型落ちのプレーヤー、秋の帰り路
「……何やってんです?」
どうにか絞り出した問いかけに、答えはすぐ返ってきた。
「見ての通りじゃよ」
「ちょ……け、消して! 消して下さい!」
「ダメじゃ、
咲耶の抗議にもどこ吹く風とばかり、碧さんはさっさとスマホを袂に仕舞いこみ、溜め息をついた。
「お主、夏は帰ってこなかったじゃろう。舞子が寂しがっておっての……顔を見られなかったから、せめて元気な姿を見たいから写真に納めてきてくれ、と頼まれたのじゃよ。いや、健気ではないか。それに比べて何じゃお主、いちゃつきおって。あそこでユキノめが忍び笑いぞ、この
「ぐっ……」
痛い所を突かれてしまっては、黙り込むほかなかった。
確かに夏休み帰省しなかったのは、我ながら良くなかったと思う。
この人はともかく、浮谷さんには顔を見せに行くべきだった。
思い返せば……電話もろくにしていない。それは、確かに良くない。
「……それで、何食うておった? ほっとけぇきか? おい、私にも
「煎茶……合うのかな……?」
「俺に訊くな」
「何をコソコソやっておる。ほれ、そっち詰めい、怜よ」
遠慮も何もあったもんじゃなく……何のためらいもなく相席にする有無の言わせなさ。
窓際に押しやられる咲耶も何も言えずにいるようで、自分のカップと皿を寄せて席をずれる。
「なんで、ここにいるって分かったんすか」
「んむ? こんな村じゃ。誰ぞに訊けばすぐ分かろうよ。とはいえ、今日のは偶然じゃ。私はここに行きつけておってな……そうすると、お主らが仲睦まじくしておるではないか? ……もう一度言うが、舞子に頼まれたのじゃ。お主の元気な姿をせめて撮ってきてくれ、とな」
「だったらせめてもうちょい、バレないようにしてくださいよ」
「それでは隠し撮りではないか。私を見損なうにもほどがあろう」
「今だって十分見損なってますよ?」
と、やり合っている間に碧さんの前に、俺達に出されたのと同じパンケーキと、煎茶の満たされた湯呑みが置かれた。
はたで見ていてもおかしな取り合わせだが、それはまぁいい。
ただ、ここに座ったからには……何か、用事でもあるのか?
「……うむ、美味い。腕を上げたのぅ、ユキノよ。全く……こんなものを作れるようになっているとあっては、この村に戻りたくなってしまうではないか」
「お褒めいただいて嬉しいけれど。馬に蹴られるわよ? 碧ちゃん」
「おぉっと。……すまんがの、一段落つくまで待っていてくれぬか、孫殿、そして怜よ。別に出歯亀をしにだけ来たのではない。今少し、浸らせよ」
咲耶と目を見合わせ――――少しぬるまったコーヒーとココアを、それぞれ啜った。
そんな俺達の気も知らず、碧さんはマイペースでゆっくり、ゆっくりと“二種のイチゴのパンケーキ”に舌鼓を打つ。
一枚を平らげ、残り一枚を半分まで食べ進み、煎茶を啜り込んでから……ようやく、世間話でもするように話を切り出す。
「聞いたぞ。……怜よ。お主、例の力が使えなくなっておるそうじゃな?」
「え……!? は、はい、碧さん。……でも、どうして……か、分からなくて……」
「……“還り”の力は、いつかは失われる。じゃが、お主は違うぞ?」
俺は、黙って二人のやり取りを聞く。
「……暦を見よ。今は十月。……神無月じゃ。出雲へ向けて八百万の神々が旅立ち、人々への
――――覚えが、あった。
柳と共に訪れた廃校の中で突如落ちた眠りの中で、咲耶は確かに、その力を振るった。
時は小一。“トイレの花子さん”を訪れ、呼び出し、俺の両親は巻き込まれて消え……そして、咲耶は願った。
俺の代わりに――――自分を連れて行ってほしい、と。
そして十年だけ、待ってくれ、と。
約束、願いを叶える力はその時、行使された。
だから咲耶はこの夏まで生き延びて――――そして、俺はそれを踏み倒し、咲耶を取り戻した。
