最後の

 いつか終わりがくるとしても、きみのそばにいたかった。

 真っ暗な空の下で、僕たちはすこしの間話した。と言っても、僕に力はほとんど残っていないし、起き上がることも困難だった。血で染まる僕を、杏奈はやさしく抱きとめていた。星のない空だった。ぼんやりと非常口を指す明かりだけが、辛うじて杏奈の表情を浮かび上がらせた。

「ユウ……ユウ……死なないで」

 泣きじゃくる杏奈。僕を抱きしめる杏奈の体温。温かい。

「ユウっ……ッ」

 あぁ、杏奈が僕をユウって呼んだ。

 記憶、もどったんだ。……よかった。

「わ、私、まだあなたに、……言いたいこと、が」

 僕も、言いたいこと、たくさんあるんだ。でも、今、全部伝えるのは難しいかな。声を出す力さえも残っていないんだ。

 ジムの帰りに声をかけられた。どこかで見たことがある、と思った。強烈な殺気。桜子の使用人ーー気づいたときには遅かった。

 自分の皮膚と肉と骨の断たれる音が、身体の中から聞こえた。痛みはあとから。それよりもさきに後悔がきた。

 あぁ、もっと神経を尖らせておけばよかった。近づいてくる気配に意識を配ればよかった。あのとき、殺しておけばよかった。桜子を捕まえたとき、あいつは殺しておくんだった。

 けれど、それも過去の話。

 使用人は……自ら……命を絶った。

 最悪の結末だったけれど、せめて杏奈を守ることができてよかった。

 ーー杏奈。

 意識が薄れていく。

「ユウ……ユウ。目を閉じちゃいやっ」

 泣いてる……杏奈。

「すぐに先生来るからね。だいじょうぶだからね。ユウっ……ねえっ、……私ねっ、き、おく……戻ったよ……戻ったんだよ」

 うん。知ってるよ。ちゃんとわかってるよ。

「だから……お願いっ、……」

 大粒の涙。杏奈、泣き虫だ。エッチしてるときも、すぐに泣く。そうじゃないときも、泣く。可愛い、杏奈。

 ずっといっしょにいたかったな。結婚も……あ……指輪……結局付けてるところ、渡したあの日しか見てないや。見たかった……。

「…………あ、……ん、な……カハ……ッ」

「ユウっ。喋ったらだめッ」

「…………ゆ、び、……わ、」

「ぇ」

「……指輪………」

「…………。……ずっと持ってた。持ってたよ……あの指輪がなんなのかわからなかった。でも、肌身離さず持ってた。どこに行くときも、必ずーー」

 持ってたの、と言った。

 あぁ、そうか。きみはそんな人だ。優しくて、とても可愛い僕の恋人。杏奈。僕は、いつもきみを追いかけていた。必死で、きみのそばにいようとーー。でも、もう。

 ……やっぱりきみを監禁していればよかったよ。

 杏奈の頬に触れる。濡れた頬。

 泣かないで。きみの泣き顔をみていると、胸が締めつけられるんだ。

 泣きながら、僕にキスを落とす杏奈。柔らかな唇が、僕に重なる。お互いの温度。僕は、ひどく冷たい。悲しいときに涙がでるのはどうしてだろう。

「ぁ……ぁ……ッ、やだっ、ユウ……ッ」

 なにもない。なにもない。そこにあるのは幻想的なまでの無。

「ユウっ、お願い……ッ、だめっ、……ッ、目を開けててっ」

 そうはいうけれど、眠たくて仕方がないんだ。

「やだ、っ、……いや……ッ、ユウ、ユウっ」

 眠たい……。あぁ、あの時……言っておけば……よかったな……ぁ……。

 ありきたりな言葉だけど。でも、やっぱりこの言葉じゃなきゃだめなんだ。

 愛してる。サヨウナラ。杏奈。

 最後のキスは血の味がした。

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