甘ったれ根性

「私達は今、洸を育ててる。いわば<親>の立場だ。親だからこそ、親である自分自身に対して厳しくあろうと思うのだ。<育ててやった恩>を笠に着て己の失敗を無かったことにしようとは思わない。そんな<甘ったれ根性>を親が見せてたら、子供が真似をして当然ではないか。


近頃は、


『この世は辛いこと苦しいこと悲しいこと不条理なことが溢れてる。そんな世界に子供を送り出すのは無責任だ。だから子供は生まないでおこう』


と主張するのがいるという。


何一つ辛いことも苦しことも悲しいことも不条理なこともない状態こそが理想だとでも言うのか?


なぜそんな風に思うのだ? そんな風に思わせる原因は何だ? 


そう考える者の親が、


『この世には辛いこと苦しいこと悲しいこと不条理なことが溢れてる。けれど、それでもなお私はあなたに出逢えてよかった。あなたが私のところに来てくれたことを、心より感謝します』


と言ってくれなかったからではないのか? たとえ言葉にしなくとも親がそう思ってくれていると、子供に伝わらなかったからではないのか?


少なくとも私の両親はそんなこと、一言も口にしなかったし、ましてや本心ではそう思っているというのを伝わるようなことは一切してこなかった。そんな両親の失敗を、私は今、活かしているのだ。


私はさくらに出逢えたこと、ミハエルに出逢えたこと、洸に出逢えたことに心から感謝している。洸は私が産んだ子ではないが、それでも『生まれてきてくれてありがとう』と思う。そしてそれを正直に洸に伝えたいと思う」


そう言ってアオは、さくらの頭を撫でていた洸の頭を撫でる。


すると洸は、くすぐったそうに嬉しそうに「うふ♡」と微笑った。


「これだ。これが必要なのだ。洸は自分が生まれてきたことを少しも後悔していない。


もちろん、これからの人生の中で『生まれてこなければよかった』と思ってしまうこともあるだろう。そういうことがあるのがこの世だというのは事実だ。


だが、それでも、なのだ。それでも『生まれてきてよかった』と思わせる何かがあれば、そういうのは帳消しになる。幸せとは、そのようなものではないのか?


私は、自身の作品についてアンチからボロクソに叩かれている。しかしそれが何だというんだ? この笑顔に比べればそんなもの、カラスが騒いでいるのよりも些細なことでしかないわ」


アオの言葉には、<力>があった。さくらの心に届く、洸の潜在意識に残る、確かな力が。それはもちろん、アオが本心からそう思っているからこその力だった。


道徳の教科書に載っているようなことをただ読み上げているだけの上辺だけの言葉ではない、アオ自身の本心が形になった言葉なのだった。


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