のじゃロリ吸血鬼さんはチューチューしたい

かま猫

アルマ


彼は吸血鬼と暮らしていた。

それも二十一世紀、日本での話だ。

日も暮れて街の明かりが灯る頃、中核都市の安アパートの一室では窓から射し込む微かな光だけが二人の輪郭を浮かび上がらせていた。

足を投げ出して床に座る仙一郎に馬乗りにまたがる少女の名はアルマ、肩と太ももを露出したラフな黒の部屋着姿の十五六才ほどの少女は白くか細い両腕を仙一郎の肩に回すと顔を近づける。

前髪を切りそろえた腰までかかる黒髪にまだ幼さの残る顔だちの黒い瞳の少女の均整のとれた顔が目と鼻の先で彼を見つめる。

「画学生?」

彼女が問うようにささやくその呼び方に彼はまだ慣れなかった。

美大生になって三ヶ月、吸血鬼であるその少女に押しかけられてまだひと月しかたっていないのだから当然ではあったが、彼は察して頭を傾け首筋をさらす。

彼を見つめるアルマの瞳はみるみる真紅に染まり熱く湿った唇が首筋に触れる。しかしその後、鋭い犬歯は頸動脈を探るように甘噛みを繰り返すだけなので彼は思わず苦笑した。

「くすぐったいって!」

「しばらく我慢せい!」

なかなか上手く噛みつけない苛立ちに少女は姿に似合わぬ老人口調で語気を荒げる。

「毎回、本当にアルマは不器用だな。」

呆れて彼が右手で彼女の後頭部を軽く引き寄せ首に導くと、戸惑いながらも何とか探り当て歯をたてる。

「痛!」

短い痛みを感じ身体中から力がぬけ頭の芯が痺れるようにぼんやりしていく。自分の血が首筋に噛みつくアルマの身体に流れ込んでいくのがはっきり感じられる。彼女が喉を鳴らし血を飲むたびに波のように快感が彼の全身に打ち寄せる。

「ん…」

彼女も艶めかしい声をもらし一心不乱に血を吸う。肌は上気し微かに痙攣を繰り返していた。彼の息も次第に荒く乱れ心臓の鼓動が耳の奥で鳴りわたる。その昂りに呼応するかのように彼女の息も早まり、やがて限界に達する。

「か…はぁ…」

アルマは首筋から口を放し大きくえびぞって二度三度身体をびくつかせると糸の切れた操り人形のように崩れ落ち彼の胸に顔をうずめ満ち足りた表情を浮かべた。



「先輩!います?」

女性の声がするのとほぼ同時に玄関のドアが開き部屋の明かりがつく、さらに言葉が続く

「カレー作りすぎちゃったん…で…」

鍋を抱えて飛び込んできた緑のジャージ姿の華奢な女性は目に飛び込んできた抱き合う二人の姿に言葉を失う。ただでさえ大き目をさらに見開き、口を金魚のようにパクパクさせ今にも鍋を落としそうになる。

「かっ!川相さん!こ…これは…」

仙一郎は首の噛み痕を慌てて手で隠し彼を先輩と呼ぶ女性、川相衣子かわいきぬこに釈明しようとするとアルマが言葉をかぶせた。

「お兄ちゃんと格闘技ごっこしてたんだよ!」

いかにも子供らしい声でにっこりとほほ笑む。

「ほら!こうマウントポジションでボコボコと!」

そう言いながら彼の胸をポコポコと叩く。すると少し間があって

「そ…そうだよね!本当に兄妹で仲良いんだから!」

と、微塵も疑う様子もなく納得し何時もの快活さを取り戻すと、鍋を台所に置いて隣の部屋へぱたぱたと帰っていった。台風一過、平穏を取り戻すと早速アルマは眉をひそめてぼやく

「まったく!世話の焼ける下女じゃ!わしに力を使わせおって!」

力とは吸血鬼である彼女の能力である魔眼のことだ。彼女に見つめられて言われた言葉は相手にとって真実になり、使いようによっては完全に傀儡とすることも出来る吸血鬼の力のひとつ。

仙一郎にとって高校の後輩、同じ美大に通う川相衣子がアルマを彼と一緒に暮らす引きこもりの妹と思っているのもその力のおかげだ。ぼやきが延々と続く中、不意にお腹の鳴る音が響いた。彼女は勢いよく立ち上がると顔を真っ赤にして早口でまくし立てた

「べっ別にお腹が空いてる訳じゃないし、ましてあの下女の作った物なんか食べたい訳じゃないんじゃからな!そっ…そう!武者震いなんじゃからな!風邪は万病の元なんじゃからな!絶対絶対…」

話が支離滅裂になって収拾がつかなくなってきたので仙一郎も立ち上がって彼女の肩をポンと叩いた

「取りあえず夕飯にしようか…」




それは、さかのぼることひと月まえ、早見仙一郎はやみせんいちろうが一浪した挙句に美大にやっと合格し、そろそろ新しい生活にも慣れ始めた6月のことだった。その日は朝から大学の一室を借りてひとり自主製作をしていた。描いていた油絵のキャンバスが2メートルを超える大きさであったためさすがにアパートでは無理だったからだ。制作が切りの良いところまで進み彼が時計を確認した時には、すでに十時を回っていた。

「やべっ!学バスもう終わりじゃん!」

今日はバスで来ていたことを自分自身に言い聞かせるような独り言のあとにため息をついた。彼の通う大学は街からかなり離れた山の中に在ったのでバスが無いとなると家とは反対側の街に出て電車で帰るために、駅まで歩いてひと山超えなければならなかった。山越えと言っても小山を20分程度歩くだけではあったが街灯もない土むき出しの山道を歩くのは気分の良いものではない。

彼はひと気のない構内を突っ切り裏門を抜け、山道の入り口にさしかかる。日も落ち長袖一枚ではうすら寒い暗い山道。足取りも重く坂を昇り始めてからまたひとつため息をついたのは急な登坂のせいだけではなく、晴れて念願の美大生になったとはいえ自分の才能の無さを痛感させられる毎日をすごしていたせいもあった。彼は絵を描くのが好きで描いていれば幸せでいられる類の人種ではあったがそうは言っても同じ油画専攻の生徒だけでも500人以上在籍していれば嫌でも現実を思い知らされる。そんな陰鬱な気持ちの中で唯一救いだったのは見上げる空に月が輝いていることだけだった。なぜならそれはただ美しかったからだけでなく暗い山道を照らし懐中電灯なしで歩けたからでもあった。

月にみとれているとやがて道は農作業の軽トラの轍が目立つ幅の広い下りにさしかかる。街の明かりも届かず周囲は高い木々で囲まれ月明りだけが照らす山道を歩いていると木々の生い茂る暗がりがガサガサと音をたてたので彼は身構えた。さすがに熊が出没するほどの山ではないにしてもイノシシ程度なら十分ありえたので音のした繁みを凝視していると暗闇の中から少女が突然飛び出してきた。普通であればそんな状況はお化け屋敷かホラー映画並みに恐ろしい場面であるはずだが彼はその姿に思わず見惚れてしまった。

繁みに立ちつくす彼女の黒いワンピースからのぞく肌は月の光に照らされて純白に冷たく輝き、伏し目がちの端正な顔立ちは少女らしい可愛らしさだけでなく得も言えぬ妖艶さを感じさせた。彼女が月明りに照らされてたたずむその情景は、まるで幻想画家ポール・デルヴォーの絵「海辺の夜」のように美しいと感じて彼は震えた。

彼女は何故こんな時間にひと気のない場所にという当然の疑問に思いいたることもなく、彼がただただその非現実に心を打たれ立ちつくしていると静寂を破って突然、お腹の鳴る音が響いた。

「お…お腹すいたぁ…」

音の主である少女は、つぶやくとおぼつかない足取りで近寄り腕の中に倒れこんできたので彼は我に返った。

「ちょっ!ちょっと!大丈夫?」

「お腹空いた…」

彼の腕の中で繰り返しつぶやく彼女の姿をよくよく見てみると足は泥だらけで服も木に引っかけたのか所々破けている。あいにく食べ物は持ち合わせていなかったがミネラルウォーターくらいならあったはずだと彼は少女をその場に腰掛けさせると慌ててカバンの中を探した。彼が手元の暗さと動揺も相まって手間取っていると右腕に激痛が走る。

