05
「晴れて良かったね」
高津さんが、ハンドルをきりながら笑った。
あたしは、夕べ念のため…高津さんに電話をした。
「明日の都合…どうですか?」
すると、高津さんは。
『水曜日、どうしたの?』
って、意外にも沈んだ声。
「ちょっと体調悪くて…連絡もしなくてごめんなさい」
『もう、大丈夫なの?』
「はい」
それで、今日。
こうやって初めてのドライヴにこぎつけたのだけど。
あたしの頭の中には…あの女が。
「まだ、本調子じゃないんじゃ?」
ふいに高津さんが、あたしの顔をのぞきこんだ。
「…えっ?」
「ずっと元気ないみたいだけど」
「ああああ、そんな、そんなことないです」
慌てて笑う。
「…そ?」
高津さんは少しだけ心配そうに…それでも、いつもの笑顔。
あたし…この人といると、あたしじゃなくなってきてる。
どうして?
車を走らせて一時間を過ぎた頃、海外沿いのレストランに着いた。
「うわあ…素敵」
ほんとに、こんなところ初めて。
こうやって考えると、あたしが今までつきあってきた男って本当に面白味がなかったな。
…あたしだって……闘ってばかりで。
「いらっしゃいませ」
中に入ると、そこは地中海のイメージ。
「高津さん、ここよく来るの?」
「いや、初めて」
「何かで調べたの?」
「友達がいいとこだって言うから」
高津さんの友達…
やっぱり、頭が良くて優しい人かな。
…まさか、あの女じゃないよね。
「難しい顔してる」
高津さんが頬杖ついて言った。
「…難しい顔してた?」
「とっても」
あたしは少しだけ考えて…
「万里君…」
あの女みたいに呼んでみたい。
「え?」
「…って、呼んでいい?」
あたしが外を見ながらそう言うと。
「実は、みんなそう呼んでるんだ」
って、高津さんは笑った。
…今は、楽しもう。
今一緒にいるのは、あたしだし。
せっかくの休暇だし。
束の間でも…普通の女の子になろう。
* * *
「あたし、もっとあなたのこと知りたい」
砂浜を歩きながら小さくつぶやくと。
高津さんは、少しだけ首を傾げた。
「俺のこと?」
「どこで生まれて、どこで育って、どんな友達がいて…どんな人が好きなのか」
「……」
あたしの問いかけに、高津さんは無言。
「寒くなったね。車に戻ろう」
「イヤ」
車に戻ろうとした高津さんの背中にしがみつく。
「紅緒ちゃん?」
「どうして、何も言ってくれないの?」
「俺はそんな大した男じゃないって」
「でも、知りたいの」
「……」
高津さんは、あたしに向き直ると。
「どうして、知りたい?」
って、低い声。
「…キスして…」
高津さんの問いかけを無視して、あたしは高津さんを見つめる。
初めて男にキスをせがんでしまった。
しばらく高津さんは、あたしの肩に手をおいたままあたしを見つめてたけど。
「……」
そっと…あたしの額に唇を落とした。
すごく優しいキスだけど…あたしはそれにガッカリしてしまう。
「…どうして?あたしのこと嫌い?」
「好きだよ」
「じゃ、どうして…キスしてくれないの?」
拗ねた口調で言うと、高津さんは。
「まだ高校生だから」
笑いながら、あたしの鼻をキュッと押した。
「失礼ね。子供じゃないわよ?」
「俺から見たら子供だよ」
子供扱いされて、カッとなった。
あたしは高津さんの腕から離れて、砂浜を歩く。
…何なの?
今まで付き合った男達は、あたしが見つめただけでキスして来たわ。
…この気持ち、何だろう。
単に落とせなくてイラついてるだけ…じゃない気がする。
ちゃんとあたしを見て欲しい、求めて欲しい…って…
確かに…10歳違うと、子供っぽく思えるのかもしれない。
…この間の女、きれいだった。
「…紅緒ちゃん」
腕を取られる。
「……」
「…教えてくれるかな?」
振り向くと、高津さんが真顔で言った。
「どうして、あの日…檜田組から出てきた?」
「………え?」
思いがけないことを聞かれて、頭の中が真っ白になった。
波の音が、耳に痛いと思った。
あの日…?
「初めて会った次の日、ぶつかったよね」
「…なんのこと?」
思わず、目をそらす。
どうしたの…あたし。
どうして、いつもみたいに…冷静じゃないの?
「紅緒ちゃん」
「…知らない」
「変装して、何してた?」
足元が、ふらついた。
この人は、あたしがしたことを知ってる?
とたんに、目の前にいるのがイヤになって駆け出す。
「紅緒ちゃん!」
高津さんは、すぐに追い付いて。
「助けたいんだ!」
あたしを抱きしめた。
「助けたいんだ…君を」
「…何のこと?」
「紅緒ちゃん…」
「…子供のあたしが、何をしたって言うの?」
声が震える。
バカじゃないの?あたし。
ずっと色んな訓練を受けて…常に平常心を保てるはずだった。
この男だって…休暇の暇つぶしの相手で…本気にさせて、捨ててやるって…
「…助けたいんだ」
「……」
この男…何言ってるの?
