分岐点ー2
うつむけていた顔をあげた。視線をそっとユウに移す。彼はやはり空を見つめていた。
真っ直ぐな眼差し。とても綺麗だ。まるでそれ自体が輝きを放っているように、ユウの瞳はまたたいていた。
あなたの見つめる世界。そこに、私の姿はあるのだろうか。あなたの見つめるその未来に、私はいるだろうか。
陽がわずかにかたむいた。
「そろそろ戻ろうか」
ユウが言った。
「うん……そうだね」
私は目を伏せた。車椅子にユウが手をかけた。背を向けてゆっくりと進みはじめる。
私は座っていた。座ったまま自分の手を見つめた。ユウとの距離がひらいていく。
穏やかな日常。こんな日々を過ごせるのはいつまで? いつ、終わる?
ここ数日、ユウのようすがおかしい。笑っているけれど、心の底から笑っていない。
私が気づいていないとでも思っているのだろうか。それは大きな間違いだ。
私は気づいている。ちゃんとわかっている。だからーー。
「杏奈?」
ユウの声。彼がようやく気づいた。視界の端で、キョトンとするユウ。私は視線を落としたまま立ち上がった。
キラキラと陽の光を受けて輝く彼の目。あなたの瞳に私が映る。その中で、溺れるように揺らめく私の姿。
待っていたのに、ユウは言ってくれなかった。あの夜からたったの一度も。好きだよ、とーー。
ーー……。
咆哮。
だだっ広いこの空間に響き渡る、私の声。
わめ
喚くように
うめ
呻くように泣叫ぶ。
吹き抜ける風。ざわめく木々。目を見開くあなた。
車椅子に手をかけたまま動かない。私は叫びつづけた。
たくさんの言葉を。愛の言葉を、ぜんぶ吐き出した。
たくさんの視線。構わない。だって苦しい。
ーー堪らなく苦しいの。
『考えさせて』
ーー言わなくてもわかる。
『もう別れよう』
つまり、そういうこと。
知ってた。わかってた。でも、ほんとうは言って欲しかった。好きだ、と嘘でもいいから言って欲しかった。
頬からあごへ伝って落ちていく涙。
「杏奈……」
「ァ…………ぅ、」
「杏奈」
「……ッ、ハッキリ……言ってっ、嫌いだって……ッ、もぅ……これ以上……っ」
そして、声を張り上げた。
「期待させないで……ッ」
言った。
これでよかった。後悔しない。だって、伝えられたんだから満足。
続いていく日常。変わったのは、あなたがいない。それだけ。
いつか、笑って言えるかな。私ね。大きな空の下で叫んだんだよって。言えるかなーー。
ーー……。
一瞬、なにが起きたのかわからなかった。まばたきするのも忘れてしまった。
頬に触れる柔らかな髪。耳に伝わってくる吐息。
「……ぁ」
きづけば、私は抱きしめられていた。
「ユゥ……?」
ふと目に入った投げ出された車椅子。
……立ち上がって、ここまで来た……?
「ユウッ、ぇ……、なんで……、ま、まだ立っちゃだめだよっ、傷がまだ」
「ごめん」
ユウが、間髪入れずに言った。困惑して、首をかしげる。
「え」
「ごめん……こんなになるまで、きみを不安にさせてたなんて気づかなかった。僕が杏奈を追い詰めていたんだね」
「ユ、ユウ?」
「あの夜から考えてたんだ。これで、いいのかなって。杏奈を危険にさらして、君を守ることもできなかった」
「そ、そんなことない。ユウはじゅうぶん守ってくれた」
「中途半端なこと、したくなかったんだ。だから、ちゃんとけじめをつけたかった」
ユウが私をジッと見つめた。真剣な眼差し。私は戸惑った。
「……ユウ?」
「軽い気持ちのまま、好きだ、なんて言葉。もう使いたくないんだ。だから、杏奈」
ユウの紡ぐ言葉。
「あらためてちゃんと言いたかった」
「……え」
「僕と付き合ってくれないかな。結婚を前提として」
「……冗談?」
「本気」
「…………」
「杏奈?」
視界の中にある景色が溺れていく。そして、溢れる私の目から大粒の涙。
ユウから返事を求められた。そんな必要ないでしょ、と泣きながら言うと彼は笑った。
好きだよ。杏奈。そう言って、また笑った。
久しぶりに見たあなたの笑顔は、私を惑わせる。その顔は、やっぱり綺麗だった。
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