再び訪れる朝(1)
目覚めは決して悪くない。悪くはないのだが、いかんともしがたい。
窓の隙間から入り込むわずかな光がわずらわしい。右腕で両目を塞ぎ、大きなため息をついた。
情けない。
酔いはしなかった。だが。悪い酒になった。
もともと酒精の弱い酒なのだ、それを故郷の酒と同じように、それも出された料理に一切手をつけず、ただ時をかけて少しずつ飲み干した。
そんな飲みかたで、あの酒が旨く飲めるはずもない。他の客と同じように、一気に煽るべきだった。そんなことは百も承知だ。だが。
ただ、飲みたかった。
久方ぶりに飲む酒は、…ただ、苦かった。苦渋だった。苦くてたまらなかった。
故郷の酒が飲みたかった。だが、そのようなものがこの世にあるはずもない。だからこそ、故郷の酒と同じ飲み方をあえて続けた。酒を造った者にも、酒を出した店主にも、酒にも失礼だ。それくらい解っていた。だが、あえてそのような飲みたにこだわった。こだわってしまった。
この世で暮らし続けなければならない我が身であれば、この世の流儀に従うべきだ。なのに。
麦から作られたというその酒を、旨く飲む作法を無視し、無視し続け、故郷の酒と同じ飲み方にこだわり続けた。
だが、飲み方を変えても、期待した味とは似たところなぞ何一つない。それでも、その飲み方にこだわり続けた。そうやって飲み干しても、満足などできるはずもなかった。そんなことは、はじめからわかりきっていたのに。
弱いな、俺は。
再びため息をつき。その身を起こした。
宿の朝は早い。
酒場へと降りると、何枚かの皿などが残された席がいくつか目に入った。まだ陽が昇って間もないというのに、すでに何名かの旅人が、この宿から、この街から去っていったのだ。彼らが、またこの宿を訪れるのは、一体、いつになるのだろう。あるいは、もう戻ることがないのやも知れぬ。
旅人は、夜明けと共に旅立つ習わしがある、その者達の腹を満たしてやってから見送るのも、宿の大切な仕事なのだと、以前、宿の主が言っていたのを思い出した。
それなのに。
旅立つこともできず、旅立つための手がかりも掴めず。
昨日の出来事。ようやくお会いすることができたあの御方が俺に伝えたこと。わずかな可能性を求め、しかし期待していた答えは何一つ得る事も無く。
…俺は。無力だ。
「ああ、おはよう。よく眠れたかね」
その言葉に我に返った。
カウンターの向こうから、がっしりとした体躯に、気のいい笑顔の男、つまりこの宿の主が顔を出した。
「昨夜は料理に手をつけず、大変失礼した」
簡単な会話程度ならばできるようになったものの、しかしまだこの国の言葉には疎い。相手が話す言葉はかなり理解できるようにはなった、だが発音が俺には難しいのだ。
それでも、どうにかこの国の言葉で非礼を詫びる。彼は、気にするな、そういう日もあるだろうさと笑い、俺を、いつもの席に座るよう促した。
「それと、お前さんなら、そういうのを気にすると思ってな」
片目を閉じて笑うと、…その動作は、どうもこの国における何かの合図らしい…調理台から、すでに用意されいた皿を俺の目の前に置いた。
そこに盛りつけられていたのは、薄く切られた肉。それとは別に、野菜が入っている汁物を椀に盛りつけ、最後にパンの入ったかごと、果実で薄く味付けした湯冷ましの水。
「昨日のやつ、調理しなおしておいた。味もこの儂が保証する。さ、食べてくれ」
主のその心配りが、心地良く、暖かく、ありがたい。
今はあれこれ考えるのはよそう。今大切なこと。今やらなければならないこと。それは、俺の為に用意してくれた料理を平らげることだ。
両手をあわせ、故郷の言葉を呟く。
「いただきます」
俺の一日が、今日もこうして始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます