誰も自分の生まれを

そんな風にアオとさくらが話をしている横で、ミハエルとあきらがカルタ遊びをしていた。


「犬も歩けば棒に当たる」


「はい!」


ミハエルが読み上げて洸が取るだけなので別に<勝負>ではないけれど、それでも洸は楽しそうだった。自分が札を見付け出してとるのが面白いのだろう。


その洸の体は、さらに一回りくらい大きくなっているように見えた。既に小学一年生くらいでもおかしくない感じだろうか。


その洸の姿をちらりと見て、アオが言う。


「ところで、新しい家の居心地はどうだ?」


仕事の打ち合わせ自体は終わっているので、さくらも柔らかい表情で応える。


「正直、あの独特の間取りには戸惑うこともありましたけど、さすがに慣れました。何より洸が気に入ってくれてます」


「そうか、それは良かった」


「温室の方でも、花を育て始めました。実はエンディミオンの方が熱心なんですよ」


「なんと…? エンディミオンが? 意外だな」


「そうですね。でも、彼は本当は心の優しい人なんです。だけど彼の境遇が、その本質通りに生きることを許してくれなかった。彼は生きる為に冷徹になるしかなかった。それがここに来てようやく、自分の思うままに生きることができるようになりつつある。


私は、今の暮らしを彼に続けさせてあげたいんです。


彼は、これまで十分に苦しみました。


人を殺した人は幸せになってはいけないという人も世の中にはいます。でもそれは、基本的に平和な日本で暮らしているからこそ、普通にしてたら殺したり殺されたりっていうのがない、そういうのは異常って思える社会で生きてられる人間だからこその感覚ですよね。


人を殺したら幸せになっちゃいけないというのなら、軍人として戦争に参加して敵の兵士を殺した人は、幸せになっちゃいけないんですか? 祖国を、家族を守るために戦った人が幸せになっちゃいけないなんて、おかしくないですか? 


それで幸せになっちゃいけないんなら、直接手を下さず、軍人になった家族に守ってもらった人達はどうなんですか? 直接手を汚しさえしなければ幸せになっていいんですか? 


だったら、前線には出ずに命令だけした人達は幸せになれて、前線で命懸けで戦って生き残った人は幸せになれないんですか?


それっておかしくないですか?


理由があるからって人を殺しちゃいけないというのは分かります。だけど、望んで人を殺したり殺されたりっていうのが当たり前の世界に生まれたわけじゃないはずなのに、そんな世界で生きてきたことで人を殺すことに抵抗がなくなってしまっただけの人さえ幸せになっちゃいけないっていうのは、おかしくないですか?


誰も自分の生まれを自分で選ぶことなんてできないのに……!」

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