愛護
静かな屋上。私は、岡田ユウに様々な攻撃を仕掛けた。けれど、彼はとてもすばしっこく、幾たびの攻撃をも避けた。かと言って、余裕ではあるまい。口からはおびただしい血が出ているし、腹部からにじむ血跡も痛々しい。
どうせ限界のくせに。
私は、笑って見せた。
「いつも落ち着き払っているあなたよ。けれど、今ではどうだろうか。フラフラだし、まるで子猫のよう」
「…………」
「あははは、足も震えているよ。我慢してるのかい? ださいね。出血もすごい。さすが、思いきり貫いただけある。それでも、勝てるつもりかい?」
「……関係ない」
「フハハハハ、ばっか!! 関係あるだろう」
「…………」
「桜子様に愛されて、私はそんなおまえが、羨ましくて仕方なかったよ。桜子様とエッチしているときも私は監視カメラの前で指を咥えてみていた。桜子様は美しい。なのに、なぜ、おまえは桜子様を愛さなかった」
「よくしゃべる使用人だな」
「はは、無視か。ーーなぁ、岡田ユウ。桜子様から犯されているとき、ほんとうは感じていたんだろう?」
「五月蝿い」
「あなただって、三野村杏奈を監禁したくらいだ。犯される気分を味わえてさぞ嬉しかっただろう」
瞬間、岡田ユウが消えた。気づいた時には、頭を掴まれていた。耳もとで囁くような岡田ユウの声。
「五月蝿いって言ってるだろ」
「っ……!」
脳が揺れた。景色が大きく回る。それから、最後にコンクリートが見えた。硬いコンクリートが顔面に食い込む。
ゴキ……っ。鼻が捻じ曲がった。軟骨が潰れるのを身体で感じ取る。飛んでいく前歯。鉄の匂いが鼻腔を満たした。
あーー……すごいな。岡田ユウにまだ、こんな力が残っていたのか。
感心しつつ、ゆっくり起き上がる。鼻と口から多量の血が流れ出た。
あ、もう一個歯が抜けた。
口の中で転がしていた歯をペッと吐き出すと、岡田ユウに笑いかけた。
「あーー……前歯が二つともとれちゃった。桜子様からレイプされるのが、そんなに嫌だった? あ、そっかぁ、三野村杏奈の手前、気持ちよかったなんて言えないか。あはははははは」
「五月蝿い。さっさと死ねよ」
重圧を加えたような低い声と殺気。破顔する私へ続けざまに攻撃を仕掛ける。飛んでくるユウの裏拳。
だいじょうぶだ。攻撃は見えている。それを回避したあとに、攻撃を仕掛ければーー。
避けようと重心を落とした。が、既に拳は視界の前へあった。
想像以上に速い……っ。
裏拳が顔面にめり込む。眼球が衝撃で破裂するような感覚を覚えた。
「ぐはッ……ッッ」
顔面を手で覆い、身を屈めた。脳を揺さぶられたことにより目眩がする。痛みで喉の奥から胃液が上がってきた。思いきり岡田ユウの攻撃を受けた。受けるつもりはなかった。そもそも避けた自信はあった。それでも、思い切りクリティカルヒットした。
「カハ……ッ」
鼻血のせいで、呼吸が乱れる。脈拍が速い。
ーー武器も持たぬやつに、負けるなどあり得ない。
この私が負ける? そんな筈がない。私は強い。強い強い強い強い強い強い強い!!誰よりも。
ーー負けてたまるものか。こいつなんかに……っ。
歯を食いしばった。抜歯した部分から溢れる血液を吐き出すように喚呼した。
「岡田……ァッッッ!!」
ナイフを握りしめる手に力を込めた。風を切るようにして足を踏み出す。間合いを一気につめる。髪をふりみだし、鋭い切っ尖を相手へ突きつけた。けれど、彼は身を翻し避けた。同時に後方へ宙返りし、そのまま金網の上へ。腰の高さまである位置から、私を見下ろすようにして立つ岡田ユウ。なんと超越した身体能力だ。
まぁ、それはいい。どうでも。
クハっと息を吐き出した。
「あはははは、その身体で、そんなひ弱な身体でどうするつもりだ? 彼女を守るのか? 馬鹿げてるよ、あなたは」
「…………」
「無視か? それとも、傷がうずくのかな?」
「……僕は、…………」
「言葉を出す力すらも残っていない、か?」
「…………」
黙るだけか、なんと情けないのだ。重心を落とした。ナイフをそれぞれの手で持ち直す。ククッと手首を返してみた。我ながらいい動きだ。腱も、筋肉も、骨も断つこのナイフ。
