03

「や。」


「……」


 あたしは一瞬、動く事を忘れた。

 目の前に、あの男。

 放課後、校門を出たところでバッタリ。


「…待ってらしたんですか?」


 大きく見開きかけた目を、冷静に和らげて。


「今来たばかりだけどね。タイミングよかった」


 笑顔。


「これ、ありがとう」


 男は、ポケットから小さな包みを取り出した。

 ああ、ハンカチね。


 今日は、ラフな格好。

 スーツじゃないって事は、組の仕事はなくなったのかな?


「わざわざご丁寧に、どうも」


 包みを受け取ると。


「じゃ、これで」


 男は、あっさり手をあげた。


「え?あ、あの…」


「え?」


 思わず声をかけてしまった。

 だって、これで終わりなわけ?


「あの…あ、お茶でも…どうですか?」


 つい、あたしから声をかけてしまった。

 上層部が全員死んでしまった組の事、聞きたいし。


「木から落ちた所、助けていただいたし…」


 照れた風な演技で男に言うと。


「いや…ハンカチ貸してもらったし、そんな気を使ってくれなくていいよ」


 むっ。

 女子高生が誘ってんのよ?

 嬉しそうに乗っかってよ。


「実は…」


 あたし、うつむき加減に演技を始める。


「クラスメイト達がいつも噂してる『ダリア』っていうお店に行きたいんですけど…両親が学生同士の寄り道はダメって言い張って…」


「…でも、よく知らない男と行ったってバレたら怒られない?」


「恩人にお礼をした…って、それだと本当でしょう?」


「……」


「…ね?」


 首を傾げて、上目使い。

 どうよ。

 行きたくならない?


 男はしばらくキョトンとしてたけど。


「いいのかな…俺なんかと…」


 って、頭をかく。


 俺なんかと、って。

 そんな事言いながら、見逃さなかったわよ?

 今一瞬、『好都合』って目をしたでしょ。


「じゃ、行きましょっ」


 あたしは、男の腕をとる。

 すると男は、少しだけためらったけど。


「緊張するなあ」


 なんて笑った。



 * * *



「28!?」


 あたしの大声に、男は苦笑い。

 夕暮れのダリア。

 だってこの人…どう見ても23…いや、この格好してると21…


「えーっ、信じられない」


 あたしがクスクス笑ってると。


「よく言われるんだ。学生だろって」


 腕組して、渋い顔。

 男の名前は、高津万里たかつまりといった。


「だって、今日みたいな格好だと、まるで大学生だもの」


 相変わらず、あたしが笑ってると。

 高津さんは照れくさそうに首を傾げた。


「島崎さんて、イタリアから転校してきたんだってね」


 突然、高津さんがそう言った。


「…えー?誰から聞いたんですか?」


 少しピリッとしたけど…笑顔のまま。


「知り合いが桜花に行ってたんだ。君より二つ歳上だけど。それでも有名だったみたいだね」


 二つ歳上…て事は、あたしが転入した時にいた…って事か。

 確かに噂になったから、知られてても不思議はない。


「有名?あたしがですか?」


「頭のいい帰国子女って」


「他にもいたもの…頭のいい帰国子女…」


「…美人だ、って」


 むっ。

 取ってつけたような『美人』発言。

 見逃さないわよ?

