再会ー2

 狂気。

 それは暴力的な精神的動揺状態のこと。


 部屋へ足を踏み入れた。ユウはいた。椅子に縛られたまま、うつむいている。

「ユウっ」

 私は駆け寄っていった。久しぶりにユウに会えた。

 それが、どんな状況であっても嬉しかった。

 もう会えないかもしれない。そんな恐怖と怯えた日々は地獄のようだった。

 監禁されている部屋で、ユウはさぞ辛い表情をしていることだろう。二週間も監禁されていたのだ。やつれているかもしれない。それでも、戻ってきてくれるなら、それ以上のぞまない。

「ねぇ、ユウっ、私よっ、杏奈。わかる?」

 手のひらを頬に添える。温かい。久しぶりにユウの温度に触れた。

 あぁ、ユウ……よかった。

 あなたはここにいた。

「ユウ。こっちを見て」

 私は、ユウの顔を覗きこんだ。身体が凍りついた。

 覗きこんだ先に見えたもの。それは、想像していた景色とはまったく違うものだった。

 虚ろな視線。生気や活力の感じられない目つき。ユウの目は、死んだ魚のようだった。

「…………ユウ」

 声を震わせた。困惑の色を隠せなかった。いつも楽しそうに笑ったり、冗談めいて怒ったりするユウ。

 けれど、目の前にいるユウは、まるで魂が抜けたように動かない。その顔は、ほんとうに無だった。

 ユウに会いたかった。けれど、こんな再会ってあんまりだ。涙が伝って落ちていく。

「ユウ……」

「ふふ」

 すると、うしろで笑い声がした。振り返ると、桜子が口に手をあてて楽しそうに笑っている。

「……なにがそんなにおかしいの?」

 涙をぬぐい払うと桜子を睨みつけた。

「あ、ごめんなさいね。久しぶりの再会を邪魔しちゃって。だけど、残念。ユウはあなたのこと、わからないと思うわ」

「え」

「だって?」

 桜子が取り出した。それは、注射器だった。ゾクリと悪寒が走った。

「え、……まさか」

「そ、の、ま、さ、か。あはは」

 彼女は、ユウのそばへいくと、

「薬を打っちゃった。チュウって、こ、こ、にっ」

 首もとを指差した。そこには、何箇所も注射をさした痕。

 これは、夢? いいや、これは……現実。

「……うそ……っ」

「うそじゃないわ」

「しんじ……られない……どうして……そんなこと」

「だぁって、ユウってば、いくら快楽を与えてもぜんぜんなびかないの。歯がゆくて、水や食べ物を与えなかったわ。それでも、ユウは平気そうにしてた。もう悔しくて。だから、知り合いに頼んだの。心を奪うことのできる薬をちょうだいって」

 身体がカタカタと震えた。めまいがする。けれど、桜子は話をやめない。

「注射するとき、ずいぶん抵抗したけどね。打った瞬間、すごくお利口になったわ。素直なユウも可愛いっ。もう、キスしちゃうっ」

 そう言って彼女はユウに顔を寄せた。舌を絡ませる濃厚なキス。

「はぁ、……ユウっ」

 桜子は、何度も必要に唇を重ねた。ユウは抵抗することなく、受け止める。まるで条件反射のように舌を絡ませた。

 言葉を忘れたユウ。ただ、桜子のされるがままを受け入れる。それはまるで操り人形。

「ユウ……っ、ハァ」

 桜子が舌を絡ませる。そのたび、唾液が糸を引くように伸びていった。私は堪らず視線を逸らした。

「こんなの……ユウじゃない……薬で心を支配……するなんて。ひどい……なんで……そんな、こと……」

「だって、私のものにしたかったんだもの。あなただって監禁されてた時期があるからわかるでしょ? 愛っていうのは、狂気と同じなの」

 桜子は何から何まで知っているようだ。けれど、そんなことどうでもいい。今はもっと大事なことがある。

 ユウを助ける。私は肩に力を入れた。そして、彼女を睨みつけた。

「ユウを離して……病院へ連れていくわ」

「だめ。まだこれからなの。たくさんユウとエッチして子どもを宿すのよ。そしたら、私たちは夫婦になれる」

「そんなこと、私は許さない」

「あなたのことなんてどうでもいいわ」

 ふい、と視線を横に向ける桜子。私は、ドアのほうに数歩後ずさりした。ポケットに手を入れ、携帯を取り出す。

 ーーだいじょうぶ。この距離だったら桜子が止めようとしても……。

「桜子。あなたはもう終わりよ」

 110番を押した。

「それは私のセリフ」

「え」

 瞬間、頭に衝撃が走った。グラリと身体が落ちていく。

 後ろから手が伸びてきて、携帯を取られた。薄れゆく意識のなか、振り返る。

 私を見下ろすようにして立つ人影。それは、何度か見たことのある使用人だった。

 私の携帯を操作すると、彼が呟いた。

「発信を止めました」

「よくやったわ。ーー杏奈さん、そういうことであなたはもう終わり」

「そんな……ユウ……」

 薄れゆく意識の中、桜子のけたたましい笑い声が反響していた。

 ユウ。あなたはとんでもない人に愛されてしまったね。警察には言わないと言うあなた。そのあなたの優しさが、今は憎い。

 不快さにまみれながら、私の意識は腐海の底へ沈んでいった。

 絶望の先にあるものはーー。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る