中で。

 会社にて。パソコンの前に向かって書類作成をしていたら、浩太くんがやってきた。

「杏奈先輩。ここを教えてほしいっす……」

 渡された書類を見た。

「あぁ、そこは経理課がやるから、飛ばしていいって言ってたよ」

「了解です……」

 そういう彼の表情はどこか暗い。 去っていこうとする浩太くん。彼の背中に声をかけた。

「浩太くん。なんか元気ないね」

 ピクリと彼の肩が揺れた。ゆったりと振りかえる浩太くん。まるで幽霊みたいだ。

「杏奈先輩……」

「な、なに?」

 すると、ズイッと浩太くんが近寄ってきた。

「っ……俺……もうジム行きたくないっす。だって花見の日以来ユウさんと、無理やり組み手させられるんですよ」

「そ、そうなんだ」

「手加減なしなんですよ。……俺……こわくて……いつか殺される」

 涙ぐむ浩太くん。そういえば、昨日ジムから帰ってきて言っていた。

『最近、浩太と組み手するんだ。手加減? そんなことしたら浩太に申し訳ないよ』

 申し訳ない、というわりにユウの表情は清々しかった。

 依然として、私の前で項垂れる浩太くん。

「あの日のこと、まだ根に持ってんすよ……うぅ、身体が痛い……」

 よく見ると、手首や首のつけ根あたりにアザがある。

 みっちり組み手を組まされてるんだろうなぁ。

 あの日飲み過ぎたのは私なのに、監視不足(?)ということで浩太くんも怒られた。

 私は、可哀想になって、浩太くんの肩を叩いた。

「浩太くん、私、ユウに言ってみる」

「え、ほんとっすか!?」

「うん。もっと優しくしてって、言って……ーー」

 あれ、なんだろ。急に気分が……。

「杏奈先輩?」

「ごめん……吐きそう……」

「え、え、だいじょうぶですか?」

「ちょっと……トイレ」

「も、もしかして杏奈先輩……」

 慌てるような浩太くんを置いて、トイレへ飛び込んだ。

 吐き気。食欲減退。

 あ……そう言えば……生理……一週間遅れてる。……え、まさか。……………。

 今日は良い天気です。仕事もうまくいってます。突然ですが、妊娠したかもしれません。


 仕事も早々に切り上げて、ユウの家へ行った。合鍵でドアを開けると、靴を脱ぎ捨てる。

「ユウ、聞いてっ」

「あれ、杏奈今日は自分のアパートに帰る日じゃなかったっけ?」

 ちょっと驚いた顔の彼。お風呂上がり。リビングで、頬杖をつきながら哲学書を読んでいる。

 また、難しい本を読んじゃったりして……いまは、それどころじゃないよ。

 私は、彼のもとへ詰め寄った。

「ユウ、あのねっ」

「そんな血相変えてどうしたの? こっちきてお酒でも飲もうよ」

「だめっ、そんなの……身体によくないっ」

「昨日飲んでたよね?」

 ユウのいじわる。そんなのいいから。もう言っちゃう。

 ゴクンと息を飲むと、口にした。

「私ね……妊娠したみたい!」

 ユウの動きが止まった。

「は?」

 固まるユウ。動揺してる。珍しい。しばらく待ったけど、全然動かない。

「ユウ?」

 手のひらを、ユウの前で振ってみた。ようやくユウがこっちを見た。

「妊娠してるって……?」

「うん。だって生理来てないし」

「そうなの?」

「つわりもあるし」

「ぇ、ぇええ…………」

「あと……なんとなく熱っぽい」

「…………気をつけてたよ?」

「でも、避妊したことないよね?」

「そうだけどさ」

「…………」

「し、失敗したことないよ?」

 困ったように笑うユウ。

 そんな顔してもだめだよ。

 頬を膨らませた。

「ユウ、こんだけ毎日愛し合ってたら、そんなこと言い切れないでしょ?」

「言い切れるよ。僕なりに気をつけてたし。タイミングもちゃんと合わせてたし」

「……ユウ。ひどい……ユウの子だって……認めてくれないの?」

「え、ちが」

「認めて……くれないの?」

「杏奈……ごめんっ、そういうつもりじゃなかったんだ。なんていうかちょっとびっくりして……あぁ、どうしよう。ちゃんと順番守りたかったのに……ごめんね。杏奈のこと大切にするから」

「ほんと?」

「もちろんだよ」

「ユウ……よかった。私、ユウの子なら産むよ」

「ありがとう」

 あ、おなか痛い。

「ちょっと……トイレ」

「え、つわり!?」

「ぁ、う、うん」

 トイレに行った。生理だった。

 あ、あぁ……。……怒られる。

「杏奈っ、だいじょうぶ!?」

「あぁ、うん、それがね」

「無理したらだめだよ」

 そんなに食い入るように見ないで。言いづらいから。

「えっと、うん。なんていうか」

「うん」

「……生理だったみたい」

「うん…………え?」

「私生理前、体調悪くなったりすることあるんだよね。それとつわりを……勘違いしちゃったみたい」

「勘違い?」

「そ、そう」

 笑ってみせた。

 ピロピロリン。携帯のメール受信を知らせる音が鳴った。

『差出人:浩太くん

 つわりだいじょうぶっすか? てか、ユウさんとちゃんと話せてます? 俺、相談乗りますから! ユウさんが話聞いてくれないなら、代わりに聞きますから!』

 私の携帯を見つめるユウ。それから、私に向かってニッコリと笑った。

「杏奈。今日は……わかってるよね?」

「っ……許して」

 お仕置きは……やめて。


 生理が終わってから、ベッドの上でいっぱいお仕置きされたのは言うまでもないーー。


 ユウのドSが、日に日に増していくような気がする。

 あぁ、それからしばらくの間、浩太くんの生傷が絶えなかった。

「あ、浩太。今日もよろしくー」

 電話越しから聞こえてくる浩太くんの涙声。

「ユウさん。ほんとうに勘弁してください」

 可哀想に……。

 心から気の毒に思った。

 こんな毎日がいつまでもつづきますようにーー。

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