02

「いいか。バルコニーに仕掛けた発火装置が、もうすぐ起動する」


 ロクが、声をひそめて言った。


「わかってる。火が着いたらあたしは裏通りに逃げるから、ヘキは海岸沿いね」


「OK」


 ロクのお手製の時限発火装置。

 ヘキは事務所の見取図を開いて。


「ここに仕掛けてあるんだ。コウの逃げる方から家の中が見えるはずだから、人数確認してくれ」


「さっさと片付けちゃお」


 あたしがそう言うと。


「じゃ、また夜中に紅んちで」


 ロクへきは手を挙げて散らばった。

 あたしも、指示通り裏通りに駆けだす。

 そして、隣の家の広ーい敷地内の木の茂みに忍び込む。


「えーと…」


 小さなオペラグラスで家の中を見渡すと。

 玄関の前とリビングに二人ずつ。


「今日はボスは留守なわけね」


 二階のバルコニーから煙が上がるのが見えた。

 あたしはオペラグラスをその場に捨てると、急いでその場を離れる。

 少しして、背後から大きな爆音。


 うわ。

 これは、予想以上だったな。

 ロクったら、火薬詰めすぎよ。

 早く走んなきゃ、破片が飛んでくるか。


「よっ…!!」


 高い塀を飛び越え…


「うわっ!」


「きゃっ!」


 あー…

 高い塀を飛び越えて。

 なんとか、あたしは爆風に巻き込まれることはなかったものの。

 飛び越えて、おりたところは…

 男の腕の中。


「す…すみません」


 慌てた風に、男に言う。


「あ、いや…君、今…上から?」


 男は、途方に暮れたまま塀とあたしを交互に見てる。


「そこの木の実が何か気になって上ってたら…大きな音に驚いちゃって」


 とりあえず、首をすくめて上目使い。

 あたしは、この角度の上目使いがイケるらしい。

 実際、男はあたしの顔を見たまま…

 早く降ろしてよ!



