再び訪れる朝(3)

 俺が朝食を食べ終わると、主は、見慣れない瓶とグラスを2つ用意し、俺の隣に座った。

 透明な瓶の中には、琥珀色の液体が半分ほど入っている。この店で、今まで一度も見たことがない。

「この酒はよ、酒精がすごく強くてな。だから、あんたの昨日の飲み方で充分楽しめる。この酒は海の向こうの国で作られてるんだがよ、でもこの国じゃあまり知られてねえんだよ。

 儂はけっこう気に入ってるんだがな、馴染みの客に何度か試しに出してみてもよ、すぐ咽せてあっという間に酔いが回っちまうってんで、結局、飲み慣れてるエールのほうがいいんだとよ。」

 そう言いつつ注がれた酒からは、エールとはまた違う匂い、それも木と燻されたかのような匂いがするような。

「朝っぱらから酒を飲むってのもどうかと思うだろうが、まあ、もののついでだ、儂に付き合ってくれや。」

 そう言うと、グラスを摘まむように持ち上げ、片目をつぶり、にやりと笑った。俺もそれに習い、グラスを持ち上げる。と、店主は、その酒を一気に飲み干した。さすがにその飲み方を真似るのはどうかと思い、…そもそも、昨日の飲み方でいいと言ったのは店主なのだから…香りを確かめてから、少しだけ口に含む。強烈な酒精の刺激と共に、木の香りが混じっているような、透き通っているような、そんな感じの香りが鼻から抜けていく。

「かなり、強い酒だ。」

 俺は正直な感想を述べると、そうだろうとも、と、店主は二杯目の酒をグラスに注ぎつつ、にやりと笑った。

「俺は、酒は、薄めて飲む。」

 まだたどたどしいこの国の言葉で、そう伝えた。聞くには問題なくとも、まだ話すのには慣れていない。

 俺の故郷では、一般的に、酒は米から作る。もっとも、この国では米は無いらしい。そもそも『米』を指す言葉を知らないということもある。そのかわり、この国では麦が一般的のようで、パンも、そしてエールも麦から作られる。

 米から作る酒も、そのままでは酒精が強い。そのため、水で薄めて飲むのが普通だし、むしろ薄めたほうが美味くなる。

「ああ、その飲み方も聞いてはいるんだが、このあたりは水が悪くてな、湯冷ましの水を使っても、かえってまずくなっちまう。山に行って新鮮な湧き水を汲んでその場で飲めば、うまいだろうて。ま、ここじゃそんな飲み方も夢物語ってわけさ。」

 なんでも、その酒は、葡萄から作っているのだそうだ。しかも、同じ葡萄から、まったく違う酒ができるらしい。

 この酒は、木の樽に葡萄の絞り汁を入れ、何年もの間寝かせておくそうだ。そうすると、密閉しているにも関わらず中身が減っていくという。それを、酒の女神が飲んでいると言っているのだとか。

「さて。あんたも知ってる通り、俺は元軍人だ。

 かみさんが病気でおっちんじまって、子供三人の面倒を見なきゃいかなくなってよ、そしたら、たまたま宿を閉めるって話が耳に入ってな。子供の面倒見ながら金も稼げると思って、軍を辞めて、ここを買い取ったってわけよ。

 もともと退役したら酒場でもやるかと思ってもいたからよ、それが少し早くなったと思ってな。ま、実際、店をやってみたら、それなりに大変だったけどよ、どうにかここまでやってこれたってわけだ。」

 店主の視線は、カウンターの向こうに向けられていた。

「ただ、どうにかやってこれたのも、軍の連中が飯喰いにきたりして金を落としていってくれたからってのもある。軍との繋がりは、表面上は無いんだけどな、それでも今まで部下を何人も育ててきた縁もあって、今でも色々と情報が入ってくる、ってわけだ。

 もちろん、あんたのこともな。」

 そう言うと、今度は、グラスに注いだ酒を、半分ほど飲んだ。

 俺も視線をグラスに戻す。琥珀色、という表現が似合うその酒を、再び少しだけ口につける。やはり、強い酒だ。

「だからこそ、あんたの世話を受けた。あの若造にも、ずいぶんと世話になったからな。あいつを鍛えたのは儂だ。儂が言うのもなんだが、儂の部下の中で一番手塩にかけて育てたのが、あいつってわけだ。珍しくあいつが頼みごとをしてきたと思ったら、あんたを世話してやってくれ、と来た。あんたがここに来る前から、あんたのことは聞いていたからよ、だからあんたを泊めるのには特に何も思わなかった。それに、だ。」

 残った酒を一口で一気に飲み干し、とん、とカウンターに置いた。

「あんたが手練れだってのは、儂でも解る。ただ者じゃねえ。若い頃の儂でも、今のあんたにはとても敵わないだろうよ。だからこそ、部屋を用意した。

 ま、そんなわけだ。あんたのことは、軍の連中からある程度聞いているし、軍を抜きにしても、けっこう長い付き合いになった。客と宿の主としての関係だとしても、少しは情が沸くってもんだ。

 今までこうやって話をしたこともなかったし、それに、何より。

 昨日のあんたは、今まで以上に疲れているように見えた。さすがに、あんな様子を見ちまうと、声をかけずにゃいられねえ。まだ言葉が不自由なのは解ってるからよ、その上で、あんたの言葉で話してくれねえか、あんたのことを、よ。」

 既に空になったグラスに、酒を注ぐ事なく。顔をこちらに向けずカウンターの向こう側、普段店主がいるその場所を見つめながら。俺の言葉を、彼は待っている。

 再び酒を、ちびりと舐める。苦い酒だ。昨日の酒と同じ味がする。

 俺のグラスの中身は、さほど減っていない。それをカウンターにことりと置くと、ふうっ、と、軽く、ため息をついた。

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