼がまた携帯に打ち込む。

『今日の夜二時半に女子トイレの個室に来てくれ。バレそうだったら来れる時間で構わない。五時までに来れなければ、また別の日に呼びだす』

本当に何考えているんだろうこの人は。冷たい瞳は、きっと甘い展開など微塵も見せてはくれないんだろう。多分それを期待するだけ無駄だと思っている私だから、ここに連れてきたんだ。

とりあえずやってみると小声で返事した。

「ありがとう」

そこで彼はようやく微笑んだ。不覚にも少しドキリとしてしまったけど、それを悟られてはならない。彼はきっと使えないと分かったら、容赦なく捨てることのできる人間だ。

『部屋に戻ったら彼女達に、俺が協力してほしいと言っていると、伝えてくれ。次の投票で俺の言った通りにしてほしいんだ」

うんうんと頷くと、文字を消して新たに書き込んだ。

『投票については後で説明をする。とりあえず今は……俺が、協力してくれたら何でもしてやると言っていると、伝えてくれ』

驚きで出そうになった声を指で塞がれた。危ない、危ない。

『自分にだけ特別な訳じゃない。皆に伝える為に利用されたと言ってくれ』

「……できる?」

これには少し不安な目をしていた。

私は何故か彼に利用されるだけでいいから、協力してあげたいと思い始めていた。今まで身の回りにいない、一生巡り会わないかもしれない、会ったとしても足を止めない程度の私に気づいてくれた。純粋に人として、惹かれたのかもしれない。力強く微笑むと、相手も笑みを返した。

『俺との協力に巻き込むのは、君の部屋の女子だけだ。他に言ったら容赦なくあの箱の中に落とすと言っておいてくれ。もちろん君も失敗したら消させてもらう』

ぞわりと鳥肌が立った。一気に空気が変わる。

『詳しいことは夜に話す。今は彼女達を仲間にする事を頑張ってほしい。君は俺を最低な奴だと思い込むんだ』

そこでもう一度ぎゅっと体を抱きしめると、髪に指を通した。

「どうして私を選んでくれたの?」

演技めいた台詞で彼に聞いてみる。体を離すとカメラが向いている方に背を向けて、少しだけ彼の素が見える、悪いことを企んでいるような顔で笑った。

「君が魅力的だから」

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