 少し目が細くなったでしょ。

 今のはあたしを知ってる人物が言った言葉じゃないわね。


「知り合いって、女の子?」


 首を傾げるのも疲れるなあ…

 最初に出会った時のキャラ設定、失敗だった。


「男」


 頭の中で、あたしより二つ年上の桜花男子名簿を広げる。

 目立ってた男は大勢いるけど、一条に関わりそうな生徒はいなかった。


 …そう言えば、ヤクザの息子がいた。

 だけど、その組は一条の傘下に入る仕掛けに乗らなかった。

 今の所、一条と組むって名乗り出た組は小物ばかり。

 テロリストを養成しようにも、逸材は皆無。


 あのヤクザの息子、めちゃくちゃ頭が良かったのよね。

 それに、顔も良かった。

 ああ…あの頃は小物のヤクザを数集める事に必死だったけど、今思えばエリートを一つ。でも良かった。


 今からでも、もう一度アクション起こしてみようか…

 あまり大きくないけど、周りから一目置かれてる組だし。


 頭の中では、そんな事を展開しながらも。


「高津さん、お仕事は?」


 笑顔で目の前の男に問いかける。


「え?」


「お仕事、何されてるんですか?この間はスーツだったけど今日はお休み?」


 突然のあたしの問いかけに、高津さんは小さく笑うと。


「派遣会社に勤めてるんだ」


 って。


「派遣会社?」


「そう。この間は、進学塾の説明会の講師をね」


「毎日?」


「いや、一日だけ」


 一日だけ塾の講師。

 …ヤクザの下っ端…じゃないの?


「それって、フリーターみたいですね」


「みたいなもんさ。短期契約の社員が急病や急用で行けなくなった穴埋めスタッフだからね」


 …派遣会社にそんな仕事あるの?