「!」

彼は絶句した。見ると腕に服の上から噛みつく少女の姿があった。

「お…おい!ちょっと!」

慌てて彼女を引きはがそうとするが少女とは思えない力でしがみつき、血がにじむ服にがっちり喰いついて離れようとしない。彼女の目の色は真っ赤に輝き、血まみれの口元からは鋭い犬歯がのぞく。よく見るとただ噛みつているだけでなく喉を鳴らして血を飲んでいる、まるで吸血鬼のように。

やがて彼は身体中の力が抜け意識が朦朧とし彼女のなすがままに喰らいつかれる。噛まれている腕の痛みは消え失せ、まるで雲の上にいるようなフワフワした感覚。その場にへたり込んで心地よい感覚に身をゆだねていると、やがて少女は牙を放す。

「ぷっはぁー!生き返ったぁー!」

まるで仕事帰りに居酒屋でビールを飲んだ後のサラリーマンよろしく満面の笑顔で大声を張り上げ、続ける。

「其方のおかげで助かったぞ!三日も飲まず食わずでさまよっておったからのぉ。」

すっかり元気になった少女は、似つかわしくない古めかしい言葉使いで彼に礼を述べる。

仙一郎はまだぼんやりした頭で単刀直入に彼女に問う。

「君は…吸血鬼なのか?」

彼女は彼の前に仁王立ちしニヤッと笑った。

「いかにも!予は偉大なるいにしえの大吸血鬼アルマ!其方の血、たいそう美味であったぞ!」

そして彼を見下ろし指さし言った。

「決めた!其方に予の食料になることを許す!有難く思え!」

「それは辞退させていただけないのかな?」

「是非もない!」

案の定つっぱねられて彼は月を見上げ大きくため息をついた。



まだ終電まで間があってか人もまばらな車内に仙一郎とアルマの二人は並んで座っていた。結局、自分は道に迷って帰る屋敷の場所もわからないと彼女は語り、続けて

「…という訳で其方の家に当分やっかいになるからな!」

と勝手に決めた。その後の仙一郎の反抗も彼女の頑固さの前に徒労に終わり、疲れ果てた末に根負けし帰途につくことになった。

すっかり元気になったアルマは、仙一郎に着せられた、だぼだぼの白衣の袖の匂いを嗅ぎぼやく

「なんじゃこの服は!油臭い上に絵具まみれではないか!」

そのぼやきはすでに何度目かではあったので彼は声を荒げる。

「しょうがないだろ、絵描くとき着てる奴なんだから。あのボロボロの恰好のまま一緒に歩かれたら、俺犯罪者みたいじゃん!」

「この恰好もどうかと思うぞ!」

彼女は口をとがらせ、おどけたような恰好で服をみまわす。

「まあ、その恰好ならただの変人と思われるだけだし。」

「むぅ…」

彼の皮肉に彼女は足をぷらぷらさせ不満げにうめく。そんなアルマの様子はどう見ても普通の少女にしか見えなかった。しかし仙一郎はアルマが吸血鬼であることを確信していた。血を吸われたことや、その噛まれた腕の傷がすでに跡形もなかったからだけでなく、それははっきりとは説明できない“感触”のようなものだった。

「心配せんでも其方は吸血鬼にはならんぞ。」

彼が、まくり上げた袖からのぞく腕を眺めていた様子を見てアルマが説明を続ける。

「血を吸った相手が片っ端から吸血鬼になっておったら世の中、吸血鬼だらけになってしまうからのぉ。其方は人間のままじゃ。まあ眷属を作るのには、それなりの手順があるということじゃな。」

「それはよかった。」

ただでさえ血を見るのは苦手なのに、それを飲んで生きていかなくても良いらしいという事に彼が一息つく頃には電車は駅に到着していた。



仙一郎はアルマを引っ張って足早に駅ビルを後にすると目立たぬよう裏道を選んでアパートに向かう。

「大きな街じゃのぉ!楼閣だらけで夜だというのに灯りが真昼のようで昔とは大違いじゃ!」

きょろきょろ物珍しそうにまわりを見まわしなかなか前に進まない彼女に気になって訊ねる。

「昔って君…」

「アルマでよいぞ!」

仙一郎が言いよどんでいるとアルマが察する。

「昔ってア…アルマは歳いくつなんだよ。」

「レディに年をきくとは失敬な奴め!」

「ご…ごめん…」

彼は頬を膨らませて睨むアルマに反射的に謝ってしまった。」

「ま!良いわい!正確には分からんが数百年は生きとるはずじゃ。まあ永遠の十五歳ということにしておこうかの!」

「やっぱり歳をとらないんだ…それじゃあ不死身だったりもするのかな?」

興味をかきたてられ続けて質問する。

「ん~死んでも生き返るからそうなのかもしれんな!まあだからといって身体を傷つけられて痛くないという訳ではないんじゃがな。」

彼女は指を唇にあて曖昧な返事をする。まあ確かに死んだことなければ死ぬのかどうか分かり様がないな、と彼は思った。

「よぉ!兄ちゃん!デートかい?」

その時、行く手から声がし、顔を上げるといかにも不良といった数人の男性がにやにやと、こちらを見つめていた。

仙一郎は聞き流してアルマの手を引っ張って通り過ぎようとするが突然、長身の金髪モヒカン男に胸倉をつかまれる。

「無視してんじゃねぇよ!ごらぁ?」

「いや、そういうワケじゃ…」

ドスのきいた声に、その手のことに慣れていない仙一郎はオロオロするばかり。

「けっ!このチキン野郎が!」

「す…すみません…」

仙一郎はすっかり気圧される。

「お嬢ちゃんもこんな軟弱男おいて俺達と遊ばない?」

見れはスキンヘッドの大男がアルマを背後から抱えこんで大きくごつい手で彼女の身体を撫でまわし鼻の下を伸ばしてにやついている。

アルマは、きょとんとした表情で答える。

「なんじゃ其方ら?予と遊びたいのか?」

「ほら!じゃあ、そこのホテルに行こうか!」

大男は彼女の肩を抱くと強引に連れていこうとする。

「やめっ…」

仙一郎はモヒカン男を振りほどいてアルマを助けようとするが再びモヒカン男に捕まれた。

「おっ?なに盾突いてんだ!」

おたけびと同時に仙一郎のあごに一撃が飛ぶ。

「ぐっ!」

彼はうめき声を上げ崩れ落ちた。口の中を切ったのか口角から血が垂れる。その様子にアルマの顔色が変わり、声を張り上げる。

「貴様ら!予の食料に傷をつけるとは何事じゃ!叩き殺すぞ!」

その威圧感のある声に不良達が固まる。

「ああ?このメスガキ!調子こいてんじゃねーぞぉ!」

アルマの声にいち早く反応した大男は拳を振り降ろすが彼女に当たることなく空を切る。目の前から彼女が忽然と消え周りを見回す大男は彼女が背後にいることに気づくと吠え、再び腕を振り上げるが、その腕はあらぬ方向にひん曲がり、ぷらぷらと揺れている。

「あ!がぁ!」

折れた腕の痛みに気づいた大男は叫びのたうち、不良らは何が起こったのか理解できず呆気にとられる。

「なんじゃ!腕の一本や二本で泣きわめきおって!この腑抜けが!」

アルマが地面を転がる大男の頭を踏みつけ、さけすむような目ではき捨てると怒り狂った不良どもが一斉に彼女に襲いかかった。

「はは!其方らも遊びたいのか?」

彼女は高笑いし、ひょいひょいと舞うように不良どもの襲撃をかわす。そして、合気道の達人の演武よろしく次々と体格のよい男達を吹き飛ばし転げ回らせ、あっという間に全員を打ちのめしてしまう。一瞬の出来事に呆然と立ち尽くすモヒカン男にアルマが言い放つ。

「後はおのれのみ!きっちり罪は償ってもらうぞ!」 

薄暗い路地で仄かに光る赤い眼。彼女の手にはいつの間にか西洋の剣が握られていた。目の前の光景に唖然としていたモヒカン男は精いっぱい去勢を張る。

「んな!んな…んなんだと!ごらぁ…」

次の瞬間、地面にへたり込む仙一郎の目の前に何かの塊がぼとり落ちてきた。それが人の手であることに気づいた彼は反射的にモヒカン男を見上げる。モヒカン男の右腕は鋭利な刃物で切ったようにすっぱりと無くなっており、彼は血の吹き出す腕を痛みを感じることなく呆然と見つめていた。アルマと仙一郎らとは五、六メートルほど離れており剣がとどく距離ではなかったが、それが彼女の仕業であることは明白だった。

