不完全なふたり

 海へ行った。沈みゆく夕日と黄金色に輝く海を、車の中から眺めた。雲の切れ間から、一番星が見えた。今日は満月らしい。

 ユウが、退院して一ヶ月が経った。傷の後遺症はまったくないと言ったら嘘になる。それでも、日常生活に支障はないし、総合格闘技だってつづけている。

 ユウはとても我慢強い人だ。入院中、痛いと彼はほとんど言わなかった。それに、リハビリだって人一倍頑張っていた気がする。

「杏奈」

 ユウがこっちを見た。整った顔立ちをしている。相変わらずほんとうに相変わらずあなたは綺麗だ。私は微笑む。

「なに?」

「……したくなった」

「え、」

「車で……していい?」

 あぁ、その目をされたら、……断れないよ。

「ーーうん」


 それから、彼の指が私に伸びてくる。細く骨ばった男らしい手。

 ユウの手……好き。

 ソッと撫でられて、私はビクッと身体を反らした。優しく可愛がるように指を滑らせていく。たった少しの指使いで、私はもう気持ちよくなった。

 彼の指に熱が籠る。 そこから苦しいほどの愛が伝わってくる。

 ユウの愛撫が大好きだった。私は、こみ上げる快感に身をまかせる。こうやって、ユウと触れ合うことに幸せを感じる。繋がるたびに愛が深まっていく。大切にされている。強く実感して、さらに愛おしいと思う。

 幸福感に包まれるあまり、欲情のままに淫らな声を上げた。

「杏奈、エッチ好き?」

 突然、ユウがそんなことを聞いてきた。

「ぇ……?」

「いつもすごい気持ちよさそうだから。好きなのかなって。僕じゃなくても、いいのかなって」

 なに、言ってるの?

「ユウ……ひどぃ……なんで、そんなこと……」

「こう言ういつもと違う雰囲気とかも、杏奈興奮してるでしょ? 僕が、とか言うよりは、シチュエーションに感じてるのかな」

 言ってる意味がわからない。ちょっとこわい。

「ね、ユウ……っ、ん、急に……どうしたの?」

「杏奈は、ほんとうに僕のこと、好き?」

「なんで……そんな、」

「心から愛してる?」

「あ、たりまえ……じゃない」

「そう、じゃあ、わかった」

「え」

 ユウが、私の足をぐっと持ち上げた。初っ端から、ユウは私を激しく抱いた。

「……ユウまって……痛っ……」

 ユウは無言。擦れる感覚と胃を押し上げる衝撃に私は喘ぐ。痛みと快楽の狭間で戸惑った。激しく打ち抜かれ、身体がバラバラになりそうだ。

「……杏奈はほんとMだよね。無理やりされるのが好きなの? もっと虐めてほしい?」

「ちが、」

「嘘つき」

「……ぁ、」

 ユウが私にキスをした。舌を絡ませる濃厚な口づけ。塞ぐように、乱暴に。


 終わった後、ユウはひどく落ち込んでいた。海岸沿いにあるテトラポットの前で立ちすくむ。

「ごめん」

「いいよ……」

「ごめん」

 私に背を向けるユウ。

 泣いているんだね……。わかってるから、なにもとがめないよ。

 でもねーー。

 私は後ろから抱きついた。

「杏奈?」

 驚いたユウの声。

「心配しないで。私は……あなたから離れないよ。ずっとずっと一緒にいる」

「杏奈……」

「理由、なにかあるんでしょう?」

「……っ」

「言いたくないなら、言わなくていい。そのまま黙ってて……」

 しばらくして、ユウがポツリポツリと言葉を紡いだ。

「…………。……今日は……母親の……命日なんだ。母親が死んだ日は、僕がひとりになった日でもある。僕は、この日が来るといつもあの日のことを思い出すんだ。確かに孤児院でも楽しかったけど、でも……やっぱり……」

 寂しかったんだーー。

 ユウは、ひとりになることがこわいと言った。そして、私がいつか愛想を尽かしてしまうのではないか、そういう恐怖に囚われてしまうのだ、と話してくれた。

 ユウの弱さを知った。初めてのことだ。頬を濡らすユウ。

 あなたは、ほんとうに綺麗な心をしてる。だから、私も……本音を言うよ。

「ユウ、私ねーー」

 包み隠さず話した。

 両親のこと、死んだ原因が私にあること、そして、桜子のことも、直接的ではないにしろ、彼女の自殺に関わっていたということ。すべて話した。涙が止まらない。嗚咽交じりに私は伝えた。

 ユウは、きみはなにも悪くないと言ってくれた。その言葉を、ずっと待っていた気がする。

 私たちは泣いた。夜の海を見つめながら、泣いた。ひとしきり泣いたあと、ユウが言った。

「人ってさ……完璧である必要なんてあるのかな」

「え……」

「お互いに……不完全ならさ……ふたりで支えあっていけば……いいのかも、しれない」

「…………」

「杏奈……あの日監禁したこと、今でも怒ってる?」

「…………」

「まだ間に合うなら、ちゃんと謝りたいんだ。僕、どうかしてた。きみが好きすぎて……でも嫌われるのがこわくて……普通に声をかけることすらできなかった。……ごめん」

「……ユウ」

「ほんとうに……」

「愛してる」

「え?」

「だから、もうなにも言わないで」

「…………。うん」

 私はユウを愛している。あなたも私を愛してる。それで、いいんだ。それだけで、じゅうぶん。なにがあってもこわくない。あなたとなら乗り越えていける。きっとだいじょうぶ。

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