喪失

 嗚呼、どうして、私たちはこんな暗い所にるのだろう。

 世界はこんなにも美しいのに、世界はこんなにも希望で光り輝いているのに、どうして、私たちはこんな仄暗い海の底に沈んでいるのだろう

 ……どうして私たちは。


 ーー……。


 数時間後、ふたたび桜子がやってきた。彼女は先ほどと打って変わって、ひどく穏やかな表情をしていた。

 私のそばへやってくる桜子。頬にそっと触れると呟いた。

「杏奈さん、さっきはごめんなさい。私……やりすぎたわ」

「っ……」

 そして、ニッコリと笑った。

「だからね。あなたにサプライズがあるの。きっと喜んでくれるはず。ほら、入ってきていいわよ」

「了解」

 男の人の声。そして、入ってきたひとりの人物。

「え」

 目を疑った。そこにいるのは、以前私を茂みに連れこんだ人だった。

「よぉ、久しぶり。元気してたか?」

 ケラケラと笑う男の人。以前、バーで声をかけてきた彼こそ、私を襲った人物。私は肩を震わせた。

「ど、うして……」

「うふふ、それは、わ、た、し。実はあのとき、見てたのよ。一部始終ぜーんぶね。私は、逃げていく彼を追いかけた。そして、声をかけて提案したの。もう一度彼女を襲ってみないって」

「そんな……ッ」

「だから、ね? 今夜はサプライズパーティー。ねぇ、杏奈さん。あなたの喘ぎ声はどんな音色なのかしら」

 ゾクリ。

 言葉にできないほどの悪寒を全身で感じとった。

 私は、今からーー。

「いや……やめて……ッ」

「おい、まじでその顔やめろ。やべぇから」

「ッ……」

「あぁ、この感じたまんねぇ。こんなに興奮すんの久々」

 男の人は髪をわしづかみにすると、床に押しつけた。グリグリとまるでねじ込むように押さえる。摩擦熱で頬がピリリと痛んだ。

「ほらっ、こっち向けよ。そのほうがあいつによく見えるだろ」

 身体の向きを乱暴に変えられていく。私はユウに向き合った。うつむいたままのユウ。

 桜子が窓ぎわに立っている。手に顎をのせて、とても楽しそうだ。

「うふふ。さっ、好きなだけヤッちゃって。立ち直れないってくらいにっ」

「言われなくとも、その気満々だって」

「うふ。それってすっごいステキ」

「だろ? にしても、こんなシチュエーション準備してくれてサンキューな」

「どういたしまして。ーーたっぷり楽しんで」

 満面の笑みを浮かべた。

 ……桜子。私は、あなたが……。

「ってことで、さっそく」

 伸びてくる手。頭を押さえつけた状態から、膝を立たされた。男の人が後ろへ回る。カチャカチャとベルトを外す音がする。頬に押しつけた床が冷たい。ヒンヤリする。

 あぁ、ここの床は……冷たい。

 彼がスカートをめくっていく。男の人は舐めるように眺めると、下着に手をかけた。

「ったく、こんないい女を独り占めしやがって。まぁ、いいや。今日からは、俺がたっぷりと味わってやるよ」

「いや……ッ」

「動くんじゃねぇよっ」

 男の人が私の腰を掴む。その腕に力が込められ、私は引き寄せられた。下着がズラされていく。

 これから、私はユウの目の前で無理やり抱かれる。

 どんなに叫んでも、だれも助けてくれない。そしたら、たぶん私は壊れるだろう。ユウのように、壊れて戻れなくなるだろう。

 けれど、もういい。壊れてしまったほうが楽だ。空っぽなユウを見て悲しむより、ずっと楽。私なりに、結構頑張ったとおもう。でも、すこしだけ……疲れた。


 ねぇ、ユウ。あなたは、いつも笑っていたね。

 どんなことにも動じなくて、時々意地悪だけど、そのあとはすごく優しかった。

 甘えたな性格で、母性本能をくすぐるのがうまくて、落ち着いていて、大人っぽくて、ときどき束縛が激しくて、でもそれがあなたのいいところで、そしてなにより、私をこころから愛してくれた。

 大事に想ってくれた。


 そんなあなたが私はほんとうに、だいすきだった。

 ユウ、ごめんね。私あなたを助けてあげられなかった。ほんとうにごめん。……ごめんね。

 私は、ゆっくりとまぶたをおろした。

「ねえ」

 声が、した。

 ーーダレ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る