とんだ甘やかし
アオは続ける。
「加害者がなぜそんな事件を起こすに至ったかを考えるのは、それによって類似の事件を防ぐことが目的だ。
だが、現実には似たような事件は何度も起こる。
なぜだ?
それは、原因の究明が中途半端で終わっているからだと私は思う。とことんまで突き詰めずになあなあで終わってしまうから、本当の原因にまで到達しない。本当の原因に辿り着かないから、それを活かすことができない。
加えて、途中までであっても参考にはなるだろうに、それすら十分に活かされていないというのもあると思う。
結局、<親の責任>を追及することが怖いのだろうな。それをしたら、自分が普段やってることまで否定されるというのを無意識に悟ってしまうから、追及の手が止まるのだ。
よく、『成人したらもう親に責任はない!』などと言うのもいるが、それはおかしい。なにしろ、成人してから急におかしくなった訳じゃないはずだからだ。おかしくなった原因は、加害者がまだ子供だった頃からの蓄積だろう? 何かきっかけがあってそれまで潜んでいたものが表に出てくるのだとしても、それまでに積み上げられたものがあったからこそそうなるのではないのか?
それを、『過去のことだから関係ない!』などと言うのなら、何かをやらかした人間をいつまでも叩くのはなぜだ? スキャンダルを起こした芸能人とかを、いつまで経ってもそれを理由に叩き続ける奴もいるよな?
親が子供が幼い頃にやらかしたことを『過去のことだから関係ない!』とか言うのであれば、過去のスキャンダルを理由に芸能人を叩いたりするのはおかしいではないか。
そしてこうやって自分が追及されると、『それとこれとは関係ない!』と言う。何が違うのだ?
まあ、『自分は悪くない』ってことにしたいのだろうな。だが、その考え方、『自分は悪くない! 親が、社会が悪い!』と、やらかした奴がよくやる自己弁護と全く同じじゃないのか?
事件を起こした奴が一番悪い。そんなことは分かってる。そうじゃないとは言わない。言うつもりもない。徹底的に裁かれて罪を追及されて罰せられればいい。だが、それとは別に<原因>というものは間違いなくあるのだから解明する必要があるのだ。
私は、自分の親がした失敗を教訓にして生きたいと思う。パワハラで部下を潰すような兄や、社会不適合者たる私のような人間を育てることになった両親の失敗をな。それをしているからこそ今がある。ミハエルやさくらとこういう関係を築くことができるのだ。私の両親は、私と同じことは決してできないだろう。
子供を死なせずに成人させることさえできれば親として子供に対してやらかしたことのすべてが免責されるとか、とんだ<甘やかし>だよな」
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