「………でも、碧さん。ボク、これまで……こんな事……」
「お主の
「何が、何だか……分からないすけど」
「分からずともよい。人には人の理があり、神には神の理がある。ともかく、今はこの神居村に“神”は留守じゃ。それがゆえ、御守りに加護を込める怜めの力は、一時お預けとなっておる訳じゃ」
「じゃあ、十月の間……って事ですか?」
「うむ。神無月が終われば、もとに戻るじゃろうて。お主が
つまり、今は十月……古い呼び方では神無月。
そのせいで、今、咲耶に力を貸してくれていた神々は出雲へ出掛けて留守だから――――御守りの力は、発揮されないと。
正直、まるで荒唐無稽にも程がある話だが……この神居村で起こる出来事で、ここに長くいた碧さんが言うのなら、そうなんだろう。
今さら、この村で起こる事……いや、“起きない事”に疑問なんて持てない。
「心細いかの?」
「え、ええ……それじゃ、ボク、何も役に……」
「悲観するでないわ、うつけ。……普通に過ごせば良い。だいたいじゃな、この村の連中はお主の加護に頼り過ぎじゃ。平田の
――――怒られるのか。
いや、怒られたのは爺ちゃんが臥せって以来の事だから、どこか新鮮な気もするな。
ただ相手がどうにも釈然としないというか……ともかく、それは今問い詰めても仕方がない。
「そもそも、御守りというもの……そのような“転ばぬ先の杖”として扱うものでもあるまい。確かに奇怪よな。むしろ怒れ、怜よ。お主に何か言ってくる輩でもおったら、引っぱたいてやれぃ」
「……ところで碧さん。そのスマホ、まさか買ったんすか?」
「いや、元から持っておったが?」
「この村、圏外ですよね!?」
「まぁの、この村では繋がらんが、持つに不便なものでなし。さて、お主らもそろそろ帰ると良い。秋の夜は鶴瓶落としと言うじゃろう。暗くなる前にな」
確かに外を見れば火が傾き始めていた。
咲耶が今、無防備な状態だというのなら――――あまり、日が落ちてから出歩かせてはいけない。
現に昨日だって俺は三本脚のリカちゃん人形と出くわしたのだから。
俺達は立ち上がり、碧さんに挨拶してから、会計するべくカウンターへ向かった。
そこには、もうユキさんが――――心なしかつやつやとした表情で待ち構えている。
「……ご馳走様、七支くん、怜ちゃん」
「いや、逆じゃないんすか」
「合ってるのよ。あー……良かった。見ていてドキドキしたわ。若いっていいわね。でも、ちょっと残念だったわね、怜ちゃん?」
「な、何言ってるんですか!? ユキさん……! キョーヤ君も、何か言って――――」
確かに。
正直なところ、残念だったのは……確かだった。
*****
店を出て、しばらくは真っ直ぐに歩き続ける。
昨日、八塩さんと歩いていた時ほどでなくとも――――西の空が赤く染まり、風は少しずつ冷たくなってきた。
シャツの上にブレザーを重ね、マフラーを巻いていてももう暑さは感じない。
あの日に新品の匂いを出していた咲耶の白セーターとマフラーもこなれてきたのか、今は咲耶の一部のように、思わず安心するような優しい匂いがする。
口まで隠すよう高く巻いたマフラーの中に籠もった吐息に、まだコーヒーの香りがする。
そこまで寒い訳では無いがさっきまでの、碧さんが割って入るまでの一幕を思い出すとどうにも口もとがこそばゆくなり、妙な心地がするからだった。
「キョーヤ君、碧さんと話す時だけ感じが違うね?」
「……そうか?」
「うん。なんていうか……ガーっと行くよね。ボクや柳に対してとも違ってさ」
……正直、自覚はある。
咲耶のように物腰柔らかくもなく、柳のように無愛想で気だるげでもなく、碧さんは押し出しが非常に強い。
自ずと、それに取り込まれず応対しようと思えば――――語気も
