涙と苦と幸

 止まらない。止まらないの。

 あぁ、私この数ヶ月で一生分の涙流しちゃったかも。でもね、まだ枯れてくれないの。

 涙がでてしまう。

 だって……あなたが、いないからーー。

 ユウ。あなたがいなくなって、二ヶ月が経った。

 長いようで短かった。この数ヶ月間。いろいろなことがあった。頭の中で整理しようとするけれど、追いつかない。

 浩太くんも、美咲さんも、あと職場の人たちも泣いていた。たくさんの涙を見た。それを見て、私も泣いた。泣かないようにするなんて、無理。やっぱり涙はでてしまう。

 窓の外を眺めた。今日は雲ひとつない晴れ。綺麗な青だなぁ。

 ーー家に帰ったら、なにしよう。なに食べようかな。ひとりだから、……どうでもいいか。ユウは……いないんだもん。

 ひとり分の洗濯。ひとり分の食事。ひとり寝室で眠る。朝起きても、となりにあなたはいない。いってきます。おかえり。ひとりでポツリと漏らす。愛するユウの姿は、ない。

 悲。

 ねぇ、ユウ。あなたのいない日々はとても寂しくて、苦しい。あたりまえの日常がなくなって、とても辛いよ。

 孤独。空虚。毎日が退屈。あなたという存在がいない生活は、まるで空っぽ。あなたがいない。

 ーー辛い……辛いよ……。私……どうにかなっちゃいそう。家に帰っても……。

「ユウはいない……」

「ちょっと、さっきからなに訳のわからないこと言っちゃてるの?」

 と、うしろで声がした。穏やかなそれでも、すこし張り詰めたような、不機嫌なような声。その声を聞くと、私はいつもギュウッと胸が苦しくなる。ゆっくりと振り返る。

 白い病衣から覗かせる包帯。耳が全部隠れるくらい伸びたサラサラの髪。相変わらず綺麗な藍色の交じった黒い瞳。

 ーー病院のベッドの上であぐらをかく人物。

 それは、私の愛する人。ユウだ。

 彼はどこか不満げな表情で、ジッと私を見つめていた。

 あれ、なんでそんな顔してるのかな。

 私は、首をかしげた。

「なに?」

 すると、ユウは呆れたように肩をすくめた。

「なにってこっちがききたいよ。さっきから、声かけてるのに、全然反応ないし。しかも、ブツブツひとりごと言ってさ。寂しい、とか、僕はいない、とか。まるで僕が死んだみたいな言い方じゃない」

「だって、家帰っても、ユウがいないんだもん。寂しくて」

「いや、僕病人だからね? 好きで入院してるわけじゃないし。っていうか、結構重症だったんだよ? わかってる?」

「……そうだよね」

「そうだよねって」

 ひどいなぁ、なんて笑うユウ。トクンと胸が鳴った。

 そうだよ。喜んでいいんだよね。だって、ユウはこんなに回復した。あんなに重症だったのに、二ヶ月でこんな元気になったんだもん。喜ばないとだめだよね。先生もびっくりしていた。人の生命力ってすごい、というかユウがすごいのかな。

 あの日の夜ーー。

 もう絶対だめだと思った。だって、ユウの身体すごく冷たくて、それに血だらけだった。

 あんな状態で、桜子の使用人と対峙したのだ。屋上で意識を無くしたユウを見たとき、てっきり死んだのかと思った。だけど、辛うじて命をとりとめた。みんなすごく泣いてた。

 あ、もちろん嬉し泣きのほうね。

 浩太くんも美咲さんも、泣き笑いしていた。よかったってなんども言って、私を抱きしめた。私も嬉しくて、毎日泣いた。一生分のうれし涙を、流しちゃったんだ。ほんとうに、ほんとうによかった。

 ここ二週間でようやく歩けるようになって、普通にご飯も食べられるようになった。集中治療室から、病棟の個室へ移動にもなったし、すこし安心している。なにより、ユウの笑顔が見られるのがうれしい。

 とはいえ、家に帰るとひとり。それは、やっぱりさみしい。だから、ついついひとりごとを言ってしまうのだ。

「ユウのいない毎日は、とても寂しいの」

「うん。わかってるけどね。きみのひとりごとだけ聞くと、僕が死んだみたく聞こえるんだ」

「家に帰るとね。ついユウが死んじゃったらって考えちゃうの。ユウは助からなくて……私のひとり、残されて……ユウの家で……ひとりきり……そしたら、なんだか……悲しくなって……泣けてきて」

「どうしても、僕を殺したいみたいだね」

「そ、そうじゃないよ? えっと、なんていうか、……あの」

「もういいよ」

 そう言って、ふいっと視線を外すと、手にあごを乗せた。

 あ、……まずい。ユウ……怒ってる。怒ってるユウも……格好いいな。……なんて思ってる場合じゃない。

 私は、顔の前で手のひらを合わせた。

「ご、ごめんね」

「もう知らない」

「許して……ね? お願いごとあったら、き、きくよ?」

 笑ってみせた。

「杏奈」

「なに?」

「キスして」

 甘えるような子供っぽい表情のユウ。

 ーー可愛い。

「うん……」

 私はゆっくりと顔を寄せると自分から唇を重ねた。いつもよりちょっと積極的な私。ユウはちょっと恥ずかしそうに笑っていた。

 なんか……新鮮な気持ち。

 やっぱり好き。好きすぎて最近困る。それが、悩み。

 あはは、幸せすぎるね。

「杏奈、はい。婚姻届け」

「は?」

「今日、浩太と美咲さん面会に来るって言ってたから、証人になってもらおうよ」

「え、ぇ……えぇ?」

 前置きなしで、婚姻届け出すって……。

 なんかユウらしい。私は、その場でサインした。

 三野村杏奈から……岡田杏奈……かぁ。

「ウフフ……」

「杏奈、どうしたの? 頭おかしくなっちゃった?」

「ユウ、ひどいね」

「冗談だよ」

 屈託のない笑顔。

 あ、その顔好き。まぁ、ぜんぶ好きだけど。

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