08

「…気が付いた?」


「………ここは?」


「病院」


「…あたし…」


「大丈夫。どこもケガはないよ」


「………」


「何?」


「あなたは…誰?」


「…君の、彼氏」


「…彼…氏…」


「そ。何も心配いらない。ずっと…そばにいるから」



 * * *



コウ、調子はどうだ?」


 ピンクのカーネーションを花瓶に移しながら、俺は問いかける。


「きれいな色ね」


「お嬢さんがあとから来るって。それより、名前考えたか?」


「名前…ね」


 コウは…

 爆薬庫の事件のあと、記憶を失った。

 何一つ覚えてない。

 自分がしてきた罪も、俺と出会ったことも、二人の兄弟のことも…。


 俺は、それでいいと思った。

 重すぎる過去だ。



「…可愛いな」


 コウのそばで眠っている子供の顔を覗き込む。

 まだどちらに似てるかなんて分からないが…ずっとでも見ていたくなる。


「ふふっ。万里君、来るたびに言ってる」


「仕方ないだろ。こんなに可愛くちゃ」


 コウは…一昨日双子の男の子を出産した。

 小さくて心配だったが、二人とも元気にミルクを飲み、大声で泣く。



「あのね、この間から、ずっと気になってるんだけど」


「何」


「頭の中にね、二つ名前が浮かんでくるの」


「名前?どんな」


「これ」


 紅は、俺に紙を差しだした。

 その紙には。

 瞬平しゅんぺい薫平くんぺいと書いてある。


「……」


「どこかで聞いたことがある?」


「…いや」


「生まれる前から浮かんでたの」


「お告げってやつかもな。いいじゃないか、これにしよう」


高津瞬平たかつしゅんぺい高津薫平たかつくんぺい…」


 コウは小さくつぶやいて。


「あなたに似て、強くて優しい子になればいいな」


 小さく笑った。


コウに似て、かわいくて思いやりのある子がいいよ」


 俺はコウを抱きしめる。

 いつか、もし記憶が戻ったとしても。

 その全てを受け止めてやれるよう、俺はもっともっと強くなろう…。



 * * *



「わあ…可愛い~」


 お見舞いに来て下さったお嬢さんが、瞬平しゅんぺい薫平くんぺいを見て笑顔になった。


「お嬢さんも、随分大きくなりましたね」


 俺がお腹を見て言うと。


「そう。何だかすごくヤンチャ。あと二ヶ月待ってくれるかしら…」


 お嬢さんはお腹を触りながら俺とコウに笑いかけた。


 六月には、たまきとの二人目の子供が産まれる。

 …まあ、一人目は違う男性との子供であっても、長男のうみ君はすっかり環の息子だけど。


 今日もこうして…


コウちゃん、俺、子守りするから任せてね」


 小さな花束を持って、お見舞いに来てくれた海君。


「ふふっ。頼もしい。今日、そらちゃんはどうしたの?」


「空は志麻しまの子守りをするって言ったのに、一緒にお昼寝しちゃったんだ」


「あら、そう。海君はお昼寝しなくてよかったの?」


「しないよ。お母さんがお出掛けの時は、俺が守らなきゃいけないから」


 海君の言葉に、三人で顔を見合わせて笑う。

 何とも頼もしい二階堂の跡継ぎ。


 コウと結婚して三年。

 色々な事があった。


 全て忘れているはずなのに、なぜか自分の名前だけは憶えていたコウ

 それがネックで、二階堂に迎え入れてもらえるわけにはいかなかった。


 あの事件の後、コウを庇い続けた俺は、甲斐さんや葛西さんから二階堂を出て行けとまで言われたし…浩也さんにも迷惑をかけた。

 だが…



「おっ、先客…あ、お嬢さん」


「姿が見えないと思ったら、ここでしたか~。あっ、海君も」


 俺がコウと離れないと決めた時、力になってくれたのは…沙耶さやと舞ちゃんだった。

 そして…


「志麻と空が泣いてたから連れて来た」


 志麻と空ちゃんを抱っこしたたまき


 小さな頃から、共に二階堂に尽力してきた家族のような存在の沙耶さやたまき

 たまきはお嬢さんと結婚して、二階堂を継いだ。

 古参から責められる事も多かった、俺とコウの関係を。

 みんなは…盾になって守ってくれた。



「いやー、でも良かったよ。ちゃんと二人がくっついて」


 沙耶さやが病室を見渡して言う。


コウにプロポーズを断られた時の、万里の落ち込み具合と言ったら…」


「なっ…沙耶さやおまえ、何でそんな古い話を…」


「俺の記憶が確かなら、四年前の春だな」


「…環まで…」


 そう。

 紅と幸せになるまでには…色々あった。


 その色々は…


 ま、今はいいか。

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