大正の侵略者


*****


 初めて風邪で欠席した柳は、心配した甲斐もなく翌日にはあっさりと登校してきた。

 咲耶も八塩さんも質問攻めにしていたが、本人は「風呂入って寝たら一日で治った」とだけ――――いつもの不機嫌に見える仏頂面で言ってのけた。

 それきりだるそうな素振りも見せなかったが、授業中、何度か咳き込む様子はあったし、昼の弁当もいつもより小盛りだった。

 珍しく弱っている柳は新鮮だったものの、不可解な事も増えてしまった。

 柳は、咲耶から受け取った“無病息災”の御守りをきちんと持っていた。

 それなのに体調を崩し、一日だけとはいえ学校を休むほどにまでこじらせてしまった事になる。


 御守りを持っていれば風邪をひかない、なんて普通ならばバカげた話だと、疑ってかかるだろう。

 だけど、この村は違う。

 もう聞かなくなった都市伝説の怪談が普通にその辺に起こり、村の人達はそれを疑問にも思わない。

 この村でなら――――何が起こっても、おかしくはない。ここは“神居村”だから。


 俺の、故郷ふるさとだった場所だから。


*****


「考えても、分かる訳ないんだよな……」


 ここで起こる事態の大半は、“考えるだけムダ”の答えにたいてい行きつく。

 口裂け女が出る理由も、人面犬が出没してムカつくオッサン口調で俺と咲耶を冷やかして走り去るのも、俺の持ってるあの幽霊刀の謂れも。

 どれもこれも、理由なんて考えるだけで疲れて答えには結局辿り着けない。

 そんな事をボンヤリ考えながら、俺は久しぶりに家――――といっても、一日の大半を過ごす居間の掃除と、防寒具を探すべく、放置していた荷解にほどきに掛かっていた。


 気付けば、寝るとき以外はいつも一階の八畳間で過ごす。

 こもる自室の制限がないものだから好きに使えて、そこで寝落ちする事も少なくない。

 片隅にはノートPCが転がっているが、もっぱら音楽データの管理にしか使っていない有り様だ。

 座椅子には実家から持ってきた、すっかり潰れてぺしょぺしょにこなれた・・・・綿入れ半纏はんてんが、春に引っ越してきた時からずっと引っかけてある。

 かれこれ六年以上使っているから、絞り染めの青も褪せて、糸のほつれも珍しくない。

 それでも捨てる踏ん切りがつかず、実際ちょっと羽織りたい時には重宝するのでともかく捨てられない、そんな誰にでもあるような代物だった。

 ちゃぶ台の上には読みかけの本やら教科書類やらが積んであり、少し離れて醤油や食卓塩、番組欄を広げたTV情報誌――――我ながら、とても人に見せられないような自堕落さを詰め込んだ空間がそこにある。

 別にもともと散らかすタイプではなかったが、居間であり、自室であり、食卓であり、生活の中心になってしまっているから――――それぞれ全ての用途が積み重なってこうなるのだ。

 

