玩具
目がさめた。頭が痛い。痛むところに手を持っていこうとした。けれど、できなかった。
「あ……」
私は、両手を後ろできつく縛られていた。
そうか。私……桜子に捕まったんだ。
肩の力が抜けていく。ユウを助けることはおろか、警察を呼ぶこともできなかった。なんて情けない。
白い床には、血のあと。どうやら頭を殴られたときに、出血したらしい。
警察へ連絡しようと必死だった。桜子以外に気を配っていなかった。自業自得。感嘆した。
「……ぅ」
と、うしろで声がした。
ーーだれっ?
私は、ビクッと肩を揺らすとふりかえった。そこには、椅子に縛られたままのユウ。どうやらおなじ部屋で私は拘束されていたようだ。
「ユウっ」
私は立ち上がると、ユウのそばへ寄ろうとした。けれど、反動で後ろに転んだ。
「ぅ……ッ」
頭を強打する。怪我したところが痛い。私の縄は壁に打ち込まれた鉄のポールとつながっていた。
何度か引いてみたけれど、ビクともしない。
触れるのが無理でもーー。
私は顔をあげた。
「ユウ、ねぇ、聞こえる?」
ユウに語りかけるように、それでも、はっきりとした口調で声をかけた。
私の声を聞けば、彼は絶対正気を取り戻してくれる。そう期待をこめた。
「私! 杏奈よ? わかるでしょ?」
うつむいたままのユウ。反応はない。ユウの虚ろな表情が暗がりに浮かび上がった。
「ユウ、助けに……来たんだよ。捕まっちゃったけど……でも、ユウがいればだいじょうぶだよね? ユウ、強いもんねっ」
ユウはなにも言わない。ぼんやりと床を眺めている。それでも、私は諦めなかった。
「ねぇ、ユウがいない間、掃除大変だったのよ」
なんども声をかけた。
「あなた、綺麗好きだから、一生懸命がんばったんだからね。帰ってきたら驚くよ」
目の周りが熱くなってきた。
「褒めてよ……帰ったら……褒めてよね」
次第に声も震えてくる。
「……ユウ、聞いてる?」
泣きそうだ。でも、今は泣いたらだめだ。うつむいてぐっと堪えると、ふたたび前を向いた。
「ユウ! お願いっ、目を覚まして!」
そのときだった。
ガチャ。
「うるさいわねぇ」
ドアの向こうから桜子が現れた。彼女は、私の前までスタスタと歩んでくると、仁王立ちで見下ろした。
昼間の彼女とは違う。影のかかる彼女の顔は、ひどく不機嫌だった。
身体が震える。恐怖で潰されそうだ。
「ったくなんなの? せっかくユウとふたりきりにしてあげたっていうのに、もう少し落ち着いて話せない?」
「そ、そんなのできるわけないっ、ユウっ、聞こえてるんでしょ? 目を覚ましてっ」
「静かにしてってば」
「ねぇ、ユウ! 返事してっ」
「だから……うるさいっ」
パンっ!
瞬間、頬に衝撃を受けた。桜子の平手打ち。
驚き桜子を見上げた。見下すような彼女の視線。
「もう、我慢できない。あんたねぇ、ほんっと……ムカつくのよ」
怒りに満ちた彼女の顔。人間とは思えないほど恐ろしい形相だった。
それからは、拷問とほぼ同じだった。殴られたり蹴られたりの繰り返し。
ヒステリックに叫ぶ桜子。縛られた私は、受け身すらもできない。
「あんたなんかっ、消えてしまえばいいのよっ、どうしてあんたが、ユウに愛されるわけ!? 私のほうがずっといいのに!」
私に叫び散らす。桜子になんども踏みつけられる。顔や脇腹、足。口の中が、鉄くさい。胃液がこみ上げる。
「あんたなんかだいっきらいっ!」
増えていく傷あと。打撲、擦り傷、切り傷。
あれ、私、死んじゃうかも。
「あんたなんか、あんたなんかっ……」
桜子が膝を上げる。そして、勢いよく下ろした。
「死んで!」
ボキッ!
身体を伝って、変な音が響いた。そして、猛烈な痛みが脳を刺激した。私は、目を見開き、身体をヒクつかせた。
「ァ……」
痛い痛い痛い。腕が痛い。縛られたままの腕が痛い。なのに、折れたところを、押さえることもできない。
痛い……死んじゃう。このまま殺される。
「はぁ……ハァ……っ」
息ができない。苦しい。
「あらら、骨折れちゃった? ごめんなさいね。杏奈さん。どこが折れたの? ここ?」
グッと腕を掴まれた。瞬間、神経を引きちぎられるような激痛がはしった。
「ぁ…………ッぅ」
「あぁ、痛いところにちょうど触っちゃったのね。でも、ワザとじゃないの。許して」
そして、楽しそうに笑った。暗い部屋に響く桜子の笑い声。
あぁ、もぅ……痛みで腕も頭もズキズキする。
これ以上の痛みを私は知らない。
「はぁ、杏奈さん虐めたら、なんだか興奮してきちゃった」
ゆっくりとユウに近づいていく。そして、ユウに馬乗りになった。
腕が痛む。けれど、今から味わうのは、恐らくそれを上回る痛みーー。
「ねぇ、杏奈さん。最高のものを見せてあげる」
私に微笑みかける桜子。もう消えてなくなりたい。心からそう思う。
なぜ、私をユウとおなじ部屋に拘束したのか。今、わかった。
「ぁん、ユウっ……気持ちいいっ」
桜子の声。
「……ぁ、たまんないっ」
桜子のよがった顔。そして、ふたりが繋がる光景。見たくない。私はなんども顔を背けようとした。
けれど、叶わなかった。使用人が私の髪をわしづかみにして、無理やり前を向かせる。
「目を閉じるな」
拒むと殴られた。
「ユウ最高っ。ねぇ、お返事して。私の名前、言ってごらん」
すると、ユウの手がピクリと動いた。そして、桜子のせなかに手を回す。
「桜子……ちゃん」
二週間ぶりに聞いたユウの声。けれど、それはやっぱりいつものユウじゃなかった。
トロリとした視線を桜子にあずけるユウ。薬で操作されたユウは快楽に溺れていた。
「ねぇ、ユウ。私のことどう思う?」
「きみは……可愛い」
「ユウっ、嬉しいっ、大好きよ」
「……僕、も……好きだよ」
「あぁん、しあわせっ、もっと気持ちよくしてあげるっ」
桜子を受け入れるユウ。その艶めいた表情が頭に焼きついてはなれない。
結局、ユウは絶頂に達しなかった。それでも、桜子は満足なようすだった。
「ユウがあんなに気持ちよさそうにしてくれるなんてっ、もうお薬に頼らなくてもいいわっ」
桜子はスキップ交じりに部屋を出ていった。ふたたびうつむいたまま動かないユウ。
さっき、わずかに桜子と会話していた。もしかしたら話せるかもしれない。私は声をかけてみた。
「ユウ?」
「…………」
「ね……聞こえてる? 杏奈だよ? ……ねぇ」
「…………」
返事はない。やっぱり私の声は、彼に届かない。
天井には監視カメラ。きっと失望する私を見て、あざ笑っていることだろう。
「…………はぁ」
私は、崩れ落ちるように倒れこんだ。痛みの感覚はもうない。あるのは、無力感と絶望感だけーー。
ユウは、桜子のおもちゃになった。
あぁ、もう……死んでしまいたい。
頭の中にある理性が、クルクルと回る。狂ったように、クルクルとクルクルとそれは、頭の中で永遠に回りつづけた。
もう、ほんとに死んでしまいたい。
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