 ま、ヤクザ…とは、言えないものね。

 苦し紛れに言ってるのかも。


「島崎さんは…」


「その島崎さんって、やめません?」


「え?」


 あたしは、高津さんに近寄って。


紅緒べにおって、呼んで下さい」


 ニッコリ笑う。


「…紅緒?」


「そう。その方が早く仲良くなれるでしょう?」


 高津さんは小さく笑うと。


「こんなおじさんと仲良くするつもりかい?」


 って、ちょっと素敵な声で言ったのよ。



 * * *



「紅、最近できた男、なかなかいい男じゃん」


 ヘキが銃の手入れをしながらつぶやいた。

 あたしは高津さんと、かれこれ三回ほどダリアでお茶してる。


「…いい男だけど、胡散臭いのよ」


「胡散臭い?」


「例の、檜田ひのきだ組の件の時にね」


「ああ」


「二日とも、現場近くで会ってんの」


「二日とも?」


「そう。しかも、スーツ姿。だから、最初は組の者じゃないかと思ったんだけど、本人は派遣会社の人間でいろんな仕事してるって言うのよ」



 あれから高津さんは。


『昨日は庭の手入れをした』


『昨日は子守』


『昨日は運転手』


 本当に、毎回違う事を言った。


 …お手伝いさんのヘルプ?って眉間にしわが寄った。

 そして、あたし…騙されてる?とも思ったけど…


『今日は植木の剪定が上手く出来て、いい気分なんだ』


『子守りが一番体力勝負かな』


『時々お偉いさんの運転手をするから、前の日は酒も飲まずに寝るようにしてる』


 って、次々とその日の仕事を話してくれる。

 それが困ったことに、あまり嘘に聞こえない。

 実際、子守りをした日はヤンチャな子供に噛み付かれた。って、腕に歯型が付いてた。



「組の者だったら、さりげなーく新しい組が立ち上がって、引き抜き出来ないかと思ったんだけど…あの人付き合ってみると案外普通の人で、組織の人間ぽくないのよね」


「本当に派遣会社の人間じゃないのか?」


「そうかなあ」


「珍しいな。おまえが見抜けないなんて」


「うーん…そうなんだよね…」


 あたしは、ベランダの鉢植えに水をやりながら。


「でも、なんか凡人に思えないのよね…」


 なぜだろう。

 なぜか…あの男、普通に思えない。

 隙だらけに思える時もあれば、ふと…まるで気配を感じない事があったり…


「仲間にするには歳が行ってるしな」


「…仲間ねえ…」


 一条では16までにすべての訓練が終わる。

 20代の兄や姉は、遠くで活躍してるっていう噂しか聞かない。

 28の高津さんを今から仲間にしようとしても…せいぜい、遺伝子をもらう事ぐらいしか役立ちそうにない。

 それも、高津さんが一条並みに優秀な男なら。だし。


 でももう28かー…無理だろうな。

 一条の男は早くにその役目を開始する。

 ヘキロクも、たぶんどこそこに遺伝子を残してるんじゃないかな。

 遊びの相手は別として。


 あたしも今まで一条の男と、武器製造のために寝たけど…

 残念ながら武器は出来なかった。

 遺伝子が合わなかった。

 それだけよね。



 高津さん、得体の知れない感じはあるけど…今まで会った事のないタイプ。

 色々観察しながら会ってるけど、時々自分が武器だと忘れる事がある。


 あたしはボンヤリと昨日の出来事を思い出した。


 いつものように、水曜日はダリアで待ち合わせ。

 あたし達はその後、映画館に行った。

 正直…映画なんて時間の無駄。って思ってるあたしは、乗り気じゃなかったんだけど。

 まあ、今は休暇だし。


 サスペンス映画でも見て、その陳腐な内容を笑ってやろうと思ったけど。

 高津さんは『これ観ない?』って…ラブロマンスを選んだ。

 内心吐き気がしそうだったけど…もしかしてこの男…あたしを落とそうとしてる?と思って、乗る事にした。


 なのに…

 ガラガラなシアターの後ろの方の席で、高津さんは熟睡。

 何これ!!最低!!と思いつつ…


 高津さんの寝顔が意外と好みだったのと、寝てる男相手なら何してもいいかなー…と思って。

 あたしは、高津さんの肩にもたれてみた。

 手も握ってみた。


 …で。


 気付いたら…あたしも眠ってた。

 ラブロマンスは全然観なかったけど…目が覚めた時、高津さんの顔が至近距離にあって。

 まだ眠ってる高津さんを見て、これ寝たふりじゃない??と思ったあたしは…

 …自分からキスしてみた。


 だけど、目覚めない高津さん。


「……」


 あたしは、もう一度…今度は少し甘い感じで…高津さんの唇をついばむようにキスしてみた。

 すると…


「はっ…!!」


 高津さんは驚いたように体を引いて。


「ごっ…ごめん…俺、今…」


 まるで、自分からあたしにキスしたつもりになったのか、姿勢を低くして…あたしに謝った。


「ほんとごめん。俺、最低だな…」


 そう言う高津さんに。


「…ごめんなさい…あたしからしました…」


 あたしは小声で言う。


「…え?」


「…あたし…眠っちゃって…目が覚めたら、近くに唇があったから…」


「……」


「キスしたいなあ…って…」


紅緒べにおちゃん…」


「女の子から、こんな事…ごめんなさい…」


 あたしがそう謝ると、高津さんはそっとあたしの頭を撫でて。


「…俺が映画に誘ったのに、寝ちゃってごめん。」


 そう言うと、あたしの前髪をかきあげて…額にキスした。

 スクリーンでは、男と女が抱き合って『I Love You』って言ってるのに。

 高津さんは、額にキス。

 …どうして唇じゃないのか。って思うと、少し悔しかったし…悶々とした。

 だって、キス…久しぶりだったし。


 …高津さんとは、製造とは別で寝てみたい…


 ……ハッ。

 あたし、本気?



 ヘキが手入れした銃を木箱にバサバサと詰めると。


「おまえ、もっと丁寧に扱えよ」


 ヘキは眉間にしわを寄せた。


「そこ片付けろよ。飯だぜ」


 ロクがテーブルにドンとフライパンを置く。

 そこには超特大のオムライス。


「あー、お腹すいたー」


 あたしは、グラスを運ぶ。


ロクのオムライスは絶品だよな」


 ヘキも銃を置いてお皿を並べた。


「ところで、しばらく仕事ないんでしょ?」


 あたしがケチャップをかけながら二人に問いかけると。


「ああ。腕がなまらないように、鍛錬だけはしとけよ」


 ロクが、メガネを掛け直しながら言った。


「そうそう。筋力トレーニングもさぼんなよ」


 ヘキまで。


「わかってるわよ」


 あたしが唇をとがらせて言うと。


「デートも楽しんどきな、今のうちに」


 って、二人はニヤニヤしたのよ。

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