仙一郎は、ゆっくりと近づいてくるアルマを見て、このままでは確実に彼女がモヒカン男を殺すという最悪の事態に陥ると思い、飛び起きるとアルマに駆け寄りひょいと彼女を抱きかかえた。

「放さんか!あやつめをなます切りにせんと気が済まん!」

仙一郎の腕の中で駄々っ子のように暴れるアルマを抱えたまま彼は脱兎のごとくその場を後にした。夜の街を走る二人の遠く後方から腕をなくしたモヒカン男の叫び声が何時までも響いていた。




アルマが仙一郎の家に転がり込んでから一か月、7月とはいえ山沿いの都市では肌寒さを感じさせる明け方。アパートのベッドで眠る仙一郎は身体に触れる温もりに寝ぼけまなこをこすって見回すと案の定、今朝もアルマが自分を抱き枕がわりにして寝息を立てていた。何故そんなことになっているのかといえばアルマがポンコツだからであった。吸血鬼は棺桶で眠ることが伝統とされていたが彼女は狭くて暗い棺桶は嫌だと散々だだをこねて仙一郎のベッドで寝るようになったのだ。夜に活動し昼に眠る吸血鬼アルマがベッドに入るのが日の出前。仙一郎がベッドで眠る時間と微妙に重なる明け方の数時間は、ひとつしかないベッドの取り合いとなるわけだ。結局その争奪戦はアルマの申し渡し

「ここには予が寝るとき抱くお気に入りのぬいぐるみが無いからのぉ。其方にはぬいぐるみ替わりになってもらうぞ!其方も予と添い寝できて嬉しかろう?」

の一言で、あっさり終戦したのは仙一郎も満更ではなかったからであることは言うまでもないだろう。

小さな寝息を立てて眠るその少女の姿は、もし四日に一度、血を吸われる事がなければとても吸血鬼には見えず、むしろ本当に妹のように思えるくらいだった。

やがて部屋に朝日が差し込む頃、仙一郎はしがみつくアルマを引きはがし、台所で食パンに昨日の残りのもらい物カレーをのせコーヒーとともに朝食にする。

「やっぱりマトモな食事は有難いなぁ…」

ぼそりと仙一郎が独り言をもらしたのもやはりアルマがポンコツだからであった。

仙一郎のアパートに押しかけてきたアルマがまず最初に取り掛かったのは彼の生活改善だった。彼女は美味しい血の状態を保つために、やれ、運動しろ。やれ、十分睡眠をとれ。やれ、栄養のバランスのとれた食事をしろ。と、ほとんど口うるさい母親状態であった。そんなある日、彼女は自分で彼に最適な料理をつくったことがあったのだが、その味は空前絶後、阿鼻叫喚の出来であったため反って血を不味くしてしまう結果となり、それ以来、料理をすることはなくなったのだ。

彼女のポンコツっぷりはそれだけにとどまらず、いつになっても血を上手く吸えない不器用ぶりに、近くのコンビニを往復するだけで数時間かかる方向音痴ぶりにと遺憾なく発揮されていた。しかし、ポンコツなだけならまだ許せるとしても働かないアルマの衣食住で二人分の生活費がかかることが大きな悩みの種であった。

仙一郎は大学へ登校するため支度を整えると玄関先で部屋のベッドで、すやすや眠るアルマを見て大きくひとつため息をついて静かにドアを閉めた。



「予はひもじいぞ!さっさとゆうげの支度をせんかい!」

帰宅した仙一郎がドアを開けたとたん聞こえてきたのは玄関で仁王立ちしたアルマの怒鳴り声だった。

「はいはい!すぐ用意するから!」

「今日の献立はなんなのじゃ!」

帰ってきた仙一郎にアルマは両手の拳を握りしめ目を輝かせて訊ねる。

「も…もやし…」

仙一郎はアルマに聞こえないよう顔を背け、ぼそりとつぶやくが彼女は聞き逃さない。

「ええっ!またもやしか…もやしはもうたくさんじゃ!」

「しょうがないだろう!色々お金がかかって今月は厳しいんだから!」

あきらかに落胆の色を見せるアルマに皮肉たっぷりに返したのは、もちろん居候のせいで苦学生の経済状況が悪化したからに他ならないのだが、あまりに彼女がかわいそうだったのでつい甘くなる。

「バイト代が入ったらプリン買ってやるから我慢してくれよ。」

そのひとことに再びアルマの目に輝きが戻る。

「まことか!器の底にプチっとするヤツが付いててプルルンってするヤツじゃぞ!そのヤツじゃぞ!約束じゃぞ!」

最近お気に入りになったプリンの話に小躍りしながらまくしたてる。

「ああ!約束するよ。」

仙一郎がそう答えるとアルマはニンマリしてテーブルにちょこんと座った。

「先輩!手助けに来ましたよー!」

その時いきなり玄関のドアが開き弾けるように川相が入ってきたので仙一郎は苦言を呈す。

「いい加減ノックしてから入ることを覚えてよ。」

「了解!了解!それより先輩、今月厳しいんでしょ?また食料もってきたから料理作りますよ!」

「何っ?」

仙一郎とアルマはざわつく。

「もやし以外か?もやし以外なのか?」

アルマはテーブルから身を乗り出して爛々と目を輝かせる。

「ゴホゴホ…いつもすまないねぇ…」

仙一郎は、ばつの悪さをに時代劇のセリフでふざける。

「それは言わない約束でしょ!まあ先輩は座ってて下さいよ!」

川相はそれに応えるとショートカットの頭に三角巾を被り、ジャージの上に持ってきたエプロンをつけてキッチンでいそいそと料理を始めた。

「おねーちやん!いつもありがとう!」

「どういたしまして!」

ローテーブルで仙一郎の対面に座るアルマはキッチンの川相に一声かけると急に真顔になって仙一郎に小声で尋ねる。

「ところで画学生!昨日の其方の血。だいぶ渋みが増して味が濁っておったぞ!想像するに…ここのところ吐精しとらんじゃろう?」

仙一郎が言葉の意味が分からずキョトンとしているとアルマは少し考え込んで言い直した。

「溜まっとるじゃろうって意味じゃ!」

「んなっ!」

仙一郎はすっとんきょうな声を上げ、台所の川相も何事かと彼をのぞき込む。いぶかしがる彼女に愛想笑いを見せ彼は小声で答える。

「関係ないだろ!そんなこと!ほっといてくれよ!」

たしかに、不自由していることは確かであった。しかし、その原因の一端がアルマが居候しているせいで、ひとりきりになれないことにもあったので仙一郎はムッとした。

「関係ないわけあるまい!血の味が落ちるのは死活問題じゃからな…何なら…」

そういうとアルマは彼に顔を近づけ耳打ちした。

「予が相手してやってもいいんじゃぞ…」

「はうぁ?」

奇声を上げてしまう仙一郎は再び川相に愛想笑いを見せごまかす。アルマは蠱惑的な表情をうかべ話を続ける。

「別に恥ずかしがることなかろう?血を吸いあった仲じゃ。それに比べれば…それとも何か?予に魅力がないと?」

「み!魅力がないとかそんな話じゃ!」

「こんな美しい女がひとつ屋根の下に暮らしているというのに其方は襲い掛かりもせんしな!」

そ…それは…」

必死に弁明する仙一郎は言葉に詰まる。

うまく説明できなかった。

彼にとってアルマは例えるなら一流の芸術家が描いた名画のようなものであり、それは傷をつけることはもちろん触ることすら恐れ多い愛で仰ぎ見るような存在だったから当然、一線を越えるなど以ての外だった。

黙り込む仙一郎に呆れてアルマはさらに続ける。

「それなら、あの下女が相手するよう操ってやろうか?」

あきらかに嫌そうな顔をしながら台所を指さすアルマの言葉にどもる仙一郎。

「そ!それこそ関係ないだろ!」 

「あやつ、其方に好意をもっておるのじゃろ?予が力を使うまでもなく、押し倒してしまえば簡単に帯を解くのではないのか?」

「そんなに簡単な話じゃないんだよ!」

仙一郎は高校時代から川相衣子が彼に好意を持っているのは分かっていた。彼女が同じ大学に入学したのも、もしかすると自分を追ってきたのではとも感じていたが、彼自身の優柔不断のために二人の関係は昔から実に曖昧なものだった。

「その問題は自分で処理するから!」

「わかった!わかった!」

なんとか、この話を早く終わらせたい仙一郎にあきれ顔のアルマは急に思い出したかのように険しい顔で言った。

「そういえば其方がベッドの下に隠しておった胸の豊満な女性のいかがわしい雑誌は捨てておいたからな!おかず?は無いからな!」

「ちょっ!勝手に何てことを!」

「どうせ其方は雑誌のような豊満な女性が好みなのであろう?どうせ予はまな板じゃよ!」

ふくれっ面のアルマに、これ以上この話題に触れるのは危険と思った仙一郎は口をつぐんだ。

「ねえ?楽しそうに何の話してるの?」

ちょうどその時、料理をかかえて入ってきた川相にアルマが笑顔で応える。

「今日のおかずの話をしていただけだよ~!」

「ん?今日は生姜焼きだよ!」

その言葉と部屋に漂う美味しそうな匂いに仙一郎とアルマはほとんど同時におなかを鳴らした。



だいぶ気温も上がり大学の夏休みも近づいてきたある日の夕方。今日も滞りなくアルマは仙一郎の首筋に噛みつきいつも通りの分量の血を飲み干すと高揚した様子をみせる。

「さって!じゃあチョットばかり出かけてくるぞ!」

浮かれた様子でクローゼットを開けると服を引っ掻きまわす。血を飲んだ後はいつもそんな感じなのだが前に仙一郎はアルマに尋ねたことがあった。

仙一郎の血は吸血鬼にとって特別に美味なだけでなく体力や精神力、魔力も向上させる万能の薬に限りなく近い血なのだという。だから、用法・用量をしっかり守って正しく飲んでいるのか、と妙に納得がいったものだった。

アルマは背を向け、仙一郎を気にすることなく鼻歌まじりで服を脱ぎ下着姿になる。彼は長い黒髪に白い肌のコントラストがあまりにも美しいので思わず見とれているとその視線に気付いた彼女は背中越しに彼を見てニヤリと笑った。

「お兄ちゃんのエッチ!」

「違うって!」

照れる仙一郎を見て、アルマはけたけたと笑いながらベアトップのゴスロリ服に着替え出かける用意を整える。

「あ!ちょっと待って!」

ちょうど出かける寸前、仙一郎はアルマに渡すものがあることを思い出してカバンから封筒を取り出し中から小さな物を取り出し彼女に渡した。

「なんじゃ?これは?」

彼女は銀色の金属製で鎖の先に楕円型の板がついたネックレスを手にぶら下げて不思議そうに見ていた。

「ドックタグってヤツなんだけとそこにアルマの名前とここの住所と電話番号が彫ってあるから!それ身につけとけば迷子になっても早く帰ってこれるだろ?」

彼女の方向音痴対策として本当はスマホでも持たせるのが最善なのではあったが、いかんせん金銭的余裕が無く、かと言って子供用の迷子札は彼の美意識が許さなかったので落としどころとして買ったのがそのドックタグであった。

「捧げ物か!予は嬉しいぞ!礼を言う!」

アルマはドックタグの鎖を両手で掲げてくるくる回った。そのドックタグ程度で大喜びする様子は血を吸った直後だったからなのかもしれなかったがそんな彼女を見て、仙一郎は吸血鬼に居候されるのもそんなに悪くないなと思うのであった。



自宅ではせわしない仙一郎も大学では授業に制作にと平々凡々と過ごしていた。

「おーい!聞いてるかぁ?」

対面に座る背の高い金髪の男性は仙一郎に呼びかけた。昼の学食、同じ科の軽沢かるさわが何か話していたようだが仙一郎はカレー丼を食べるのに夢中で上の空だった。

「ああ…何だっけ?」

生返事の仙一郎に、やれやれといった風に話始める。

「だから最近、連続殺人事件が起こってるってネットで噂されてる話だよ。」

それだけならそれほど面白い話でもないだろう、と仙一郎が言う間もなく話を続ける。

「面白いのは見つかった死体が全部、血が一滴も残ってなくてミイラ化した状態で発見されたってことなんだ!」

嫌な予感のする仙一郎を置き去りにして話は続く。

「で、きっとこれは吸血鬼の仕業に違いないってことで俺のオカルト研究サークル部員の血が騒いだ訳よ!」

嫌な予感はさらに高まるが軽沢の話はなおも続く。

「さらに事件現場にいたってヤツの書き込みによるとゴスロリ姿の少女が逃げてくのを見たっていうのもあってさ…」

嫌な予感は実感に変わる。

「ゴスロリ少女バンパイアだぜ!こりゃオカ研が探索に乗り出さなくてどうするんだってことで週末に部員が集まるんだけど早見もどう?って話!」

「何で俺が?」

「つれないなぁ~!俺とお前の仲じゃないか!」

軽沢は部員の少ないオカ研に仙一郎を引き込もうとたびたび声をかけてくるのだが、彼はは微塵もその気はなかった。しかし事件にアルマが関係しているかもしれないとなったら話は別だった。仙一郎は彼女が居候する条件として他の人に危害を加えたり血を吸ったしないことを約束させていたが正直きちんと守ってくれているのか不安ではあった。

「今回だけだぞ。入部はしないからな!」

「分かってる!分かってる!でも是非入部も考えて欲しいな。部員一同歓迎するぜ!」

軽沢は両手の親指を立てて朗らかに続けた。

「それにウチの紅一点、オカサーの姫はお前好みの巨乳だぞ!」

「お!俺は別に大きいのが好きな訳じゃ…」

「ま!とにかく入部も考えてくれよ!な!」

勢いづいた軽沢のサークル勧誘はその日の午 後の講義が始まる寸前まで続いた。



そして週末。その日もアルマは日が落ちるとふらっと出かけ、仙一郎はそれを見届けると集合場所の駅前に向かった。オカ研の面々と合流すると目撃情報の多い街中を二人一組になって捜索することとなり、仙一郎とペアになったのは例の紅一点、日本画科二年の呉睦影美くれむつえみだったので彼は軽く舌打ちした。

「軽沢の奴!」

もちろんこの組み合わせは軽沢の策略であった。軽くウェーブのかかったセミロングで前髪は赤いフレームの眼鏡にかかるほど長い。地味ではあるが整った顔立ちで、着ているオカ研サークルTシャツの五芒星と山羊の悪魔のイラストが激しく歪むほど胸は大きい。

二人きりになって当てもなく深夜の街を歩いていると今まで一言もしゃべらなかった呉睦が急に小声でぼそりと話しかけてきた。

「早見君は…オカルトとか…信じますか?」

信じるも何もオカルトが居候してますよ、と言いたくなる仙一郎だが言葉をにごす。

「んーまぁ五分五分かなぁ…」

「半分は信じてるんですね!」

呉睦は瞳を輝かせて喜々として見当違いな喜びをみせる。

「やっぱり目に見えない世界は存在してると思うんですよ!ただ私達が認知できないだけで、もしそれらと交信してお互いに理解し合い体系的に説明できれば私達の認識は飛躍的に向上して…」

突然饒舌になる彼女に気圧される仙一郎。およそ美大の学生は変わり者ばかりだが彼女もその例に漏れなかった。辟易した仙一郎は話を変えようと気になっていたことを訊ねた。

「呉睦さんのカバン、ずっとニンニクの匂いがしてるんだけどもしかして…」

「そう!ちゃんと吸血鬼対策にニンニクと白木の杭を持ってきたの!」

そう言うと肩からかけていたショルダーバックの中身を見せ微笑んだ。

「それにほら十字架のネックレスも…」

そう続けるとTシャツの襟を引っ張って十字架を見せびらかすが結果的に仙一郎に胸の谷間を披露する格好となる。

「ああ!十字架だね!十字架!」

仙一郎は慌てて目をそらすが彼女はまったく気にかける様子もなく相変わらず微笑む。

「早見君は何か対策はしてきましたか?」

呉睦は眼鏡の奥から眼を爛々と輝かせて仙一郎の顔をのぞき込む。

「いや別に何も…」

「ダメだよ!そんなことじゃ!じゃあ…」

彼女は語気を強め叱責すると指にはめていたリングを外す。

「これはお守りがわりに!吸血鬼が恐れるシルバーのリング!」

そう言うと、ごてごてとした十字架の装飾のついた指輪を仙一郎に手渡した。

「あ…ありがとう…」

彼は似合わない派手な指輪を右手の人差し指にはめ照れ笑いを浮かべるしかなかった。

その後も彼女のほぼ一方的なオカルト談義を聞かされながら街を歩き回るが収穫はない。

やがて夜半も過ぎ公園で休憩を取ることにし仙一郎はベンチに腰掛け、呉睦は気を利かせて飲み物を買いに離れた。仙一郎はもし事件がアルマの仕業であるなら皆に見つかる前に捕まえて連れ帰るつもりでいたが今日は空振りに終わりそうで少し安心していた。その時、背後に気配を感じ同時に首筋に生暖かい物が触れる。突然のことに言葉を失い振り返ると呉睦が後ろから抱き付き首を甘噛みしていた。

