誰に強要されたのでもない
このように言うと、
『親に厳しく子供に甘い!』
と反発する者もいるだろう。けれど、アオは考えていた。
『この選択をするのは他の誰でもない私達だ。誰に強要されたのでもない。私達が望んで
子供は自分とは別の人間だ。その、<自分とは別の人間>がすべて自分の思い通りになってくれるとか動いてくれるとか、その考えがもう甘ったれの考え方なんだ。
親がそんな甘ったれだったら、子供もそれを見倣って当然じゃないか。親が甘えるのは許されて子供が甘えるのは許されないとか、それこそが甘えだと思えなんじゃないの?
だから私は、私達が望んできてもらった恵莉花と秋生に何を言われようともそれを受け止める覚悟はしてるんだよ。それができないんなら、人間を生み出すなんておっかなくてできないよ』
と。こう言うと、
『子供に何を言われても受け入れるとか、子供が調子に乗るだけだろ!』
そんな風に言うのもいるだろう。けれどそれで調子に乗るようなら、そうやって相手に付け込んで調子に乗るというその態度自体が、親から受け継いだものとしか思えなかった。
現に、さくらはそういうタイプではないから。
それに対して自分は、油断してると、自分で意識して抑えないと、付け込んでしまうタイプだから。
両親や兄によく似て。
そしてそういうのが好ましくないと気付いたのは、小学校の時に出逢った小説や漫画から学んだから。両親は教えてくれなかった。むしろ相手が弱みを見せたり譲歩したら積極的に付け込むような態度を自分や兄の前で見せていたくらいで。
それが浅ましいことだと気付かされてからは、両親のそういうところが恥ずかしくて大嫌いだった。だから反発した。言うことなんて聞きたくなかった。
故に、アオの描く物語には、<感動的な親子の和解>が出てくることはほとんどなかった。あるとしてもあくまで不幸な擦れ違いや行き違いから誤解が生じていただけで、親も子も本質的には反目し合わなければいけないような要素がなかった事例に限られている。
もっとも、だからといって<感動的な親子の和解>が描かれた作品にケチをつけるつもりはなかった。ただ見ないだけだ。自分には感動できないことが分かっているから。
それを信じてそうなろうとする人がいても、『無駄なことをしてる』などと言うつもりもなかった。上手くいかなかったときに泣き言を並べなければそれでいいと思っているだけだった。
そういう諸々を心掛けることによって、アオもさくらもエンディミオンも、
<子供を育てる際の大変なあれこれ>
にキレることなく、穏やかに過ごすことができたのだった。
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