拘束

 ある夜、岡田さんから急に呼び出された。わけがわからないまま、タクシーで家に行った。

 ドアがあいた瞬間、腕を掴まれた。

「いらっしゃい」

 これまで見たことないくらいの笑顔だった。

「こっちおいでー」

 岡田さんは、満面の笑みを浮かべたまま、私の手を引いた。リビングへは行かずそのまま二階へ行った。

「岡田さん?」

 階段を登っている途中、声をかけたけれど返事はなかった。連れていかれた場所は寝室だった。私は意味がわからず、岡田さんを見た。

「あの……岡田さん?」

「んー、なにー?」

 彼はクローゼットを開けている。至って普通だ。けれど、この状況はやっぱりへんだ。そばで立ち尽くしたまま、彼を見つめる。

「よ、用ってなんですか? と、突然連絡があったから、なにかあったのかなって……」

「あぁ、あれかー。あれはねぇ、嘘だよ」

 突然、そんなことを言われた。頭が真っ白になる。

「はい?」

 ようやく、岡田さんが私のほうを向いた。その手には、紐が握りしめられていた。ひたいに滲んでいた汗が頬を伝っていった。

 グルグルと巻いていく。手首にグルグルと。私をベッドの端に座らせて、岡田さんが手首にグルグルと巻いていく。私は、わけがわからず、ただ縛られていく自分の手首を見つめていた。意味が、わからない。

「な、なんの冗談ですか?」

 笑ってみた。返事はない。慣れた手つきで、私の手を縛っていく。キュッと縛ったあと、岡田さんがようやく口をひらいた。

「これでよし。じゃ、横になって」

「え?」

「あれ、どうしたの? あ、まさか、まだわからない?」

 キョトンとする私。そんな私を見て、岡田さんが笑う。

「仕方ないなぁ。教えてあげる。……今から僕は、きみをベッドに拘束する」

「は?」

「泣いてもいいよ。そっちのほうが好きだし。でもね」

 そして、岡田さんは、片方だけ口角を上げるとつづけた。

「どんなに嫌がっても、やめないから。覚悟しといてね」

 岡田さんの裏の顔。それは、暗黒の闇。

 彼は縛った手首をさらにベッドへ縛りつけた。身動きの取れない私に馬乗りになる。ワイシャツのボタンが外されていく。

「お、岡田さん、……?」

 彼からはお酒のにおいがする。ソッと彼が肌に触れた。

「お、かだ……さ」

 いやらしい手つき。私の身体に熱が灯っていく。

「ァ……」

 乱れた息を吐き出す中に混じる甘美な声。自分でも驚くほど艶々とした潤いのある声だった。

 身体が熱い。神経を撫でられているみたいだ。

「相変わらず、敏感」

 相変わらず? その意味を私は知らない。

 指の腹が快感を伝えるスイッチを押していく。ひとつひとつ丁寧に確実に。みっともないほど素直に、私は快楽へ引っ張られていった。

 彼の舌と手と言葉によって私は快楽という魔法の液体で満たされた海に溺れていく。もがけばもがくほど、深いところまで沈んでいった。

「岡田さん……」

「あぁ、その顔すっごい、いい。ねぇ、こっち向いて」

 岡田さんが、私の顎を引いた。そして、顔を寄せると唇を重ねた。柔らかな彼の舌、甘い吐息ーー。

「お、かだ、さ……、」

「可愛いね」

 情緒たっぷりの視線に釘付けになる。身体全身が電流を浴びたように火照っている。息の上がった私を見つめる岡田さん。彼がズボンに手をかけた。

 私はなにも言わなかった。嫌とも、やめてとも、言わなかった。だって、私も最後までしたかった。岡田さんと。

 私たちは繋がった。

「……岡田さ、ん」

「杏奈ちゃん……」

 岡田さんが、私を愛おしそうに見つめる。

 昨日までは、ただの知り合いだったのに、ただ笑って話すだけの関係だったのに、そんな人と甘い行為をしている。

 彼は私が気持ちいいと思うところに、ぜんぶ触れた。まるで、私のすべてを知っているかのように。

 私たちは、何度も何度も繋がりつづけた。岡田さんの息も次第に上がっていく。彼の吐息は甘くて、いやらしかった。私は夢中で彼の名を呼んだ。

「岡田さん……気持ちいい」

「僕も」

 身体が溶かされていく。そして、私の心と身体をやさしく繋ぎとめた。

「……岡田さん」

「ユウって呼んで」

「ッ……」

「お願い」

「……、ユウ……っ」

「もっと」

「ユウ……ッ、ユウ…………、好き……」

 ふいに出た。好きーー。

 そこで気づいた。

 あ……私、この人のこと……好きなんだーー。

 すると、岡田さんが、私に微笑んだ。優しい優しい笑み。

「……僕も……大好きだよ。ーー杏奈」

 そして、彼は……ユウは果てた。

 こんなに懐かしい気持ちになるもの、こんなに愛しいと感じたりするのも、岡田ユウ、あなたひとりだけ。

 思い出せなくてもいい。私はあなたが好きだ。


 翌日、岡田さんが平然とした顔で言った。

「ごめん。酔ってて覚えてないんだ」

「嘘だよね?」

 はあ……。あんなに愛し合ったのに……。

「ていうかさ、杏奈ちゃんなんで家にいるの?」

 そんな何事もなかったのような顔で……。ひどいよ、岡田さん。

 私はちょっと涙目になった。

「うぅ……べつに……なにも」

 言えるわけないな。うん。縛られて、あなたから気持ちよくされたなんて、なんども繋がったなんて言えない。

 はぁ、言えないよ。岡田さん……そんな涼しい顔しちゃって。昨日はあんなに……っ、いや、でもやっぱり言えないや。

「杏奈ちゃん、どうしたの? なんかへんだよ?」

 へんなのは、岡田さんだよ。

「べつに」

「僕、もしかして、とんでもないことした?」

「いや、ふつうくらいだよ」

「ふつうってなに!?」

 うん、まぁ、ふつうくらいに……サディストだったかな。

 それから、私は岡田さんと朝食を食べると、会社まで車で送ってもらった。車から降りるところを、職場の美代先輩から見られた。

「杏奈ちゃんっ、あの人、だれ!!??」

「え、ぁ、えーと、……友だち……かな?」

「むちゃくちゃかっこいいじゃないの!!!! 羨ましいわ!!!! しかも!!! あの車っ、お金持ちね!!!! 彼とどんな関係なの!!?? ねぇったら」

 先輩、すごい声大きい。あと、そんなに身体を揺らさないで……。

「あはは、……ただの友だちですって」

「ほんとぉ!!??」

「はい」

 と、笑ってみせる。

 いや、……でも、昨日エッチしたし……深い……友だち?

「紹介してよぉ!!」

「だ、だめです」

 そこだけは、ちゃんと言った。

 だって、岡田さんは、……私のもの。

 午後、私は社長室へ行った。

「社長。お見合い遠慮します」

「なぜだい!? すごくいい息子なのにっ、だめかい!?」

「好きな人がいるんです」

「ーーなんてことだ。しかし、そういうことなら、仕方ないだろう。杏奈くんのことだ。その相手はさぞ素敵な人なのだろう。ちなみにその人には、想いを伝えたのかい?」

「いいえ……まだ。でも……今度、伝えます」

 ちゃんと自分なりに整理してから。

 なにもかも、忘れたままなんて嫌なの。前に進みたい。そのためには、私のキオクをーー……。

 私なりの覚悟。私なりのケジメ。

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