「何してるの!呉睦さん!」

「早見君すき…」

「す!す!す!好きって…」

出会って数時間での突然の告白に仙一郎はうろたえる。

「隙…だらけだよ!そんなことじゃ吸血鬼に血吸われちゃうよ!」

仙一郎は聞き違えに気恥ずかしくなるが、いきなり背後から抱き付かれて首筋に食いつかれたのだから勘違いしたとしてもしょうがない。

「まったく!もし私が本物の吸血鬼だったらいまごろ早見君シワシワのミイラになってるところだよ!」

呉睦は後から抱き付いたまま屈託のない笑顔を見せる。

「そろそろ離れてくれないかな?」

背中に当たる柔らかい感触に耐えきれず音を上げるが、何事もなかったようにあっけらかんとベンチの隣に座る彼女の天然ぶりにオカ研崩壊も近いなと憂う仙一郎であった。

その時、仙一郎は突然として全身の毛が逆立つような感覚に襲われる。それはまるでネズミが船の沈没を予知して逃げ出すように彼に、ある方角から離れるように全身に危険信号を発していた。

その感覚はアルマに血を吸われていることに関係があるのかは分からなかったが、その方角から感じるのはこの世ならざる者の殺意だとはっきり分った。そのおぞましい感覚に思わず吐き気をもよおし身をかがめる。

「ちょっと早見君大丈夫?顔真っ青だよ!」

仙一郎の様子に気付き背中をさする呉睦に芝居がかった口調で話す。

「大丈夫!ちょっと邪悪な気配を感じて…この先の神社から禍々しい思念を感じるんだ!皆に連絡してそこに向かうんだ!俺も回復したらすぐに追う…さあ!急ぐんだ!」

「わ!分かった!」

仙一郎の言葉をまったく疑う様子もなく走り去る呉睦を確認すると彼は神社とは逆の方角へ、本当に邪悪な気配を感じた駅の方向へ歩きだした。



感じる気配に近づけば近づくほど仙一郎の全身は痛み頭痛と悪寒で倒れそうになるが、アルマの有無にかかわらず前に進まなければならないと彼は決心していた。なぜなら、このまま逃げ出すのは美しくないと思ったからだ。仙一郎は“美”に対して強くこだわりを持っていた。それはただ描くことだけにとどまらず生き方においても美しくあることを信念としていた。結局、彼も変わり者の美大生のひとりにすぎなかった。

どうにかたどり着いた先は駅の地下駐車場。感じる気配は駐車場全体に満ちていて正確な場所は分からない。そこは薄暗く静まりかえったコンクリートの空間に駐車された車が静かに眠る怪物のように不気味に並び、仙一郎はその怪物達を目覚めさせないかのように静かに歩く。注意深く慎重に目を凝らし耳を澄まして歩き続ける。すると微かに女性が苦しそうに喘ぐ声が聞こえ彼は歩みを速める。声は地下空間に反響して、どこから聞こえてくるのか分かりずらい。

右へ左へ早足で探し回り何度か角を曲がった末、正面奥の突き当りに人影を見つける。見覚えのあるゴシックロリータ風の服で立つ少女の後姿。足元にはミイラ化した女性のような物が転がっている。少女が横を向くと見知った顔がのぞく。やはりアルマであったことに仙一郎は全身の力が抜けるのを感じた。

自分勝手で、怠け者で、ポンコツではあっても約束はやぶらないと思っていたものを裏切られた気分だった。重い身体を引きずってアルマに迫る仙一郎は彼女が彼に気づかないほど何かを凝視しているので首を振ると、十五メートルほど離れてサラリーマン風の中年男性が青ざめた顔で立っていた。

「アルマ!」

仙一郎は叫び声を上げ駆けだした。

「画学生!」

突然の出来事に目をまるくして驚くアルマに仙一郎は飛びつき止める。

「放さんか!このうつけ者っ!」

「これ以上だめだ!人を襲っては!」

「何を…」

アルマはそう言いかけ息を呑み、仙一郎は二人の目前に中年サラリーマンが居ることに気づいた。高く振り上げた手には鋭い爪が光り口元には血がこびりつき薄笑いを浮かべる口角から鋭い犬歯がのぞく。

アルマはとっさに仙一郎を突き飛ばすが彼女は振り降ろされた爪で肩から胸にかけてざっくりと切り裂かれ、さらに声をあげる間もなく蹴り飛ばされ数メートル先の車のボンネットに大きな音をたててめり込む。

盗難防止アラームの音が響き渡るなか立ちつくす男の身体はみるみる変形しスーツが引き裂かれる。肌は緑色に変色し背中に鋭いトゲが生え獣のような顔に大きな赤い目が爛々と光る。

その怪物は四つん這いになると仙一郎のことなど目もくれず、ゆっくりアルマとの間合いをつめる。コンクリートの地面に倒れた仙一郎は自分が思い違いをしていたことをその時、悟った。一連の事件はこの怪物の仕業なのだと。

アルマはピクリとも動かずコンクリートに血だまりが広がる。

何とかしなければ…何とかしなければと仙一郎は頭の中で繰り返し、とっさに目に入った右手の指輪で左腕に傷をつけた。

「痛っ!」

鋭い痛みに続き傷口から鮮血がしたたり落ちる。彼は左腕を突き出し叫ぶ。

「おい!バケモノ!俺の血は旨いぞ!」

その声に反応した怪物は振り返りクンクンと鼻を動かす。

「ほら!こっちだ!こっち!」

腕を上下に動かして注意をひくと怪物は方向転換してゆっくり近づいてくる。仙一郎は怪物の気を逸らすことしか考えてなかった。踵を返して逃げても追いつかれるだろう。戦いを挑んでも勝ち目が無いのは火を見るより明らかだ。けれども出来うるかぎり足掻く覚悟だけは決めていた。

やがて怪物は速足になり駈足に変わり仙一郎に迫る。何も出来ず、あっという間に目の前に鋭い牙が迫った次の瞬間、彼のすぐ目と鼻の先で怪物の動きが止まる。

見上げる彼の目の前には怪物の頭を鷲づかみにするアルマがいた。仙一郎が怪物の気をそらしていたため動けるまでに回復したのだ。

「アルマ!」

叫ぶ仙一郎に、わずかに笑みを浮かべ彼女は怪物を片手で持ち上げると地面に叩きつけた。地響きをたてコンクリートにめり込む怪物。

「アルマ!アルマ!」

うまく言葉に出来ず彼女の名前を呼ぶしかできない。彼女の服はぼろぼろに破れ、はだけた胸から胴にかけ白い肌は血で真っ赤に染まっている。左腕もだらんと垂れ折れているようだった。アルマは彼の心配そうな声に応える。

「子細無い。時間稼ぎ大儀であった。」

そう言うと彼女は右手に忽然と現れた剣を、地面でうごめく怪物に向けた。

「下等な吸血獣ふぜいが増長しおって!」

そう吐き捨て、手がわずかに動いたと思うと怪物はみじん切りに切り刻まれ肉片と化していた。アルマはそれを見届けると、ふらふらと仙一郎のもとに歩み寄りパタリと彼の胸に倒れこんで、つぶやいた。

「さしあたって其方が何故ここにおるのかは問わんぞ…今夜は疲れた…」

仙一郎もホッとして気が抜けると突然として傷つけた左腕がずきずきと痛みだし血がだらだらと流れ落ちているのに気づき、うめき声を漏らした。

「まったく無理しおって!」

それに気づいたアルマは彼の腕をつかむと傷口を舐める。少し気恥ずかしい仙一郎であったが腕の痛みはみるみる和らぎ出血もほとんどなくなった。

「ありがとう…アルマ。」

「なに、予の傷にも効くゆえ一石二鳥じゃ!しかし其方の血は、ほんに滋味深い甘露であるな!」

アルマは言いつつ左手を握ったり開いたりを繰り返した。彼の血を舐めたことで、折れた左腕はすでに元通りに治り胸の傷もみるみる癒えていく。

「ところで画学生?」

すると彼女は突然、眉間にシワを寄せ仙一郎の右手の指輪を睨みつけた。

「この指輪、其方の趣味ではあるまい?しかも知らん女子の匂いがするぞ!誰ぞに貰うた?」

「こ…これは、その…あの…」

しどろもどろになりながらも説明する仙一郎であったが、アルマの不機嫌そうな顔を見て、呉睦の胸が大きいことだけは今後も伏せておこうと心に誓うのであった。




怪物の騒動から一週間が経過していた。

結局、あの時アルマはインターネットで連続殺人事件の噂を知り、やはり事件に吸血鬼が関与していると感じて、自分の縄張りで勝手する者を成敗するために仙一郎に内緒で夜な夜な犯人探しに奔走していたという。