あたしに向かって…
…何言ってんのよ。
* * *
「寒くない?」
高津さんの優しい声が耳元で聞こえて、あたしは、小さく首を振る。
辺りは真っ暗。
波の音が、押し寄せてくる。
あたしたちは、何もしゃべらず…ただ、寄り添って座ってる。
助けたい。
そう言われて…あたしは混乱してる。
どうして?
どうしてあたしが助けられなきゃいけないの?
あたしが何に困ってるって?
…何も困ってない。
一条の人間として生まれ育って、一条の繁栄と父親の願いをかなえるために、邪魔な者は消して使える者は活かす。
ただそれだけ。
助けられなきゃいけない事なんて…
…だけど、聞けない。
どうして…あたしを助けたいって口にしたの?って。
聞いたら聞き返されるはず。
あたしが…どうやって生きて来たか…。
三年前まで、一人で仕事をしてた。
学校なんて行かずに、毎日が戦いだった。
人を殺すことが、あたしの仕事。
そうすることで、一条は栄えていく。
あたしは、自分の仕事を誇りに思ってた。
そして…三年前。
日本での仕事を言い渡された時、小さな頃生き別れた
あたしたち三つ子は、どこに居ても同じように一条の名に恥じぬよう闘って来た。
それまで一人で闘って来たあたしは、二人の力もあってか…より大きな仕事をしたいと思うようになっていた。
だけど回って来る仕事は物足りない物ばかり。
日本は退屈過ぎた。
こちらから父親に連絡を取る事は出来なくて…あたしたちは、ひたすら大きな仕事を待った。
夏休みや冬休みには、望んでる仕事のために海外に呼んでくれたりもしたけど…
だんだんとその数も減った。
それで…あたしは焦っていたのかもしれない。
自分が…一条の人間でいられるのは、人を殺してこそなのに、と。
「……」
高津さんの手が、あたしの肩に触れた。
最近のあたしなら、このまま高津さんの胸に身を任せて。
抱いて欲しい…と言ったかもしれない。
…だけど…
もうそれどころじゃない。
この男は…あたしにも見抜けない何者か、だ。
もしかしたら、敵に成り得る人物かもしれない。
…どうしたの…あたし。
こんな面倒な事…
高津さんの事、邪魔だと思うなら…いつもと同じように、一思いにやってしまえばいいじゃない。
一思いに…
「…紅緒ちゃん」
高津さんが、あたしの肩を抱き寄せて言った。
「……」
「何も、聞かないよ」
「……」
あたしは、高津さんを見上げる。
「紅緒ちゃんが話してくれる気になるまで、何も聞かない」
「……」
「ただ、これだけは分かって欲しい」
「……」
「俺は本当に紅緒ちゃんの力になりたい。何でもいい…頼ってほしいんだ」
「……」
言葉が出なかった。
今まで、あたしに…こんなこと言ってくれた人って、いない。
あたしは…人を殺してきた人間なのよ?
命乞いする間もなく、あたしに殺された人たち。
殺されて当然。
そう思って殺してきた人たちのことを。
あたしは…よく知らない。
どんな人物か知らずに、殺している。
ただ…命令通りに。
「どうして、変装した紅緒ちゃんがわかったかと言うとね…」
高津さんは、照れくさそうに髪の毛をかきあげて。
「前の日、腕の中に降って来た女の子の顔、忘れられなくなってたからなんだ」
耳元で言ってくれた。
頭の中が真っ白になった。
今まで、誰にもバレたことのない変装。
…やっぱりこの男…普通じゃない。
「…変装なんて、してない…」
うつむいて首を振る。
でも、高津さんは、そんなあたしの頭を抱きしめて。
「好きだよ」
って…
…好きって言ったら、あたしが何か喋るとでも思ってるの?
バカじゃない?
あたしは…
「君が何者であっても…好きだ」
「……」
胸が…何かで刺されたように痛くなった。
あたしが…何者であっても…?
「…何…言ってるの?…高津さん…今日…おかしな事ばかり…」
冷静を保とうとしてるのに…あたしはうつむいたままで。
言葉もたどたどしくて。
だけど高津さんはあたしの頭を抱きしめたまま。
「万里君って呼ぶんじゃ?」
少しだけ笑って言った。
「…呼ばない」
「紅緒ちゃん」
高津さんの手が頬に触れた。
「…呼ばないってば…」
「紅緒ちゃん…」
「呼ばな…」
もう…
心臓がおかしくなりそうだった。
高津さんにキスされて、髪の毛を撫でられて…
キスなんて…数えきれないぐらいして来たのに。
いつも冷静に…こいつ、今次の事考えてるな…って…
…だけど…
今は、あたしが分析されてるようで…泣きたくなった。
泣きたく…
「はっ…ご…ごめんっ…」
本当に自然に…涙が溢れてしまって。
それに気付いた高津さんは、慌ててあたしから離れると。
「ごめん…しないって言ったクセに…本当、ごめん」
おどおどしながら、あたしの涙を…そっと拭った。
「…バカ…」
ただそれしか言えなくて…唇を尖らせると。
高津さんは…ふっと優しい顔になって。
「…やっと君に会えた気がする…」
って…
もう一度、キスをした…。
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