「……え、持ってきたっけ?」


 一階の“住処”の掃除を終えて、二階部屋の片隅の段ボールを開けて冬用の厚手のコートを見つけ出すと同時に、隙間に挟まっていた小箱に目がいく。

 取り出してみると、それは昔使っていた音楽プレイヤーだった。


「懐かし……。これ、四ギガしか入んねぇんだよなー……」


 たぶん、小学校低学年の頃の最新型。

 爺ちゃん家のお手伝い、浮谷さんから貰った誕生日プレゼントだったはずだ。

 タッチパネルなんかついていない、小さな液晶の下についたホイールを撫で回して操作する掌に収まる大きさのそれは、スカイブルーの本体に塗装のハゲと傷が目立つ。

 それでも、正真正銘……あの時の俺の、宝物だった。

 楽曲の出し入れは浮谷さんにお願いしていたが、そのうち俺が自分でやるようになったものの――――前に使ったのがいつなのか、判然としない。

 何の曲が入っていたのかも思い出せず、電源を入れようとしたものの――――すっかりバッテリーが切れてしまい、電量の警告すら出ない。


「……ま、そうなるよな」


 後で充電するべく小箱に再び収め、部屋着のポケットに押し込んだところで来客があった。

 戸の開く音に続いて、柳のとも、咲耶のとも、バーサマ連中のとも違う足音が玄関をすすみ、上がるのが聴こえた。

 いきなり戸を開けるのは珍しくもないが――――いくらなんでも、無言というのは怪しい。

 荷解きもそこそこに階段を軋ませながら降りてゆくと、いつか見たような編み上げのブーツが揃えてあった。

 嫌な予感のする頭痛を従えて、先ごろ掃除したばかりの居間へ向かうと。


「お? 何じゃ、おったのか。上がっておるぞ」

「うげっ……!」


 丸メガネに白黒の矢絣やがすり、袴と帯、玄関にはブーツ。

 そんな恰好をした人間は、一人しか知らない。


「うげ、とは何か。久々にうたに、何という声を出すか、無礼者め」

「勝手に上がって茶ぁ入れて飲んでるうえに、勝手にお菓子開けてる人に言われたくないすよ」

「仕方なかろ。長旅で疲れておるんじゃ。少しぐらいもてなさんか」

ぬらりひょん・・・・・・か、アンタは!」


 ちゃぶ台の上にはホカホカと湯気を立てる茶が一杯と、冷蔵庫に入れておいたはずの板チョコレートが、すでに半分も持っていかれていた。


「中々いいところを突いてくるの。ともあれ、家もきちんと保っているようで感心感心。ほれ、茶を淹れてやる故、一息つかんか。私の奢りじゃ」

「俺ん家のじゃねーか!」

「激しいのう。ほれほれ、座れ」


 有無を言わさぬ、というか――――言っても流される、というか。

 ともかく、いつかの爺ちゃん家のやり取りをなぞるような勢いで、この妙な存在感を持つ“ハイカラさん”のペースに巻き込まれ、下座に座らせられた。

 出されたお茶を一口すすり、気を落ち着かせてからとりあえず訊ねる。


「で……何故いるんすか、“みどり”さん」

「うむ。ほれ、もうすぐ秋の祭りがあるじゃろう。出ぬ訳にはいかんでな。何せタダ酒ぞ?」

「タダ酒飲むためにいくら遣ってここまで来たんですか」

「“村人とのふれあい”もあるじゃろう。帰郷してみるのも悪ぅない。何、家の事は舞子まいこに任せてきた故安心せい」

「いつの間に下の名前で呼ぶようになってんですか……」


 もちろん、それは爺ちゃん家の家政婦を住み込みで務めてくれていた浮谷さんの下の名前だ。

 爺ちゃんですら苗字に“さん”付けで呼んでいたような人を、この人は下の名で呼び捨てるとは。


「まぁ、正直の。……タダ酒に浸り、タダ飯にありつき、正体を失うほど酔うてみたかったのじゃよ」

「ダメな大人の見本じゃないすか」

「“ダメじゃない大人”などおらんわ。あの気取りおったお主の爺殿とて、私に三回も愛を告げてきたのじゃぞ」

「身内のそういう話やめてくださいってば! ってかアンタ何歳だよ!?」

いのう。とまれ、私からも訊く事がある」

「はい?」

「お主、夏休みに帰ってこなかった理由は何じゃ? 舞子も会いたがっておったぞ。……ああ、いや、責めとる訳じゃなくての……気になっての」

「ん……俺も、貴方に訊きたかった話もいくつかあったし、浮谷さんにも会いたかったですが……」

「では?」


 沈黙を作る。

 俺は、碧さんに聞きたかった話も、したかった話もあった。

 それなのに夏休みに帰らなかった、その理由は……ちょっと、話すのにも勇気がいる。

 というか――――あまり聞かせたくない、我ながら恥ずかしい理由だったからだ。


「……まぁ、それはよい。ところで、台所に置いて有るアレは?」

「ああ。……柳にもらったんですよ」


 恐らくは、外付けのシャワールームの事だろう。

 完全透明タイプの、目隠しのないそれは――――広いとはいえ、台所の一角に目立つ。

 入り口に置いてある珪藻土の足拭きマットは、柳からのおまけだ。


「生意気な。……まぁ、良い良い。火だけは出すでないぞ。この家のストーブの使い方は分かるかの? 灯油の管理は気をつけいよ」

「ああ、そうだ。……ストーブがつくかチェックしたいので、一緒にやってくれますか? 触った事ないんですよ、あれ」

「うむ、構わぬとも。それとじゃ。私は自分の家に戻るでの。お主の生活にくっつくつもりは無い故、安心せい」

「はぁ、それは良かっ……いえ、残念です」

「わざとらしいわ、うつけ。……この村の暮らしは、どうじゃな? りょうめとは、うまくやっておるか?」

「……はい」

「それは、……何より、じゃ。さて、積もる話はあるが私はそろそろ行くぞ。済まぬが、着替えを何着か置かせてもらうでの。何、神無月かんなづきいっぱいはおる、時間はまだある。寂しがる事などないわ。電話番号も住所も、電話帳に載せておるでな」

「いや、別に寂しがっては……」


 俺が冷蔵庫に隠していたチョコレートを欠片も残さず平らげ、お茶をすすり込み、碧さんは立ち上がり、ストーブの使い方と給油時の注意を教えてくれるとさっさと出ていってしまった。


 すっかり疲れる時間を終えても――――まだ、日が沈むまではある。

 乱されたペースを取り戻し、散歩にでも出よう。


 日曜は、まだ終わらせたくない。




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