案の定、事件は吸血鬼の仕業であった訳だが、アルマが言うには、あの怪物は最も下等な吸血鬼の一種で普段は人里離れた山奥で小動物の血を吸っているような輩で、それがどうして街中に出没したのかについては、人間の身勝手な自然破壊で山の獲物が減り、餌を求めて人里に降りてきたのではないかと、どこかで聞いたような話をするのであった。

仙一郎がアルマを犯人と疑っていたことについて彼女は、ぷりぷりと怒っていたが、彼が土下座して、お詫びのしるしとしてプチっとするプリン三個パックを献上し

「ま…まあ、予も黙って出かけておったからあいこじゃな…」

と懐柔されてあっさり和解となった。

そして大学も夏休みに入り、仙一郎は怪物騒動以上の窮地に立たせれていた。金欠がさらに深刻になったのだ。

言うまでもなく原因は働きもせずにネットにゲームに遊んでばかりいる居候な訳だが、そのために仙一郎は今日も朝から夏休みに入って増やした新しいバイト先に向かうところだった。



アルバイト先は美術系予備校。美術大学を目指す現役、浪人生が受験の実技を学ぶ塾で、そこの講師の助手が彼の仕事だ。

今日は午前中、その予備校で夏期講習の裸婦クロッキーが行われるため、彼は予備校に着くなり教室の椅子とイーゼルを手早く並べ準備を滞りなくすませる。生徒も集まり後はモデルが到着するのを待つだけとなったが、その到着が遅れていた。

裸婦クロッキーは二十分ポーズ十分休憩で行われ、彼は教室での時間の管理と生徒への指導をするため、モデルの到着を椅子に座って所在なさげに待っていた。そして、しばらくすると声がする。

「モデルさん入りまーす!」

その声とともに待機室から入ってきた女性の美しさに教室がざわめく。

北欧系らしい彫の深い顔だちに肩にかかる長さの白に近い金髪。顔にかかる前髪から片側だけのぞく瞳は清んだ水色をしていた。

その外国人女性が軽く仙一郎に顔を向け微笑んだので、我に返った彼は開始の合図を発し周りもそれに続いた。

「よろしくお願いします!」

女性は、それを合図に中央の台に上って巻いていたバスタオルを脱ぐと再び教室がざわめく。

整って張りのある程好い大きさの胸に腰は細く締まり豊かな曲線をえがく臀部からしなやかに伸びる両足は細く長くギリシャ彫刻のように均整がとれ、肌は陶器のように白くきめ細やかな質感を感じさせ、この世のものとは思えなかった。

少しの間、見入っていた生徒達もしばらくすると何事もなくクロッキーに取り掛かるが、その教室中央でポーズをとる女性の佇まいに似た雰囲気を仙一郎はよく知っていた。

アルマだ。そうであるなら目の前いる女性も吸血鬼もしくは、それに近いこの世ならざる者であるかもしれないと仙一郎は警戒し注視するが見れば見るほど美しく彼の芸術家魂が騒いで、つい仕事をほっぽり出してクロッキーしたくなる衝動にかられウズウズしてしまっていた。

そんな複雑な感情に悩まされているうちにあっという間に時間は過ぎ授業は何事もなく終了。女性は教室を退出するその刹那、仙一郎にウインクしたように見えた。

彼女が気になった仙一郎は後を追って急いで予備校内を探しまわったが、すでに忽然と姿を消し誰も行方を知らなかった。



そして、アルバイト帰り、駅に向かう道すがら仙一郎は、その正体不明の女性のことを考えていた。もし普通の人間ではなかったとしても危険な感じはしなかったし、予備校で何事もなかったことを考えると自分の思い違いで普通の人間だったのかもしれないと。

そうこう考える内に駅前のうどんチェーン店の前を通りかかり急に腹が減っていることに気づいてしまった。時刻はちょうど昼飯時であったが財布の中が寂しい仙一郎は店の前で立ち止まって迷っていた。すると後から声がする。

「スィア!ちょっとお話があるんですけドお時間いいデスカ?」

変な掛け声とともに話しかけてきたのは例の外国人女性だった。短いタンクトップにデニムのホットパンツ姿、髪をポニーテールにまとめ顔に笑みを浮かべている。

「君は?」

「予備校で会いましたネ!ワタシはリザ言います!とりあえず店入りましょーカ?お昼おごりますヨ!」

そう言うといきなり彼の腕に手をまわし有無を言わさず店に連れ込んだ。突然の出来事に抵抗できず、あれよあれよと言う間にテーブル席に座らされた仙一郎であったがリザと名乗るその女性に興味があったので、そのまま様子を見ることにした。

テーブル席に仙一郎を座らせるなりどこかに行ってしまったリザは、しばらくすると牛肉うどんにおにぎり、さらにサイドメニューの天ぷらを山盛りにしたトレーをかかえて戻ってきた。

「ドーゾ!ワタシのおごりデース!」

「そんな…悪いよ。」

「据え膳くわぬは男の恥デスヨ!ドゾ!ドゾ!」

テーブルの向かいに座るリザが、あまりにも屈託のない笑顔ですすめるので遠慮していた仙一郎も男のメンツを保つためいただくことにする。

空腹だった仙一郎はあっという間にすべて平らげてしまい、リザは彼が食べているあいだじゅう頬杖をついてニコニコと眺めていた。

「ごちそうさまでした。」

「お粗末さまでしたデス!じゃあ本題に入りましょうカ?仙一郎!」

リザが名前を呼んだので仙一郎は身構えた。

「何で名前を?」

「アルマが珍しく気に入ったニンゲンですからネ!当然デス!」

「アルマって…やっぱり君も…」

「もちろん吸血鬼デス!」

そう言うとリザは口角を指で引っ張り鋭い犬歯を見せ話を続けた。

「昼間に吸血鬼トカ疑っているかもシれませんがワタシ日光ダイジョーブな奴なのデ信用してクダサイ!」

「それじゃあ予備校に来たのも俺に近づくため?」

「それもありますけどヌードモデルは給料イイですからネ!一石二鳥カナ?」

吸血鬼のイメージとはかけ離れた陽気さで話しかけて来るリザに、この場ですぐどうこうされる雰囲気も感じなかったので仙一郎は黙って彼女の話を聞くことにした。

「では、タントウチョクニューに言います。アルマを捨ててワタシの眷属になりませんカ?」

「はぁ?それってどういうこと?」

仙一郎は突拍子もない話に大声を出してしまう。リザは動じることなく相変わらず笑みを見せる。

「まあ話せば長くなるんデスがアルマとは因縁があっテ嫌いなんデスネ!だから大事なモノを奪い取っテ嫌がらせしたいのデス!いわゆる寝取り?」

さらに黙って聞いていた仙一郎の顔をのぞき込んで悪戯っぽくつぶやいた。

「今、ワタシの眷属になれば下手な女と結婚するより、よっぽどイイ思いさせてあげますヨ!お小遣いも沢山あげますシ、夜もいっぱい愛してあげるデス!」

仙一郎はその言葉にドキッとしてしまった。こんな美しい女性にそんなことを言われて喜ばない男はいない。

誰もが一度は夢見るヒモになれるチャンスに、ほんのちょっとだけ心が揺らいだ仙一郎であったがやはり結論は最初から決まっていた。彼はうつむいて少しだけ間をとってからリザに告げた。