どうも、嫌ではないけれど……少し、苦手だ。
同級の三人と違ってやかましくて、しかも微妙な年上というポジションが拍車をかける。
もしかすると……世間一般の“姉”に対するわずらわしさが、これに近いのか。
「昨日から、今日まで……色々起こり過ぎだよ。もう少し、イベントは分散してほしいもんだ」
「ああ、そういえばそうだね。聞いたよ? あの子のメガネ、探してあげたんだって?」
「見つけたのは八塩さんだけどな。だいたい今時期にザリガニなんか釣れんのかよ。人面犬の方が楽に見つかるっつの」
「それは、まぁこの村ではそうだけど……キョーヤ君、それ……何?」
「あ?」
視線の先は、俺のブレザーの右ポケットだった。
フラップの脇からイヤフォンのコードが一部、はみ出していたようで。
「ああ、これ……片付けてたら懐かしいプレーヤーが出てきてさ。聴こうと思ってたけど、タイミングなかったな。何の曲が入ってたか思い出せなかったんだけど」
四人しかいない教室で一人だけイヤホンしてる訳にもいかないし、そもそもタイミングが無かった。
傷の事でさんざん柳にイジり倒される事にもなったし、それでもなお元気がない咲耶への遠慮もあったし、現場で見ていた八塩さんまでいて――――だ。
「……あのさ、危ないよ? この村でイヤフォンなんかして歩いたら。放送も聴こえないし、何か出たらどうするの」
「あ……」
確かに、それは……盲点だった。
“外”ならともかく、
聴覚を閉じて歩くのはただでさえあまり安全ではないのに、平気で
「……だよなぁ」
「だから、さ。……半分」
言っている事を理解しかねて――――咲耶の方を見ると、指で、自分の耳と、俺のポケットを交互に指差していた。
そこで、ようやく意図が伝わる。
「ボクに、半分……ね? これならどっちの耳も塞がらないよ」
「……多分、お前の好きそうな曲は入ってないけど」
「いいんだよ。ボクは、キミの好きな曲を聴きたいのさ。……それにね、一度やってみたかったんだ。こういうの」
ポケットの中で絡まったコードを解いて、左耳側のイヤフォンを咲耶に渡すと、それをつけた。
俺が右耳に同じく装着すると――――心なしか、咲耶がさっきより近い。
もう少しピンと張るかと思っていたコードは、弛んで余裕があるぐらいだ。
久々に起動するプレーヤーの中には、洋楽バンドがいくつかと……その他は、使っていた当時流行っていた邦楽アーティスト、それと多少の懐メロ気味のアニソン。
使っていた
張りのある低い歌声、ズンと響くドラムとベース、やたらめったら走り抜けるようなエレキギター。
そうだ、確かに……こんなのを聴いていた。
音量がうるさくないかを訊こうと、隣を見れば……こく、こく、と、舟をこぐように微かに頭を振り立てていた。
「ボク、音楽聴きながら歩くなんて初めてだ。なんだか、おもしろい気分がするね」
「……使い方教えてやるよ。好きなのかけろ」
照れたように笑いかける咲耶にプレーヤーを渡し、ホイールの使い方と音量調節を教える。
途中で音量を勢い余って最大にして互いに鼓膜が破れそうになって、笑い合う。
中には咲耶が知っている曲もあったようで、昔話にも花が咲いた。
そこで――――咲耶の家にほど近くなった頃、思い付く。
「しばらく貸すよ、咲耶。明日充電器持ってくるから」
「え……いいの? ……使ってないのかい?」
「ん。……まぁ、返したくなった時に返してくれればいいよ。違う曲入れたかったらうちに持って来い」
「……ありがとう。大切にするから。それと、ね」
咲耶の家、神居神宮の敷地に続く石段を登りながら。
「……また、ボクと、こうしてくれるかな」
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