「大丈夫?」


「あたしは大丈夫…あ、お兄さん、頬、傷付けちゃったかも…」


 男の頬に、ひっかき傷。

 あたし、引っかいちゃったかな。


 あたしはポケットからハンカチを出すと。


「ごめんなさい」


 そっと傷をぬぐう。


「あ、いいよ。ハンカチ、汚れるよ」


「いいえ、あたしがあんなところに上らなければ…」


 早く降ろせって。


「あの…」


「え?」


「降ろしてもらえますか?」


「あ!あっ、ごめん!」


 男は慌てたようにあたしを降ろすと。


「ハンカチ、洗って返すから」


 って。


「いいえ、いいですから」


「いや、そうはいかないよ。その制服は桜花だよね?」


「はい」


「名前は?」


「本当に、いいですから」


「それじゃ、気がすまない」


「……」



 あたしは小さく笑って。


「三年五組の島崎紅緒しまざきべにおです」


 男を見つめる。

 すると、男はほんのりと頬を赤らめた。

 …こいつ、あたしに惚れたな。


 ふーん…

 見た目は悪くない…どころか、ちょっといい男。

 あたしをしばらく抱えてたんだ。

 力はある。

 ま、何回か会って、飽きたら捨てよう。



「じゃ、ちゃんと返すから」


「どうも、ご丁寧に」


「まりーっ、何やってんだーっ!?」


 ふいに、離れた所から大声がして。


「あー、今行くー」


 男が、答える。


「それじゃ」


 走ってく男を見送って。

 …悪くないな。

 心の中で、つぶやく。


 今まで、さんざん男とは付き合ってきたけど。

 あたしを満足させてくれる男は、いなかった。


 さっきの男、歳は23ってとこかな。

 スーツ着てた。

 新人サラリーマンかな。

 …って感じでもなかったなあ。

 こんな時間にスーツ着てうろついてるのって…


「刑事」


 ……


「まさかね」


 そんな匂いじゃなかったな。


 一人でつぶやきながら、家路につく。

 そして、その夜。


「結婚しよう」


 あたしは、昼間の男に求婚される夢を見てしまった。



 * * *



「夕べ、何うなされてたんだよ」


 朝、変装しながらヘキが言った。


「ったく、あれで眠れなかったよ」


 ロクがあくびしながら愚痴った。


「…プロポーズされちゃって」


「誰に」


「夢の中で、いい男に」


「なんで、うなされんだ」



 今日は、先日放火した事務所の持ち主…

 会長さんの家に、ヘキが「保険屋」として乗り込む。

 この檜田ひのきだ組。

 一条と武器の取引をしたにも関わらず、条件を満たさなかった。

 小物が。

 身の程を知れって感じ。

 裏切り者には死を。


 あたしは、ワゴンの中で待機。


ヘキ、名刺は?」


「昨日ロクが作ってくれた」


 ヘキは、グッとネクタイをしめて胸元を叩いた。


「準備万端?」


「おし」


 あたしは、最後の仕上げに、口紅。


「26ぐらいに見える?」


「おお」


 今日のあたしは、ホステス。

 真っ赤な口紅は、母親の形見。


「行くぞ」


 ヘキを先頭に、あたしたちは地下の駐車場に止めてあるワゴンに向かう。


「この仕事、いくら?」


「これは金になんねえよ。報復と口封じだから」


「なあんだ」


 そんなことを話しながら。

 普通の18歳じゃ、こんな話はしないな…なんて、小さく笑ってしまった。

 女の子としての憧れも夢もない。

 あたしは、ただの凶器だもの。



『こちらに加入されると、こういった時に安心と思います』


 ワゴンの中で、ヘキの話を盗聴する。

 あたしとしては、こんな小芝居なくして消滅させてあげたいけど。

 日本では日本に合ったような事をしないと、一条の仕業とバレてもいけないらしい。


『それじゃ、何か?ここも焼けると…?』


『いいえ、用心にこした事はないですから。事務所の方も、もし加入してらしたら、随分保険が下りたんですよ?』


『…随分?』


『ええ、随分』


 会長さんは、お金が大好きらしい。


『大変でしたね。警察にも色々聞かれたのでは?』


『まあ…な』


『警察っていうのは、しつこいですからね。うちは田舎で商売やってるんですが、本当警察にはイヤな目にばかり合ってるんですよ』


『ほう』


 ヘキロクの周りからは、カチャカチャって騒がしい音。

 きっと、たくさんの護衛がついてんのね。


『どういう商売だ?』


 真剣な、声。


『たいした商売じゃありませんよ。小さな酒屋です』


 ヘキの、苦笑いっぽい声。


『それでは、この用紙を後日受取りにまいりますので、目を通しておいて下さい』


 立ち上がりながら、封筒を差し出す。


『失礼します』


 二人が家を出る。

 あたしは、ワゴンの中で一部始終を聞きながら、ゆっくりと銃を準備する。

 ヘキが渡した封筒の中には『契約破綻』って書いてある契約書が一枚。


 早速封筒は開かれたらしく、家の中は騒々しくなっている。


『追え!今の男たちだ!』


 盗聴器からは、そんな叫び声が聞こえて小さく笑う。

 あたし達、小物に見くびられてるみたいね。


 何気ない顔して帰ってきたヘキは、車に乗り込むと、さっさと着替えて宅配業者になってしまった。

 ロクは家や車に取り付けてた盗聴器を回収をするため、檜田ひのきだ組の近くで待機している。



「片付けてこいよ。出来るだけ銃で一発で、な。針は使うなよ」


「え?針ダメ?」


「組の抗争に針はないだろ」


「…そういう事か…」


「好きにやりたいのは分かるが、我慢しろ」


「この後、どこで落ち合うの?」


「二丁目のガレージ」


「OK」


 あたしは、バッグを持って車を降りる。

 バッグの中には、小型の消音銃。

 ベルトに仕込んでる針は…出番はなさそう。


 ガムを噛みながら、だるそうにバッグを振り回す。


 ピンポーン


 チャイムを押すと、けたたましい足音と共に、大きな男が勢いよくドアを開けて…倒れた。


「一人」


 あたしは、靴のまま家の中に入る。


「誰だ!」


 突然、銃をかまえた男。


「あら、久しぶり」


 あたしがそう言うと。


「…え?」


 銃が、さがった。


「あたしよ。覚えてない?」


「あ…ああ、あー…」


 しなを作って、近寄る。


「ひどいなあ。覚えてないなんて」


「いや、その…くはっ…」


 崩れ落ちた男の腕を、足でよけて。


「さて…あと何人?」


 辺りを見渡す。

 大方、へきを追って出かけたんだろうから。

 あと二、三人かな。


 予想は的中。

 階段で二人、銃で撃った。

 あとは、一人。


「ひっ!」


 勢いよくドアを開けると、そこにはうずくまった男が一人いた。


「まっままま待て!金が欲しいなら…がっ!!!」


 頭に、一発。

 長々と話を聞くのは好きじゃない。


 金庫を開けて金目の物をバッグに詰め込むと、それを窓の外に投げた。

 …単なるカモフラージュ。

 金品に興味はない。


 鍵のかかった引き出しから書類を発見。

 趣味の悪いゴールドの灰皿の上で、それを燃やし尽くした。


「仕事が早いな」


 声に振り返ると、ロクが工具と袋を持って立ってた。

 袋の中身は盗聴器に違いない。


ロクこそ」


「早く出なきゃ、出払ってた奴らが帰って来るぜ」


 そう言われて外を見ると、騒ぎを聞きつけた援軍らしいチンピラたちの姿が見えた。


「やば」


 一日に二桁殺すと厄介な所に目を付けられる。

 今日はこれぐらいで済ませておかないとね。


「じゃ、俺は裏口から」


「あたしはここから行くわ」


「後でな」


「うん」



 あたしは、靴を外に投げ捨てると。


「よっ」


 ベランダの端から飛び降りた。

 そして、何事もなかったかのように歩いてると…


「うわっ!」


「きゃ!」


 人にぶつかった。


「だ、大丈夫?」


 手を差し伸べられてギョッとする。

 昨日の男!

 …まずい。


「いってぇな!どこ見てんだよ!」


 巻いた髪の毛を、わざと顔にかかるようにして暴言を吐く。


「ご、ごめん。ケガは…」


「ないよ!」


 スカートをはたきながら立ち上がって。


「ふん!」


 思いきり、嫌そうな顔してにらみつけて歩き始める。

 男は途方に暮れて立ち尽くしてたけど。

 しばらくしたら、その気配もなくなった。


「はー…」


 …驚いた。

 何よ、何なのよ。

 昨日といい、今日といい。

 あの男は。


「…もしかして…」


 あたしは、立ち止まる。

 もしかして、あの男。

 あの組の者?

 でも、それなら納得かも。

 昼間からスーツ姿でこの界隈をうろうろ…


「そういうことか」


 小さく笑いながら歩き始める。

 なら、あの男。

 あの組は解散だろうし、新たな組織探さなきゃな。


 残念だな。

 ハンカチ、返してもらう予定だったのに。


 あたしは笑いを押し殺して。

 待ち合わせ場所の二丁目のガレージに向かった。

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