「ごめん、君には悪いけどやっぱりそう簡単にアルマを裏切る訳にはいかないわ!色々と世話のかかるヤツだけど悲しませたくないからさ!それに何よりそれは美しくないし…」

彼の言葉をしっかりと眼を見ながら聞いていたリザは話が終わると残念そうに言った。

「そうデスカ…仕方ありませんネ!分かりましタ!今回は諦めまス!」

拍子抜けするほどあっさり諦めた彼女は席を立つと吸血鬼とは思えない慈愛に満ちた眼差しで彼を見つめた。

「仙一郎はホント義理人情に厚い子デスネ!アルマには、また近いうちに会いに行く言って下さイ!」

そう言うと身をかがめて仙一郎の頬にキスをした。

「!!!」

突然のことに呆気にとられる仙一郎を置き去りにしてリザは店の外へと消えていった。



「他の女の匂いがするのじゃぁ!」

アパートのドアを開けるなり待ちかまえていたのは、ふくれっ面で仁王立ちするアルマの不満そうな姿だった。

仙一郎は早々に観念して玄関で立ったまま今日あった出来事を洗いざらい正直に報告すると、アルマはしかめっ面で悪態をついた。

「あの泥棒猫、復活しておったのか!人のモノにちょっかい出しおって。むぅぅかつくぅ!」

そう言いつつ仙一郎の腹を握り拳で何度も何時までも叩き続けるのであった。




それから数日後、あれ以来リザは姿を現さず、アルマは彼女を捕えるため夜の街に出かけることが多くなって、今日も支度していた。

「それじゃあ、ちょっと出かけてくるぞ!」

「アルマ!くれぐれも荒事だけは勘弁してくれよ!」

「なんじゃ!其方はあの泥棒猫の味方をするのか!」

玄関のドアに手をかけるアルマに居間から声をかける仙一郎に、ここのところイライラしていた彼女が突っかかる。

「イヤそういう訳じゃなくて…」

なだめようとする仙一郎の何が気に食わないのかアルマは熱くなって彼を睨みつける。

「其方、あの泥棒猫と予のどっちが大事なのじゃ!」

「いや、だからリザとは昔何かあったかもしれないけど仲良くしてくれないかって!」

「リザ?リザと申したか!呼び捨てか?そんな仲か?」

だんだんとヒートアップして、ほとんど言いがかりじみていくアルマ。仙一郎も次第にイラついてしまう。

「そこは別にイイだろ!」

「かばい立てするか!予の食料のくせに!」

二人はさらにムキになっていく。

「あー!やっぱリザの眷属になっとけば良かったよ!」

「もうよい!其方みたいなたわけ、あの冷血女に血吸われて干からびてしまえばイイんじゃ!バカっ!」

アルマは吐き捨てるとドアを乱暴に締めて出ていってしまった。



アルマが出ていってから仙一郎はベッドに腰かけ本を読んでいたが内容がまったく頭に入ってこないので放り投げシーツに仰向けに倒れこんだ。

やけに静かな部屋で天井を見つめ、仙一郎はアルマに言い過ぎたと後悔した。美しくなかった。帰ってきたらすぐに謝ってお詫びに超特大プチっとするプリンを買ってやろうと思った。

その時、静寂を破って悲鳴が響く。

「きゃぁっ!」

仙一郎はそれが川相の声だとすぐに気づいて飛び起きると隣の部屋へと飛び出した。

「川相さん!どうしたの!」

玄関のドアを勢いよく開け叫ぶ仙一郎の胸に川相が飛び込んできた。

「ゴキブリが!ゴキブリが出たの!」

そう怯えた声で訴える川相は入浴中だったのかバスタオル一枚しかまとっていない。抱き付く彼女の身体の凹凸がほとんど直に仙一郎の身体に押し付けられ彼は狼狽する。

「と!と!と!取りあえず落ち着いて。」

川相は両腕をからませ、しがみついて離れようとしない。彼は手の置き所に困って、まるで銃口を向けられたように手を上げたまま固まってしまった。

「恥ずかしいんで、そろそろ離れてくれるかな?」

彼女がいつまでも抱き付いているので仙一郎はたまらず懇願すると川相はつぶやいた。

「先輩…やっぱり私…」

彼女は潤んだ瞳で彼を見上げる。

「スキです!先輩のことが!」

「なななな…何を言ってるんだ?ちょっと落ち着こう!ね!川相さん!ね!」

仙一郎は慌てて彼女を引き剥がそうとするが、がっちり抱き付いて離れようとしない。

彼も別に彼女が嫌いな訳ではなかった。高校の先輩後輩の仲だった頃から彼女が自分に好意以上のものを持っていることも分かっていた。ただ彼の色恋沙汰に関しての優柔不断気質は筋金入りだったし二人の関係が変わってしまうことへの恐れもあったので今日まで宙ぶらりんな状態で放置してきたのだ。いいかげんその関係に終止符を打つ時が来たのだろうかと彼は思った。

「先輩…」

川相が突然、唇を仙一郎の口にかさねる。

なすすべもなく固まっていると彼女は舌を口の中にねじ込んだ。次の瞬間、突然として彼は舌に痺れを感じ、それはみるみる手足に広がっていった。そして頭が朦朧として身体に力が入らなくなり、その場に崩れ落ちる。

「かわ…い…さ…」

仙一郎は薄れゆく意識の中で川相の瞳が微かに赤くゆらめいたように見えた。そして彼は意識を失ってしまった。



初めに、仙一郎のぼんやりとした視界に入ってきたのは青白い光だった。やがて意識がはっきりしてくるとそれが壊れた屋根から射し込む月明りで、自分が廃墟となった鉄工所内で事務用椅子に座らされ縄で縛りつけられていることに気づいた。

あたりにひとけは無く、静まり返って虫の鳴く声しか聞こえない。彼は身体をねじり椅子をガタガタ揺すって縄を解こうとするがびくともしなかった。

「気づいたみたいだね!」

突然、声がしたので仙一郎は顔を上げると暗闇からピンヒールの音を響かせ女性が現れた。着ている黒のフォーマルドレスは大きく胸元が開き、長いスカートの片側は大きく切れ込みが入っていて太ももまで露出している。

「久しぶり!仙一郎!」

彼女は仙一郎を知っているようだったが彼には身に覚えがなかったのでポカンとしているとその様子を見た彼女は表情を緩め軽い口調で言った。

「ひどいデスネ!もう忘れてしまいましたカ?」

「リ!リザ!」

彼は驚きの声を上げた。目の前にいる女性は口調も雰囲気も別人かと思うほど先日逢ったリザと違っていたからだ。月明りの下立つ彼女の瞳は血のように赤く輝き、その表情は冷たく冷酷な雰囲気を醸し出していた。彼女は仙一郎を見つめ、また鋭い調子に戻った。

「まどろっこしい手を使って悪かったね!あまりアルマに近づくと気づかれちゃうんで君の後輩君を操らせてもらったよ。お詫びにちょっとお色気も足しといたけど楽しんでもらえたかな?」

仙一郎はちょっとはにかみながら問いただした。

「な…なんで、こんなことを?」

「私の眷属にって話は断られちゃったから。アルマへの嫌がらせに別の手を考えた訳。仙一郎を人質にアルマをおびき出して彼女の目の前で君を引き裂いてやろうと思ってね。」

そう言うと、リザは顔のあたりまで上げた手を振り降ろす。すると、彼女の数メートル後にあったドラム缶が突然、切り裂かれ紙吹雪のように散り金属音を響かせた。

「何でそこまで?」

そう訊ねるとリザは眉間にシワを寄せ。

「まあイイ、教えてやろう。アルマに…アルマース・クローフィに灰にされたのさ。おかげで灰から復活するのに百年もかかったよ。いくら不死の吸血鬼とはいっても百年も死んだままにされるなんて屈辱以外の何物でもないからな。」

そして自嘲気味に微笑むと続ける。

「始祖の吸血鬼、オリジナルテンのひとりアルマをどうにかできるものでもないから、あアイツが大事にしてる君を目の前で引き裂いて精神的にいたぶってやろうって訳。」

そしてリザは仙一郎に近づくと、まるで彼をどう切り刻もうかと思案するように真っ赤な爪を彼の胸に這わせ不気味な笑みを浮かべた。

そんなリザの話を、仙一郎は自分でも驚くほど冷静に聞いていた。それはまだ若い彼にとって死というものが自分に関係のない遠い世界の出来事のように感じていて現実感を感じなかったからかもしれない。

