波打ちぎわ

 集中治療室。心電図。点滴。医療機器。そして、たくさんの管に繋がれたまま、力なく横たわるユウ。酸素マスクを装着したユウの顔はひどく疲れてみえた。

 今夜がとうげだと。こんな現実あんまりだ。言えたならまだマシ。言えなかった。

 だってあなた起きないんだもの。目を閉じたまま、ぜんぜん起きてくれないの。

 あなたに言おうとした。記憶を取り戻したこと。そして、桜子のこと、私の過去、トラウマ。すべて話そうと思った。でも、言いたいときには、もう遅かったんだ。

 あなたは、起きない。眠りについたまま。

 寄せては引き返す波うちぎわ。まるで、私たちみたいだね。どちらかがかならず引いてしまう。

 お互いの気持ちは同じなのに。いつも、うまくいかないよね。悲しいね。苦しいね。

 あなたがいない人生なんて……、……辛すぎるよ……ユウ。

 泣いて泣いて、とにかく泣いた。ユウは目覚めなくて、夜中が来て、一応心臓は動いていて、けれどやっぱり峠は峠。いつ死んでもおかしくない。

 私は屋上へ行った。ひとりになりたくて夜風に当たりたくて、私は屋上へ。

 深夜二時。風が冷たい。新月なのか、やけに暗い。月はどこ。光がない。

 ーーと、ドアがあいた。

 振り返る。そこにいたのは、車椅子に乗せられたユウだった。ぐったりと意識のないままのユウ。私は目を見開いた。その場に立ち尽くし動けない。

 え、え、……なんで?

 ユウは重症。動かしちゃだめ。

 なのに、なんで? え、点滴は? たくさんの管は? え、え?

「こんばんは、杏奈さんっ」

 聞き覚えのある声。ドアの向こうからひょっこりと出てきた黒い影。

「どうもご無沙汰しています」

 と私に声をかける。

 そんな…………ーー。

 身体が恐怖で震えだす。ユウの車椅子に手をかける人物。それは、桜子の使用人だった。

 なんで、……指名手配されているのに……。

 言葉を失っていると、使用人が頭に手を当てて微笑む。

「いやぁ、その節はどうもっ、というか記憶とりもどしちゃったんですね、残念です」

 卑屈っぽく笑う使用人。

「っ……ァ」

 私は驚きのあまり、声が出ない。

「それはそうと、私は彼を殺したつもりだったのに、まだ生きてたなんて。なんてしぶといのでしょう。そういうわけで、もう一度やってきました。三野村杏奈、私は今からあなたと岡田ユウを殺すよ。覚悟してください」

 ククッと引き笑いする。警察は厳重な警戒態勢を取っていたと言っていた。それなのに、まだ、逃げていた。

 ……私が、もっと早く思い出していればーー。

 悔やんでも悔やみきれない。

 ユウ、ごめんね。私せめて……あなたを守りたい。

「ユウは……死なせない」

 私は、飛び出した。使用人のもとへ走っていく。ユウをかばうように、使用人を跳ね除けようとした。

「愚かな女だ」

 けれど、簡単にかわされてしまった。バランスを崩した私。前のめりになる私の髪を鷲掴みすると、壁に叩きつけた。脳が揺れて、視界が二重に見えた。皮膚が擦れて熱い。

「ッカハ……っ」

 息ができない。ググッと首を絞められていく。呼吸ができない恐怖。そして、痛み。

「っ、……ぁ」

 僅かな明かりの中、使用人を見た。感嘆するように私を眺める。

「弱いなぁ。そんなで守ろうとするなど、なんて愚かな女だろうか。この私に勝てると思ったか? 私は、何年も鍛錬を重ねたんだぞ。桜子様をお守りするために、何年も何年も……。岡田ユウの死を見届けさせてやろうとしたのに。……もういい、おまえがさきに死ね」

 ギリリと力が込められる。首の骨が、ギシっと音を立てた。皮膚を裂かんとするように爪が食い込む。

 あぁ、死ぬ……。

 思い出が走馬灯のように流れていく。そこには、ユウの姿。たくさんのユウの笑顔。彼はいつも笑っていた。

 あぁ、ユウ……ユウーーいつだったかな。ユウと海へ行った。青い空の下、彼は私に呟いた。

「しあわせだね」

 そして、にっこりと笑った。なんてきれいな顔なんだろう。私も微笑み返した。

 ーーうん。しあわせだよ。これからも、……そうでありたかった。私もう一度あなたの名前を呼びたかったなーー。

 薄れゆく意識のなか、心のうちで呟いた。

 ーーユウ。

 瞬刻、耳をつんざくような音がした。弾けるような、金属の擦れるような音。私の身体が、弾き飛ばされた。そして、使用人はさらに遠くへ飛んでいった。

「ぐ、はっ……、」

 ズザザ。使用人が唸る。と何者かが私の前に立っていた。そんなわけなかった。ありえなかった。でも、そこに立っていたのは、ユウだった。

 なんで、ユウは……重症のはずなのに、意識がないはずなのに、でもやっぱり、そこにいるのはユウだった。

 背中を向ける彼。点滴の管と血のにじむ包帯が、風でなびいている。

「ユゥ……」

 呼びかけたけれど、返事はない。ユウは使用人のほうをじっと見つめていた。遠くに倒れていた使用人が立ち上がる。使用人は、大声で笑いだした。

「あははははははははは、その身体でよく目覚めたな。本能というやつか!? あのとき、貫通させてやったのに、よく生きてたものだよ。私のナイフは、さぞ美味しかっただろう? 真新しい傷を、見せておくれよ」

 ユウは何も言わなかった。

 言えない?

 彼の肩が揺れている。

 足も……震えている?

 限界なのだ。立ち上がるだけで、当然だ。ユウの腹部には大きな刺し傷がーー。

 だめ。ほんとうにだめ。

「さぁ、どこまで動けるか……見せておくれよっ」

 使用人の身体がグンと前へ出る。そして、ユウに振り下ろされるナイフ。

 ーーユウ……っ!

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