再起ー2

「っ、……ユ、ゥ……まって」

「あんだけ忠告したよね? 杏奈を傷つけたら許さないって。それなのに、きみ彼女の前でヤッたよね? あのとき、すでに僕は正気だった。きみを殺してやりたかったよ」

「ご、めんな、さいっ、……ァ、ゆる、して……ッ」

 ユウはさらにトーンを落とす。そして、笑顔のまま眉間にシワを寄せた。

「桜子ちゃん、きみ。無事でいられると、思ってるの?」

「……か、は…ッ、」

 ユウの手に力がこもる。

「桜子様!」

 そう叫ぶ声。使用人がドアのところにいた。桜子の姿を見て、彼が足を踏み出す。

「ストップ」

「ッ……!」

「こっち来たら、彼女を殺すから。それがいやなら動かないで」

「……桜子、様……っ、」

 使用人は、崩れ落ちるようにその場へ座り込んだ。若くして桜子に尽くすこの人が哀れにみえた。

 ようやくこの悪夢が終わる。安堵し、胸を撫で下ろした。そのときだった。

「う……」

 ユラリ。

 さっきまでもがいていた男の人が立ち上がった。ポタポタと、ユウにより受けた傷から血が滴っている。

 その顔は、怒りと恥辱の念で覆い尽くされていた。復讐の塊そのもの。それは、恐ろしいほどの殺気を放っている。

「くそ……このやろぅ……ッ」

 肩で息をしながらも、血だらけの手が背後へ。そして、男の人が取り出したもの。それは、バタフライナイフだった。

 先ほどのものとは比べものにならないほど、刃がおおきく鋭い。油を練り込んだようにテラテラと光るナイフ。

「殺してやる……殺してやる。おまえも、この女も……っ!!」

 ーーオンッ

 襲いかかる殺意の塊。ユウは掴んでいた桜子の首から手を離した。

「ッ……」

 相手の攻撃を間一髪かわす。男の人の口がグワリと弾けるようにひらいた。

「それで、避けたと思ったかッ」

 男の人がナイフを持ち替える。

 ーークンッ!

 そして、手首のスナップを効かせると振り上げた。蛍光灯の光を浴びて、ナイフの先が映射する。

「死ねッ」

 凄まじい勢いで落ちてくる凶器。ユウは動かない。避けようのない体勢。

 だめ……!

「ユウッ」

 叫んだ。ユウの口もと。そこに、えがかれる穏やかな弧。

 ……っ!

 ゾッした。

「ハ……」

 この状況で、ユウは笑っていた。肌がピリピリと痺れる。

 空気が緊張している。ただならぬ殺気。

 それは、ユウのーー。

「死ねぇッ」

 襲いかかる刃。

 刹那、ユウが重心を深くさげた。まるで、フッと消えたような錯覚におちいる。

 ブンっ!

 男の人がおおきく空振りする。

「ッ……く」

 体勢を崩しよろける。ユウが、口を開いた。

「これで、終わりだ」

 無機質にゆらめく彼の眼光。ユウが、男の人の髪を鷲掴みした。素早くステップで軸足を固定させながら踏み込む。

 斜めに膝を抱え込み突き入れた。

 ……ゴ……ッ。

 骨の砕けるような歪な音がした。瞬間、相手の身体が宙を舞う。髪をなびかせながら、無表情で見届けるユウ。

 鮮やかなまでの膝蹴り。地面を蹴ることにより、その威力はすごかった。

「っ、……ッがはっ……」

 男の人の口から血が飛んだ。顎を撃ち抜かれ、そして、地に落ちた。鈍い音が部屋に響きわたった。

 そのあとにおとずれたのは沈黙。動かなくなった男の人。気絶したままの桜子。

 そして、

「桜子……様……」

 廃人のように、彼女の名を繰り返す使用人。

 静寂。

 ……ようやく終わった。終わったんだ。


 ーー……ユウ。また、あなたに逢えたね。


 それから、私は警察に連絡をした。事情を説明していくうちに、警察官の声色が変わっていくのがわかった。

『っ、すぐに駆けつけます』

 電話の向こうが、ざわめいている。おそらく数分後にたくさんのパトカーがやってくるだろう。そうしたら、ほんとうに終わる。

 桜子らを縛りつけたのち、私たちは部屋を出た。

 パトカーが到着するまですこしある。玄関に腰かけて待つことにした。

 大理石の床が冷たくて、心地いい。そんなふうに思っていると、突然ユウが口をひらいた。

「久しぶりにドジ踏んじゃった」

 その声は明るい。私は無言で、ユウを見つめた。

「ほんとうは諦めるよう説得するつもりだったんだけど、途中から歯止めが効かなくなって。注射もされちゃったしさぁ」

 淡々と言葉をつむいでいく。

「こんなに帰ってこなかったら、さすがに心配するよね。あ、もしかして、警察にあの動画観せた? すごい恥ずかしいんだけど。あのときは、まだ結構頑張ってたんだけどねぇ」

 ケラケラと笑うあなた。いつものように冗談めいて。二週間の出来事なんて、まるで気にしていないように。あなたはほんとうにつよい。

 ぜんぶ、自分で飲み込んで、終わらせようとする。あなたは、ほんとうにつよい人。

 ーーちゃんとわかってるよ。

「にしても、杏奈。動画の僕観て、笑っちゃったんじゃない? それとも、怒った? 僕って、ほんと情けないよね」

 ーーちゃんとわかってる。

「これで、あの子が妊娠でもしてたらどうしよう。はは」

 だからーー。

「僕も、責任問われるかな。僕の子だって認めないといけないのかな。そうなったら、杏奈とさよならだ。はは。自業自得だよね。こうなったのは、僕のせいだ」

 お願い。

「……ユウ」

「僕が、もっとちゃんとしていたら。警察に相談してたら、」

「ユウ」

「僕が……、」

 ひとりで抱え込まないで。

「ユウっ」

 私は、ユウを抱きしめた。ユウが驚いて、身体をこわばらせる。

「杏奈……?」

 困惑したユウの声。いつも平然としているユウが、すこしだけ動揺している。

「だいじょうぶ。私は、ここにいるよ」

「え」

「よく、頑張ったね。だから」

 私は言った。

 いまだけは我慢しなくていいんだよ。

 ユウはなにも言わなかった。たったの一言も。

 静かに頬を濡らすあなた。こんなにきれいに泣く人がいるのだと私は思った。


 遠くでサイレンの音がする。ユウがいなくなって二週間。

 ようやく、この悪夢のような出来事に終止符がうたれた。

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