ただ、そんな仙一郎もアルマには、この厄介な事態に関わって欲しくなかったので直前に彼女とケンカして良かったと思っていた。



それから数時間がたち、時刻は深夜をまわったというのにアルマは現れず、リザはイラついていた

「ったく!あの子は何時になったら来るの!ちゃんと場所も伝えてあるのに!」

「アルマは方向音痴だからなぁ…」

椅子に座りっぱなしで疲れてきた仙一郎はつい相槌をうってしまう。するとリザが顔を突き合わせて話に食いついた。

「そう!そう!あの子ったら!いつもいつも…」

リザの言葉が途中で止まり表情が険しくなる。

「やっと来たね!アルマ!」

その独り言に背後の暗闇が答える。

「キサマも予が、ちょっと道に迷いやすいのを知っておろうが!迎えくらいよこさんか!だいぶ歩き回ってしまったぞ!」

暗闇から現れた人影に仙一郎は声を上げた。

「アルマ!」

「無事か?画学生!」

仙一郎は彼女が自分のために来てくれたことがうれしかったが、同時にこれから何が起こるかを想像すると悲しくもあった。

アルマは彼の姿を確認すると隣に立つリザに目を移し語りかけた。

「久しいのぉリザ!」

「百年ぶりだからねぇ…会いたかったよ!」

「単刀直入に言う。予のモノを黙って返してもらえんか?」

「冗談!」

にらみ合う二人の間にピリピリした空気が漂い、お互いの殺気は仙一郎でも感じられるほどだった。



均衡を破って最初に動いたのはアルマだった。突如、右手に剣が現れ一瞬で消える。

それとほぼ同時にリザは仙一郎が座ったままの椅子を片手で自分の目の前に持ち上げる。次の瞬間、仙一郎の額の数センチ前に剣が静止し鋭い切っ先を彼に向けて浮いていた。

「鎧をも貫く瞬速の剣もコレは貫けないみたいだね?抵抗するなアルマ!」

「ぐぬっ…。」

仙一郎を盾替わりに不敵に笑うリザをアルマは睨みつける。剣は忽然と消え、リザは仙一郎を下ろすと高笑いをした。

「ははっ!愉快!愉快!そんなにこの子が大事かい?ならそのままそこを動くんじゃないよ!そうじゃないとどうなっても知らないからね!」

リザは太ももに隠し持っていたダガーナイフをシースから抜くと仙一郎の背後から喉元に突きつけた。

「この下衆が!」

「そうそう!その悔しそうな顔が見たかったのよ!最高!」

楽しそうにリザが空いている方の手を振ると十メートルほど離れ立っているアルマの黒髪が肩からバッサリと切れ落ちる。また振ると二の腕の皮膚が切れ血がにじむ。だんだんと興が乗り、まるで指揮者がタクトを振るうようにリザが手を動かすたびにアルマの身体中に傷が刻まれ血がにじむ。

「も…もうよいじゃろ?予は一切抵抗せん。煮るなり焼くなり好きにすればよい。じゃから…そいつは解放してくれんか?」

アルマが痛みに耐えながらそう訴えるとリザは、目を見開いてあざ笑う。

「あはは!何言ってんの!本番はこれからなんだからもっと楽しんでってよ!」

リザは持っていたナイフを逆手に持ち返ると突然、仙一郎の太腿に突き立てた。

「ぐっ!」

彼はうめき声を上げる。履いていたジーンズにはみるみる血がにじみ、まるで熱した鉄棒を押し付けられたような熱さが襲う。

「やめんかっ!」

「コールドブラッドの異名を持つあんたがそれほど人間に固執するなんて珍しいね。」

言いながらリザは太腿に刺さったナイフをぐりぐりと動かし、仙一郎の顔は苦痛で歪む。

「あぐっ!」

「やめろ。と言っている!」

アルマの口調は徐々に怒気を帯び、その様子はリザをさらに高揚させていく。そして彼女はアルマに向けて手を突き出した。

「ツィーズアズ…」

リザが、そう詠唱するとアルマを囲むように鋼鉄の棘が現れ、続けて叫んだ。

「アツェール!」

棘はいっせいにアルマに襲いかかり彼女を貫く。

「!!!」

アルマは叫び声ひとつ上げなかったが、その苛烈な攻撃にその場に片膝をついてしまう。

まるでハリネズミのように全身に棘が刺さり傷口から血がしたたり落ちる。

仙一郎はなんとか今の状況を変えようと足の痛みでぼんやりする頭を絞って考えた。そして考えた末、決心した。それは危険な賭けではあったがやってみる価値はあると思った。

静まり返った廃墟にアルマの荒い息づかいが響き、ひんやりとした夜の空気に血の匂いが混じる。仙一郎は意を決してリザに懇願する。

「お願いだからもうやめてくれないか?話を聞いてくれ!」

「何?命乞い。今さらもう遅いよ!」

「そんな、ころころ考えを変えるような美しくないことしないさ!覚悟はしてる。ただ…」

「ただ?」

「やっぱり痛いのは嫌だから、せめて情けをかけて欲しいんだ。これはリザにも得な話だと思う。」

その言葉にリザの動きが止まり話に食いついた。

「へぇ…どんな話?」

「このまま八つ裂きにするんじゃなくて血を吸い尽くして殺してくれないだろうか?吸血の快楽の中で息絶えるなら僕も楽だしリザにとっても、アルマの目の前で僕が血を吸われてミイラになる様子を見せつけるのは復讐として上等なんじゃないかな?」

リザの口元がゆるみ狂気を帯びた高笑いが響く。

「あははははっ!面白い!面白いよ仙一郎!私も別に君のことは嫌いじゃないしプライドの高い吸血鬼への仕打ちとしてそれはなかなかイイ考えだよ!」

そして彼女は刺さったナイフを抜き捨てると仙一郎の頬に両手を当て正面から顔を覗き込んで訊ねた。

「本当にそれで良いのかい?」

「背に腹は代えられないから…」

「聞いたかいアルマ?」

リザは仙一郎の後ろに回り肩から腕を回す。

「……」

アルマは口を真一文字に結び無言でリザを睨みつける。リザはアルマから目を離さずに大きく口を開け鋭い犬歯を仙一郎の首筋に突き立てた。

するとリザはすぐに仙一郎の血の美味さに目を見張った。アルマが彼に固執する理由をこのとき初めて理解した。彼女は恍惚とした表情を浮かべ無我夢中で血を吸い続ける。

やがて仙一郎は頭がぼやっとし身体中の力が抜けていくのを感じた。足の痛みもなくなり雲の上に乗っているようなフワフワとした感覚に包まれる。

リザは一心不乱に血を吸い続け、もはや仙一郎は失血死寸前だった。それはまるで心地よいまどろみのように彼を深い眠りに誘う。

すると突然、リザは彼の首筋から頭を放し胸をおさえて叫んだ。

「がぁっ!」

もんどり打って倒れると真っ青な顔に苦悶の表情を浮かべ、身体を痙攣させて意識を失ってしまった。

うとうとしながらその様子をぼんやりと確認した仙一郎もまた、ほどなくして意識を失ってしまった。



最初に仙一郎が耳にしたのは声だった。

「…ろう!…ちろう!」

はっきりしない意識の中で聞こえてきたのは必死に叫ぶ声だった。

「仙一郎!仙一郎!」

その声に導かれ目を覚ますと、かすむ視界に入ってきたのは心配そうに自分の名を呼ぶ髪を切られおかっぱ頭になったアルマの顔だった。

「やあ!アルマ!」

意識が混濁していた仙一郎は場違いな言葉で応えた。それを聞いたアルマは大きく息を吐いて安堵の表情を浮かべる。

「まったく其方は無茶をしよる!」

アルマに膝枕され横になっていた仙一郎の意識は次第にはっきりとし始める。アルマは服はぼろぼろではあるものの串刺しになった傷はもうほとんど治っていた。視界の端に倒れてピクリとも動かないリザを見て仙一郎は言った。

「なんとか上手くいったみたいだね。賭けだったんだけど…」

「薬も容量を間違えれば毒になるというヤツじゃな。其方の血は強烈すぎるからの。あやつは過剰摂取で失神しておるよ。」

「アルマが無事でよかったよ…」

「馬鹿者!自分の身体を心配せんか!もう少しで失血死するところじゃったんじゃぞ!」

「ごめん…」

アルマはやれやれといった顔で仙一郎の頭をやさしくなでた。それからアルマは表情を一変させリザを睨みつけた。

「さて、それじゃあ…あやつはどうしてくれようか!もう百年ばかり死んでてもらおうか…」

「リザのことは許してやってくれないか?また百年なんて、あまりにも可哀想だし…彼女には昼飯おごってもらった恩もあるから…」

仙一郎の言葉にアルマは呆れた様子で彼の顔を覗き込んだ。

「よかろう、生かしといてやるさ。それよりしゃべりすぎじゃ。もう少し休め!」

「ああ…そうさせてもらうよ。少し疲れた…」

仙一郎はアルマの膝のひんやとした心地良い感触を後頭部に感じながら、これまでになく穏やかな心持で眠りについた。

すでに空は白みはじめ、残月は山際に沈もうとしていた。


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のじゃロリ吸血鬼さんはチューチューしたい かま猫 @kamaneko3

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