加持無き夜の怪


 その人形は、誰もが知っている女の子の姿の着せ替え人形だが、ひとつだけ違う。

 それは――――脚の本数が、一本だけ多いのだ。


 血の滴るような子供の脚であるとか、諸説はあるが……今目の前にいるそれは、人形の脚が三本、股の間から突き出るように、奇怪な案山子のように歩いてこちらへ来る。


 “三本脚のリカちゃん人形”の怪談は有名だ。

 道端で見かけるそれに、脚が一本多くついていて……今名乗ったような呪詛の言葉とともに、発見者を呪う。

 襲い掛かる。食らいつく。――――付き纏う。

 今目の前にいるそいつは、ピンク色のドレスをまとって、プリントされたキラキラ目をこちらに向けて、カッターナイフをチキチキと繰り出して……恐らくは俺に向かっている。


「放送、出てた?」

「……夕方少し前に出てましたよ。“三橋みつはしさんのお子さんが……”と」

「碧さんに気を取られてた。まったく、今日は……!」


 都市伝説の怪異の出現を示す、村ならではの放送を俺は聞き逃してしまった。

 “三橋さん”は、三本脚のリカちゃん人形の出現を示す、この村でだけ通じる符丁だ。

 そんなのを聞いていながら、ザリガニ釣りをしていたあの二人も相当だが――――俺も、今はもう慣れてしまった。

 だが、正直なところを言うのなら……見慣れはしても苦手でも、ある。凶器を手にカタカタにじり寄ってくる人形は、ゾッとして当たり前だ。

 しかもそれは見せかけのギミックなんかじゃないし、繰り手がいるわけでもない。

 本当に襲ってくるのだから……なおの事。


「八塩さん、下がって」

「……いえ、無理です。下がれません。だって……」


 八塩さんの声が上ずり、震えていた。

 彼女の震える口が差す先は、前では無く後ろだった。

 前方の人形から意識を離さないよう、ちらりと一瞬で視線を走らせると――――そこには更に二体の“三本脚”が、かたかたと、不慣れな杖でもつくような歪んだ歩き方で向かってきていた。

 その内片方の手には、五寸釘が槍のように握られていた。


 ――――私、リカちゃん。いっしょに、あそびましょ。

 ――――私、リカちゃん。私、私……。


 耳にこびりつきそうな甲高い喋り声三つに、前後を挟まれた。

 口裂け女ならともかく――――こいつが三姉妹だった噂なんて、なかったはずだ。


 ポケットの中を探ると、いつも持ち歩いている“咲耶の身代わり守り”ともう一本、いつも持ち歩いているものに突き当たる。

 それを引き抜いた瞬間、前方にいた人形が地を蹴って――――どこかの古いホラー映画よろしくカッターナイフを振りかざして飛びかかってくるのが、妙にゆっくり見えた。


「っの!」


 ポケットから取り出した“柄”に幽霊の刀身が現れ、それは目前に迫っていた人形の胴体を串刺し、くうに縫い止めた。

 直後、三本ある脚の末端から光の粒が立ち上りはじめ――――この村の怪異がいつもそうなるように、消滅していく。

 だが、直後。


 突き刺した“三本脚のリカちゃん”が煤けて汚れた顔を振り上げると、手にしていたカッターナイフをあらん限りの力で俺に向けて放って――――。


「つっ……!」

「七支くん!?」


 頬に熱を持った刺激が線上に走り――――ピリッ、と痺れるような痛みが続く。

 間違いない。

 俺は、今――――“怪我をした”。


「俺は大丈夫だから! それよりも、八塩さん、そっち……!」


 後ろを振り向くと、人形の数は更に減り、残り一体。

 だが八塩さんの意識が俺に向けられ、俺も困惑を脱し切れなくて――――互いの意識に空白が割り込んでしまった。

 そこへ、最後の人形“五寸釘”が――――。


「い、ぎっ……! っぇな、この!」


 泣き面に蜂か、今度は――――右上腕に深々と釘が突き立てられているのが、不思議なほどハッキリ見えた。

 鋭く走る痛みに怒鳴り散らすと、貼り付いて蠢く“人形”の姿が間近に見える。

 剥がれ落ちた合成繊維の頭髪、欠けた頭部、焼却炉にでも放り込まれたように煤けた顔に、爛々と輝くプリントの無表情な眼。

 その口は可動するはずもないのに開かれ、牙――――のようなものも覗かせていた。

 が、それはすぐに大きな“手”に鷲掴みにされ、刺さった五寸釘を引き抜きながら、引き剥がされていく。


「……怒りましたよ」


 “三本脚のリカちゃん人形”の左手ごと胴体を握り締め、言い聞かせるように八塩さんは黒子くろこの顔の前にそれを持っていく。

 当然、人形は釘を片手で振り回し、八塩さんの顔を、握り締める手を、幾度も突き刺すが――――刺さらない。

 そればかりか、金属を打つような音が響くばかりで――――八塩さんの手の優しげに薄い皮膚も、髪の毛も、傷一つつきはしない。


 八塩さんのもうひとつの“還り”。それは……とにかく、頑丈なのだ。

 紫ババァに鉈を振り下ろされてなお、鈍痛は走っても……傷一つ、つかない。

 片目ハイビームの暴走車に突っ込まれまともに衝突したというのに少しも揺らがず、それどころか電柱に突っ込んだ・・・・・・・・ようにボンネット前部がクワガタのようにひしゃげていた。

 髪の毛一本ですらまるでワイヤーじみて強靭で、咲耶が祝詞のりとを唱えながら切れば散髪はできるものの……使ったハサミは、一度でダメになって使い物にならなくなるそうだ。


「反省、してください!」


 珍しく声を張り上げるとともに、八塩さんは大きく振りかぶり――――そのまま、彼方へ向けて人形を投げ飛ばした。

 遥か向こうの山並みにそれは飛んで行き、やがて――――流れ星のように、光を残して消え失せてしまった。


 嫌な予感がしてしまい、傷の痛みも忘れてあたりを見回すが……今度こそ、もう四体目はいない。

 確認すると、思い出したように、堰を切ったように――頬と上腕、二つの痛みが襲ってきた。


「いっ……づ……!」


 手を頬にやると、ぬるりとした感覚が指先にまとわりついて、背筋が冷える。

 大きく表情を動かすとピリリと痛みが走り、怒鳴った事を後悔してしまった。

 右腕の痛みはそれほどではない。あんなぶっとい釘だったが――――恐らく、刺さったのはほんの尖端で、傷は深くない。


「大丈夫ですか、七支くん!? 何で……! 怜ちゃんの御守り、持っていますよね?」

「ああ、持ってる。…………」


 ポケットに入っていた――――否、今も入っているそれを取り出す。

 妙に――――表面に書いて有る文字が、くすんで見えた。

“身代わり”になり、ケガを引き受けてくれるはずの御守りが、今もある。

 効果を発揮すると何処かへ消え去るはずの、それが。


「……偶然、か?」


 無病息災の御守りを持っているはずの柳が、風邪をひいた。

 つい最近御守りを買ったはずの、“平田の爺ちゃん”が足を挫いた。

 ――――身代わり守りを持っている俺が、怪我をした。


「とりあえず……手当てしませんか、七支くん。立てますか?」


 考え込んでいる俺を、八塩さんが起こしてくれる。


「…………どういう、事なんだ?」


 ぽつりと呟いた疑問は、とっぷりと深まった秋の夜空へ、溶けていった。








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