暴論

しかしこの時、アオが引越しの決意を固めて準備を始めたことについて申し訳なく思っているのは、さくらだけではなかった。


実はミハエルも、同じように思っていたのである。


「ごめんね、僕のせいで……」


けれどアオは、平然としていた。


「ミハエルのせいじゃないよ。気にしないで。


世の中には、こういうことになると、


『最初から出歩かないようにするべきだった』


とか言うのがいるだろうけど、私はそういうのは暴論だと思う。そんなの、


『交通事故に遭いたくなかったら家から一歩も出るな』


と言ってるのと同じだと思うんだ。問題なのはストーカーと、ストーカーを野放しにしてる周囲の人間で、被害者に原因がある、被害者が悪いって話にするのは、加害者側の理屈だと思ってる。


もちろん、実際に被害者側に大きな原因がある場合だってないとは言わないけど、被害者にどれだけの責任があるかとかなんて、具体的な証拠と突き合わせて裁判とかでやる話なんじゃないかな。


少なくとも、まったく無関係な第三者が『被害者が悪い』とか言っていいとは思わない。


今回の件だって、ミハエルに落ち度があるとは私は思わない。ミハエルは十分に注意してたよ。単に間が悪かっただけなんじゃないかな」


自分に対して熱弁を振るうアオの姿に、ミハエルは温かいものを感じていた。


アオの言ったことは、ミハエルにも分かっている。ミハエル自身もそう考えていた。だから今さら新しいことを気付かされるような内容ではなかった。しかし大切なのは内容ではなく、彼のために真剣に考えようとしてくれるその姿勢だった。


正直、ミハエルの方がずっと年上だったこともあり、彼女のことをあどけない子供のように見ていた部分があったのは否めない。


けれど、彼女は今、<家族>としてミハエルをストーカーから守り、『被害者にも責任がある』という世間に見られがちな論調からも彼を守ろうとしているのだった。


「ありがとう、アオ。アオに出逢えて僕は本当に幸せ者だ」


正直な気持ちを口にする彼に、アオが頬を染めながら言う。


「幸せ者なのは私の方だよ。はっきり言って<家族>って自分が思える人がいなかった私に、家族ができたんだ。


家族は力を合わせて自分達の家庭を守るものだと思う。誰か一人を頑張らせて一方的に守ってもらうもんじゃないと思うんだ。だから私はミハエルを守る。


ストーカーと直接戦うとかいうのは無理だけど、私のやり方でミハエルと、私達の<家庭>を守るんだ。そのためだったら引っ越しなんて物の数じゃないよ…!


って、まあ、本音を言ったらメンドクサイのも本当だけど、でも、ミハエルに何かある方がずっと嫌だ……!」


そんな二人がいる部屋の窓の外では、冷たくも、僅かに春の気配を帯びた風がゆるやかに流れていたのだった。


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