日々の鍛錬を怠らなかった。ジムなどで、ダラダラと不毛な時間を潰している奴らと違う。殺れる。この私に殺れないわけなど、ない。彼女を切り刻もうか、それとも、彼の動脈を裂いてやろうか。と、考えている間に彼女を切り刻もう。
三野村杏奈までは、数メートルの距離。このチャンスを狙っていた。岡田ユウに攻撃を仕掛けるフリをして、三野村杏奈へ近づく。それが、今だ。
岡田ユウ。あなたも殺してあげるけど、さきに彼女を地獄へ送ってあげるよ。
ナイフを構えた。けれどまだ、岡田ユウに向かい合ったままだ。
ーー死ね。
「馬鹿め」
そう吐き捨てて、薄ら笑った。そこでようやく岡田ユウが察する。
「まさか……っ」
動揺を含ませた彼の声色。だが、今さら遅い。殺気を岡田ユウから移行させていく。目が合うと同時に彼女が、絶望的な表情を作り上げた。荒い息を吐く。全精力を傾け、三野村杏奈へ襲いかかった。距離にしたら五メートル。
「三野村杏奈!! 死ねっ」
「っ……」
大きく開眼する彼女の瞳。
恐怖の顔だね、杏奈。終わりだよ。
喉元を目がけて、ナイフを突き出したーー。
顔にかかる影。
え……。
驚愕。岡田ユウが目の前にいる。立ちはだかるように、目の前に。
さっきまでは金網のとこにーー。あそこから、ここまでの距離を一瞬で……。そんな……ばかな。
彼から繰り出される打撃。早すぎて不可避であると、瞬時に悟った。
あぁ、岡田ユウ。きみはなかなか……やるな。
わずかに頬を緩ませた。
「いい、反応だ、岡田ユウ」
「死ねよ」
左脚を軸に反動をつける岡田ユウ。軸を保ったまま、身体を大きく捻った。そして、突き上げるように右足で踵から足裏で思いきり叩き込む。限りなく小さなモーションからの後ろ廻し蹴り。回転を加えたことによる蹴りの威力はすごかった。受けた大技は、私を戦闘不能にするにはじゅうぶんであった。骨の砕ける音と、肉が潰れるような感触、そして、肺への負担。突き抜けるような痛みと、眼前暗黒感。
もはやこれまでか。
朦朧とする意識の中、倒れ伏した。
……強い。
岡田ユウ。
いけると思ったんだけどな。それでも、やはりあなたは強かった。
数秒後も、私は地面に突っ伏していた。起き上がれそうにない。岡田ユウの打撃はとんでもない威力だ。身を以て知った。彼が私を見下ろす。まるで虫けらを見るような目だ。私は呼吸をヒューヒューも言わせながら、それでも笑った。
「ヒュー……、は、は……岡田、ユウ……き、みは、……きみの……恋人……杏奈は……桜子様を、……殺した……。あの、女の……せい、で……桜子様、は……」
三野村杏奈に幻滅しろ。そう思った。けれど、岡田ユウの瞳は揺るがなかった。そして、彼はこう言ったのだ。
「桜子を守れなかったのは、 お前のほうだ。うらむなら、自分だろ?」
「…………ァ」
心臓を鷲掴みされたような心地がした。
桜子様は、私にとても冷たかった。かつて何度も桜子様を、諦めさせようとした。
「桜子様、このまま岡田ユウを追い求めても……」
けれど、私の話など聞き耳を持たなかった。
「私は、ユウじゃないと意味ないの」
「しかし、」
「うるさい! あんたなんかただの使用人なのよ? いつでもクビにできるんだから!」
狂っていく桜子様。どうにか引き戻そうと頑張った。彼女のためにすべてを注いだ。けれど、彼女は見向きもしてくれなかった。
私は桜子様を愛していたーー……。
彼女を救おうとしていた。けれど、救えなかった。
一番彼女のそばにいたのは、私。救えなかったーー。
……そう。なにもできなかったのは、私のほうだった。ずっとずっと桜子様から愛されるのを待っていた。けれど、その願いは私の独りよがりだった。桜子様にとって、私はただの使用人だったのだ。それ以上のことを望む私が間違っていた。
ーー嗚呼、桜子様……私もそちらへ逝っても、イイデスカ?
手の中にあるナイフ。それを首へあてがった。
落ちて逝く意識の中で、桜子様の笑顔が鮮明に脳裏をよぎり、そして、消えていった。
また、あの世でお逢いしませう。桜子様。……--。
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